アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

再び、五月の風            萩尾農

2011-04-29 | その他
先日、五月の風が・・云々、書いた。
今日は本当に、「五月の風がかすかに吹き渡り・・」といった一日になりそうだ。
昨日は、五月の風も、四月の春うららかな・・も、そんな人間の勝手な表現や感覚は「知らぬ!」といったふうな、四月末にして、「暑い!暑い!」の一日だった。
五月前なのに、それほど暑くなり、このまま、気温が上昇していったら、真夏はどうなるか。
昨年の猛暑の夏が今年も?!
今年の夏は昨年ほどの暑さではない・・・とは聞くが、それでも、暑いだろう。
それで、今から、電力の不足が言われている。

ペルシャに
『閉められない扉は、開けてはいけない』
という諺があるという。
それが書かれたコラムに、世界の発電容量について、風力・太陽光・小規模水力などの再生可能エネルギーが昨年初めて、原発を上回った―との、米国のシンクタンクの発表が記されていた。
そこで、新しい物が好きな人類に一言。
「原発って、もう、時代遅れなんだってさ!」
と、言いたいな。
現況を鑑みて、それら、自然エネルギーと原発との差は、今後、ひらいていくと思いたい。
人類は傲慢だが、愚かではないーと信じたい。
反省することを知っていると、信じていたい。
そう願うそばから、中部電力は昨年11月から定期点検中の浜岡原発3号機の7月運転再開を目指すと発表した。
4・5号機は運転中。廃炉となる1・2号機は停止中だが、中には、まだ使用済み核燃料が保管されている状態。
9割に近い確率で30年以内の発生が予想される東海地震の震源域の真ん中にある浜岡原発である。
福岡原発事故を受けて緊急対策を進めてはいるが、想定を見直してはいない。
ちなみに、浜岡原発は「世界で最も危険な原発」と呼ばれているそうだ。
中電は
「現状でも安全は確保されている。緊急対策は安心のためだ」
と言うが、その安心が「万全」には遠いということを、全ての人々が、3月11日に学んだではないか。今も、国民の全てが、福島原発の状況から目を離せずにいるではないか。
そういう状況下での、再開発表は、何とも理解しがたい。
確かに、夏の電力不足は免れない。
けれど、
「福島原発では大変なことになったが、うちは、大丈夫だろう」
という楽観視。いや、人は誰でも、「まさか、私には・・」という思いは誰でも持っているが、これは個人の問題ではないのだから、現段階の再開発表は早過ぎる。
今、国際社会では、日本が福島第一原発の事故をどのように収束できるか、凝視している。
そして、その国際社会は、この事故について「人災である」というのが、主だった意見である。
政官業そして、原発推進派の学者のもたれ合い―「日本独自の核トラブルもたれ合いの文化」と、大変、ありがたくない表現で表されているらしい。
が、本当のことだから、仕方ない。
原発の危険性を訴えた学者には研究費も出ないし、生涯、助教授のまま・・という現実も、この数カ月で露呈された。
世界の原発立国は「原発は安全」と喧伝し、「安全だが、日本人の能力が基準に達していない」等々もささやかれる始末である。

だから、そんな原発はもう捨ててしまって(といっても、「捨てる」にしても、何十年という歳月がかかる。人間の手で制御できない魔物なのだ)、新しいエネルギーを全国民で思考するのには「良い機会だ」というくらいの前向きな気持ちで現状と向かい合う方がずっと良い―と、私などは思うのだけど・・。

さて、五月の風の中を、自転車で疾走してくるか。
昨年は、桜の花吹雪の下を「自転車疾走」し、多分、このブログにも書いた気がする。そして、今年も、それはやったのだけど(笑)、もう若葉の季節だから、五月の風の中・・だ。


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碧い馬同人会

『生命の王様』はやはり、植物だった          萩尾農

2011-04-26 | その他
地球上には人類も含めた動物と植物(菌類もいるけど)という生命体が存在している。
・・で、それらの生命体の中で一番威張っているくせに、この星のためには、大して役に立たない・・どころか、地球に迷惑ばかりかけているのが「人類」だ。
本当に偉いのは、植物。
彼らは何も言わない、寡黙な生命体だけれど、それは、人類が傲慢になりすぎたから、植物の言葉を聞くことができなくなっただけで、実は、植物たちは、もう随分前から警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
植物の歴史は人類のそれなど及びもつかないくらい長く、人類の「生命の先輩」だから、人類よりも、いろんな事を知っているに違いない。
利便性ばかりを追求してきた人類の行きつく先を、多くの仲間の樹木を開発の名の元に切り倒された植物たちは、きっと、知っていた。
光合成によって、地球上の動物に生命を与えている植物は、本当に、きっと、いろんな事を知っているに違いない。
この星で、実は一番偉いのは、植物たちなのだから・・。
だから、一番、威張ってよいのに、何も、言わずに、そこに居るだけだ。
けれど、そこに居るだけで、私たちを清浄な大気で包んでくれる。
これは、森に行けばわかる。樹木の「群れ」の中に身をおいてみるとよい。
体の奥深くから、清々しくなっていくのがわかる。
森の中で木々の枝に張ったハンモックで昼寝をするーこれは、気持ちいいだろうなぁ!!

今、この大和の国は「国難」に瀕しているけれど、この状況を変えるには、やはり、植物の力を借りるのがよいかもしれない。
旧ソビエトのチェルノブイリ原発事故の被曝地帯に、今、菜種(菜の花)が植えられているそうだ。
菜の花とヒマワリ・・・これが、土壌汚染した地域を助ける。
彼らには放射性物質を吸収する除染能力があるという。
だから、米国のスリーマイル島原発事故後、汚染された土地にはヒマワリ、チェルノブイリは菜種が植えられた。
チェルノブイリから本日で25年、そこに植えた菜種の事をTVニュースで放送していた。
25年経った今でも、根と茎から放射性物質が検出されるが、菜種から抽出した菜種油のそれは基準値以下であったという。
植物は凄い!
菜種とヒマワリを福島に植えるのがよいーと、本日の新聞記事(福島県在住の作家・僧侶の玄侑宗久さんの話)にも書いてあった。
農家の檀家の人が農地にヒマワリと菜種を植えると言ってきたそうだ。
『植えて育てて収穫する作業に被災者も募り、国が報酬を払う。そんなシステムにしたい』―等々。
『春は桜と菜の花、夏はヒマワリを見に福島に行くというようになれば・・』
という。
それは、本当に良い提案だ。
『この期に及んで、まだ、自然を人間が操れると思っているとしたら大馬鹿です』―その通りだ。
『あの日を境に、私たちの原発に対する意識は変わった。その変化は今後いろいろなものを生みだすように思う』―本当に、そうあってほしい。

まずは、ヒマワリと菜の花を植えよう。
そう、やはり、「生命の王様」は植物だった。

(追記)こう書いているうちに、今、関東地方で、また地震。揺れている!茨城で震度4。




五月の風と・・新しいエネルギーのある場所     萩尾農

2011-04-24 | その他
時間はその中身が重かろうと軽かろうと、実は、矢のように過ぎる。
気がつけば、もう五月が顔を見せ始めている。
昨夜はものすごい風と雨だった。
東北大震災からもう一カ月以上が過ぎたが、東北関東には余震はまだ続き、震災の前までは結構揺れても
「揺れが大きいなぁ」
と、あまり動揺しないで居る事が出来たが、3月11日以降は、脳裏にあの震災が刻みつけられて消える事がなく、グラッときただけで、胸がドキリとする。
それでも、昨夜の暴風雨は嘘のように真っ青に晴れた今朝、渡りくる風は、もう五月の風だった。
つい先日まで桜が満開で、その割に気温が低かったから、花は随分と長持ちしていた。
けれど、その桜の木々には、もう緑の若葉が・・。
本日、統一地方選。
早いうちに近くの保育園まで投票に行ってきた。
国政も大事だが、地方自治はより自分たちの生活や生命に関わってくることを、この大震災で目の当たりにした。
自治体の力を見た。
結局、大事の際に頼りになるのは国よりも自ら住まいしている所の自治体だと言う事を知った。
だから、本日は大事な選挙だ。
投票所の保育園の八重桜が満開だった。(画像参照)
この八重桜、変わった種らしく、いくつもの花が丸く固まって咲いている。
「八重は葉も一緒に出てくるのだが」
と、この見事なまんまるな桜を見上げていたおじいさんが呟いていた。
蕾が沢山付いていたから、まだ、花を楽しめそうだ。

そうやって、季節は次々と巡り、初夏から夏、そして秋へと・・。
この国は四季があるおかげで、いろんなものが生まれてきた。
けれど、巡る季節も今年は同じように過ごすことはできないかもしれない。
何度も言葉に上ったが未曾有の自然災害が起こり、続いて原発の事故までが起こった。
その収束は東電が工程表を示しはしても、ここまでの1か月半を振り返れば、計画の通りに行くのかどうかは全く不透明だ。
原発事故さえなければ、今頃は、迷うことなく、復興に向けて邁進しているはずである。
避難所の人々も全員、仮設住宅に移っている頃かもしれない。
でも、今、どう言おうと、原発事故は起こり、その収束にはまだ何カ月もかかる事は避けようのない事実だ。
それならば、どうしたらよいか。
節電・・等々は当たり前。
当初、計画停電があった(これは、かなり、モタついて、無計画停電と言われたっけ)。
電車の本数も減った。スーパーの照明は暗くなった。街のネオンも然り・・・等々。
けれど、それに「慣れた」のではなく、それでも「不便ではない」という事を私たちは学んだ。
今、日本の原発の半数が定期点検なども含めて停止しているそうだ。
それでも、停電は無い。各工場の生産高が停電などの影響もあり、落ちてはいるが、日本中の原発を動かす必要はない
55個もの原子炉がこの国には必要ないということだ。
あと14個作るはずだった原発についても、首相が見直しはやむをえない旨の答弁をしていた。遅すぎる感は否めないにしても、当然の事をようやく言葉にした事は評価。
それで、今後のエネルギーはどうするのか・・、どこにあるのか。
復興と同時に、思考していかなければならない。
環境省が「発電可能電力量調査」なるものを行った。
『東北で強い再生エネルギー』という記事で掲載されていた。
記事に寄ると、何と、東北地方では、風力や地熱、水力発電といった再生可能エネルギーの利用の可能性が、現在の原子力や火力の発電量を上回る潜在力があるーという結果が出た!
環境省は、立地困難な場合を除いた地域での風速や河川流量などの一定条件を満たす場所の全てで設置を進めると仮定しての発電可能な電力量を測った。
結果、まず風力発電。
陸上設置と洋上設置で全国で19億キロワットの発電可能。東北地方は3億キロワット(2009年度の東北地方供給力は1650万キロワットだったとの事で、それを大きく超えている)
地熱発電(温泉発電を含む)は全国で1400万キロワット、東北は350万キロワット。
河川や農業用水利用の中小水力発電は全国で1400万キロワットの発電が可能。そのうち東北地方は430万キロワット。
太陽光は地域によって差は出ないが、
『風力や地熱は地形など自然条件から東北に大きな可能性がある』
と言っている。
同時に、『再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度を導入した場合、事業として採算が取れる発電量も試算』 として、風力発電は全国で2400万~1億4千万キロワット、地熱発電は110万~480万キロワットとのこと。
その記事を読んで、日本のエネルギー供給の方法は変えていくことができるのではないかーと、望みを持った。
自然や災害は科学や技術でねじふせる事が出来るー明治維新後、西洋から入ってきた思想はそう教えていた。
明治維新を経て、この国は先進国に負けるな、追い越せ・・等々、努力をしてきた。
第二次世界大戦の敗戦後も同様だ。
けれど、この国には古来から、万物には神が宿り、人は日々、神に守られ暮らしているが、神は時に「荒ぶる神」となるから、自然を恐れるという思想があった。
だから、自然の猛威を力でねじ伏せるより、受け入れる考えと知恵を持っていた。人間が世界の中心という考え方はしなかった。
明治維新前に戻れとはいわない、不可能でもある。
けれど、その心に寄り添う事は出来る。
私は、神は「自然に座す」と思っているから、余計に、
「新しいエネルギーは、自然から頂くことにしよう、そのように神様にお願いしよう」
等々、思う。
それで、前述の環境省の「再生可能エネルギー」の記事に、
「そうしよう、そうしよう!」
と、拍手したのだが、記事の最後に愕然。
『今国会に提出済みの同制度を盛り込んだ関連法案は、成立の見通しが立っていない』
え~!!ちょっとォ~、何だよ~!
「今国会」がだめというのなら、復興会議で決定してよ!・・・と、叫びたくなった。

復興には、とにかく、莫大な費用がかかる。義援金も沢山寄せられた。
まだまだ、長い支援が必要だ。
義援金は当初は沢山寄せられる。が、長い時間の中で、次第に先細りになっていくことが多い。現状況に慣れてしまわずに、今後も民間の支援は必要だ。
東京電力は、補償には国の支援も仰ぐような事を言っている。
国の支援・・とは、税金を使うことだ。
政府は「復興国債」の発行や復興税・・等々、口にし始めている。
勿論、私たちも、復興のために増税が必要となるなら、受けようと思う。
けれど、復興に名を借りた増税であってはならない。
まず、無駄を省く。これは、いつも言われていることだ。
東電も持っている財を全て出した上で、「国の支援」、そして、「電気料金の値上げ」などは口にしてほしいものだ。
1976年に設立された、放射性廃棄物の処理や処分に関する研究をする公益財団法人「原子力環境整備促進・資金管理センター」がある。
ここには電力会社から集めた最終処分積立金やら再処理の積立金やらが3兆円あるという。
まず、これを払い出すべきではないだろうか。
「法律で使途が決まっているので目的以外の使用はできない」
との事らしいが、そんな事は法律を変えれば済むことだ。
政治家は自分たちに都合のよい法律を作成、変更してきている(と、我ら庶民には見える)が、こういう時こそ、政治の本当の力を発揮すべきだけど・・・ね!
財源は他にもある。
昨年十二月、財務省は公務員宿舎建設事業の3事業案のうち1件は建設中止としたが、地元民が反対しているにも関わらず、朝霞など2事業の建設再開を決定した。これは政府の事業仕分けの中で廃止や見直しとされたにも関わらず、復活した事業だ。この費用が135億円。この135億円は公務員宿舎ではなく、被災地の住宅建設にあてるべきだと、私などは、思うのだけど・・・。
ここに上げた2つの案件以外にも、無駄はまだ、沢山ある。
それらを出し切ったあとでの「増税」であるべきだ。

この数カ月で、本当に、さまざまな事が明らかになって、その多くが呆れる事ばかり。
こんな状態なのだから、今は、権力闘争をしていないで、足の引っ張り合いをしていないで、政界の人々、わが身を捨てて、それこそ、我欲を捨てて、一致協力して国難に立ち向かってほしい!そうしないと、本当に、国民は心底から政治に失望し、革命が起こるぞ!!
今度、議員に会ったら、与党野党構わずに、そういってやろうかなぁ。
「革命が起こるぞ!」
って。
でも、今、国民に、革命を起こすエネルギーも情熱も、ないだろうけど・・ねぇ。

せっかくの五月の爽やかな風の中なのに、心配事が無くならない限り、この風を例年の通りに楽しめない(泣!)


TPOということ             萩尾農

2011-04-16 | その他
この所の国政・・といっていいのか、「国政」といえるようなレベルではない政界の状況だが、その現況の「TPO」について、本日、東京新聞のコラムに書いてあったことは、「その通り!」と思わず頷いてしまった。
前から、「国民の生活は崖っぷち」と言ってきたし、このブログにも度々書いてきた。
与野党一致協力しないと、大和の国は無くなってしまうーと。
そして、東北関東大震災、つづく、原発事故―もう「崖っぷち」の段階ではなくなった。
勿論、それは、為政者たちが齎したものではなく、自然災害だ。(原発は、多くが明らかになるにつれ、「人災だ」と私は確信しているけど)
未曾有の・・1000年に一度の・・・と、どのような表現を用いても、足りないくらいの「国難」となった。
それなのに、この国の政治を行う者たち(「政治家」という言葉が当てはまる人がいない)は、どこを見ているのだろうか。
先日のブログにも書いたが、政府内から首相への批判や退陣論・・云々。野党は協力拒否・・・等々。

『TPOをわきまえる』―コラムの一部には次のように書かれている。
「時―未曾有の大災害から一カ月余だが、なお不明者一万人余、避難者は十数万人。場合―被災地救援も福島原発危機への対応も復興計画作りも、すべてがまさに進行中。場所―その中心たる中央政界。」
こういう時に「首相交代論はTPOをわきまえているか」と、コラムは問う。

この国は、今、まさに「国難」に直面している。
そういう時に、首相に退陣を迫る声が野党ばかりか、与党内からも上がり、小沢元民主党代表までも、内閣打倒へ動き出したと伝わる。
震災対応への不満があるというが、それでは、
「誰だったら、誰の不満もない対応ができると言うのか、名をあげてくれ」
と言いたい。
それが、小沢さんならできるのか、それとも鳩山さん、いや、それより、前政権の麻生さんや谷垣さん・・できるのか?
確かに、非常時に国を引っ張っていくだけの迫力やリーダーシップについて、菅首相に高得点はつけられない。
でも、この時期に満点を取れる者がいるだろうか。
「未曾有の・・」―というのは、今までに一度もなかった・・ということだ。この未経験の大災害に対して、全ての人々・国民が満足のいく対応をできる人はいない。
そして、「いない」のだから、現時点は、与野党の垣根を越えて、政策の違いも横に置いておき、何を最優先にするべきか、言うまでもない。
現状況下のこの国を、真に引っ張っていける者はいないのだから、
『首相が頼りないのだから知恵も力も貸して、当面は総力戦で国難に立ち向かう。それが、TPOをわきまえた政治の在り方だろう。いがみ合いは震災対応に区切りがついた後に、好きなだけどうぞ。今は、政治の混乱で国民や国際社会を一層不安にさせる愚は勘弁願う』
と、コラムに書かれてある通りを望む。
『リンカーンがある演説の中で言った言葉がある「川を渡っている途中で馬を乗り換えるのは上策ではない」。何とか、激流を渡り切ろうと奮闘中の日本だ。』
このリンカーンの言葉が当てはまらないはずはない―と、コラムは結んでいる。

確かにその通りで、この首相の時に、こういう大災害が起こったのだから、その中で日本中が立ちあがろうとしている時に、そのリーダーが頼りないからといって、顔のすげ替えをするのは良い策ではない。
本当に区切りの付いたときに、新たなリーダーを選べばいいだろう。
被災した人々も、被災をしなかった人々も、国民が皆で助け合おう、協力しよう、できる事をしようと団結している時に、その国民の指針でなければならない政界の人々が、なぜ、団結できないか!?
同じ党内でさえも団結できない。
五十年以上も続いた前政権は、そういう造反者はでなかった。何人か出ても揺らぐことは無かった。それは、閣僚の中や党の実力者から出なかったから・・。つまり、党の執行部は団結していたわけだ。
なんで、民主党は執行部がバラバラなんだ!?
・・というより、まだ「子供」なのか、この国を担っている与党は・・。
「未熟な党」ではあるが、「子供の党」であってはならないだろう。

福島の友人と震災以来、やっと連絡が取れた。
午前11時過ぎに、関東地方で結構強い地震があり、我が家もかなり揺れた。
福島の人々から「大丈夫でしたか」と心配されて、一瞬、答に詰まる。
・・というより、胸が熱くなった。
かの地の人々はそういう善良な人々だ。心の温かい人々だ。
人を欺くことなどしない。ただ、黙々と仕事に従事し、東京に物をもたらし、電気を送った。
そういう人々が多く住む、東北の地を襲ったこの災害に対して、中央政界がこんな状態では、逝った人々の無念は昇華することができないではないか。


いつの間にか「東京電力」の株主?     萩尾農

2011-04-14 | その他
なりたくもない殿さま企業の株主に、いつの間にか、なっていた・・・ショック!
私ばかりではない、東京都に住民登録をしている人々は全て、あの東京電力の株主ということになる―
「え~!私はあんな会社の株など絶対に買わないよ!」
・・と言いたいが、ホント、いつの間にか、「株主」と同じことだった。
あまり知られていないらしいが、東京都は東京電力の大株主。
4267万株を所有して、第5位。第6位三井住友銀、7位みずほ銀・・・と大銀行を抜いての堂々、大株主だ。
その株の購入資金は当然、都民の税金だ。だから、購入した覚えは無くても、都民は、知らない間に「株主」ということになってしまった。
けれど、個々の株主は配当がいくらあったのか、また、この度の原発事故で急落した株価によって、どのくらいの損失を被ったのか、何も知らされていない。
2~3日前の時点で、損失は726億円だそうだ。都民の財産は大幅に失われたことになる。
ちなみに、一昨年の配当は年間25億円ほどとの事だが、報告は都民には一切無い。配当金の使途についても当然、知らされない。
電力会社の株式を保有する自治体は他の府県もあり、それぞれ筆頭株主のようだ。
それらが明らかになってくると、何だか、電力会社と行政機関との密かなつながりが・・・と思考の中で、疑惑がものすごく大きく膨らんだ。
いずれにしても、都民は東京電力の株主、大阪市民は関西電力のトップ株主、富山県民は北陸電力のやはり、筆頭株主・・・・・。
勿論、事故もなく、本当に、嘘偽りなく、原発が「安全な供給源」ならば、電気を使っている身としては、その会社の株を購入して支援するのは当然なんだけれど・・・。
新聞に書いてあった東京都の場合は、株主総会で会社提案の議案に反対したケースは過去には無く、総会への出席も「都合のつく職員」が出席していたらしい。そこでの対応も議会への報告義務は無い、だから、議会でも東電の株については議論されたこともないそうだ。
「私は今でも原発推進派です。」
と3月も終わりの頃、福島県知事と会見した石原都知事はそのように言い、記者会見でも、また、週刊誌でも、こういう事態の中で、
「日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかない」
と公言している。
私個人の思いを述べると
「原発がああいう状態になっている時に、なぜ、原発推進派の人間が当選したのか~!」ーと、なる。
都知事は、当選後、政策について聞かれた際、
「今までどおりだよ」
と答えた(怒!)
立候補の際も政策も今後のビジョンも提示しなかった。それでも、当選してしまう「不思議な選挙」だった。こういう時期に選挙などやるべきでなかった。都民にとって大事な、「命綱」ともいうべき、自治体の首長を、我々はその政策もわからないままに選ばなければならなかったのだから・・。
話がそれたが、都は前述の東電株の下落による都民の資産を減らしてしまったことについても説明責任があるはずだが、説明は・・しないだろうなぁ。第一、都民そのものが、自分がいつの間にか「東電の株主」だったことを知らないし・・。

東北大震災、それに続く原発事故で、今まで見えなかった事が明らかにされ、気がつかなかった事に気づかされた。
東京は消費するだけの地域で、地方がなければ、生きていくこともできないのだ―と、気付いた人も多かったはずだ。
多かったと信じたい。
まさか、気がつかないで、のうのうと買い占めして、電気も使い放題・・という都民はいない―と、堂々と言えない事が、なさけない。

今後はどうすればよいか。
原発に関して、本日、作家の高村薫氏が新聞の社会時評に書いていた。
本当にその通りだと思ったので、転写させていただいた。

『世界有数の地震国でチェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発はもはや、どんな理由をつけても存続させるのは無理だろう。今回、私たちは原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は安全か安全でないかではない・・要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。このまま漫然としていては、中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけである。決断の一つや二つしないでどうするか。
私たちはいま、十六年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安がひとつ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動き出す。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう』

以上、全体文の一部である。
3月10日まであった、物があふれ、必要以上の電力を消費し、オール電化などと踊らされ、便利に慣らされたこの国の国民の生活は、もう戻らないのだと一人一人が自覚をしなければならない。
スーパーもデパートも空港ロビーも駅も電車内も薄暗くなった。
しかし、それで、不便を感じるか、それで、買い物ができないと思うか。確かに外が明るい陽光のさす日は店内に入った途端、ひどく暗く感じるが、目が慣れれば、何の不自由もない。
明るすぎた都会の夜も、ネオンが消えた。しかし、夜は本来は暗いものだ。人々は明日のための眠りにつくものであったはずだ。
今、根底から、考え直す時だ。
高村氏の言うように、中途半端な復興ではだめだろう。
さまざまな価値もきっと変わる。
いろいろな面で、私たちは「決断の一つや二つ」・・・そう、決断の一つや二つを「しないでどうする」―という時なのだ。

今回、政府や国政に携わる者たちよりも、各自治体の必死な活動が胸を打つ。
自らも被災者でありながら、各市町村の首長や職員の人々は寝食を削り、町民市民県民のために動いている。
私は、災害時の自治体の力と言うものを初めて知った。自治体がいかに頼りになるか、目の当たりにした。
それなのに、政府内では重鎮であった者が首相非難を公然と言い放ち、野党は協力拒否をし・・等々・・・「何をやっているのか!」という状態だ。
政府の責任、前政権の責任(これはある!原発を推進してきた事も、年金問題も、解雇、非正規雇用、市場原理主義等々、現政権になってから起こったことではない)それらの責任問題をどうするか・・・等々は、今、この未曾有の災害が起こり、原発の収束もつかない人災までも起こっている、まさに「国難」の時期に、どうこう言いたてている場合か。
そんな些細な事(そう、この被災状況をみれば、些細なことだ)に時間を潰している時か。そんな簡単な事もわからないのだろうか、この国の政治を行う者たちは・・。
アア、そうか、もしかしたら、「国難」だという事がわかっていないのかもしれないーと、思って、本当に、顔面蒼白、ぞっとした。

また、長くなってしまった。
連日、いろいろなことが明らかになり、もう、目をそむけていることはできないから、また、書くことにする。本日はこの辺りで・・。
そうそう、桜は満開になり、そろそろっ散り始めているが、先日、掲載した我が家の雪柳もあのあと、「これでもか!」というほどに咲き誇った(笑)ので、ちょっと、画像を載せてみた。

《追記》
4月26日、午後6:30=9:00『原発事故報道を検証するシンポジウム』が東京都新宿区西早稲田2-3-1 早稲田奉仕園キリスト教会館6階会議室で開かれる。申し込み&問合せは
NPO研修・情報センター内「共働e-news創設準備会」FAX042(208)3320Eメールticn@mui.biglobe.ne.jp


春はやっぱり到着していた。          萩尾農

2011-04-10 | その他
前回のタイトルの続きのように、「春の到着」。
桜というのは、前日までは蕾もそんなに目立たなく、「開花はまだだなぁ」と、人々に思わせておいて、翌日、
「今日は昨日より少し暖かいかな」
と、ふいと思ったりした時、
「!!咲いているじゃないか!」
という風に、開花するような気がする。
今年がそんなだった。
開花の発見(?)をして、改めて見てみれば、我が家の雪柳もこれでもか!-というほどに満開。
本当に、季節は違うことなく・・である。
私は桜よりも梅の方が好きだが、梅が咲く頃はまだ、春と冬との間。
むしろ、冬に近いくらいの寒さの中で、梅は咲く。
冬の寒さに凍える人々に自分も寒いくせにやせ我慢して花を咲かせ、ほの甘い香りを届ける。
それが、梅の花だ。
新選組副長土方歳三さん、彼は、この花を俳句に詠む事が多かった。
梅が好きだったに違いない。
それは、梅がそういう花だから・・と、歳さんを愛してやまない私は勝手に解釈し、著作や歴史読み物にも、そういう視点で書いている次第(笑)
その「新選組」という名前を、東北大震災の記事の中に見つけた。
4/8の「自治体の絆 支援の力に」という新聞記事の中にあった(画像参照)。
新選組のふるさとともいわれる東京都日野市は会津若松市と2008年に「災害時相互応援協定」を結んでいる。
会津藩とともに幕末の京を守り、共に戊辰戦争を戦った新選組隊士の出身地という縁が結ぶ絆だ。
他に「目黒のサンマ」が結ぶ目黒区と気仙沼市の協定もあり、荒川区は第二次大戦中、区の学童の集団疎開を受け入れしてもらった福島市を支援した。
第二次大戦の頃の恩返し・・ということだが、もう60年以上も前の事である。
当時の児童はもう高齢者だ。
けれど、人と人の絆や心は、どんなに時間が経っていても、切れてしまうものではないーと実感した。
原発がああいうことになり、先日(4/8)の深夜の大きな余震で、復興に着手し、電気も灯っていた東北地方は再び停電となり、瓦解した家もあった。
青森県の原発も女川原発も、地震で原発は自動停止、そのあとは原子炉を冷やさなければ、福島原発と同じことになる。
が、その冷却装置を動かすための外部電源がダウンした。
一つだけ無事(!)だった電源により、冷却装置を動かすことができたが、止めたら電気が足りなくなる・・ということは重々承知しながら「この余震が続く時期に、なぜ、原発を止めておかないか」と、思わず、憤慨してしまった。
ひと月くらい経つ今が一番余震に注意しなければならない時期だというのに・・と。
原発事故の際は「止める」「冷やす」「閉じ込める」が基本だという。
その基本の二つ目までも、事故からそろそろ一か月になるというのに、完了していない。
その作業に命がけで携わっている人々にはどんなに感謝しても足りない。
でも、本当に、この重大事故を教訓にして、原発については、国民も政府も、いや、世界中で考えないといけない時がきたのだと思う。
火力発電は二酸化炭素が出るから地球の温暖化が・・云々という。
それなら、世界中に木を植えたら良い・・と考えた。
植物は二酸化炭素を取り込み酸素を私たちに供給してくれる。
世界中に森が増えたら、二酸化炭素で汚れた大気が綺麗になっていくのではないか・・と、単純な事を思いつき、でも、地球上に緑がいっぱいになったら、素晴らしいことだと、きっと誰もが思う。

・・と、また、話が膨らみそうだけれど、これから外出。
出かけたら、都知事選の投票時間に間に合うように帰宅できるかどうかわからないので、早々に、投票は済ませてきた。
もちろん、この震災が起こった後も、「自分は今でも原発推進派です」などと会見する人物に大事な1票を入れるはずがなかったが・・。
この災害で、自治体は、そこに住む住民にとって、時に国より以上に頼りになるのものだ、大切なものだーとよく、わかった。
皆も、棄権しないで、我々の生活と生命を守ってくれる首長を自らの判断で選ぼうよ、ね!

それでは、でかけます。

春がきたようです。          萩尾農

2011-04-05 | その他
・・というタイトルを付けはしたものの・・例年の春より気温が低い。
この数年、開花後の気温が低くなり、花が長持ちする―という状態が続いていた。
そうすると、各学校の入学式が桜花満開の時に重なって、他人事ではあっても、何だか嬉しくなる。
けれど、今年の春ばかりは、東北関東大震災があったので、首都圏の桜で有名な大きな公園で花見自粛の規制(?)が出ている。
夜間、ライトアップして行うそれは、節電の折、自粛はあっても良いと思うが、日中の花見を規制するのはいかがなものかと思う。
あまりに自粛、自粛・・では、「国民みんなで頑張ろう!」という思いが、逆に委縮してしまわないだろうか。
そこで、思った。
花見の公園などは勿論、入場料などは取っていない所が多いが、この際、一人100円をもらったらどうだろう。
その入場料は義援金、支援金として被災地に送るとなれば、誰も文句は言わない。
そうしたら、私はあちこちの桜の公園を時間が許す限り回って、入場料を支払って、花を思う限り楽しむ!

そんな風な花見を首都圏の公園・・いや、被災しなかったその他の地域の公園でも、考えてくれないかなぁ。

画像は先日のブログに書いた我が家の雪柳。
満開。
雪柳の下のレンギョウも黄色の花を咲かせ、つつじの葉先にはやがて蕾になり花を咲かす花芽が・・。
つる薔薇の葉先にも花芽が・・。
春が「おい、ようやく、辿り着いたぞ」と言っているようで、心がホワリ・・と。

それから、次はお礼です。
碧い馬同人会のHPで東北関東大震災チャリティページを立ち上げた事はお知らせしましたが、これまでに寄せられた募金(合計15000円)は、若者や少年少女があきらめずに将来の夢や希望へ歩んでいかれるように、少しでもその手伝いができれば・・と『あしなが東北地震・津波遺児基金』(郵便振替 00130-7-776732)へ、送金させていただきました。
ありがとうございました。
引き続き、よろしくおねがいいたします。

チャリティページでは新選組グッズセット購入によるご協力をお願いしていますが、「セットでは多すぎて」・・という方は、希望のグッズのみでのご協力も可能なようにいたします。(その旨はホームページに後ほど掲載いたします)
NHK-BSプレミアム(旧NHK-BS2)でも、4/3からNHK連続時代劇(全12回)『新選組血風録』も始まった事ですし、新選組や幕末に思いを馳せて・・よろしくお願いします(凄い、こじ付け~と思わないでくださいね(笑)
ホームページは下記です。

碧い馬同人会ホームぺージ

季節は違うことなく            萩尾農

2011-04-03 | その他
4月になった。
例年ならば、東京の場合は「春たけなわ」という時期。
先日、ブログに「今年は春が遠い」云々と書いた。
「春たけなわ」ではないが、やはり、季節は違わずやってきたようだ。
人類や生きとし生けるものがどんな状況に置かれていても、季節は巡る。
春間近のはずの3月は、今年は時に凍るような寒さを齎した。
そして、未曾有の災害も・・。
自然の齎す事象に人類は何を用いても、勝利者にはなれない。
大震災があり、それが因で想像を絶する津波が何回も押し寄せ、生きるものの命を奪った、たくさんの、たくさんの生命が波間に呑まれた。
地震、津波、そして、原発―この三重苦が東北の人々からあらゆるものを奪った。
腹立たしいのは、三番目の災害は「人災」といってよい災害だから・・。
そして、その「人災」に命懸けで携わっているのが、この「原発」を推進してきた、また、それによって、おそらくはかなりの報酬を得ている人々ではない事が、腹立たしい。
「東電の幹部たち、裸で原子炉に入れ」
などという書き込みや呟きがあちこちでなされたことにも、大きく頷ける。
それでも、たくさんの国民が支援に立ち上がり、義援金も莫大な金額が集まったと報道されている。著名人や芸能人も支援の輪を広げている。
不思議なことに、支援の姿勢が見えないのが、国会議員だったりする。
勿論、現地に入って活動している議員もいる。
けれど、議員の数はもっと多くなかったっけ?多すぎるほど、居たはずだ。500人を越していなかったっけ?・・と不思議だ。それだけの数の人々が、しかも、国民がお金(税金)を払って雇用(?)している議員たちなのに、国民が危機に瀕している時に、どこへいってしまった???
そういう腹立たしい不思議は数多あり。
統一地方選の時期が来ているけれど、こういう状況下では、被災地だけでなく、他の地域も、自分たちの生命や生活を任せる人々を冷静に、かつ、熟慮して選べる状況だろうかーと疑問だ。今後、この国がどうなっていくのか、ものすごく大事な時期に来ている、その時に思考する時間も無く、選挙が実施され、選出が行われる。
やはり、選挙どころではない!―というのが本当のところではないのかなぁ。
首相が野党第一党の党首にこの非常時の協力を呼びかけたのは、震災から8日目。呼びかけられた野党自民党の谷垣氏はこれを拒否。入閣は大連立に繋がる、政策も違うのに、連立はできないーというのが理由らしいが、最近では「連立するなら、谷垣首相」と言うのが望み・・という記事も有り。誰が、首相になるか、政策がどうとか・・そんなもの(!)は、原発を完全に封じ込めてから、被害を止めてから、被災者が救われてから・・とにかく、被災した人々に日常が戻ってから・・それからでよいだろう。
今、何をすることが一番必要か・・という簡単な問題の答も分からないほど、権力を握っている者たちの頭脳はマヒ状態なのだろうか。
聞けば、この「災害に対する」政策も違うから、入閣はできないとも言う。
呆れる果てに、悲しくもなった。私たちはこの程度のレベルの人間たちに、私たちの生命と生活を守る事を託しているのかーと。(やはり、自分の身は自分で守らなければならないか~。それなら、税金を支払う必要もないかも・・?)
国民はこの度の与党の対応も野党のそれも、よく見ていることを忘れないでほしい。いや、そもそも、国民を忘れているか(怒)。

76歳の男性の投稿
『災害発生以来、政府の対応の遅れが指摘されている。』―これは否定できない。
『入閣を要請したのは震災から8日目、これを大連立へのつながりを恐れ拒否した谷垣氏の狭量、自民党の非協力姿勢が問われよう。復興支援は国家を挙げた総力が必要だ。与党野党党首による党派を超えた結束で、災害対策体制を強化する時に何たる醜態かと思う』―国民は皆、そう思っている。
私は別に民主党の味方というわけではないが、この未熟な党が政権を担っている時に、大災害が起こったから、対応が遅れているとは思わない。それなら、前政権の時だったら、的確迅速に対応できたか・・と問えば、「否」と思う。
前政権の時にも痛ましい阪神淡路大震災が起こった。
今回の震災はその時を上回る被災となった。
まず、地域が広過ぎる、当初、被災した人々の避難場所は二千か所に及んでいた。その他、被災家屋に残っている人々もいた。
さらに、原発事故。こんな災害には、どんな政権をもってしても非なく対応できるはずがない。
だから、与党野党を越えて、阪神淡路大震災の時以上の結束が必要なのだ。
議員全員が結束することが「義務」と言っても良い。

東京新聞の“時代を読む”というコラムに内山節(哲学者)氏の『システム依存からの脱却』という一文が載っていた。もっともな内容だった。
「現在の私たちはさまざまなシステムに依存して暮らしている。電気をはじめとするエネルギー供給システム、携帯電話やインターネットなどの情報システムにも依存している。医療システム、年金・社会保障システム。人々は企業システムの中で働き、企業は市場システムに依存。子供たちは教育システムの中で暮らしている。が、そのシステムは想定の範囲内で維持可能なように設計されている。ある程度の経済成長が続くという想定の上に市場や年金・社会保障システムが設計され、エネルギー・通信回路が維持されるという想定に基づいて、今日の社会システムが設計されている」
確かに現代社会は・・というより、戦後の日本社会は、そのような想定の元に構築されてきた。たとえば、人口もピラミッド型に増えると想定したから、国民皆保険という国民健康保険や年金のシステムが盤石と考えられた。現代のような人口減少社会が到来する事は「想定外」だった。
「原子力発電もそのひとつで、これ以上の地震は発生しないという想定の元にシステムは設計されていた。が、この数年世界で起こっていることは、システムの前提になっている想定が人間の思い込みに過ぎなかったという事実の暴露であった。想定と現実が合わなくなった時、市場システムも年金・社会保障システムも混乱を見せ始めた」
前述したように、その年金や社会保障をとってみても、想定と現実が全く合わなくなってきたのは、年金支給・社会保障の財源がいつの間にか消えてしまったことと合わせて、直接的に国民に対して混乱や失望を齎した。
(「いつの間にか消えてしまった」のは、社会保険庁が、私たちが積んでいたお金を使ってしまったからだけど・・。全く、もう・・)
そして、今、未曾有の災害と事故に直面している。
「この事態に対して現在の体制を守ろうとする人々は、システムの維持や復旧に全力を挙げようとする。各国が反原発意識の高まりに警戒心を示すのも、現在のシステムの維持に目的があるからである」
しかし、私たちは、利便性ばかりを追求してきた、そして、それに慣れた現代社会を根底から考えなおす時なのだと、私は思う。
そうして、内田氏の一文は、読む私たちが大きく頷く結論へ。
「想定外の事態が起こり、システムが崩壊した時助けになるものは、人々の冷静な行動であり、支え合おうとする人々の意志と働きなのである。原発でも災害を食い止めようとしているのは電力システムではなく、自己犠牲的に自分の労力を提供する人々が齎している。被災者を支えているのも他者のために頑張りつづける人々の努力である。」
そう、命懸けで、原発と対峙している現場の人々の努力を私たちは感謝と共に永久に忘れてはいけない。
「想定に基づいて作られたシステムは想定外の事態が起きた瞬間に崩壊する。支え合い結び合う人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する。とすると未来の社会は、どんな方向にむかうべきなのか。それはシステムに依存しすぎた社会からの脱却であろう。私たちに求められているのは、人間の結び合いが基盤になるような社会の創造である」
“人間の結び合いが基盤になる社会の創造”―そういう社会はかつて、この国にあったはずだ。
それは、人間が「もと居た場所(世界)」だ。
「元の所へ、元いた世界へ」―人間が人間らしく、結び合い、支え合って、生きていた、そういう時(時代)があった。人間は、そこへ、戻らなくてはいけないのではないか。

例年になく寒かった今年の冬、それゆえに、余計に春が待ち遠しかった今年の、その春は、1000年に一度という災害を持ってやってきた。
それでも季節は違うことなく、平等に、やってきた。
関東でも少し、桜は花開き、我が家の雪柳も例年より大幅に遅れて満開に近い。
1000年に一度という災禍の時に生き合わせてしまった私たちだけど、「人々の支え合い、結び合い」を全ての国民が目にした。
その思いを忘れなければ、この国に希望(のぞみ)はあると、今、信じていたい。

(追記)政府と電力会社へ。この大震災のような災害は1000年に一度しかないーという想定で物事を考えないでほしい。滅多にない事だから・・と、また、原発の増設や復旧(福島は当然、廃炉にするのでしょう?)を考えないでほしい。「1000年に一度しかない」のではなく、1000年に一度は起こる事象だと危惧してほしい。漏出したプルトニウムが消えるまで2万4千年かかるのだから、今、土壌に漏出したそれが完全に消えるまでにあと24回はこの危険は訪れるーと危機を感じていてほしい。