アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

『太平洋の奇跡』と「本能寺の変」で2度泣きの本日  萩尾 農

2011-02-12 | 幕末以外の歴史
・・というタイトル通りの本日、2月12日土曜日。
昨日は東京も雪だった。
凍えるような今年の冬、東京以外は全部雪!―という天気図の日もあったが、昨日は遂に、東京も「雪だるま」マーク。
『太平洋の奇跡』は当初から観るつもりでいた。
いつ多忙な時間が押し寄せてくるかわからないから、初日に観に行ってしまおうと思っていたのだが、雪!
勿論、映画鑑賞に雪は関係ないが、昨年夏、「シュアリー・サムディ」を観に行く際に車を使ったことから、その便利さを知った私は、その方法をとることが断然、多くなった。(交通費かからないし(笑!)駐車場は無料になるし(笑!)熱さも寒さもないし・・・。
しかし、昨日は細かい雪がバンバンに降っていたから、映画館の建物に吸収されている3時間くらいのうちに身動きとれないほど、積っていたら・・・との危惧(??)で、断念した。
他に行く所があったので、そちらを優先して、細かい雪の中、やはり、車で出た。
けれど、現地では常に滞在時間よりも窓外の雪の降り方を気にしていた。
「あの雪の粒が大きくなったら、帰るぞ!」
と(笑)
・・で、雪片が大きくなったので、帰ってきた。
途中、雪と風が激しく、ちょっとした吹雪状態になり、前が見えにくくなったけど・・。(危ないなぁ!)
今日は、午後から雪か雨とのことで、昨日の雪も道路には跡形もなかったから、天気予報を信じて、9:00に家を出て、帰りは小雨の中を戻ってきた。
『太平洋の奇跡』の中で、大場大尉(竹野内豊)率いる一隊が『歩兵の本領』という軍歌を歌いながら、整然と山を降り、米軍に投降するシーンがある。
その歌詞を聞きながら、それは確かに軍歌だから、こういう歌詞を連ねて、民衆の戦意を高揚させたのだ―と、現代だから、そうやって判断できるのだけれど、それでも、胸が熱くなったのは、やはり、私は日本人なんだろうーと、今更ながらに思う。
他にも随所で、少しずつ泣いて、これは事実なのだーと何回か思って・・・勿論、映画だから、全てが事実ではないだろうけれど、そういう戦争があったことに関しては「事実」だ。
あんなに、爆弾が降ってきて、弾丸が飛び交う―ああも簡単に人の命が失われていった、それを自らの体験として持っている人々が居る。そういうことは分かっていたはずだが、何だか、今になって、
「何をしてきたのだ!私たちは・・」
と、ちょっと、怒りが・・。
確かに、私も戦争を知らない世代ではあるけれど・・・だからといって、
「知らないから・・」
と、とぼけているというのも、後ろめたい・・というより、ちょっと、ぞっとする「責任逃れ」のような気がした。

お正月も終わった頃、「寒中見舞い葉書」が京都在住の古い友人から届いた。
絵を描く彼女の手書きの「ウサギの遊女」(と私は勝手に思い、)の絵がすごく気に入って、葉書はそのままたくさんのフクロウたちが並ぶガラスの飾り棚ケースの中に・・。
「寒中見舞い」の返事葉書をこちらも出した。
そして、先週、お守りと手紙が彼女から届いた。
かつて、会誌「碧い馬」に、高杉晋作さんや長州の人々を書いていた彼女はこの数年で戦国時代に心寄せていた。
それで、この数日、彼女とメール上で戦国の事情「あれこれ談義」が続いた。
彼女は「ノブさま」と表現し、私は単に「信長さん」と言い、つい先日、大河ドラマ「江」も「本能寺の変」の放送を終えたばかりだから、その「変」についての話題が沸騰。
しかし、彼女も私も光秀さんは嫌いではない。ただ、
「本能寺の変の時だけは、光秀が憎らしくなる」
との彼女の思い。
私は、とにかく、ただただ、「無念」の一語に尽きる。
信長さんについては、私は数多く書いてきたし、語ってもきた。
信長は天下を統一する力はあるが、天下を治めていくことはできない―と、そんな言葉を他の人々、諸先輩作家の方々が語り、その時、
「それでも、私は、信長が拓く織田幕府、天下の姿を見てみたかった」
と、未練がましく、私は呟いていたりした。
しかし、彼がこの国を治めると、開国は幕末を待たずに、あの天正年間だっただろうなぁ。
2/6の放送で信長さんは逝ってしまったが、本日、再放送があり、「太平洋の奇跡」を見て帰宅した時点で、時間が十分間に合ったので、再放送も見た。
結局、「本能寺の変」は3回みたことになる(笑)
2/6のNHKハイビジョンとNHK総合と、そして、今日・・。
これだけ観ると、他にもいろんな事に気が付いてくる。
そして、そこから、思いをはせる事ができる。
つい2~3日前、私は随分と前に書いた『覇星 織田信長』(徳間書店)で「本能寺の変」をどのように書いたか、読み返してみた。
といっても、読み返すというより、私は、冒頭に「本能寺」を持ってきたから、信長さんが「天に還(かえ)る」部分から、その作品は始まる。その部分だけを読んでみた。
それが、頭に残っていたから、この再放送で信長さんが寺の奥へ奥へと歩を進めていき、終わりの襖を開けた時、光がパーッと彼の顔を照らす、そのシーンで、「アア、そうだ」と思った。
彼の見つめる先の二枚の扉の間から、光がこぼれている。
「天への道だ」
と、私は勝手に解釈し、「無念」でならない自分の気持ちを少し鎮めることができた。
「潮時か」
と、この信長は呟いた。
「天へ還るか?吉法師」
と、私も呟いた。

「光秀、おぬしも天下が欲しかったか」
と、この信長は言ったが、彼自身は「天下が欲しくて」ここまでの修羅の道を歩いてきたのではなく、「誰かがやらなければならなかった、それがたまたま自分だった」というスタンスに居る。
織田信長の歩みを探ると、私も、
「信長さんは本当に天下が欲しかったのだろうか」
という疑問に当たる。
だから、そのように、「私の信長」を書いた。
彼には執着心が無い。
一つの城を落とすと、それを惜しげもなく、人(家臣)にやる。そして、手に入れた領国の端にまた、城を築き、次の国盗りに向う、その過程が彼にとっては大事なことだったのかもしれない・・と思うのだ。

ちなみに、再放送でも、信長の死に私は泣いたから、午前中、「太平洋の奇跡」に涙し、午後、「本能寺の変」で泣き、本日、2度の涙だった・・ということ(笑)

追記・大河ドラマ「江」の「本能寺の変」について、「信長の自刃までの描写は素晴らしかった」という視聴者投稿が新聞に載っていた。前作の主人公の暗殺シーンより、激しく、迫力があった・・と書いてあったので、「そうだ、私は前作のそのシーンは観ていない」と初めて気がついた。いや前作は幕末好きの私のはずだが、実は、いつの間にか、見忘れたりして、いつか、見なくなってしまって、怠けていた(笑)

信長 逝く・・・結局、信長好きの私       萩尾 農

2011-02-06 | 幕末以外の歴史
まだ2月なのに、信長は逝ってしまった。
まだ、第5回なのに、信長さんは去ってしまった。
新しいタイプ(?)の信長さんだったのに・・もう、天に帰った。
けれど、仕方ないか。
「江」の物語なのだから、彼女は再び、乱世となるこの後を生きて、豊臣の世が来て、さらに徳川の時代が到来する、それらの時間を生きていくのだから、それも47か48話分の時間の中で・・。
そう考えると、この辺りで、『本能寺』が来ないと・・とは、思うが、無念だ。
ホント、森蘭丸クンが
「無念でございます」と言葉にしたが、
「私も、無念だよ、森クン」
と言いたかった。
でも、やはり、泣いたなぁ、私・・。
昔から、どの俳優が信長を演じようと、「本能寺」で、私は、涙にくれる。
「憎まれ恐れられる者は一人でいい、しかる後、太平の世がくれば、それでよい」
という前回、彼がお市に語った言葉が、その声が、何度も繰り返された。
そういう言葉を吐く織田信長は田渕久美子さんの信長で、この新しい信長の思いにこちらの思いを重ねると、熱いものがこみあげてしまうのだ。
結局、信長好きの私・・なのだが・・。
確かに、そういう言葉を吐いて、お市や江に、「照れたような」いや、そんな風に軽く言い表してはならないなぁ、ふっと恥ずかしそうな笑みをみせる、そういう所は、今回の信長を演じた豊川さんはつくづくうまい!
大河ドラマが「江」と決まった。その時、
「信長さんは誰が演る?!」
戦国時代物となるといつも、真っ先に信長役が気になる。
結局、信長好きの私・・で(笑)
豊川悦司??ちょっと、違う気がするなぁ―と、私は生意気にも思って、でも、田渕さんの新しい信長には、ぴったりだったと今は思う。それで、この俳優が演じてくれてよかった・・と思うのだ。

さぁ、これで、江は一人で歩まなければならない。
「そちは生きよ」
と、信長の霊は何度も何度も、彼女に語りかけたから、江はこの先、信長の「思いのままに生きよ」「そちは生きよ」と、その言霊を胸底に落としていきていくのだろうなぁ。
とりあえず、私も、江の歩く道を見ていこう。
ア、もう、NHK総合での「江」が始まっている。
本日も午後6時からのBSハイビジョンの方で見てしまった次第。

織田信長については、大河ドラマを離れて、ちょっと、書きたい事もあるけれど、本日は、時間切れ(???)