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アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

北方謙三氏の「水滸伝」→「楊令伝」

2017-11-14 | 世情もろもろ
…と、タイトルを書いて、
『北方謙三氏の「曹操孟徳」』
というタイトルでブログを書いたことを思い出した(2017/3/4の書き込み)
いや、思い出すよりも、その時から、読み物が、ずっと、中国に行きっぱなしなのだ。
北方版『三国志』(全13巻)の10巻で、曹操が逝ってしまう、その後の残り3巻を、
「私は、誰をよすがに読み進めればよいのだ」
と嘆いたが、それでも、その後の3巻はつつがなく、思ったよりも早くに読み終り、
『三国志の英傑たち』
という北方氏の、彼らを書いた本までも読み、その本の所々に付箋をつけるほどに(これは『三国志』の13巻の中でも同様にあちこちに付箋)、心をえぐられて、そうして、私の曹操孟徳らに、一応の(!)別離を告げた。
ずっとそこにいると、自分の原稿が滞るので、「一応の別離」―である。
そして、まもなく、北方版『水滸伝』に手を出した。
これは全19巻。1~2巻まで読んで、入っていけなかったら、やめよう~と、「水滸伝」のあとには、「楊令伝」全15巻があるから、強いて、気軽な心持にして、「水滸伝」を手に取った。
…で、やめられなくなり、読み進む。机の片隅に、『三国志』が積まれ、その横に、『水滸伝』が積まれていく。
友人がこの「山」を見て、
「よく読めるね~、中国の話は、名前だけでも混ざってしまって、誰が誰だかわからなくならないのか」
と、言っていた。
そういえば、名前が混ざるということは不思議に無かった。
『水滸伝』は中国・宗の時代、「替天行道」(天に替って道を正す)という志の下に、梁山泊に寄った108名の男たちの話。
私も読む前は、名前が混ざるだろうと思った。
また、志の下に逝ってしまった人々の名前や死に至った様子など、読み進むうちに、忘れて行くだろうと思った。
けれど、例えば、19巻のうちの早いうちに逝ってしまった人の事が10巻以上過ぎて、出てきても、それが、誰であったか思い出す。思い出す事ができる。似たような名前であっても、である。
それを思い出す事ができるから、なお、読み進めて行くことができた―と、『水滸伝』19巻を読み終って、思い至った。
なぜ、忘れないか。
著者が、全ての登場人物を「人間」にしているからだ。
全ての人が呼吸している、笑い、泣いている―つまり、「生きている」。
だから、忘れないのだ、思い出すのだ―と、私は、結論した。
上からの物言いのように言ってしまえば、
「北方謙三氏らしい」
と。
「本当に、北方謙三作品だ」
と。
北方氏の心の底の浪漫も情も、登場人物たちの言葉や思いの中にそっと、現れている。
これは、何度も書いてきたが、『黒龍の柩』や、『机下に死す』『草莽枯れ逝く』『ひとり群れせず』などの時代小説の中にも、しっかりと息づいていて、私は、北方氏のこの世界にとても心惹かれる。読めば、胸詰まり、目がしらが熱くなる。女にはわからない男の世界に嫉妬にも似た思いを持つ。
…で、その『水滸伝』―。
当初、楊志に惹かれたが、彼は早いうちに敵方の謀略で息子(養子・楊令)を庇って逝ってしまった。
「エ~!! 楊志が逝ってしまった」
と、私はショックを受け、しかし、まだ、晁蓋(ちょうがい)が居る、彼は宗江(そうこう)とともに梁山泊を作った中心的人物だから、早々は逝かないだろう―と思って読み進んで行ったら、暗殺されてしまった(涙!)。
そんな風に男たちは、次々と黄泉路を辿り、去って行った。
そして、梁山泊は、壊滅。
楊志の遺児楊令が最後の場面で、宗江から、初めて梁山泊に入った時に掲げた小さな『替天行道』の旗を受け取る。それは、ぼろぼろになっていた。
ここを読んだ時に、私の脳裏に、この日本の国の最後の内乱といわれる戊辰戦で、奥州の地に、また、箱館の空に掲げられたであろう新選組の『誠』の隊旗が浮かんだ。
これは、仕方ない、新選組を愛してやまない私だから―と、自身で苦笑した。
…で、そんな風に、『水滸伝』は終った。
しかし、話は終らない。
このあとは、楊志の遺児、楊令へ話が進む―と、以前、北方氏は話していたので、書店で『楊令伝』第1巻を手に取った。
裏表紙の内容解説の部分を読んだ。
「梁山泊炎上から三年―。宗との戦いに敗れた漢(おとこ)たちは各地に潜伏し」
とあった。
まだ続くのである。
「呼延灼(こえんしゃく)、張清(ちょうせい)、史進(ししん)らは各地で流浪の軍を組織していた」―と。
「呼延灼、生きていた」
と、読むこちらは希望を見つけて、結局、『楊令伝』第1巻に踏み行った。
それが、今、7巻―。その帯に、
『空を裂くこと、鬼神の如し、心せよ、双鞭呼延灼、ここに在り』―と、書いてあったので、
「呼延灼、この巻で逝くのか」
と、何となく、わかって、分かりながら読み進み、多分、あと、数ページで、呼延灼は死ぬ。
そこから、読みのスピードが急に落ちた。
『水滸伝』で楊志が逝き、晁蓋をよすがにしてきたら、晁蓋も逝き、そのあと、呼延灼がいるから―と、それは、『水滸伝』19巻が終わっても、彼は駆け抜け、そして、『楊令伝』第7巻で逝く。
さてここから、私は、また、誰をよすがに読み進めればよいのか―。
けれど、まだ、そこには、「生きている」人間たちが、巨大な力と戦うべく、真っすぐに前を見つめているのだから、ここから、15巻まで、8冊、私は、きっと読み切る。

…と、結構、多忙な中で、本棚も、机の上も、本でいっぱいにしながら、もうあまり残っていない2017年がすぎていくのだろうなぁ。
12月は、超多忙が目に見えている。


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曹操と張飛 (金城光永)
2019-09-27 10:32:06
僕は沖縄県浦添市港川緑ヶ丘五班に住んでいる三男坊の金城光永と言う者です。
僕は北方謙三さんの書いた三国志を読みましたが曹操と言う人の恐怖感が家のお父さんに似てると思った事がありそれで僕のお母さんを周ユ[すみません(ゆ)と言う字が分かりません]に見立ててレッドクリフでも見てきたらと映画館に行かしたのですがその十何年か後白内障の後遺症と皮膚病を同時に患い通院中に肺炎でダウンという2019年みたいです。 あと三国志の後半で張飛と言う武将が奥さんを暗殺部隊に殺されると言う場面がありましたが僕が少年野球チームに入っていた頃竹朝喜[たけ・ちょうき]君と言う人が入部して僕が辞めた後の15番を付けていた記憶があります。 朝喜と言う名前もどことなく張飛に似てるし竹と言う名字も当時流行っていたBE-BOP HIGHSCOOIと言う漫画の映画化の主人公の一人加藤浩を演じていた竹宏次朗さんを彷彿させる感じで何となくよく遊んだ記憶があります。 そこで話しは三国志後半部分で張飛の奥さんを暗殺した朝昭と言うお爺さんの事ですが僕の知り合いに前川朝市朗と言うひとがいて親父が前川朝昭[まえかわ・ちょうしょう]さんと言って暗殺部隊の朝昭[ちょうしょう]という人と同じ名前なのです。 この前川朝市朗にはクリルと言う熱帯魚のエサを食べさせられた事があります。 他にも仲本朝昭[なかもと・ともあき]という名前の名前が三国志の朝昭と言う人と同じ漢字の浦添市立港川中学校の音楽の担当だった先生がいて縦笛を忘れると男女構わず乳首を抓るということを特に照屋淳子さんという女生徒を嫌がらせしていて可哀想だなと思った覚えもあります。 他にも「アマデウス」と言う映画を裸のシーンを男女一緒に見させられた事もありました。 話しは変わりますが竹朝喜君は親が離婚して大宜見朝喜[おおぎみ・ちょうき]君と言う名前でどこか元気が無さそうでした。 前川朝昭さんと言う人は沖縄民謡の三味線の偉い人だったらしくて今は亡くなったそうです。 あと忘れるとこでした。 前川朝昭さんの住んでいた沖縄県浦添市牧港と言う場所は玉竜会と言う少人数でやってるヤクザがいて1986年当時の組長は佐久間さんと言う人で娘がいて同じ一年一組で佐久間直美さんという人でした。 今までの全ての事件に関係していると思われるので恐縮ですがプロ野球の話とか聞きたいんですけどよろしいでしょうか? 
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青面獣揚志の幻視 (金城光永)
2019-09-27 11:46:58
僕は沖縄県浦添市港川緑ヶ丘五班に住んでいる金城光永と言う者です。
僕が北方謙三さんの本を市立図書館で借りたのは「流塵」という本で書いてあった事でよく覚えているシーンは主人公の商社マンがお客さまをコビ砂漠から連れ出す時に砂漠から発進するにはギアをセカンドから始めた方がいいと言っていた場面で当時僕は自動車訓練校に通っていてよく覚えてます。 そのあと水滸伝を何ヶ月か読んでいると物置で次男の兄ちゃんのお古の参考書を探していたら青面獣揚志の幻視が見えて「俺のの場面までさがしてくれ」と兄ちゃんの姿のあの片目の青面獣揚志が話し掛けてきて思わず読めるとこまで読もうと思った覚えがあります。 それで話は僕の通っていた浦添市立港川中学校の話なんですが港川中学校は牧港小学校と浦城小学校と港川小学校の区域内で活動しているのですが僕は港川中学校五期生で1986年入校なんですが牧港小学校の番長に桃原大治と言う人がいてこの人が学校に土足で入ったり自転車泥棒を無視したり給食費泥棒を見逃したりと(泥棒の件は僕も被害者)他に仲江真功[なかえま・いさお]君と言う人に泣いても許さない位殴ったり蹴ったりされた事があります。 [この人でも落合信彦さんの書いた狼への伝言で仲江・某と言う世間を騒がしてる詐欺師いると書いてあって名前が似てるなと思った覚えがあります・・・周りも玄さん(この人のニックネーム)はスリやってたよと友人の砂辺直人(すなべ・なおと)君が証言していました]。 あと港川小学校三年生の番長上江洲聡(うえず・さとし)その五つ上の上江洲聽(うえず・あきら)この兄弟はBE-BOP HIGHSCOOLのネコ次・ヘビ次並みの執念深い兄弟で高里潤也(たかざと・じゅんや)と言う僕の友達を改造人間にして僕と戦わせ瀕死のダメージを負わせるというエゲツナいやり方で僕を苦しめ僕は高里潤也君とケンカしたダメージで[1.TVが直視出来ない 2.腰が反ると凄くいたい 3.精神的呪縛で何をやっても上手くいかない 4.モン8の上江洲清作(うえず・せいさく)と高里悟(たかざと・さとし)が先程の両名に似てるなと]北方謙三さん僕は歩く元気も無い位塞いでる時があります。 どうかこんな僕に好奇心をください。
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花和尚について (金城光永)
2019-09-27 20:16:11
僕は沖縄県浦添市港川緑ヶ丘五班に住んでいる金城光永と言う者です。
水滸伝のキャラクターで凄いと思った人は魯達こと後の花和尚ではないかと思います。 牢屋に閉じ込められて仲間が助けにきて手首から手を落とさないと牢屋の錠から抜けれないという場面で決断力の凄さはイエス=キリストより前に生きていた根性の人だなと思いました。 あと僕の町はショッピングセンターと言う名前でスーパーの代わりになっているんですが最近足と腰の疲れが抜けなくてタクシーで生活品などを買い出しに行くんですがこの状況は変だと思います。 昔は住宅地周辺に五個位スーパーがあって本屋さんも歩いて五分の場所に在ったのです。 いい服着けたくても沖縄県で唯一のアウトレットモール[あしびなー(意味は知らないけど毛遊びと言う語源らしいです)]は隣の那覇市のすぐ近くですがゆいレール[モノレール]でも一人では近寄った事も有りません。 洋服のサイズも5lになってきて履くパンツも限られています。 でも信じて欲しいのは一九歳の頃幻視で長嶋茂雄さんが見えてドラフト二位 メジヤー 二万回と言っていました。 実は十八歳の頃から当時読売巨人軍の篠塚和典が幻視で見えてて「自主トレに(僕の古い家)に来たいなぁ」と言ってたんです。 それで取り合えず二万回と言うとスラムダンクと言う週刊少年ジャンプに載っていた漫画の[バスケのマンガ]シュート二週間で二万回と言う話があって僕は考えて縄跳びを引っかかってもいいから続行という事で一日百回×十セットから初めて多いときは一日二千回跳んで二週間と四日位で終えました。 それからがぜん燃えだしバッティングセンターで二日連続バッティング練習に行き合計三十回近く打撃練習に行き素振りも次男の良[まこと]兄ちゃんが持っていた故村上豊著の科学する野球と言う本の打撃編と投手編を実は1992年頃読んだことが大きかったのかその本では必ずしも素振りはバットじゃなくて良い。 と書かれていたし素振りの仕方もゆっくりのペースで良い。 後で見ると書いてあり長嶋茂雄さんの幻視が見えた後少年野球の練習で痩せないかなと思い一日四十回振っていたのですが素振りも二万回やりたくなり一日千回振ってみようと振りはしたんですが手の皮はあちこち剥けて直ぐに絆創膏を全箇所貼りました。 その後父親の車でマチナトショッピングセンター[沖縄で一番最初に出来たショッビングセンターに母親も一緒に買い物に出掛けたらいつもよりもいい対応してくれるなぁと思いました。 そして三十代を迎え二万回に手が届きました。 その頃BIG 1と言うディスカウントショップで買ったグリップエンドに水色で56と書いてある黒いバットで振ってて振ってる途中で僕の母校の大平高校[現陽明高校]の同級生だった中野君と言う人の幻視が見えて「俺は三万回ふったぜ」と言ってて僕も急いで四万回まで数を伸ばしたら腰を痛めてしまいました。 それと昔読んだ週刊少年チャンピオンのLet'sダチ公と言う漫画の四方さんという登場人物がいてその漫画で一番最初にお金セビリをやった張本人で四方堂亘と言う役者さんがいますが僕の家の向かいも志良堂整(しらどう・せい)というニコ上小中高の先輩でなんか嫌。 明日からは清々しい気分でいい眠りにつき長男の兄ちゃんの金城亨[きんじょう・あきら]も煙草を止めてお盆とお中元の季節には母親の好きなメロン[父親は先に亡くなってしまいました]でも買ってきてゲームでもしようぜ 長女のむつみ姉ちゃんは最近よそよそしく生活費は貸すんだからねと言って印鑑まで押させます。 そういえば1993年頃沖縄中央病院と言うとこで入院してた時「VOW+1」と言うのと世界史のローマとかペルシャとかモンゴルがどのようにして世界制覇したりアジア制覇したかというのと「熱血じじいが往く」というねじめ正一氏が執筆した本で内容は[長嶋茂雄は神様です]といった感じの本を入院中見てました。 姉ちゃんありがとう。 そういえば話は訳分からんのですがトレーニングは他にも毎日グラウンド外周三周して十五キロおとしたり一日二キロ走って帰り道は歩いて来るというのを十四日連続ともう一回二キロを約十一回連続走というのがありあとサッカーボールでドリブルしながら二キロというのもありましたがリバウンドの連続で111Kgあった時期もありました。 最近母親がデイケアに行ったきり帰って来ないので家事をやるようになったら体重が5,6Kg落ちてました。 僕の夢は兄ちゃん達最初で最高の夢の舞台プロ野球で野球をやることです。 落合信彦さんは言っておられました[大きなバカになれ]と僕なんかまだまだ未熟者ですが何卒ご鞭撻の上宜しく御願いします。
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王倫と王さん (金城光永)
2019-09-29 09:43:15
僕は沖縄県浦添市港川緑ヶ丘五班に住んでいる金城光永と言う者です。
僕は水滸伝一巻を見て王倫と言う人は王貞治さんに似ていると思った事があります。 どっちも腕っぷしが強いと言う感じです。 他に僕の高校時代に自己啓発セミナーの「ホープアカデミー」と言うのがありセミナーの中で不良出身者にグルーピーを付けて売春をしてました。助けて下さい
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