アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

土方歳三と巡る人々 (その2)

2018-06-02 | 幕末関連

最高気温が7℃と予報に表示された通りに、夕刻の寒い函館に入って、翌日、5月19日、やはり、寒い!
けれど、外を歩き回ることは少ないので、2013年5月半ばに7年ぶりに函館を訪れた時よりは、マシだった。
2013年の時は、プライベートだったので、あちこち歩き回った。
北海道の友人Fさん夫妻と松前の桜の見物まで計画していたので、当然、寒い外にいる時間は長い。
そして、松前で桜を観る事はできなかった。終わってしまったのではなく、五稜郭公園内も松前も、まだ、開花していなかったのだ。GWの松前桜見物ツアーなどは、桜の無い花見だったとか…。
この時は、最高気温が5℃と表示されていた。私は、冬のコートを持って行った。
現地に着いてみたら、ダウンを来ている人もいた。ストーブもたかれていたし、建物の暖房も入っていた。
縦に長い国なのだ―と、なぜか、自分に言って、(「寒いぞ、覚悟しろよ」―ということか?)五稜郭タワーへ。
新選組グッズが溢れている。
京都もそうだが、新選組は、何故か、この数年、かわいいキャラクターグッズが多くなった。
いや、これは、新選組に限らないか、かわいいキャラクター、それから、アニメなどでは、「超」がたくさん付くほどの美形キャラクターだ。
そのどれもが、作った人の愛情なのだろうなぁ―と、思いながら、つい、『ヒジカタ君』ファイルを購入してしまった私。
でも、超カッコいい、歳さんの写真のファイルも購入した。そして、
「いい男だ!!」
と、今更ながらに、呟いている(笑)

そして、講演。
函館中央図書館の視聴覚ホール。定員150名。
けれど、雨だし、寒いし…等々で、これは、半分も入らないのでは―との危惧が…。(結果としては、あと12席で満席という結果で、よかった~! )
戊辰戦争150年―と冠しているので、最初は150年と言う時間の長さの検証。
150年は長いのか、短いのか。
明治150年、戊辰戦争150年―その捉え方は、地域によって違うので、かつての長州・萩を、新選組が大好きな身で訪れた時の事、また、新選組の大きな後ろ盾だった会津の事などを話した。
前者は、「新選組が大好きで」とひと言、口を滑らせた(?)途端に、穏やかだった初老のホテルのオーナーの表情が急に冷たくなった話(笑)
会津は新選組は大歓迎―は言うまでも無い。
ここで会津のお酒を土産にしようとした女子が、どこから来たのか聞かれて、「鹿児島からです」と答えた時、「薩摩っぽに売る酒は無い」と言われた事―これは、九州在住の友人から聞いた話)―などなど。
そんな反応を思うと、150年は遠い昔ではない―と話した。
そして、1800年もの長い時間の昔から現代に訪れた、歴史の向こうの出来事。
2018年3月に、それは、来た(?)から、数か月前だ。
中国の昔々―魏、蜀、呉の三国の時代。魏の国を建国した曹操孟徳、私の大好きな人物だ。
2005年に見つかった大型古陵の発掘調査から、曹操を示す「魏武王」と刻まれた石牌など200点以上の埋葬品や60代前後の男性の遺骨と女性2人の頭部や足の遺骨が発見され、中国河南省文物局が曹操の陵墓であるということを2009年12月に発表し、ほかの研究機関も、曹操の墓である可能性が高いと判断。
そして、今年3月に曹操孟徳のものーと断定された。
曹操は220年に亡くなっているので、1800年近い時間が間に横たわっている。
そう思うと150年は、つい最近―と断定した。

けれど、その150年の時間の半分は明治、大正、昭和の前期―と、政府と軍部が異国との戦争への道を歩んだ時間だった。
残りの半分が、太平洋戦争敗戦後から現在まで。
日清戦争、日露戦争、そして、太平洋戦争。そこに至る事実が、明らかにされてきたのは、平成の時代になってからだ。
司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』を書いた頃は、「日本は強い」という神話のような戦史しか、表には出ていなかった。司馬さんは、それを参考にするしかなかった―ということも、平成時代になって明らかになった。

そんな日清日露戦争の話のあとに、やっと、歳さんたちの話。
土方歳三の写真が まだ、今ほど、巷に溢れていなかった頃、友人と函館、松前、江差、鷲の木浜、そして、五稜郭と旅した昔のこと、『散華 土方歳三』を書くきっかけなどについて語った。
その友人は九州に在住なのだが、出逢いのきっかけは、昔々の日野の歳さんの墓なので、「墓フレンド」(造語)―と認識(?)していることなど、五稜郭内に土方の遺体は埋葬されているにちがいないから、「ここか」「いや、こちらか」―などと、半分以上は本気で探し回ったこと―それも、青春の1コマだ―と。
私は、北方謙三氏の『黒龍の柩』が大好きで、3回ほど、あの分厚い上下の本を読んだ。
ここに書かれている歳三と山南さんのカッコいいこと!
この土方の胸の底には、死んでいった山南敬助の想いが、自らの願いのように在る。
歳三にも山南にも徳川の先が見えていた。だから、これからの新選組と隊士たちの道を考え続けた。それは、本当は、山南と共に見つけて行く道だったのだが、山南は死病(胃癌)を抱え、
「お前をひとりにして済まんと思っている。若い者たちも、おまえに頼るしかあるまい。近藤さんは頂点に立ち続けようとするだろうからな。それは、時には滅びにつながってしまう」と、土方に言い置き、屯所を出て行く。(それは、伊東甲子太郎への牽制もある。山南への処断によって、隊士たちは鉄の規律の厳しさを改めて知る。)
友情が切なかった。
こういう友情は、女の私には書けない―と、少し嫉妬した(笑)。
勿論、『黒龍の柩』の話を結構入れる事は、北方謙三さんには了解済み。

そうして、斎藤一やら、歳さんを巡る人々の話をして、新刊『群華(ぐんか)土方歳三と巡る人々』の一番最後の作品『願はくは花の下にて』について、触れた。
歴史はとぎれることなく続いているから、歴史の扉の向こうから、人々は、
「仲間よ、百年の後に来る仲間たちよ、同朋よ」
と、きっと、呼びかけているに違いない―と。
そうすると、歳さんの百年の後に来たのは誰か―。
フランスの俳優、アラン・ドロン氏だった。(もう、美の典型!!)
沖田総司の生年月日はいくつかあり、武士の家系であるのに、それが、はっきりしない所に、総司さんの人生の暗い部分をふいと見る思いがする。
斎藤一と同じとも言う。同じであったら、彼らの百年の後に来たのは、これは、最近、気が付いて、「!!」だったのだけど、歌手で俳優の舟木一夫氏だった。舟木さんも若い頃に沖田総司を演じているなぁ―と思い当った。
アラン・ドロン氏が土方歳三を演じるわけにはいかなかったけど(笑)。
しかし、ドロン氏は『サムライ』という一匹狼の殺し屋を演じている。「武士(さむらい)」に強く惹かれている人でもある。

…と、そんな風に、歴史はとぎれることなく、繋がっている。
それでは、私たちも、
「百年の後に来る仲間たちよ、我が同朋よ」
と、未来へ呼びかけるのか―ということになるが、
「百年の後に果たして人類は居るのか」
などと、講演中に、怖~い事が思われて、それは、話さなかった。

16:30から1時間半、90分の講演、少し、オーバーして、外に出てみたら、冷たい雨はやんで、函館山の頂上の明かりがクッキリと見えた。
「夜景はばっちりです」
と、聞いて、久しぶりの函館山へ。
勿論、ホテルに寄って、コートの下に薄手のセーターを着込んで、冬の恰好(?)に着替えた。

夜景はクッキリ、バッチリ!
雨で洗われた後なので、そして、空気が冷たいので、ものすごく綺麗な夜景を観る事が出来た(5月にしては、寒かったけど、ね)。

翌日、五稜郭祭の本祭―パレードの行われる日。
ピカピカの晴れ!
でも気温は15℃くらい。気持ちのいい日となった。
「さすがに、歳三晴れ!」

一本木関門の土方最期の地は、山ほどの花―だった。



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土方歳三と巡る人々 (その1)

2018-05-30 | 幕末関連
これは、つい最近、発刊になった自著(『群華(ぐんか) 土方歳三と巡る人々』)のタイトルの一部。

『群華』という言葉は私の造語。
『散華 土方歳三』の姉妹本のような存在なので、タイトルには『華』の文字を意識して、そうして、歳さんの周りの人々に想いを馳せたら、この言葉が胸底から湧きあがってきた。
表紙カバーは原野の群れ咲くアザミの花。
「か弱い野草ではなく、「独立」という花言葉のあるアザミに、それぞれの人物が自分の意思によって人生を歩んで行くというイメージ」で、装丁を考えた―『群華』のカバー、その他、装丁をしてくれた碧い馬同人会の同人だった高橋明生さんは言っていた。
私も、すっと一人立っている人々を表しているようで、幾つかのデザインの中から、アザミを選んだ。


その目次―。

凍る辺土に 
新選組心中 ―歳三の死― 
歳三の時間  
敬助の夢 
総司 戀ふたつ
斎藤一―五月の旅立ち
歳三のわすれもの
お梅慕情   
夜叉―新選組局長の妻 
鬼神
ひとこと 鬼神~愛しい戦士へ
土方歳三に恋焦がれ… 
願はくは花の下にて春死なむ―花影に寄せて―

…という風に、いろんな人々の物語を綴った。
そして、ここ、ブログに、タイトルしたのは、綴ったいろんな人々の一人に、なりたかったなぁ―と、自分で書いておきながら、妙な願いがあったので…。


5/18、函館に向った。
5/19、その函館での講演に招いて頂いた。
タイトルに冠したのは、「戊辰戦争150年」―函館では、いや、関東より北、会津などでは、「明治150年」などとは、決して言わない。
そして、私も、「明治150年」とは言わない。
徳川の時代の元号は、「慶応」で終わっている。
それで、現在、平成の世、その前は、昭和―それを、ずっと、慶応○○年で数えている幕末、特に新選組や徳川方を愛する人々もいる。そうなると、今年は慶応154年(?)。
私も、さすがに、慶応○○年―とは、いえないけど。
…で、講演のタイトルは、
『戊辰戦争150年 土方歳三の「物語」を紡いで』
―歴史研究ではなく、歴史の中の物語を書き綴ってきたので…。

以前は度々、訪れていた函館も、2014年以来だから、4年ぶり。
2014年の時は、廃線になる江差線に「乗らなければ!」と、強く思って、友人と訪れた。
久しぶりの開陽丸にも会ってきた。
…で、今年―。
日本は、縦に長い国だから、北海道とか九州とか、長さの先にある所に行く時は、数日前から、ネットで天候の確認をしている。
5/18の函館の気温、最高気温で7℃―東京28℃!
「やっぱり、縦に長い国だ」
などと軽口をたたきながら、薄手のコートを入れる。薄いセーターまで入れる。荷物が増えた。
当日、函館の天気を観る。「暴風雨」(!)。
同じく、早朝5:50に、ANAからメールが入っていた。函館、強風のため、天候調整―。
つまり、飛ぶか飛ばないか、わからない―ということ、13:00の飛行機であるのに、結論は、12:20とのこと、結局、羽田には行っていなくてはならない。
用事も有ったので、11:00頃には、空港に着いていた。
函館でなくても新千歳空港に降りてくれれば、そこから、函館へ、特急で3時間余―とにかく、その日の内に函館入りができる―と、思っていたのだけれど、12:20をまつまでもなく、掲示板に表示されたのは、新千歳空港へ着陸、あるいは、羽田空港に引き返す場合も有り―。
「!!」
引き返されたのでは、どうしようもない。
「地上で行く」―という選択をする。函館に降りられるかもしれないけど、新千歳かもしれないが、羽田に引き返しの可能性も有り―となると、確実に行くには「地上で行くしかない」と、講演主宰の五稜郭タワーさんの方でも、その選択をして、私も、地上を選択。
「北海道新幹線は、ガラガラだから席はありますよ」
ということだったのだけど、浜松町~東京駅新幹線口―と辿り着いてみれば、窓口は人が並んでいる、自動の券売機で、ピッピッと画面にタッチして、
「!!」
普通席が残席無し。立ち席特急券―って?
4時間半、立って行くのは不可能、グリーン車、こちらも無し。
残っていたのは、何だか、よくわからないグランシート席。
「名前からして、高そうだなぁ」
しかし、それしかないのだから、迷ってはいられない。そちらを購入。
グリーン車よりも高かった。普通席よりも一万円ほど高い。38800円!
確かに、そうだろうーと乗車してから、思った。
一両に18席しかない。ゆったりの席、揺れもあまり感じない。食事がでる、飲み物、アルコール類、次々と出てくる。おつまみ、おやつも…あり、至れり尽くせりの席だった。
東京から新函館北斗まで4時間半。

13:20に東京を発ち、新函館北斗に17:51到着。確かに、遠い。
けれど、函館まで行くのは、北海道新幹線の利用も良いなぁーと思った。
ただし、グランシート席で…。

至れり尽くせりのグランシート席で、途中、例の(?)、つまり、乗るはずだったあの飛行機は飛んだのだろうか―と、気になって、ネットでみてみた。
飛んでいた。
到着も函館空港に無事降りる事ができた、ただし、少し、遅れて…。
そうと、なれば、「搭乗すればよかった~」などと、思うかもしれないが、それは、なかった。
「羽田に引き返す可能性有り」―というリスクを冒すことはできなかったのだから、その悔いはない。

東京を発つ前日の5月17日、西城秀樹さんの訃報を聞き、大きなショックと悲しみが。
数年前に見た中野サンプラザでの「西城秀樹concert live」のステージを思い出し、悲しくて、心の底が泣いている。
そういえば、その時も、「最後に僕の一番好きな歌を」と言って歌った「ブルースカイブルー」。
聴きながら、私は、その時、涙ポロポロだった。かつての昔、私のものすごく苦難の時、この歌にどれほど、助けられたか―そんなことを思い出した。
新幹線の外は雨だが、私も一番好きなこの「ブルースカイブルー」が頭の中を巡っていた。胸の内に、少し、涙たたえながら…。

そうして、激しい雨の、夕暮れかけた函館入りをした。
                           (つづく)



『群華 土方歳三と巡る人々』は、五稜郭タワーで販売しています。(通信販売もあります)

五稜郭タワー

よろしくお願いいたします。


と、書いた後で、
「それなら、著者サイン入りがほしい人はどうするのだ」
と、スタッフから一言あり。
碧い馬同人会への申し込み方法をアップしてくれました。

碧い馬同人会












再びの…新選組副長 土方歳三さま!

2017-08-08 | 幕末関連
猛暑が続く。
もうずっとまえから、猛暑が続いている。
この数年、夏という季節が、どの季節よりも、長い…気がする。
立秋は過ぎた―けれど、猛暑。
九月になっても今度は、残暑で、やはり、まだ、夏という季節だ。
五月も薫風吹き―という気持ちの良い日は、そう多くは無い。
六月はもう初夏ではなく、夏。
こう考えてくると、夏は長い。
四季のうちで、一番良い季節の春と秋が短くなった気がする。
そういえば、先日の舟木一夫さんのステージで、舟木さんが、
「自分もお客さまもこの年になると、暑い時、寒い時は、会場までくるのも大変になるので、これからは、(コンサートや芝居は)4月5月と、10月11月にして、一年に4カ月だけ(笑)」
という風な事をtalkして、皆、笑っていた。

…で、その暑い季節の夏に、心を幕末に運ばせて、歳さんを綴っていた。
いや、正確には、綴ったのは、冬で、現在は、修正や書き足しの作業中、さらに、物語集なので、作品の順番やら―と、机に向っている時間が長い。
だから、ブログに綴るのが、本当に久しぶりになってしまった―と、言いわけをしようか―と、ちょっと、思ってみたのも、ホントの所…かな。
歳さんの物語集だから、
「再びの新選組副長 土方歳三様」
と、ここには、タイトルした。
『散華 土方歳三』の7版が昨年11月に発行されて、そのあとがきに、
「散華の前後の物語をまとめたい」
と、書いて、その「祈り」が叶う。
歳三さんと、彼の周りの人々の話。創作。だから、歳さんの女の話もあったりして…。
自分で書いておきながら、
「私は、この女性でありたかった」
とは、思いはしなかったけれど、やっぱり、あの時に生を受けていたら、「歳さま」に恋焦がれたかも―などと思う。
さらに、自分で書いておきながら、歳さんの逝く時は、胸が詰まる。
自分で書いておきながら、呆れるけれど、仕方ない、それほどに、彼が好きだ。

『散華 土方歳三』の姉妹本のような、幕末物語集―早くまとめあげなければ…。
刊行は来年だからと、油断していてはダメだぞ、私―と、自分にハッパをかけながら、猛暑の季節に、心も思いも飛ばす。

台風一過の本日、気温が37℃にも達して、午後になると風も止んだ。
さすがに、エアコンをかけた。今夏、二度目。
我が家は、風さえあれば、家中を風が吹き抜ける、机の前の窓など、レースのカーテンが90度くらいに上がってしまうほどに、風吹く時もある。
風さえあれば、そして、家の中にいれば、我が家は避暑地。夕方など、肌寒くなる時も…。
明日も、37℃越えの灼熱の日の予報―。
エアコンはよいけれど、自然の風に勝るものは無い。風があるといいなぁ―と、願いつつ…また、原稿に向う。






土方歳三 逝く

2016-05-11 | 幕末関連
今日、5月11日は、このタイトルの日―。
happy birthdayの時も書いた通り、旧暦の5月11日だから、多分、本州では梅雨の頃。
歳三さんの義兄さんの佐藤彦五郎さんが、「義弟を悼んで」として、「待つかいもなく消えけり梅雨の月」などなど、詠んでいる通り、梅雨の時期だった。
しかし、歳さんが逝くのなら、逝かなければならないのなら(涙!)、梅雨のじめじめした時期ではなく、5月の美しい季節の中で、天に還(かえ)ってほしい―と、強く思う。やっぱり、好きすぎて…(笑)。
それに、北海道には梅雨はないから…。これが、北海道の「最高!」だと思う。
マ、梅雨があってもなくても、北海道は好きなのだけど…。

武州多摩から京・大阪へ、そして、また、江戸に戻り、関東や東北(奥州)を転戦して、遂に津軽海峡を越えた―と、思えば、歳さんの足跡と距離は凄い!
見渡すと、北海道から東北・関東を越えて、東海も越えて、関西―大きな範囲に至る。
自身が武州多摩や江戸でぶらぶらしていた頃(そう、実は、彼は、プー太郎だったから(笑)、日本国のこんなに大きな範囲に足を踏み込むとは思いもしなかったろう。
そう、人生は、思いもしない未来を人に齎すのだ。
…と、思うと、昨日書いた、「未来を縛る」はたまったものではない!

5月、舟木一夫氏の歌声の『五月のバラ』が耳の奥に聞こえてくるような気がする、そういう、本当は、若葉萌え、美しい日が多いはずの5月―今日は、大荒れの様相。
我らが歳さんが逝った日なのだから、
「美しく晴れてくれなくては困る、空よ」
と、勝手な事を言う。

歳三さま、安らかに…などと、私は言わない。
天空で、やはり、駆けていてください、我らが生きるこの国を見ていてください。そうして、時に、怒りを、落とすべき者たちの上に落としてもよいです―ちょっと、物騒な祈りをする。



碧い馬同人会




Happy birthday !  土方歳三さま!

2016-05-05 | 幕末関連
本日、5月5日は、新選組副長土方歳三さま(❤)の誕生日。
自著の中では、いつも、彼の生まれた時を、
『庭の菖蒲に朝の最初の光が当ったときが誕生の時だった』
といった表現を用いている。
誕生を見ていたわけではないから(笑)、「作り話」―である。小説は創作物だから、作り話でもよいのだ。
そういうことを考えると、小説は有り難い。
例えば、歳三が逝った時、差し料(刀)は「和泉守兼定」ではないだろう。けれど、私は、兼定にする。どんな刀よりも兼定が彼に一番似合っていると思うから…。
でも、熱心な新選組愛好の方々や研究家の人々から、
「函館で使っていた刀は違う」
と、指摘され、それに、その度お応えするのも、申し訳ないけど、少し、面倒だろう―などと不遜な事を考えて、「あとがきに」入れている。
「箱館での歳三の差し料は兼定ではないだろうが、歳三に最も合う刀として、彼の最期に兼定を持たせたかった」―等々。

…と、言うわけで、誕生日の本日、私も私の差し料(模擬刀)の手入れをしようか。
そうそう、この誕生日も、旧暦の5月だから、新暦になると、
「庭の菖蒲に朝の光が…」云々―というわけにはいかない。
当然、逝った日も、旧暦の5月11日なので、現在では、梅雨の頃…か。
北海道には梅雨はないが、
「梅雨のじめじめした空気の中、兼定を掲げて…」とは、書けない。歳三が好きすぎて、絶対に書けない。やはり、
「5月の爽やかな風の朝、歳三は…」
といった書き方になる。
「5月の美しい日に生まれ、やはり、5月の風の中に、逝った」
と書きたい。(好きすぎるから、ね!)

そういえば、歳さんの兼定を何年か前に、この手で持ったことがあった。
故郷日野の土方歳三資料館で展示のあと、手入れをするのだが、その時に、手入れするまでの時間、兼定を持っていた。
車座に座った人々の正面に友人がいて、私には結構、重い兼定を両手で正面に構えて持っていたら、抜き身の切っ先が彼女の目の前に(!)
「こっちに向けないで!」
と、彼女が叫んだのは言うまでも無い。
兼定は、美しかった。
生きているような気さえした。
「人の血を吸っているからなぁ」
と、その場に居た誰かが言って、兼定がふっと輝いて、更に、重くなった気がしたものだった。


関東地方、今日は快晴、まさに、5月の風の中、緑萌えて、どこからか、舟木一夫氏の声で、「5月のバラ」の歌が聞こえてきそうな…そういう日である。
こんな平和、大事な平和の日、つづけ!―と、祈りつつ…。


碧い馬同人会

土方歳三 19万800本

2015-03-05 | 幕末関連
いつの間にか、春が来ている・・のかもしれない。
「かもしれない」―というのは、今週末は冷たい雨で気温も半分以上下がるらしいので・・。
それに、北海道や北日本は猛吹雪で大変な状態だ。
3月4月は、何だか、油断できない季節のような気がしている。
5月になると、なんとなく、ホッとする。

でも、タイトルの歳さんの19万800本は3月29日までだそうだから、「油断できない季節」ではあるけれど、足を伸ばそうかーと。
そういえば、目白の永青文庫では、織田信長手紙59通の公開をしている。
昨日のニュースでは、「戦艦武蔵」らしいものが戦時中に沈んだ海域の海底で発見された―と。
これが、本当に、日本国の戦艦だったら、戦後70年の大事な時期に、姿を現してきた意味は何か―。
「戦争をするな」
「再度、戦争のできる国にしないでくれ」
1千人以上が戦死したこの戦艦は、そんな言葉を伝えてくるのかもしれない。

歴史は、その向こうから、いろいろな形で、私たちに語りかけてくるのだ―と、確信もする。

さて、タイトルの19万800本とは、「つまようじ」の数。
東京日野市の都立日野高校2年生の80人が制作した「つまようじアート」。
19万800本のつまようじの頭を黒、灰色、白に塗り、台紙にさして、グラデーションで、歳さんの肖像写真を再現した。縦2.7メートル、横1.8メートルの大作だそうだ。
これが、日野市の「市立新選組のふるさと歴史館」に展示してある。

新選組のふるさと歴史館

長いこと、日野には行っていない。
暖かな1日に、ちょっと、訪れてみようかな。


翔(かけ)る! 新選組副長

2014-05-12 | 幕末関連
昨日は、「我らが歳さん」が逝った日だった。
いつも、書き添えるが、「歳さん」というと、「我らが」と冠してしまう。
歴史に名が残っている人物を「○○さん」と親しげに呼ぶ事はあまりないだろうけど、あの別名「鬼の副長」といわれる土方歳三氏を「歳さん」と呼んでしまうのは、私たちは、彼が本当は「鬼」ではない事を知っているからだ。
彼については、さんざん(?)、あちこちの本に書いてきた。
上洛の折り、故郷に残した彼の俳句から、彼の心の奥に入り込んで、偉そうに(笑)「人間土方歳三は…云々」と原稿を綴った
りもした。そういう中で、「鬼の副長」はいないと確信した。
あの新選組局中法度により、彼は、自分自身をも律していたことは、私の脳裏で明白な事実となった。
そんなこんなで(?)、彼は「我らが歳さん」になったのだ。

そうして、その歳さんに、もう一度、登場頂いて、その和泉守兼定で、斬ってほしい者たちがいる。
もう一度、新選組副長に、駆けてほしい。
江戸から明治へと時代が変わっていく時に、多くの優秀な人材が失われ、そこから、この国は、まだ、本当の意味では「立ち直っていない」から…。
だから、もう一度、新選組副長には、飛翔してもらいたいのだ。
そう、内閣府に向けて。
「随分、ひでぇ国になったなぁ」
と、「来世」という世界から、新選組隊士たちだけでなく、当時、倒幕派であった人々も、そうやって、呟いているのではないか。
「尊敬してやまない吉田松陰」
と、安倍首相に言われている松陰さん自身は、「来世」で肩身が狭くなっていないだろうか。
「勘違い大王のヤツには参ったよ」
と、くさりきった表情(かお)をしているかも…。

…というわけで、皆さんで立ち上って、歳さんに続いて、天空の彼方から、駆けてくれないか、あなた方から百年の時間(とき)を経て、ここに来た私たちのために…。
倒幕派だった人たち、こんな国になってしまったよ、責任とってよ―とは、言わないから(笑)
(注・本当は、百年以上の時間を経ているけど、昔、自作の小説で、「百年の後(のち)に来る仲間たちよ」と、沖田総司さんにいってもらった。それに、「百年の後にくる仲間たちよ」という、自分で考えた言葉だけど、とても気に入っているので)

春とともに、私たち庶民の生活は頭から重い石を乗せられた。
その石は、そこで止まらずに、さらに重くなり、私たちを押しつぶしそうだ。いや、少しくらいなら、庶民はつぶれても構わないーと思っているのだろうなぁ。
次から次へと、庶民潰しの政策が、国会での承認もなく、閣議決定という、誰も手だし口出しできない方法で…。
「禁じ手」といわれようと、同盟国のアメリカからさえ「日本国民にとって一番の危険は安倍首相だ」といわれようと、どこ吹く風だ。
この4月からの消費税増税や昨年1月から25年に渡る所得税に上乗せの2.1%の復興特別税、さら6月からは個人住民税の一律千円上乗せも今後10年間続く。
そういう中で、「身を切る改革」として、民主党政権時代に決められた国会議員の歳費削減を元に戻すという。東日本大震災の復興財源に充てるために、当初13%、その後、議員定数削減が実現するまでの間、「身を切る姿勢を示す」(と、言っていた)ための7%の削減が上乗せされて、20%。

《国会議員の給与に当たる歳費は通常、月額129万4千円。賞与に当たる年2回の期末手当を加えると年間約2106万円に上るが、四月までは20%、年間約420万円が減額されていた。
歳費以外にも議員には、非課税で領収書の添付義務のない「文書通信交通滞在費」が年間1200万円支給され、公設秘書3人の給与は国費で賄われる。議員の所属会派には一人当たり780万円の立法事務費、各政党には合計320億円(共産党は請求せず)の政党交付金も支給される。》(2014/5/12 東京新聞社説)

…と、あいた口が塞がらないほど、我が国の議員たちは「恵まれた日々」をおくっているのだ。

《歳費の減額継続に難色を示す自民党は「議員が生活に困窮するのはいかがか」(石破茂幹事長)と説明する。真に受ける国民が、どれほどいるのだろうか。》

議員が生活に困窮するーという言葉の前に、石破さん、あなたも国民から信託をうけた身なのだから、自分を支えてくれた国民の困窮を、まず、見てみなさい―と言いたい。

《財政状況が厳しい折だ。国から得るお金は減らす方向に、と考えるのが筋ではないのか。時間切れを待ち、手取りを増やそうというのは、いかにも校滑だ。》
《国民の負担は増すばかりなのにその痛みを共有しようとせず、国民の代表といえるのか。そもそも7%削減は議員定数を削減するまでの「代替措置」でもある。議員定数の安易な削減には反対だが、約束を守れない国会議員など国権の最高機関の名に値しない。
 歳費の減額を続けるのは当然として、政党交付金などの削減にも努めるべきではないか。国民が「政治とカネ」に向ける視線は依然厳しい。すべての国会議員がいま一度、襟を正さねばならない。》


中身は、実は「維新」とはいえずに、謀略の政権交代だった「明治維新」のその後が、今のこの国の姿だ。
やっぱり、この国は、あの明治維新の時から、歩みを間違えたのだろう。
けれど、作り直すには、現在、どんどん、縮小していっているこの国の、その縮小の速度に間に合わない。
それに、あまりに歴史を知らない、歴史を認めない、あの首相とその「取り巻き」たち。
さらに、首相や閣僚が横暴であろうと、義がなかろうと、何も言わない与党国会議員たち(だからといって、野党議員たちは問題無しとは、私は言わない)―それらが、本当は、自分の我がままに過ぎないのに、信念と勘違いして、悪い方向に、滅んでいきそうな方向に、この国を向かわせている首相の意のままになっている。
マァ、本当に、「やりたい放題」とは、このことか。
だから、もう一度、翔けてほしい、天空の人々!
本当は、私たち、国民のもののはずのこの大和の国を、好き勝手している輩(やから)の頭上に雷(いかずち)を落としてほしい。

…と、途方もない。が、切に願い、思い続けてしまった。
「翔る!! 新選組副長」の姿を…。
思い描いたら、
「やっぱり、歳さん、かっこいいわ~!」
と、ミーハー心が(笑)












「昭和の日」―わだつみの声 届くー 

2014-04-29 | 幕末関連
70年近い時間(とき)の彼方から、今日、「昭和の日」に、戦没学徒たちの声が届いた。
今日を選んで、彼方の過去から、わだつみの声が届いた気がしてならない。

今日の新聞(東京新聞)一面トップの記事。
《「わだつみ」に別の遺書》―と大きくタイトル。

《戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(1918~1946)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった。
「わだつみ」ではすべて獄中で愛読した哲学書の余白に書かれたものとされていたが、実際は二つの遺書を合わせて編集してあり、辞世の歌も今回見つかった遺書にあった。》

《「きけ わだつみのこえ」 東京大協同組合出版部が1947(昭和22)年に出版した「はるかなる山河に―東大戦没学生の手記」を全国の学徒に広げ、49年に刊行された。82年に岩波文庫に入り、改訂を加えた95年の新版は現在もロングセラーを続けている。74入の遺書・遺稿を収録。木村久夫の遺書は、特別に重要なものだとして「本文のあと」に掲載されている。》

その木村久夫の遺書が実はもう一通存在し、遺族が保管していた。
手製の原稿用紙11枚に書かれて、処刑の直前に綴ったものだった。
「処刑半時間前擱筆(かくひつ)す(筆を置く)」
と、最後に書かれている。
彼は、京都帝大に入学後、召集され、インド洋・カーニコバル島に駐屯し、民政部に配属され通訳などをしていた。
軍の参謀らの命令で、スパイ容疑の住民を取り調べた際、拷問して死なせたとして、B級戦犯に問われ、シンガポールの戦犯裁判で死刑とされた。1946年5月執行、28歳。
獄中で読んだ哲学書の余白に書かれた中には、これまで、公表されてこなかった部分が多くあり、今回、家族に宛てた遺書の存在も公になったことだから、両方を合わせ、「きけ わだつみの声」の改訂が、必要だ。
そこには、大日本帝国陸軍や、軍人が牛耳っていた日本国政府への批判も痛烈な、まっすぐな言葉で綴られている。哲学書の余白に書かれたそれらは、発表の折りには削除された。

現在のこの国は、政権の思惑のみで、ひどく危険な方向に向いつつある。
日本国憲法は、戦没学徒のみではなく、原爆で、空襲で逝った人々の、「バンザイ」と叫びながら、断崖絶壁から飛んだ人々の、沖縄や樺太の人々の、全ての生命の犠牲の上に、やっと、手に入れた「宝」だ。
永久に戦争を放棄する誓いの憲法9条が、2014年の、ノーベル平和賞候補とされてもいる。
そういう、手放したら、もう二度と手に入らない「宝」を、戦争以前のこの国のようにしたいと思っているかのような(「日本を取り戻す」って???)、また、戦争の出来る国にしようとしている現政権の非常に危険な「勘違い」。
戦争に向おうとしている力が大きく働いている時、それを抑えるべく、あの戦争で逝った人々から、現在(いま)だからこそ、届いた声のような気がしてならない。

第一面のこの記事は次のような「解説」がされていた。
さらに、他の面(6面7面)に、遺書の全文が掲載されていた。

《際立つ戦争の不条理
六十五年前に出版された「きけわだつみのこえ」が、今も多くの人々の心をとらえるのは、そこに戦没した若者たちの真っすぐな声が瞬間冷凍して保存されているからだ。その声は普遍的な価値を持つ、一級の歴史の証言と言える。
 中でも短歌を織り交ぜた木村久夫の遺書は感動的で批評性にも富み、「わだつみ」の末尾に特別に置かれている。
その遺書が、もう一通存在していたことは、何としても自らの思いを残しておきたいという木村の意思を表している。確実に親元に渡るように複数を残したとみられるからだ。
 「わだつみ」の遺書は二つの遺書が編集してあり、当時としては表現が強すぎると判断したためか、軍部を批判した箇所などが大きく削られていた。辞世の歌も違っているなど、故人の思いが正確に伝わらなかったが、もう一つの遺書の発見により、完全に再現できるようになる。
 二つの遺書の両方を読めば、近いうちに命を絶たれると分かっている中で、若き学徒が日本の過去や未来に思案を巡らせ、思い出を振り返りながら、次第に死を受け入れていった様子が手に取るように分かる。中でも、志半ばで学問の道を絶たれた無念さは胸に迫るものがあり、戦争の不条理を際立たせている。
 木村が託した思いは、私たちへの教訓でもある。あらためて平和の重さをかみしめたい。》


(追記)
東京新聞は、自民党の石破幹事長が以前、テレビ収録の際に「東京新聞はきついから」と言っていたように、政権から嫌われている。
圧力に屈しないで真実を追求するからだろうなぁ。
けれど、それが、真のマスメディア、ジャーナリズムの姿勢だから、時々、ハッとさせられる記事に出逢うことができる。
そういう姿勢に、私は敬意を表したい。


(追記 その2)
今日は違う事を書くつもりでいたが、朝、新聞を開いた瞬間に「届いた声」に衝撃を受けて、その「声」に耳を澄ましてしまったので、こちらの一文となってしまった。






土方歳三は今も、私たちに突きつける

2013-11-01 | 幕末関連
というナレーションで終った番組があった。
「土方歳三は今も、私たちに突きつける、負けるな―と」
聞いた時、涙がどっと溢れた。
その前から、胸が熱くなっていたけど、ね(笑)
涙ながらに(?)、答えていた、「負けないよ」と。
この回答、何と、健気な乙女心―と、見るか、否か…。
負けたら、次の生(つまり、「来世」という次の時間)で、歳さんに顔向けができない。
同じ時代に生れていたら、私は箱館(当時は「函館」ではなく、こちら)まで行っただろうなぁ。
好きな男のためなら、強くなれる―という、典型的な女のようだし、私って(笑)。
…で、彼が戦死したら、後を追うか?
いや、たとえ、戦争とはいえ、彼を撃った人間を探して、復讐してから、旅立つかも…(「怖い女」でもあったりして(笑)。

前述の番組はNHKの「ザ・プロファイラ―」の先週の放送。
8・18の政変の所は、ちょっと違っていたけど、全体は、マァ、あのようなものだろうーと。
ただ、歳さんを扱う歴史ドキュメント(ドラマではなく)は、たとえ、再現(?)部分で歳三に扮した役者さんが、まったく似ていなくても、演技がだめでも、語られる言葉(ナレーション)に、胸が熱くなってしまう、これは、もう「愛」ゆえ…という結論しかないけど。
「仲間たちの死を全部背負って戦っていった」
等々、言われたら、涙、涙…である。
土方歳三の遺体の在処―いろいろと取りざたされるが、
「諸説あるが、筆者は、五稜郭に眠るとしたい」
云々の言葉で締めた一文に書いたとおり(「歴史人」掲載)、また、その一言で、
「歳さんに対する愛がわかる。誰にも異論は言わせない…という雰囲気だ」
と友人たちに言われたとおり…である。
土方の戦死を聞いた新政府軍の参謀黒田清隆は「これで、箱館の戦争が終る」と瞑目した…云々の逸話は、好きな逸話だ。

大河ドラマで…とは言わないが、(大河では2004年にやったし)、NHK時代劇で、新選組ではなく、土方歳三のドラマをやってくれないかな(ただし、キャスティングは私がやる(笑)。

「負けるな」
負けないように、生きなくては…、負けたら、だめだーと自分を鼓舞して、また、植物に向き合い、彼ら、彼女らのパワーを学ぶ。
今日から11月になったけど、そして、朝夕は秋らしい気温となっているけど、植物は元気だ。
夏の盛りよりも今の方が実を沢山付けているミニトマトやパッションフルーツ(実が20個も!)。
9月に食べたパッションフルーツの種を「種まき・挿し木用土」の鉢2つに5~6個ずつ、蒔いてみた。
発芽までは3週間から、時に2カ月近くかかる場合もあるーと説明されていた。
正直にいうと、発芽は期待していない。
しかし、10月半ば、ちょっと、遠出して帰宅したら、芽が1つ出ていた。
しばらくして、もう一方の鉢も芽が出た。
しばらくそのままにしておいたが、「種まき・挿し木用土」は、栄養のない土だから、培養土の方に、そっと、そおっと、移した(何しろ、小さい)。
移す時に2つの鉢の土を掻きまわしてしまったので、後の種は「もういいか」と、放っておいたら、今朝、小さい芽が出ていた。
下を向いていたが、日なたに出したら、あっという間に、しっかり、太陽の方を向いて、綴じていた双葉が開いた。
このパワー! 生命力! 是非、頂きたいものだ―と、真剣に思った。
そう、この先、負けないために(笑)

新選組 結成150年!

2013-10-26 | 幕末関連
我らの新選組が結成150年だ。
新選組…というと、どうしても「我らの」という言葉を付けたくなる。
最初から「新選組」という隊名ではなかったが、上洛した時、歳さんは27歳だ。
上洛後、2か月ほどで28歳になった。
近藤勇にしても、29歳。
つまり、30歳前で、あの最強の武闘組織を作った。
しかし、そんなに若くして、あれだけの組織を作り上げたという実感が現代では想像が及ばないのか、新選組の映画やドラマとなると、27歳で上洛していく土方歳三…とは、どうしても思えないような年令の俳優が演じたりする。
27歳で上洛、29歳で池田屋事変、そして、34歳になったばかりで散華する―それが、土方歳三なのだけど、実際の年齢でのドラマは、そう、もう9年も前に(!!)なってしまったけど、2004年のNHK大河ドラマ『新選組!!!』(何故か、タイトルに「!」がついていたっけ)くらいかなぁ。、土方を演じた山本耕史は、あの時、27歳だった。
あの『新選組!!!』はひどく話題になった。賛否両論でもあったらしい。
しかし、実際の彼らと同じ年代の俳優たちが演じたことが、嬉しかった。
江戸に居た頃は、あんなものだったのだろう、普通の若者たちなのだから…と、やけに身近な彼らだった。
新選組に限らず、幕府を倒して、新しい世の中を…と、純粋に(そう、私心なく、純粋に)願い蹶(た)った者たちも、若かった。そこらに、ヒョイといそうな若者たちだったはずだ。

面白い話が東京新聞のコラム「筆洗」に載っていた。
英科学誌ニュー・サイエンティストに読者からの素朴で時に奇抜な質問に答えるQ&Aコーナーがあるという。そのやり取りをまとめた『つかぬことをうかがいますが…』(早川書房)という本。そこに次のような質問について書いてあるとのこと。
《「息を吸いこんだり、ひと口水を飲んだりするたびに、レオナルド・ダビンチが吸ったり飲んだりした原子がいくらか体内に入るというのは本当でしょうか?」
回答は…地球の大気にある分子の数とダビンチが生涯に排出した分子の数を推計していくと、私たちは呼吸するたびに、彼が吐いた分子を大量に吸っていて、彼の末期の息の分子すらおよそ五個は吸っているはずだという。にわかには信じがたいが、世紀の大天才の体を通った分子が今もこの身にも入ってきていると考えれば、愉快だ。》

ということだ。
《地球のめぐりとはそういうものなのだろう》
と、あるが、そうすると、私たちは、レオナルド・ダビンチの呼吸した原子よりももっと、最近の幕末の、それこそ、新選組隊士たちの呼吸した原子や分子のいくつかを吸っていることになる。
これは、ちょっと、嬉しい発見(?)だ。
彼らを愛している私たちだけでなく、この国の全ての人々も…。為政者(権力者)たちも…?!これには、
「嘘だろ~!」
と、つい口走る。
あの時代に、命賭けて生きた彼らの呼吸の、その分子のひとつでも吸っていたら、今みたいに、やりたい放題で、国民が政府のパブリックコメント(意見広告)に書き込んだ9万もの意見(反対が8割)を無視して、更にやりたい放題が可能になる「秘密保護法案」を閣議決定したりしない! 
「今の与党や官僚機関は、国のためには、基本的人権が多少犠牲になってもしょうがないという、国家が市民生活に優先する政治観を持っている」
と、作家の吉岡忍氏は言い、戦前の不幸を思い出すべきだ―と、訴える。
「戦前や戦中の記憶はだんだん薄れて行くが、軍事機密とそれを保護する法律のため、日本人がどれだけ不幸になったかという歴史的事実は知っておくべきだ。」
「憲法も変えず、外国に行って人を殺すような軍隊も持たずに済んだ。秘密が無い国ほど、一人一人の人間は息苦しさなく暮らせる。戦後、68年、この市民社会が積み重ねてきた実績にもっと、自信を持っていい。」
「国家はそんなに秘密を持ちたいのか。ゼロは無理でも、秘密は少なければ少ないほど、社会は自由になれる。そういう国家、社会を目指すべきだ」
と、吉岡氏は憂える。

そういえば、先のコラムには、
《ということは、ヒトラーが吐いた分子も彼に抹殺された何百万ものユダヤ人たちのそれも、私たちは吸ったり飲んだりしていることになる。》
という一文もあった。
安倍首相は、よく「積極的平和主義」という言葉を使うが、それは、ナチスの常套句だった…とか、どこかに書いてあったな。そして、何より、戦争をしたい者の常套句でもあるという。
そういえば…が、さらに続く。首相は15日の臨時国会における所信表明演説で「意志の力」という言葉を連発した。  
「今の日本が直面している数々の課題」「これらも『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越える
ことができる。私はそう確信しています」
等々。それには、文芸評論家の斎藤美奈子氏が
《おおっと、そんな単語を使って大丈夫か。「意志の力」はナチスの常套句だぞ。1934年のナチ党全国党大会の記録映画のタイトルは『意志の勝利』だぞ。と心配したのだが、それを指摘したのは民主党の海江田万里代表だけで、メディアはみんな無視。揚げ足を取る絶好の機会なのに。》
等々、書いていた。
ア、でも、秘密保護法が成立したら、そういうコメントやコラムさえも、抑え込まれてしまうかもしれないなぁ。
さて、先の、ダビンチの呼吸の分子についてのコラム、ヒトラーの続きには、
《突拍子もない想像に思えるが、地球のめぐりとは、そういうものなのだろう。内戦で昨日までの隣人と殺し合う人々も、隣人に差別も露わな言葉を吐く人たちも、結局は憎む相手と空気や水は共有しなくてはならない。憎悪の応酬やまぬ世を解きほぐす力は、ちょっとした想像の中に潜んでいるかもしれない。》
と、少し、希望、いや、切望をもって綴じている。

新選組隊士諸君、本当に、申し訳ない。こんな国になってしまったよ―と、詫びながら、手近の『WOWOW』 の11月の冊子を見たら、
《結成150周年!特集:新選組~壬生の狼たち~》との一文が大きく踊る。
~幕末の治安維持のため活躍した京都守護職・新選組の創設150年を記念し、新選組を描いた時代劇を連日放映~
5作品を放映するそうだ。
WOWOWもやってくれる!(拍手)
WOWOWは企業スポンサーが支える民放TV局とはちがうから、WOWOW制作のドラマなどは、非常に良質で見ごたえがある。食品偽装を取り上げた「震える牛」などは、民放では決して、放送できないドラマだった。
ドラマで、期待しているのは、やはり企業スポンサーがついていないNHKだが、こちらは、次の会長選びについて、どうも、政権に近い人物を会長にしたいという政府の力が動いているような雰囲気が…。
安倍政権は、決定権を持つ経営委員の欠員二人を含む五人を入れ替える刷新案を国会に提示し承認を求めているとのこと。
NHKの経営を支えているのは私たち、受信料を支払っている国民だ。世論操作を狙うために政権に近い人物を会長にされては、中立性も信頼も失われる。

何だか、毎週、この国を訪れる招かれざる客の台風のように、何とも、恐ろしい国家に向いつつある我らの祖国だ。
天を走る龍が国会議事堂の上に舞い降りて、それこそ、やりたい放題の奴ら(!)に、「天誅」を下してほしいなぁ。