アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

調べ好き  (飛浪)

2006-11-30 | その他
ひがな一日コンピュータをやっても一向に飽きない。これが一週間続いても、同じようにコンピュータの前に座り続けていられる自信もある。(変な自信だが)
 
一体何を調べているのか、と友人や家族は問う。
そうだなぁ・・・例えば、山本耕史さんについて調べてみる。→ファンクラブ名「マグナム1031」っていうんだ。何でマグナムなんだろう、と言う疑問がわく。(これはご本人に理由を聞きましたが)マグナムって、銃の名前だけれども、一体どんな銃?→357マグナム拳銃OR44マグナム拳銃、とくる。そして例えば、説明書きに「FMJ(フルメタルジャケット)弾頭」とか知らない単語が出てきたとする。FMJって何だろう?ってことになって、今度は弾頭の調査に入る(笑)
調べた先のURLにリンクなどがはってあって、面白そうなものだと、またそこから深みに入ってしまう、と言った具合で、止め処がない。無論、そのような知識を一日で頭に叩き込むことなど無理なことなので、ついつい毎日そのURLに通ってしまい、ひたすら調べ続ける、ということになる。

例えば、映画。以前観にいった「出口のない海」ー人間魚雷の話だが、まず公式ホームページへ行く。そして、そもそも魚雷の構造って?と来る。魚雷にも酸素魚雷とか音響魚雷とかデコイとか。じゃ、人間魚雷ってどう?何?ということになり、今度は歴史、構造、使用法等々ひたすら調べてしまうことに。

そして、知識として頭に叩き込めなかったものを、お気に入り、としてまたすぐ読めるように登録しておく訳だが、これもカテゴリ毎に整理したり、お気に入り名を分かりやすくしておかないと、どれが一体なんだったのか分からなくなる。

最近は、メールに加え、SNS等はじめてしまったものだから、日記を書くやら、メッセージを書くやら、コメントするやら、で余計コンピュータに関わる時間が増えてきた。とりあえず、コンピュータさえあればいい。これって、子供がゲームボーイやらニンテンドーやらにはまってやり続けているのとおんなじなのかなぁ。

世界バレー2006

2006-11-28 | その他
世界バレー2006が連日TVで放映されている。先日久々に男子バレーを見たら、いつの間にかルールも違う、ボールもステキで面白くて熱中してしまった。

小学校に入ってハマッたスポーツは何といってもバレーボールだった。「アタックNO.1」や「サインはV」のアタックや回転レシーブのかっこよさったらなかった。当時二千円もした公式使用のバレーボールを泣いてねだって買ってもらって、毎日友人たちとバレーボールごっこをした。高学年になってからは、土曜の午後に毎週練習した。監督の投げる球を顔にマトモにくらって「そこ!余所見しとるから、そんなことになるんぞ!!」と当てた責任を棚に上げた言葉にも動じず、手首のところが腫上がるくらい練習した。(下手だから・・・だったのか・・・?)

中学に入ったらバレー部に入ろうとしか考えてなかった。時代の波もあろうが、大抵バレー部とテニス部は新入部員が多い。「その身長じゃレギュラーになれない」と軽くあしらわれて諦めざるを得なかった。

考えてみれば、その時その言葉で諦めてしまったために、今もまだバレーボールに対する情熱の燃えカス、みたいなものが胸の中に残っているのかもしれない。当時レギュラーになれようとなれまいと無理にでもやってみれば、もしかしたらその燃えカスは昇華してしまっていたのかもしれない。

カリフォルニアにいた時は、友人たちと毎週金曜日バレーをし、そのあとピザ屋へ繰り出すのが習慣になっていた。アメリカのネットはジャンプをしても届かないくらい果てしなく高く、アタックなど夢の夢であったので、私はひたすらセッターでトスを上げていた。ナルシソというメキシコ人の友人が「お前のトスはすごく打ちやすい」と言ってくれたのを思い出す。

バレーを離れてから単独で出来る競技しか手を出せなくなってしまったので、団体競技はきついが・・・誰か「やろうよ~」と(強く)誘ってくれれば、もしかまたやりだすかも知れない。

さて、世界バレーにもどる。
私の男子バレー知識というと、猫田選手(古ッ)くらいしかなく、その後は川合俊一時代も殆ど見なかったし、本当に何十年ぶりに男子バレーの試合を観た。それがすごく面白いじゃないか。飛び散る躍動感!スピード感!アタックポイント高ッ!力強いジャンプ!と、ワクワクするじゃないか。

何十年ぶりにベスト8に入ったという。彼等ならやってくれる、日本の男子バレーを変えてくれる何かがある。そんな手ごたえを感じる植田ジャパンだ。チームは時々、流れに戸惑うこともあるが、個々の力は十分世界に匹敵するレベルだと思う。例えば、この4年に一度の世界バレーで力を発揮しなかったとしても、今までの日本男子バレーを確実に変えてゆく起爆剤にはなっているはずだ。彼等はその礎を作っていると信じている。(礎ではなく、優勝だったらもっといいけど、そこまで望むのは・・・)

いや、どこまで行くんだろう、楽しみだ。
ぜひ、一度ごらん下さい。日本男子バレー。結構ハマリます。

PS ・・・「甦る日本の大砲」(笑)と呼ばれる山本隆弘さん、めっちゃカッコイイです。思わず隆弘オリジナルTシャツ買おうかと思っちゃいました。(サイズなかったので諦めた)

http://www.takahiro5.com/index2.htm

アフォリズムという作品     (萩尾)

2006-11-24 | その他
11月22日の東京新聞のコラム「筆洗」に「アフォリズム(警句)作品公開審査」が、明治文壇の鬼才と呼ばれた斉藤緑雨(サイトウリョクウ)の出身地の三重県鈴鹿市で行われた―と、あった。
アフォリズムなる初めて聞く言葉―阿呆からきているのかしら・・・などと、馬鹿なことを考えたりして・・。
ネットで調べたら、この作品審査のHPがあった。そこに、「アフォリズムとは」と、載っていた。
「凝縮し、省略した短い文章で、人生の真実を表現した作品」であるという。
1、ことわざには故事来歴(ストーリー)があるが、アフォリズムには社会や時代(批判精神)がある。
2、格言は善意の(甘い)人生訓、アフォリズムは辛口の人生訓。
3、一行詩は個人への呼びかけだけの気持、アフォリズムは万人向きの論。
4、短歌型文学の基盤は叙情や写生、アフォリズムの基盤は現状把握と批判再建。
・・・ということだそうな・・。
・・で、その斉藤緑雨氏は、辛辣な警句を数多く残したという。
その斉藤氏を顕彰するこの催しである。
最優秀賞作品は、
「時により悪人の悪意よりも善人の行為に追いつめられることがある」
このコラム「筆洗」の執筆者が印象的だとあげていたのが、次の作品。
「人格を売れば金持ちになれる。だが、後に人格を取り戻そうとしても金では買えない」
思わず頷いてしまって、たとえば、株の裏取引などで、「汚い手」を使って、大金持ちになったり・・・と、人格を売っている人のなんと多いことか(その人々は、自分がそうしていることにさえ気が付いていないのだけど)・・。
この国はいつの間に、そんなものが「一番」になる国になってしまったのだろう。
心とか、思いやりとか、やさしさとか、温もりとか・・・それらが、どうして、お金や権力に踏みにじられてしまうような国になったのだろう。
ア、また、暗い話になった。
次は、良い話を書く予定です。

連続どらま・・見逃しているなぁ  (萩尾)

2006-11-21 | 映画・ドラマ
飛浪が今期の連続ドラマについて書いていたが、残念ながら、私は『家族』以外は見ていないに等しい。
今期のドラマが始まった時、いくつか、見ようと思ったドラマはあったが、1~2回見て、あとは、見逃している。
見損なっても、悔しかったとか、、残念だったとか、思わないのは、私の中のそのドラマへの興味の度合いが少ないからだろう。
・・・で、結局、見ないまま、12月も終って、新年からのドラマを期待することになるのだろうなぁ・・・。
『家族』は飛浪の言うとおり、竹野内豊さんがステキだ。渡哲也さんもとてもいい味、温かみがある。
渡さんといえば、昔の『西部警察』が・・云々ということになるが、そのイメージから、とてもいい雰囲気で抜けた―と、思ったのは、野沢尚さんの『反乱のボヤージュ』。学生寮の寮長の役だった。
温かみのある人物で、その温かさが充分に伝わって、それこそ、『西部警察』の渡さんしか知らなかった私は驚いた。
ストーリーは、この寮の閉鎖に学生たちが反対して・・・という、かつての学生運動の情景に似たドラマ。
このドラマの学生の一人に、堺雅人さん。
「この人は誰だろう?狂気の目をして・・」
と、印象に残った。
終わりの配役の所で、名前を確認して、
「サカイマサトというのか」
と、記憶に留めた。
「反乱のボヤージュで狂気の目をしたサカイマサトという俳優が記憶に残った」
と、その後、随分の歳月の果て、山南敬助だった(?)堺氏に会った時に言ったら、
「そんな昔に?!」
と、NHK大河『新選組!』の山南敬助の笑顔で笑っていた。
ア、そういえば、この時は、ファンに滂沱と涙を流させた山南敬助切腹の収録の日だったっけ・・。

話が取りとめなくなるので、ここで、来期のドラマへの期待をこめて、あと一ヶ月余の2006年の日々を頑張ろう・・・と、思う(?)。教育基本法改正だとか、改憲だとか、不安材料がいっぱいだが・・そのために(政府のために)ストレス性胃炎になるのも馬鹿らしいし・・。
先週、5月から延ばし続けてきた胃カメラ検査をやった。医師は「大丈夫でしたよ」と言ったので、「異常なしか、昨年の病状は治ったんだ!」と、喜んで飛浪に「異常なし」とメールして、渡された書類をあとでじっくり読んだら、昨年とまったく同じ病名が並んでいるじゃないか~!
かくして、医師の「大丈夫ですよ」という言葉は、「昨年と同じ、良くもなっていなければ、悪くもなっていませんよ」という意味なのだ―と、わかった次第(?!)
皆様も、ストレスにはお気をつけて・・。
結局、取りとめない内容で、終わりそうです・・。

連続ドラマ

2006-11-19 | 映画・ドラマ
 今クールは久々に幾つかの連続ドラマを見ている。「のだめカンタービレ」、「家族」「Dr.コトー」。
 「のだめ」は、原作を読んでいたのだが、自分としては、上野樹里・玉木宏というキャストは適任だろうと思っていたので、好意的に見ている。
 「家族」は、主人公が男二人という、聞くと地味そうな感じだが、今時にしては硬派な感じの作りなので、気に入っている。渡哲也・竹之内豊というキャストの絡みも面白い。自殺、いじめ、家庭内暴力等々、今の「家族」像が危うくなってきたこのごろ、今後の展開を期待してみている。
 「Dr.コトー」は、シリーズものであり、今回堺雅人さんがレギュラー出演されているというのもあり、毎回見ている。今シリーズでは、新しい看護婦役で蒼井優ちゃんがレギュラー出演しているが、彼女は本当に可愛い。2000年だったろうか・・・藤木直人・上戸彩の「高校教師」で上戸彩のライバル役(いじめ役)で出演していたが、見てて本当に憎らしくなるくらい迫真の演技で、きっと上手なんだろうな、と思っていたが、その後沢山の作品に出演している。「男たちのYAMATO」で、もんぺをはいていたが、初々しくて可愛らしかった。

良い役者さん、良い作品を見るのは楽しい。仕事に振り回される一日だけれど、「あ、今日は○○があるな。」と思うと、それだけで、少し疲れが飛んでしまう。来クールも、良い作品・元気になれる作品があればいいなあ。

つもり違い十ヵ条    (萩尾)

2006-11-18 | その他
『つもり違い十ヵ条』なるものがある。
読んでみると、結構、身に覚えがあったりするのは、私だけではないかも・・・。
1、高いつもりで低いのは教養
2、低いつもりで高いのは気位
3、深いつもりで浅いのは知識
4、浅いつもりで深いのは欲
5、厚いつもりで薄いのは人情
6、薄いつもりで厚いのは面の皮
7、強いつもりで弱いのは根性
8、弱いつもりで強いのは我
9、多いつもりで少ないのは分別
10、少ないつもりで多いのは無駄
以上。
2~3年前、東京多摩地区のお寺でいただいた書面にあった『つもり違い十ヵ条』―たしかに、お寺の教えらしい・・といえば、それまでだが、言い得て妙!その通り!である。
時々眺めては、反省、また、反省・・・。

アメリカのつもり違い―戦後六十一年、日本を日米安保条約で守ってきたつもりだが、真実は、日本は、憲法第九条によって、守られてきた。
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』
世界に誇っていい日本国憲法第九条である。
この「日本国民は」というところをたとえば、「アメリカ国民は」「フランス国民は」「朝鮮民主主義人民共和国国民は」「中華人民共和国国民は」「イギリス国民は」「ロシア国民は」「ドイツ国民は」イラン、イラク、パキスタンetc・・・と、各国に名を変えて、あらゆる国の憲法に、この第九条が存在し、その憲法を、あらゆる国が守り続ければ、国際紛争など、また、「我こそは世界の正義!」とばかりに、自国の邪魔になる国に対して、「危険な国」と、言いがかり(!)をつけて、圧倒的な武力を持って、その国を滅ぼしてしまう(鎮圧なんて、絶対に思えない)―そんな愚挙はなくなるだろうに・・。
夢のまた、夢・・か。
何しろ、浅いつもりで深い人間の欲―だから・・。戦争も、結局は、ここからだ。
愚挙を繰り返さないために、第九条を大切にしなけらば―と、今さらのように思う。

空気がひんやりと冷たい、ようやく、晩秋という雰囲気になってきた。
この季節が好きだ。
季節は(自然は)違えずに訪れを齎すのに、人間は、何と、自然に逆らってばかり・・。
胸の底に、憤怒と不安と無念が入り混じり、秋の夜長―。

THE 有頂天ホテル

2006-11-17 | 映画・ドラマ
近くのシアターで「ワンコインシネマ」と称してリバイバル上映をやっていて、今週は「THE 有頂天ホテル」だった。既にDVDになっている作品だが、やはり大きいスクリーンでみるのは違うだろうと思って見てみた。

文句なく笑える作品。
日本映画って、どうしても何らかのメッセージ性とか時代劇とか、そういうものに固執しなければ大作ではない、みたいな偏見がどこかにあるような気がするのだが、時には、ただただ笑って2時間過ごしたい、という時もあるじゃないか。例えば、主人公の内面の深い部分に滞った感情とか、一瞬の表情が後の伏線となるとか、そういう、シリアスでピリピリしながら画面を見るじゃなく、とにかく今は、ほんわり、のんびりしたい、というような時!この映画はまさに、そういった「ゆるゆるしたい」癒し系の映画といおうか、より心を元気にしたい時に見たい作品だった。

大晦日の有名ホテルで起こる数々のトラブルとドラマ。時には思い切りコミカルに、時には少ししんみりと・・・監督・三谷幸喜氏お得意のハートウォーミングな2時間余りである。

出演者は多いが、それぞれの個性が発揮されている。「こんなこと、なさそうでありそう・・・でもありそうで、やっぱないか~?」と思わせるんだけれども、俳優さんたちが、本当にそれぞれの役になりきっていて、リアリティに富んでいる。小さなドラマを形作り、それをホテル、という大きな器でまとめる。巧いなぁと思う。三谷氏の映画は、「ラジオの時間」「みんなのいえ」と見てきたが、この「有頂天」はそんな作品の中でもぴか一じゃないだろうか。そこここに、三谷節とでもいうのだろうか、小さなコントやギャグが入り「あるある~!」と思わせる、思わず噴出させる。インタビューの時に、ポッケから花をマジックの如くパラパラと落とすあの三谷氏のウィットそのものである。

俳優さんも、元気になっちゃうんだろうね、こういう作品に出ると。みんなノビノビとっても自由で楽しそう、いいね。と素直に思ってしまう。

これからも、いい作品は続きそうだ。嵐の二宮和也出演の「硫黄島からの手紙」、木村拓哉の「武士の一分」には期待している、楽しい師走になりそうだ。

さらに、デスノート    (萩尾)

2006-11-16 | 映画・ドラマ
飛浪は早々と「デスノート」後編を見たらしいが、私などは、先日のTV放映で前編をやっとみたくらいだ。
映画公開から、さほど、時間を経ないで、TVで放映するのは、後編への観客誘致だろうけど、確かに、後編が観たくなる。
しかし、昔はよく足を運んだ映画館にこの数年は、みたい映画があっても、なかなか行かない。
私は映画館そのものが苦手らしい(「らしい」というのは、自分でもはっきり理由がわからないから・・。自分の事なのに・・???)
暗いのがいやなのかもしれないなぁ。
が、芝居やコンサートなどの劇場の暗いのは、何ともないのだが・・変だ(笑)。
「デスノート」はこの春には前後編とも撮り終わっていたかもしれない。
4月に、鹿賀丈史さんが「菊田一夫演劇大賞」を受賞して、その授賞式に呼んでいただいたのだが、その時、歓談時に、「デスノート」の話になって、もう撮り終わった・・というようなことを言っていたから・・。
全て撮り終わって、前後編に編集して、分けて放映・・・ということかな。
確かに、あれだけの長編、一度に上映できるはずも無いが・・。
前編でみたかぎりでは、私も、飛浪同様、Lの松山ケンイチ君が「秀逸」という点をつけたい。
私は原作を読んでいないから、解らないけど、Lは、多分、松山クンでぴったりだったのだろう―と、勝手に確信している。
月(ライト)はもっと、怖い人ではないかな―と推測する。
やはり、原作の漫画を読んでいないと、キャスティングが合っているのかどうかも判断しにくい。が、多分、月は、もっと、秘めた冷たさ(冷酷)があるのではないだろうか・・と、これも、また、勝手に考えた。
「デスノート」とは、言いえて妙である。
今、ここに、そんなノートがあったら、世界の平和を脅かしている人々の名前を書いてしまいたい―と、半分、本気で、怖い事を考えた。
大切な大切な教育基本法の改正を「100時間以上も審議を尽くした」(たった100時間だ!)などと言って、与党が単独できめてしまったから、民主国家であるはずのこの国の指導者たちのやり方に憤懣やるかたない心持ちにいるから・・かな。
「まず教育がある」と、戦前の教育から、戦争に否を唱えない国民にした。
たった100時間そこそこの審議で、現場も知らずに、大切な教育基本法の改正―これは、改憲(憲法改正)への前哨戦だ―と、憤りが胸に渦巻いているから、つい、「デスノート」が欲しくなってみたりしたのかな・・?(怖いよ~!)
ちなみに、世界の危険人物を最近、アンケートで調査した国があり、北朝鮮の金正日よりもブッシュ米国大統領の方がずっと上位にランクされたそうだ。(私はどちらも危険人物だと思うけど)。

さて、「デスノート」後編のTV放映は当分、ないだろうから(「デスノート」第三部が製作されれば、結構、早く、放映するだろうけど・笑)、後編は、観に行こう・・かな。暗い映画館に我慢して(爆)。

デス・ノート後編  (飛浪)

2006-11-14 | 映画・ドラマ
初日に行ってまいりました。映画・Death Note(デス・ノート)後編。前編が、ロードショー後半年経たないうちに、TVで放映、その翌週(?)に後編公開というグッドタイミングだったためか、シアターは満員御礼でした。

前編に関していえば、特に、「後編へ続く」という前提を受けたエンディングなため、事前に原作を読んでいる人達にはよく理解できるだろうけど・・・いきなり映画だけ観た人はどうかなぁ・・・という微妙感があり、出演俳優さん自身が『「なんでこんなとこで終わんねん!」と思う方もいらっしゃるでしょうが・・・』とコメントしていたほど、不完全燃焼でしたが。

しかし、前後編に分けざるを得ないほど長時間の映画の効用か、登場人物(俳優さんたち)の高揚感が、うなぎのぼりに上がったような気がしました。主人公・夜神月(ライト)を演じる藤原竜也氏の実力は、語らずとも皆さんご存知でしょうし、それ以上に、ヴィジュアル的にも、また演技的にも感心したのが、夜神月の敵役・”L(エル)”を演じる松山ケンイチ氏でした。

昨年、「NANA」「男たちの大和」と拝見しましたが、いろんな役柄に挑戦していて、その時の自分のキャパシティなりに演じる人物それぞれをよく咀嚼して、自分のものにしていると思います。

今回、非常に変わったキャラクタで、原作を知っている人はきっと「あの役を演じるのは無理だ」と少なからず思ったのではないかと思います。とりあえず、外見をコピーすることから始めました、と言われてましたが、漫画とは少し違うかも知れないけれど、映画の最後ではもう、松山ケンイチ=”L”という方程式になってしまった気がします。それは、SNSで数十個を数える「松山ケンイチ演じる、L」を取り上げるコミュニティの多さが示していると思うのです。

「俳優さんは出会う作品で変わる」と萩尾がよく言いますが、松山クンぐらい若いと(彼は実際、いい仕事に恵まれているし)よい作品に出会うチャンス、の上に、吸収力がいいので、きっともっととてもすばらしい俳優さんになってくれるのではないかと期待しているのです。そして、いい俳優さんの演じる役や、いい作品を見ることができてよかったなぁと、思うのです。

(きっとなぁ、松山クンの名前で、アクセス数がどーんと上がるんだろうなぁ。松山クンファンの方、ぜひコメントを♪)

リセットできないもの     (萩尾)

2006-11-12 | その他
昼間、教育に関係している人と、雑談した。
「数年前に何かで読んだのですけど、小中学生の15%が、人間は死んでも生き返ると思っているということで、ショックを受けました」
と、私が言った時、
「今でもそうでみたいですよ」
との答。
ショック・・どころか、悲しくなった。
随分前に、ロボットのマスコット犬が発売になった。
可愛いですよ、本物の犬と同じ動作をしますよ、子供の情操教育に役立ちますよ―との宣伝文句。
「嘘を言っちゃいけないよっ!」
と、怒鳴りたくなった一瞬から、もうかなりの月日がながれた。
生命のある子犬、仔猫、動物を飼いなさい―と、言いたかった。
生命あるものは、ふわふわと、この手に暖かい。抱きしめたら、心も温もり、愛しさが生まれる。それは、とてもいい感情で、自分もとてもいい気持になれる―幼い者にもそれらは感じる事ができる。しかし、生命あるものは、いつか、死んでしまう。死んでしまったら、もう、生き返ることは無いのだ、だから、命は大切にしないといけない・・・といった、「簡単な理屈」が、そんなロボット犬を可愛がっていて、わかるものか!―と、胸の内で憤慨していた。
そうしたら、「人は死んでも生き返る」と思っている小中学生がいる―という時代が来た。
生をリセットできる―と、思っている。
相当な努力が必要かもしれないが、人生は生き直すことができる。けれど、生命がなくなってしまったら、生き直すこともリセットもできはしない。
人として大切な事を教わることなく、子供たちは、この先の道をどんな感情を持って歩いて行くのだろうか―と、ものすごく、ものすごく、不安になった。
子供たちの行末・・それは、未来だから、どんな未来社会が訪れるのか・・・11月にしては、何だか、生暖かな日が続き、今日、ようやく、本来の季節の寒さ、ヒンヤリ冷たい雨、それ以上に、冷たいものが、私の胸の内を流れた。

暗い話になってしまった。
飛浪が前にこのブログに書いていた「リラックマ」・・「私も欲しい!」と、叫んでいたら、彼女が何体(?)か、送ってきてくれた。
「熊、送りました」
という彼女のメールに、
「送ったのは小熊ですか?親熊ですか?」
と、思わず、返信したくなった私だった。
・・というのは、最近、関東でも、月の輪熊の子供の出没が相継いでいるから・・。埼玉県(寄居町)にさえ出没!
親が駆除されて、小熊だけで餌を探して町中に出てくるのだろう―と解説されていた。かわいそう!!
しかし、捕まえた小熊を抱っこしている人がいて、つい、「いいなぁ!」と、思った私でした。
写真は飛浪が送ってくれたリラックマの一体(身長14~15cm)。花束を持っています。