日本の冬は、ずっと「暖冬」が続いていた。
夏も猛暑で、体がすっかり暖かい所仕様になってしまったからかな…と、昔は「寒さ」の方が好きだった私は、12月から震えている。
例年の12月の東京は割と、暖かいのだけど、この冬の年末は結構、凍えた。
寒くなるのが早かったから、春も早く来るかなぁ―と、ちょっと、期待していたのだけど…正月も気温は低く、20日はついに、雪。
その20日近辺の新聞に、
『今年は「寒冬」』
という耳慣れない言葉が……。
「暖冬」があるから、「寒冬」もある??
さらに、23日も夜から「雪」との予報は当たり、午後9:00前から、雷を伴って3時間ほど、(東京にしては)激しく降った。
そのあとピタリと止んだが、深夜で太陽光があるわけではないので、そのまま、凍った。
翌朝、ベランダの手摺に積った5センチほどの雪を落とそうとしたら、ガッチリ固まっていた(氷になっていた!)
3時間降っただけで、庭も道路も屋根も木々の上も積雪○○センチ、しかも、固まって……北の地で一晩で○メートル―云々いうが、大きく納得。
「白い魔物」という言葉が浮かんだ。
「雷を伴って激しく、降るでしょう」―と時々、天気予報で言う事がある。
雷と一緒の雪を私は見たことが無いので、実際、遭遇してみると、ちょっと、怖かった。
雪がどんどん降っているのに、夜空に稲光が走っている。
通常は雨なのに…と思い、が、気温があまりに低いから、水(雨)が凍って雪になって落ちてくる―という当たり前の現象だ。
わかってはいるのだけど、とにかく、雷は怖い。
そうそう、雷で思い出したが、ずっと、昔、
「雷神はあなたの味方」
と、言われたことがあったっけ…。
それなのに、「こわい」とは、ゴメンナサイ、雷神様(祈)
今年の春の到来は遅い―という気象庁の3カ月予報が発表された。
2月も凍える寒さだそうな・・。
もう随分前、東京でひと冬の半分以上が降雪だった年があった。
北国ではないのに、庭の雪が「根雪」になった。
春の花も例年のように順番には開花しなかった。
梅も桃も桜も沈丁花もみんな一緒だったのだ。
まるで北国の春の到来のようだった。今年もそれ?
あまりに寒いので、パソコンのデスクトップの背景を変更した。
通常は季節に応じた画像にしておく。
12月から年明けの15日くらいまでは「函館クリスマスファンタジー」だった。
12月1日から25日まで函館の港で開催しているクリスマスファンタジーは一見の価値あり!すご~く美しい!!
年も明けて、クリスマスファンタジーでは…と思い、雪景色にしたが、その画像をみるまでもなく、実際に寒いので…見ると、寒さがプラスされるような気がして(笑)、一面の菜の花の画像に変更した。
「春待つ心」である。
しかし…と、その心を、ふっと押しとどめる小さな不安感。
アゝ、そうか、今は一面を覆っている雪が春になれば解けて、通年は大地を、田畑を潤す雪解け水は今年ばかりは、雪で閉じ込めていた放射性物質も解き放ち、海へと流れてしまうのだった。
「海はひとつでしょう」
と言っていた友人の言葉のとおり、それらは、世界中を巡る。
「小さな不安感」は大きく膨らみ、「悲しみ」に姿を変えた。
今年は…いや、今年ばかりではない、この先、何十年、いや、プルトニウムは2万年以上も消えない・・それらが、雪解け水と一緒に世界に流れていくのだ。誰にも止められない。
春を待つ心も、今までのように、弾む気持ちは、もう永遠に無くなったのだと、改めて知らされた。
♪雪が解けて、川となって山を下り谷を走り野を横切り畑を潤し…♪
春になると思い出していたこの歌も、逆に、ちょっと悲しい。失ってしまった…という気がして。
しかし、被災を免れた私がこんな事ではいけない。
『震災刻む31文字』という記事が今朝の新聞(東京新聞)に載っていた。
気仙沼高校文芸部員が活動の一つとして取り組んできた短歌を作りを震災後も続けている。
そして、震災を主題に詠んだという。
胸に応えた歌の数々だったので、ここに転載してみた。
見つからない 友を想って 泣いたのは やっと四月の中頃だった
ここにいた ここにあったと 思い出が 泣き声上げる 東北の秋
「また明日」言葉の重みを 今知った 明日は当たり前じゃないから
東北の 空に天使は うずくまる 「翼はあっても 奇跡は起きない」
ポリタンク よろけて気付く 命の音 零(こぼ)してなるかと 腕を回した
止まらずに 私は未来(つぎ)に 進んでく 隣に君が いないとしても
6首目の句は年末に詠んだと記事には書かれていた。
やっぱり、私たち大人は、下を向いていたらいけない。
凍える大気に身を縮めているばかりでは、申し訳ない、歩き出そうとしている「若い力たち」に対して…。
夏も猛暑で、体がすっかり暖かい所仕様になってしまったからかな…と、昔は「寒さ」の方が好きだった私は、12月から震えている。
例年の12月の東京は割と、暖かいのだけど、この冬の年末は結構、凍えた。
寒くなるのが早かったから、春も早く来るかなぁ―と、ちょっと、期待していたのだけど…正月も気温は低く、20日はついに、雪。
その20日近辺の新聞に、
『今年は「寒冬」』
という耳慣れない言葉が……。
「暖冬」があるから、「寒冬」もある??
さらに、23日も夜から「雪」との予報は当たり、午後9:00前から、雷を伴って3時間ほど、(東京にしては)激しく降った。
そのあとピタリと止んだが、深夜で太陽光があるわけではないので、そのまま、凍った。
翌朝、ベランダの手摺に積った5センチほどの雪を落とそうとしたら、ガッチリ固まっていた(氷になっていた!)
3時間降っただけで、庭も道路も屋根も木々の上も積雪○○センチ、しかも、固まって……北の地で一晩で○メートル―云々いうが、大きく納得。
「白い魔物」という言葉が浮かんだ。
「雷を伴って激しく、降るでしょう」―と時々、天気予報で言う事がある。
雷と一緒の雪を私は見たことが無いので、実際、遭遇してみると、ちょっと、怖かった。
雪がどんどん降っているのに、夜空に稲光が走っている。
通常は雨なのに…と思い、が、気温があまりに低いから、水(雨)が凍って雪になって落ちてくる―という当たり前の現象だ。
わかってはいるのだけど、とにかく、雷は怖い。
そうそう、雷で思い出したが、ずっと、昔、
「雷神はあなたの味方」
と、言われたことがあったっけ…。
それなのに、「こわい」とは、ゴメンナサイ、雷神様(祈)
今年の春の到来は遅い―という気象庁の3カ月予報が発表された。
2月も凍える寒さだそうな・・。
もう随分前、東京でひと冬の半分以上が降雪だった年があった。
北国ではないのに、庭の雪が「根雪」になった。
春の花も例年のように順番には開花しなかった。
梅も桃も桜も沈丁花もみんな一緒だったのだ。
まるで北国の春の到来のようだった。今年もそれ?
あまりに寒いので、パソコンのデスクトップの背景を変更した。
通常は季節に応じた画像にしておく。
12月から年明けの15日くらいまでは「函館クリスマスファンタジー」だった。
12月1日から25日まで函館の港で開催しているクリスマスファンタジーは一見の価値あり!すご~く美しい!!
年も明けて、クリスマスファンタジーでは…と思い、雪景色にしたが、その画像をみるまでもなく、実際に寒いので…見ると、寒さがプラスされるような気がして(笑)、一面の菜の花の画像に変更した。
「春待つ心」である。
しかし…と、その心を、ふっと押しとどめる小さな不安感。
アゝ、そうか、今は一面を覆っている雪が春になれば解けて、通年は大地を、田畑を潤す雪解け水は今年ばかりは、雪で閉じ込めていた放射性物質も解き放ち、海へと流れてしまうのだった。
「海はひとつでしょう」
と言っていた友人の言葉のとおり、それらは、世界中を巡る。
「小さな不安感」は大きく膨らみ、「悲しみ」に姿を変えた。
今年は…いや、今年ばかりではない、この先、何十年、いや、プルトニウムは2万年以上も消えない・・それらが、雪解け水と一緒に世界に流れていくのだ。誰にも止められない。
春を待つ心も、今までのように、弾む気持ちは、もう永遠に無くなったのだと、改めて知らされた。
♪雪が解けて、川となって山を下り谷を走り野を横切り畑を潤し…♪
春になると思い出していたこの歌も、逆に、ちょっと悲しい。失ってしまった…という気がして。
しかし、被災を免れた私がこんな事ではいけない。
『震災刻む31文字』という記事が今朝の新聞(東京新聞)に載っていた。
気仙沼高校文芸部員が活動の一つとして取り組んできた短歌を作りを震災後も続けている。
そして、震災を主題に詠んだという。
胸に応えた歌の数々だったので、ここに転載してみた。
見つからない 友を想って 泣いたのは やっと四月の中頃だった
ここにいた ここにあったと 思い出が 泣き声上げる 東北の秋
「また明日」言葉の重みを 今知った 明日は当たり前じゃないから
東北の 空に天使は うずくまる 「翼はあっても 奇跡は起きない」
ポリタンク よろけて気付く 命の音 零(こぼ)してなるかと 腕を回した
止まらずに 私は未来(つぎ)に 進んでく 隣に君が いないとしても
6首目の句は年末に詠んだと記事には書かれていた。
やっぱり、私たち大人は、下を向いていたらいけない。
凍える大気に身を縮めているばかりでは、申し訳ない、歩き出そうとしている「若い力たち」に対して…。