アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

ずっとあとまで、覚えている歌    (萩尾)

2006-09-30 | 音楽
先日、童謡や唱歌について書いたが、その後、「ゆゆしき事」を聞いてしまい、少なからず、ショックに襲われた。
9月27日の水曜日の深夜だった。
名古屋日帰りをしたので、疲れているから、グッスリ眠れるはずなのに、「ゆゆしき事」で、ショックから、無念さが立ち上がり、つづいて、悲しくなってしまった。眠れなかったなぁ・・。
一年ぶりくらいの久しぶりで、20代終わりくらいの年代(エ?もう、その年代になったの?!歳月の早さ!)の当会会員だったY子さんと電話で話した。
用件は全く違うことだったのだが、ついでに聞いてみた。
―小学校の時に、唱歌というのかな、「故郷ふるさと」とか「里の秋」「浜辺の歌」といった歌は音楽の時間に歌った?―
もちろん、歌ったという答が返ってきた。
そして、こちらが聞くよりも早く、今の音楽の教科書にはJポップス等が入ってきていて、いわゆる唱歌がなくなっているものもある―と、彼女は言った。
彼女、現在、丁度、小学校関係の仕事をしている。
私たちの年代ではなく、彼女たちの年代(1970年代後半生まれ)でも、今の年齢で、例えば、ふっと、「ふるさと」や「浜辺の歌」などを耳にすると、その情景(風景)が浮かび、涙が出てくる―と、言っていた。
今の子供たちの接している歌―確かにいい歌も数多くある。けれど、風景が浮かんでこないのではないか―と、Y子さんは続けた。
あるいは、その風景を知らない。
アア、そうだろうなぁ・・・知らないかもしれない。
故郷の風景・・といっても、溢れるほどの人と車の中で育っていたら、そこが「ふるさと」で、懐かしくもなんともないかもしれない。
が、「ちょっと、待てよ」と、私は、自分の思考にストップをかけた。
私も東京の中野育ちだ。けれど、「うさぎ追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川~」と歌えば、浮かぶのは、中野の町並みではなく、どこか遠くの山や川である。そこが、真実、自分が生まれ育った所ではないのに・・。
思い浮かべる事ができない―これは、文章を読んで、想像して行くことができないからだろう=国語力の低下も一因かな。
卒業式で「仰げば尊し」は古い・・といわれるかもしれないが、せめて、「蛍の光」は・・・「最近は歌わない」と、彼女は言った。Jポップス系の曲を歌うという。
これを聞いて、
「君が代斉唱義務付けよりもこっちでしょう。君が代斉唱に起立しなかった、故に懲罰なんて、わけのわからないことをしておいて、どうなってしまったのだろう、日本は・・」
ショックと怒りで、自分では予想もしなかったほど、落ち込んだ。これは、歴史に思いの丈をかけているせいかもしれないが、先人たちへの思いゆえの無念さがからんでの落ち込みだったのかな・・。
この日の昼間、特養の老人ホームで長いこと働いている友人と、童謡や唱歌について、話したが、その内容も、Y子さんに話した。
認知症や記憶も定かでなくなった老人たちの前で童謡や唱歌を歌ったときの事、彼らも歌った―という。記憶がないはずなのに・・である。
記憶とか、思考とか、いう部分ではなく、魂魄(たましい)そのものが覚えているのだと思った。
いつか誰にも来る高齢の時期、今の子供たちはその時、そういう歌を持っているだろうか、その魂魄の中に・・。風景を思い出すことができるような歌を、今の、子供たちに教えてあげることは、私たちの義務ではないだろうか・・・と、今回も、シビアなブログになってしまったが、そんな風に思いつめ(?)、体はクタクタなのに、精神が研ぎ澄まされて、睡眠を妨げた一夜だった。
・・といっても、その一夜に限らず、ずっと、その思い、その無念は、私の胸の底に澱のように沈み続けているのだけれど・・。