アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

今頃、「はやぶさ」ですが・・・。           萩尾農

2013-01-07 | 映画・ドラマ
小型惑星探査機「はやぶさ」が奇跡の帰還を遂げて、日本国中、いや、世界中で「ワッ!」と喝采が上がった。
それから、日々は流れたけど、今になって、私は「はやぶさ」に再度、感動!
今頃になって、堤幸彦監督の「HAYABUSA」の映画を観た。
映画館ではなく、12月にWowowで放映し、録画しておいた。
12月はとにかく、大晦日まで多忙で、ようやく、見たのは本日。
当時も、「はやぶさ」が大気圏突入で燃え尽きていく写真に、胸が熱くなったものだったが、映像で、燃えていく様子を目の前に示されると、勿論、映画だから、CGなどで映像を創っているのは分かっているけど、
「こんな風に燃え尽きていったのだろうなぁ」
等々、想像ができて、やはり、胸があつくなってしまったのだった。
「はやぶさ」が、まるで、意思を持つもののような感覚―これは、当時、「はやぶさ」の帰還を応援し続けていた人々、子供たち、そして、多分、この計画にかかわった技術者たちも、そんな感覚を持っていただろうなぁ・・と、そんなことも想像できる。
「はやぶさ」は「はやぶさ君」と呼ばれていたし・・。
使命を終えて、自らは燃え尽きていきながらも、カプセルは地上に帰した。
その所業に、あの時、人々は拍手を惜しまなかったなぁ―と、あの当時を思い出した。

日本の技術力、万歳!」である。
日本はまだ、生きているよ。
これらの技術を大事にして、次は、エネルギー供給にも、日本国民の持てる技術力を生かさなくては・・。

突然、年賀状の話。
一昨年3月11日の大震災、続く、原発事故のあと、何年も頼りの途絶えていた友人知人にも、年賀状を出した。
一年に一度の便りが、「年齢とともに、互いの無事の確認の役割を果たす」といった事が、どこかに書かれていたが、年齢を経ていなくても、いつ、何が起こるか、予想のつかない時期に突入してしまった。
天変地異も起こりやすくなっている、そういう時に生き合わせてしまったようだから、これからは、一年に一度の便りでも、いや、できれば、寒中見舞い、暑中見舞い・・等々、「私はここに居るよ」と、便りができれば・・と、思う。
青森県十和田市の友人からの何年ぶりかの年賀状には、パソコンで読んでいる(つまり、このブログ)と書いてあり、
「そうか、読んでいてくれたか」
と、どこかでつながっているという思いを新たにして嬉しかった。
彼女は今は「ねこ三昧の日々」とか。それならば、私も同じ・・・と。
我が家も、あちこちで「ニャーニャー」。

七草かゆの本日、平和で安心な一年をことさら強く祈念して、食した。

碧い馬同人会のホームページ・・・なぜか、いきなり、アドレスの一部が知らせもなく変わり、どうしてなのか、不明のまま、ちょっと更新してあります。下記です。

碧い馬同人会




再び、大河ドラマ「平清盛」 萩尾 農

2013-01-04 | 映画・ドラマ
タイトルはともかくとして、まずは、

謹賀新年!本年もよろしくお願いいたします。

12月は多忙のままに終った。年明けも割に忙しく、何の予定もなかったのは、12月20日過ぎから今日までで、1月2日だけだったという日々。
疲れた。
疲れたけれど、「平清盛」は全て視た。
この前も、書いたけれど、惨々な言われようをしている2012年大河ドラマの清盛だったが、私は、全て、欠かさず視た今、「面白かった」と、言える。
画面が暗い…とか、わかりにくいとか、いろいろと、文句ばかりが多かったようだが、あの時代の実態は、本当はあのようなものであったと思う、朝廷内も女御たちも、きらびやかではなかった―と思うけれど、視聴者が求めていたのは、「ドラマ=夢」だったのかもしれない。だから、視聴率が悪かった。
史上最低を記録した…とか。その点は、前回も書いたけど、NHKなんだから、視聴率は気にしなくてよい―と、私はまた、言いたくなる。
番組などに関するコラム「平清盛は失敗だったのか」(東京新聞12月28日)を読み、頷ける部分が多かった。
次の通り。

『 NHK大河ドラマ「平清盛」が二十三日、史上最低視聴率の記録を残して終わった。視聴率イコール質ではないが、テレビ界随一の一等地に店を構えながら客が入らなかったのだから、「失敗」といわれても仕方ないだろう。
 とはいえ、新しい大河を作るという志と、逃げない姿勢は評価したい。
 連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のクランクアップの時、成功を収めた現場はこんなにも幸せな空気に包まれているのかと思った。では、「平清盛」は悲愴感が漂っていたかというと、そんなことはなく、主演の松山ケンイチは視聴率について聞かれても堂々と答えた。宣伝する時だけ熱心な制作者が少なくない中、プロデューサーは、風向きが悪い取材でも受け続けていた。
 視聴者の求めるものとは違ったが、暗黒舞踏ばりに不気味な崇徳院、夢に出てそうな真っ赤な禿(かむろ)たち、清盛の弟を押し倒す山本耕史の淫靡(いんび)さなど、強烈なシーンは数多く、十年、二十年後、映像表現に敏感な若者の間で、「昔、とんでもない大河があった」と伝説になりそうな気もするのだ。』

以上。
色の少なかったこのドラマの中で、目にあざやかな真っ赤な禿(かむろ)たちが、平家に敵対する者たち、平家の悪口をいった程度の人々をも、真っ赤な羽根で集団で刺し殺すところなどは、良い意味でNHKらしくなく、新しい切り口だったと評価できる。確かに、これは夢にも出てきそうな「赤」であった。
そう考えると、新しい試みが随所にちりばめられていたのかもしれない。
「宣伝する時だけ熱心な制作者が少なくない中、プロデューサーは、風向きが悪い取材でも受け続けていた。」―そう、制作の人々は、わかりにくいドラマのわからない個所をその時々で答えるという誠意ある新しい方法も実行していた。
コラムに書かれたように、何十年後かの若者たちの口に、本当に、「昔、とんでもない大河ドラマがあった」と、いわれるかもしれない―と、そんな確信が、私の胸底にちょっと宿った。
最終回の一つ前、後白河法皇と双六をする清盛のシーン。
この二人の戦いは若い日の双六に始まった。終わりも双六である。
双六―遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ―だろうか。双六は清盛が勝ち、これを最後の双六としたいと言い、世はすでに武士の世(武士が力を持つ世)となっていると法皇に告げる。この辺り、私は、殆ど、感無量、涙こらえきれずに視ていた。「さようか」と法皇、そこまで上ってきていたのかーと。
このシーンは、当分、忘れられないだろうなぁ。
松山ケンイチはうまい!と以前も書いたけど、放送前、後白河法皇に松田翔太との配役を見た時に「???」と思った私だけど、このシーンに対峙した時、「なるほど、法皇になった」と。
視聴率が悪い、わかりにくい―等々、何だか、悪評ばかりが目に付いた2012年大河ドラマだったが、そういう中で、演じている俳優と制作スタッフの真摯な姿は画面の上からでも、常に感じられた事は、一年間視てきた私に、「よかった、ずっと視てきて」という一言を吐かせ、満足感を齎してくれた。

さて、次は会津…だ。
「大河ドラマは人気を取り戻すか」
などと「怪しからん事」が書かれてもいたが、大河ドラマに関しては「人気」云々ではないーと、私は思っている。それを「平清盛」で確信した。後の時代に残るドラマを望む。
民放は人気がなければ、スポンサーがつかず、立ち行かないだろうけど、NHKは違うのだから、口うるさいスポンサーの意向は無いのだから、よいドラマを制作して行ってほしい―と上から目線だが、視聴料を払っているから(笑)、お客様目線でお願いしてしまおう。(笑)。