アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

大河ドラマ「江」と「新選組血風録」     萩尾 農

2011-01-30 | 映画・ドラマ
―「江」第3回までに思ったまま、もろもろ、勝手に―

2011年の大河ドラマは楽しみだった。
戦国時代。それも、「主役」は女性。
昔(!)の大河ドラマの主人公はほとんど男性だったように思う。
だから、「戦国時代」の大河ドラマとなれば、信長、秀吉、家康の三人か、その周辺の武将が主人公となった。
もちろん、「おんな太閤記」などもあったけど、それは、そんなに「昔」の大河ドラマではない。
今年の大河ドラマに期待していたのは、「篤姫」を書いた田渕久美子さんの作・脚本であったことと、「篤姫」時のプロデユーサー(屋敷陽太郎氏)の、「ゴールデンコンビ」だったから・・。
「きっと、心に染みていくものをみせてくれるはずだ」
と、期待していた。「・・はずだ」である。期待の大きさの表れ。
まだ、3回の放送。
そんな最初に、ここまで期待しているよ!・・等々、言葉にしてしまうのは、ある種、「危険?」・・いや、そんなことはない。これは、ブログの上の「萩尾の勝手な呟き」だ。
だから、あと半年くらいしたら、「期待ほどではなかった」と、書くかもしれないし・・。
ただ、ここまで、3回を見た限りでは・・「面白いなぁ!」である。
四角四面に固まっているドラマではない。
私も歴史読み物や歴史小説を書いてきたけれど、
「歴史物だからといって、何も難しい言葉を並べなくてもよい。誰が読んでもわかる言葉で、易しい言葉で、読みやすい文面を連ねて書いた方がよい」
と、常々、思い、そうしてきた。
そして、何より、人の感情は何百年の昔も現代も、さして、変わっていないという事を、私なりに大切に思ってきた。
「好きなものは好き、理由などない」
そんな事を、「江」の中でも聞いた。
田渕久美子さんという作家のその「思い」は、人の感情を大事にしている事だと思う。
だから、「篤姫」も欠かさず見る事が出来た。
「感情」を大切にしているから、共感するのだ。
「篤姫」を見ながら、私は、随分と泣いた。
だから、今回も、ゴールデンコンビだし(?!)、きっと、最終回まで、私を引っぱっていってくれるだろうと、楽しみだ。
3回まで放送して、浅井三姉妹・・いや、茶々を除いて、下の二人は、どうして、こんな幼いのかーと、ふっと、思って、そうか、信長さんがまだいるから、天正十年にもなっていない。つまり、江は、実はまだ幼女、7~8歳のはずで、その役を子役にやらせないで、あえて、このドラマの最後まで演じる女優にやらせているのだなぁ・・と、真意はどうかわからないけど、私は勝手にそんな風に思った。
だから、この三姉妹のこの後の成長、あるいは変貌に、私は、きっと、目を見張っていくことになる。
3回まで、引っ張っているのは(ものすご~く目立っているのは)、織田信長。
彼が大好きな私には、織田信長の新しいとらえ方がとても嬉しい。
例えば、有名な浅井父子らの骸骨の箔ダミの話。
「そうだなぁ、信長さんのそういう思いもあったかもしれない」
と、頷いていた。
けれど、次回のタイトルが「本能寺へ」だ。
もう本能寺~と、ちょっと、悲しい。しかし、当然だ、そろそろ本能寺に行かなくては、江はこの後、徳川幕府の礎を築いて行くのだから、ドラマが一年で終わらなくなってしまう。
                                         (1月25日 記)

―「江」第4回、ちょっと、ホッとして・・。―

「本能寺へ」というタイトルだったので、
「もう逝ってしまう(泣)」
と思って、午後8時のNHK総合を待たずに、夕方6時からのNHKハイビジョンで見てしまった。
まだ、居てくれた~。
「何が?」って、信長さんがまだ生きていてくれた。
今回は信長の思いが語られていた。
ちょっと、胸が熱くなった。
信長が天下統一の大事業をどのように考えていたのか・・それをわかる術はない。
「誰かがやらねばならなかった、そして、わしがそれをやったまでのこと」
「憎まれ、恐れられる者は一人でよい。しかる後、太平の世がくれば、それでよい」
という言葉・・勿論、それは、信長本人がそう思っていたか否かわかるはずもない。それは、作家の田渕さんの思考から生みだされてきた言葉だ。でも、そのように、彼をとらえてくれているのが、嬉しかった。
たくさんの戦いをくぐりぬけ、それだけのことをやり遂げてきたのに「(たまたま)自分だっただけだ」と、田渕さんの信長は言いきっているのだ。
沢山、書かれてきた織田信長だが、「新しい信長」がここに居る。
その信長から大きなものを受け取って、江は、この先を生きていく。
彼女は本当の意味で江戸時代の幕を開けた人だ。
戦乱の中に生れて、そうして、平穏な時代を拓いた。
まだ、ドラマは始まったばかり・・・第4回まで見て、今は、先を楽しみにできる大河ドラマになっている(と、無責任に言葉にするが、視聴者は無責任なものだから・・(笑)
そして・・・来週は「本能寺の変」!!

一昨年の「天地人」も思いがけず、1回も欠かさずに見た。
“思いがけず”というのは、あまり興味がなかった直江兼継だったから・・。
でも、小栗旬が石田三成だったので、小栗君の仕事はいろいろ見てきているから、“小栗三成”に期待していた。が、途中で三成さんは亡くなってしまうから、そこまではみるだろう、その後は・・・という程度だったけど、原作が火坂雅史さんで知っている人でもあるし、とにかく、「見てみよう」といったところ。
でも、見たら、面白かった。遂に、最終回まで一度も欠かさずに見た。

ちなみに私はNHKの受信料はちゃんと支払っている。
うるさいスポンサーがいないから、のびのびと良いドラマを作る。
だから、NHKのドラマには、いつもある程度の期待はしている。
・・で、期待を裏切られることは少ない。
私は、受信料分は取り戻していることになる(笑)

そうそう、4月から「新選組血風録」も始まる。
BSプレミアムというチャンネル。
「?」
と思ったら、現在のNHK BS-2の事だった。
新選組をやるとなると、新選組ファンがまず、最初に気にするのは
「土方は誰?」
2004年大河の「新選組」の時も土方歳三役の発表は一番 遅かった。
今度は永井大クン。
私は次の土方歳三は「小栗旬」と勝手に願っているけど・・。
小栗君がやる歳三さんとなると、京洛の地で新選組を統率していた時の土方副長よりも、北の地を転戦していった、一陣の風が吹き抜けていったかのような戦いを残した、まるで鬼神のようだった歳さんが合っている。

この国は一体どこへ向かっていってしまうのか、不安材料ばかりだけれど、ドラマや映画、芝居は、まだ、期待していてよいと、そこに心を置いて、今、しばらくは、しっかりと歩むか・・。










































「愛模様」というシリーズ           萩尾 農

2011-01-24 | その他
歳月は放たれた矢のように過ぎる。
私が、その「愛模様」というタイトルで、シリーズのように書き、発表していた、かなり私小説っぽい小説(エッセイ・・かな)―それらの執筆の日から、本当に、時間は「矢」どころか、光の速さで過ぎ去った。
その「愛模様」という言葉。
それより、ずっと前にNHKが「ドラマ人間模様」という作品を放送していた。
それが、とても好きだった。それで、「○○模様」にしたかったのかもしれない。
「愛」でなくて「恋」でもよかったが、何だか、歌のタイトルみたいだし、それに、書き綴ったそれらは、やはり、「恋」より「愛」が合う・・と、当時、思ったのかもしれない。あまりに古いことなので、タイトルの「名づけ」の正確なところは忘れた(笑)。
それらは、忘れたが、シリーズの第一回目に書いた「物語」は、それから二十年近い時間が流れているのに、実は、私の実体験(?)として続いているようなので、ちょっと、その第一回を、再度、みてみようか・・と、稚拙な部分ありの恥ずかしさも、殴り捨てて・・(笑)。



愛模様(一)   郷愁(ノスタルジック)な愛

 真冬の、雪さえ散らついていた新宿の黄昏時の雑踏の中で、寒いのに、シェイク等を飲んでガタガタ震えていた事がある。
 二月だった。
 若かったから、私は膝より上のミニスカートで、彼も細い肢体を洗いざらしたジーンズで包んでいた。
 そうして、「マックシェイク」だ。しかも、Lサイズ。
 雪の中でシェイクを飲んでいた―というと、何故だか、必ず、笑われた。
 何故、あの時、喫茶店にも入らずに、寒い中、そんなに冷たい飲み物を飲みながら歩いていたのか、あまりに前の事なので、今ではわからないが、多分、あの時もわからなかった。
 もしかしたら、喫茶店に入るほどの待ち合わせはしなかったのかもしれない。若過ぎた私たちだから・・。
 若過ぎたから、その夢が熱くて、それで、雪の中、シェイクを飲みながら歩いたのかもしれない。
 二月の事なのに、その情景は何故だかイヴとだぶる。イヴとだぶって、何故だか、今でも胸が熱くなる。時に、涙ぐむ。
 郷愁(ノスタルジー)というのかもしれない。
 良かった頃の思い出なのかもしれない。いや、あの頃はあの頃なりに、悲しい出来事(例えば失恋したり)や辛い事もあったに違いないのに、今、たった一人で風の中に立って、振り向いてみれば、あの頃は、
“幸福でしかなかった時”
 と、そんな風に思われる。
 思って、涙でかすんだ向こうに彼がいる。
 幸福と若さと温もりと、風さえ光っていた日々を抱えて、彼が、いる。
 互いに別の場所を歩いた十数年を取り戻そうなどと思いはしないが、振り向く思い出の中には、必ず、彼が、いる。
 あの頃、やっぱり、恋をして、今のように恋をして、幾人かを好きになって、その人のために泣きもし、その人の一言で瞳を輝かせもした。そんな私を黙って眺めていた彼が、いる。
(そう、今ならわかるよ、私)
 と、彼に言いたい。
(あの頃、私は、あなたの手の平の上だったって、わかってるよ、私)
 と。
 そして、今、恋しても、やっぱり、私は、彼の手の平の上―そう思っていたい自分を、よく知っている。もう、あの頃のように“子供”ではないから・・。
 知っているのに、わかっているのに、本の間などからふいと出てきた彼の手紙を読んでみたりして、涙が出てくるのは、何故なのだろう。
 恋したその人を私は“欲しい”と思うのに、彼を“欲しい”と思った事など、一度もなくて、今もない。
 それなのに、振り向いた思い出の中にいる彼を、何かの弾みで思い出したりすると、涙が出る。
 けれど、私は、生涯、彼には恋しない。
―愛ガ深スギテ、恋デキナイ―
 私は目を見張って、自分の胸底を覗き見た。



1991年の初出だ(古い~!驚愕!)
当然、「互いに別の場所を歩いた十数年」は「十数年」どころか、三十数年?!
今も、時々、会う。
昨秋、会った時に、彼が、すごく悲しい事をいうものだから、涙がでた。
「そんな悲しい事言わないでよ!」
と、口調は、この長い時間の中で、若過ぎたあの頃のままだ、二人とも・・。
互いに別の場所で別の仕事をしてきた。
長い歳月の中で、もう会えない友もいる、その行方すらわからない者もいる、歳月を重ねることは、寂しくなることでもある―と、そんな事がこの数年でわかってきた。
だから、年齢を経てくると、互いの所在がわかっている友は貴重なのだ。
それらの友の位置と、彼は、私の心の中の別の位置にいる気がする。
「アッという間だったよなぁ」
と、彼は、若い日からここまでを言い、
「本当に、アッと言う間だった」
と、私は出逢いの時からの歳月を振り返った。
出逢いの一瞬をまだ、忘れていないのは、どうしてだろう・・と、思いながら・・。
そして、今度、また、彼が、悲しい事を言ったら、
「この“私小説”を見せてやる!」
と、昨秋から2カ月以上も過ぎた今、そう思っている。そうして、言ってやるのだ。
「あなたは、私より、先に去ったら、だめなんだからね!」
と。


早く、春来い!
もう寒い中でシェイクを飲むパワー(!?)は無いよ!
春、早く、来てくれ~と、願いつつ・・(笑)。







































梅も咲いたというのに・・         萩尾 農

2011-01-23 | その他
・・というタイトルを掲げながら、
「ア、 そうだ!ご挨拶もしていない」
と、やっと気がつき、
『あけましておめでとうございます』

随分と、間が抜けた「新春のご挨拶」になった。
12月に一度も書き込みをしていない(と、思う)。
1月になり、つい先日、ホームページのお知らせのために数行書きこんだだけ・・という怠け状態。
現在も同じなのだけど、忙しかった。
身体的に忙しいのは少し、去ったけど、今度は「精神(こころ)」が忙しい。
心の中が泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・しかし、「怒ったり」というのは、それだけ、エネルギーがまだ、残っている証しだから、良いのか・・とも思う。
が、今は、怒りよりも、諦めの比重が大きくて、「これではいかんなぁ!」と自らを叱咤。

12月初めの頃、1週間くらい、ハワイに行っていた。
勿論、用事があって・・。
しかし、用事は一日だけだから、あとは、そこらをウロウロと・・。
寒い日本に戻って来てみれば、
「あそこは、何て気候が良いのだろう!」
と思うことしきり。
ハワイには10年くらい前に一度行っているけれど、その時は、20人くらいの集団だった。
今回は、10人ほどが現地集合、しかも、皆、飛行機もホテルも別々。
かくして、私の乗ったユナイテッドには10人の誰も乗らず、一人で出国、一人でUSAに入国、一人でホテルに向かい、チェックイン時間前に室内に入れてもらい、2時間くらい眠った。
実は出発の前日、大怪我をした。
なんで、そんなことになったのか、その部分だけ意識も記憶も無く、怪我よりも、その事の方(脳?これは元々、危ないかも)が 危ないのではないか・・・と言われた。
疲労困憊の日々が続いていた。その日、昼頃、確かにフラフラと目まいもしていたような・・・。
はっきりと気がついたのは、左顔面をコンクリート地面に強打した時。一度、バウンドした事は覚えている。だから、二回顔面を打ったわけだ。
勿論、冷やしながら、病院へ。レントゲンとCTを撮り、骨も脳も大丈夫だろうと・・。
夜、先にハワイ入りしている者へ、自分の顔面を携帯カメラで撮り(笑)、画像添付で、
「怪我した、こんなになった」
とメールした。国際電話がかかってきた。
しかし、翌日は予定通り、成田から出国。
成田で見た限りでは、一晩中、冷やしていたのが功を奏したか、左目の下と顎が薄緑色といった程度。頬骨の横の擦り傷はひりひりと痛いが、マ、このくらいで済んだのなら・・と。
やがてホノルル到着。鏡を見てびっくり!
薄緑色どころか、濃い紫色で範囲も広がっていた。
こういう状態で飛行機は乗るのはだめだ。気圧が変わるから、余計に出てくる。まるで、ひどいDVにあったかのようだ。
「I‘m fall down」
とセキュリティチェックやら税関やらで言い続けた(笑)。
しかし、一人で行ったことにより、日本を出ることに抵抗が無くなり、日本にこだわることはないな―と思った事は確かだ。
勿論、この大和の国を愛している。
「日本」と言うより私にとっては「大和の国」―それを愛しているが、
「どうして、大和の国はこんなになってしまったのかなぁ」
と、諦めの悪い私も、最近は、半分くらいは、諦めが・・。
やっぱり、江戸の頃、開国しないで、そのままの方がよかったのかなぁ・・などと思う始末。

世界が変わる時期に遭遇している。
それが、今の私たちが置かれている状況だ。
その認識が、まず、この国の為政者たちに「無い!」ということが一番の問題。
だから、この期に及んでも、「政権奪取」などという言葉が出る。
こんな片隅からだが、「国民は崖っぷちだ」と何度も、ここに書いたきた。
そして、もう、その崖から落ち始めている。
世界の勢力地図は塗りかえられ、「我が国こそ世界の正義」と掲げ続けてきたアメリカに、もうその勢威はなく、そこに追従している日本の未来も暗い。
どうして、日本の外交は「腰砕け」なんだろう。とても中国と対等に話ができる実力(ちから)はないなぁ(泣!)
それでも、この国が何とか、日々を過ごす事が出来ているのは(それも、このまま手をこまねいていては、もう、あと数年だろう)、大量に発行する国債のおかげ(?)だという。
ヨーロッパの国々のように日本が財政危機に陥らないのは、国債の95%が国内で消費されているから・・政府の資金調達を外国に頼らずに済んでいるから・・単にそれだけの理由だ。
けれど、今、ものすごい速さで高齢化が進んでいるこの国の個人貯蓄は早い時期に底をつく。
若い世代にその力は無い。その世代は自分たちが生活していくだけでせいいっぱいである。
雇用がないから、自らの生活そのものさえ危うい若者や中年齢層も多い。
国債によって財源を確保しているようなこれまでの方法はあと数年で破綻する。そうした時に、今度は、国債の消化を中国など外国資金に頼らざるを得なくなるだろう。「政治的リスク」を負いながら・・。
これはぞっとする。
外国に国債を買ってもらうのは利回りを引き上げなければならない。その支払いだけで、負担が増える、国家の財政は立ち行かなくなる、この国は破綻する。
「大和の国がなくなるのか」
“祖国消失”という寂寞を、この国の国民は味わったことがないから、危機感もないのだろうなぁ―と、ちょっと、ため息をついてしまった。

昨年の夏は灼熱地獄だった。だから、今度の冬は「寒いぞ!」と覚悟していたが、本当に、寒い寒い冬になった。
2週間ほど前の天気図だが、関東以外、皆、「雪だるま」マークとは!?
それでも、「寒さにやせ我慢して」梅は咲き始めた。
「春待ち」の時期になったのかな・・とちょっと、期待して・・。
でも、皆さま、
『寒中お見舞い申し上げます』

追記―新しくUPしました碧い馬同人会ホームページをよろしくおねがいいたします。
























                               

戻った!

2011-01-20 | その他
萩尾が昨年から、「消えたっ!!!!」と騒いでいた碧い馬同人会ウェブサイトですが、おかげさまで復活しました。いや…アドレスも違うし、元通りにはなってないから、正確にいえば「復活」ではなく、「リニューアル」とでもいいますか。

個性を前面に打ち出せるタイプのウェブサイトではないのですが、今までどおり、ごひいきにして頂ければ幸いです。なるべく、ひんぱんに情報UPできればよいのですが…(汗)


【碧い馬同人会&萩尾農公式ウェブサイト】
http://www3.ocn.ne.jp/~blueh76/494.html

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