アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

岡林信康コンサートから波及した思い     萩尾 農

2010-05-26 | その他
5月21日、岡林信康コンサートに行った。
それで、「波及した思い」をちょっと、書いてみようか・・と。
会場のZEPP東京はスタンディングの場合は2700くらいのキャパとのことだが、63歳の岡林氏いわく、「観客も年齢が高くなったので・・」ということで、指定席方式。
平坦な床に椅子が並べてあった。後ろの方は見えなくなるからか、ステージが通常より高くなっているような気がした。椅子を並べたので、1200~1300くらいのキャパになったのだろうか。
「コンサートツアー」だから、福岡、東京、仙台、札幌、名古屋・・・等々回る。
東京に関しては早々に完売となり、7/18に旧渋谷公会堂で追加公演との事だった。
この所、TVの情熱大陸やNHKのSONGSといった番組で、「岡林信康」を取り上げ、表情が穏やかになっているなぁーと、思っていた。
今回、一緒に出かけた友人ではなく、他の友達も、新聞記事やTVなどで岡林氏の顔を見て、「ずいぶん、穏やかになった~」と、何だか、感慨深そうに言っていた。

私は、実は岡林氏のコンサートやライヴのナマは初めて・・。昔、昔、聴いたのはレコードで、ナマは一度も無し。ただ、それらのレコードはライヴを音源にして、そのまま作成されたものだから、トークや会場の雰囲気は伝わってきた。どんなステージなのかも漠然と理解していた。
前半1時間、15分の休憩を挟んで、続くステージは1時間15分だったかな。
昨年6月27日に九段会館でやったコンサートは3時間以上(一説に4時間)かかって(?)、観客から「岡林コンサートで体調を崩した」とクレーム(?)があったとか、本人が冗談交じりに言っていた。
九段会館だから、武道館まで150mに迫ったが、本日、ZEPP東京なので、武道館はまた、遠のいたーと笑顔でトークをし、観客はまた、ドッと笑った。
楽しいコンサートになっていた。そう、表情もそれこそ、穏やかに・・・しかし、「心の熱さ」は・・?
持っていたーと気がついて、
「そうだよねぇ、心の中に熱さがなかったら、こんな事やっていられないよねぇ」
と、一人、呟いていた。
年齢を経ても、心の「熱さ」を失わない人が、舟木さんに続き、ここに、また、一人発見!
舟木一夫さんも、心に「熱さ」や「恋心」を持っている人。
それらは「若者の特権」のように、私も、若者であった時は思っていたけど、そうではないのだ。
「感性」について、このブログにも書いたが、「感性」と同時に「心の熱さ」も、年齢、性別に関係なく、持てる者は持っている。
逆に、最近の若い人に「心の熱さ」を感じられなくて、時々、ドキリとする。
そう感じるのは、こちらが年齢を経たから・・とは思えない。
心に熱さを持てない世の中になってしまったのか、そうなら、そういう世の中にした私たち大人の責任だ。
「熱くなること」「必死になること」そんなことを「ダサい」と思う風潮(そう、まさに、風潮)が、蔓延したのは、つい最近のことではない。そうなることから逃げてしまったのかなぁ、若者は・・。
「夢を持て」と言えない社会になったーと、現場の教師が嘆いていた。
夢を持ちにくい社会、「希望」という言葉が今ほど、虚しく響いた時代は、私たちが生きてきた中にはなかった。
今、岡林氏の歌が、若者たちに迎えられ始めているという。
かつて、反体制闘争や成田闘争などに、「友よ」が流れ、「山谷ブルース」や「流れ者」に若者が熱狂した。それで、彼は「フォークの神様」になったのだけど、その頃とは違う意味で、若者に迎えられているとしたら、やはり、「希望」とか「夢」とかいう言葉は、もう、単に「言葉」でしかなくなったのだ。
「山谷ブルース」や「流れ者」の中に書かれた生活、たとえば、「飯場、飯場と渡ってく、俺は一生流れ者」といった歌詞、「雇用不安が溢れている今の社会状況を表している」という風に受け止められていたら、そこに共感しているのだとしたら、本当に、未来に夢は持てないなーと、ひどく寂しくなった。

五月もあと少しで終わる。
いろんな問題を世の中に残して、そのせいか、五月らしくない五月だった。もっと、綺麗な季節のはずなんだけれど・・。五月になった最初の時だけだったなぁ・・五月らしい季節は・・。

本日は午後から、雷雨、場所によっては雹がふるとか・・。

追記:会場の真上にあった大観覧車に乗ってみたかったな。(せめて画像添付)

贈り物             萩尾 農

2010-05-07 | その他
「寒い春」の四月が逝き、五月に月替わりした途端にいきなり、緑が煌めいた。
その美しい日に、私の掌(て)にポトリと小さな贈り物が届いた。
私は嬉しくて・・嬉しくて・・嬉しいのに、涙が出た。
翌日も五月の美しい日がつづき、その中で私は、贈り主に長い手紙を綴った。
その贈り物に形はなかったけれど、贈り物の上にはチョコンと“勇気”というものが乗っていた。
“勇気”はチョコンと乗っていた割には大きな力を持っていて、私の背中を押した。
それでも、少しためらう私の臆病な心を“勇気”の陰に隠れていた温もりが励ましてくれた。
それで、私は決めることができた。
どれほどの「ありがとう」を綴っても足りることはない。
一歩の踏み出し―それは、ひどく勇気のいることなのだ。
若い日、その一歩は容易に出すことができた。
けれど、こんなに歩いて来てしまったら、いろんな事がわかっている分だけ、たったの一歩が出せない。
それは、若い日にはあったはずの感性が歳月とともに枯れていくことと同じだ・・・と、思い、いや、ちがう、感性はある―と、思い直す。
感性が枯れていたら、その贈り物が、自分にとってどんなに大切なものかさえ気がつかずに、私は、その一瞬を、その時間を、通り過ぎたろう。
感性は、ある。
感性の中には「思い」や「情」や「熱さ」そして、「恋心」があり―それらは、若い時間の中、それこそ、世に言う青春の中にだけあるのではなく、本来、人が生涯持ちつづけるものだ。現に私の心には、感性の「それら」が全部在る。
年齢や性別で有無を論じるモノでもない。その日の贈り主の中にも、私は、感性の「それら」の存在を確信する。
それが無い人に、私は、「ありがとう」を綴っても綴り足りないほどの手紙を書いたりはしない。


アア、よかった、そんな事に気づく自分が私の中にいて・・。
いつもはブログというより、エッセイみたいな私のブログが、今回は、思いっきり、「日記」だなぁ。(ホント、日記です。書いたのは昨日深夜、5/6記)

                               

遙かなひとへ              萩尾農

2010-05-05 | 幕末関連
土方歳三様 お誕生日おめでとうございます。
そう、歳さんの生まれた日。
・・で、本日、多摩地区は快晴。
先日も書いたが、旧暦だから5月5日は誕生日ではない―などと、本当に「無粋なこと」は言わない。
いいじゃないか、この風薫る五月に、それも、「端午の節句」にこの星(地球)にやってきたと考えても・・。その方が、歳さんらしい。
だから、
「お誕生日、おめでとう!我らが歳三さん!」
多摩の大気の中で生まれて、そうして、結構早くにその命をつかいきって、早々に、天に還ってしまった人だったなぁ―と、あの頃、自分も江戸に住んでいて、彼らを見ていたみたいな感覚で思う。
それだけ、私の中で新選組は近い存在。
歴史の扉を押し開けて、その向こうに存在する人々に思いをはせて、或いは、寄り添って、筆を進める。そういう書き方しか、私にはできないと、以前、発行された本のあと書きに書いたが、数年を経ても、結局、書き方(関わり方)は変わらない。いや、変えられないようだ。
変えられないから、やはり、この後も、そんな風に書いていこうと思う。

遙かな天空の歳三さん!私を応援していて!
・・と、勝手な事を願い、折角のお誕生日なのに、歳さんを困らせる(笑)

選ばれし者の勘違い        萩尾 農

2010-05-03 | その他
五月になると、毎年、「新選組の季節がきた」と思うのはなぜだろう。
「なぜだろう」と言いつつ、実は答は自分でわかっている。
歳さん(土方歳三)が生まれたのが五月。戦死したのも五月(涙!)
(注)旧暦だから新暦にすると五月ではなくなってくる。これは、よくわかっているが、それでも、この「風薫る」と称されるほどの、綺麗な季節に
「あの人は生まれた」
「五月の朝の光の中に生れて、五月の風の中に去った」
と、思っていたいので、
「それは旧暦だよ」
などど無粋なことは言わない。
この国の国民ならば、歴史をしっかりと見つめなければいけないが、やはり、歴史の中に「夢」もみたい。
「夢」をみなければ、思いを馳せることもできやしない。
彼ら、あの時代に生きた人々が、そう、佐幕派でも倒幕派でも、最初は、本当にこの国の未来を憂えていたにちがいない。その憂いの方向が双方で、ちょっと違っていた。
あの時代の若者の間に湧き上がった熱さは何だったのだろう。
「純粋な熱さ」だったはずなのに、一部の人間が、しなくてもよい国内戦争に持ち込んだ時、「純粋な熱さ」はただの「権力争奪戦争」になった。

そうして、現代に至る。

昨年の「歴史的な」政権交代は何だったのだろう・・と思うことしきりだ。
けれど、私にも、一票を入れた国民としての責任があるので、あれほど迷走甚だしい政府をまだ糾弾しない。そう、半世紀以上続いた体制からの変化を選択したのは国民であり、国民が現政権を選択したのだ。
その国民の声に応えていない、どこをみているのだ、政府は・・。こんな簡単な事がなぜ、わからない・・等々、思うこと、多々あるが・・。
身内の庇い合いもとっくに度が過ぎた事など、どうしてわからないかなぁ・・と、私は「政治家」という人種が不思議でならない。しかし、政権は交代したばかり・・。不慣れな人々の手へと・・。が、不慣れだからこそ、「正義感あふれた政治」を、私は、ちょっと、夢みたのだけど・・なぁ。
二大政党(民主党、自民党)は「与党慣れ」「野党慣れ」していないと、誰かが、コラムで書いていたっけ。
思ったのは「野党というのは気が楽なものなんだなぁ」ということ。
さんざん自分たちがやってきたことを棚上げして、あああだ、こうだと・・・恥ずかしくないのかなぁ、それって、自分たちもやってきたことでしょう?それを内省するでもなく、さも、「自分たちが正義」という表情(かお)して、あれは「国会審議」というのではないなぁ。一年も経たないうちに、自分たちがどういう政治をしてきたか、忘れてしまったのか。
その野党となった前政権党から離脱者がポロポロ。新党結成をした。が、意見や考えの違う人々が「新党結成」との理由付けは、どうしても、「自分たちが議員でいることができるように、選挙で生き残れるように」としか聞こえないのはなぜだろう。誰一人として、国民の事を考えているように思えない。
「閉塞感を打破し、国民のための新しい政治を確立するため大胆な改革をしなくてはならない」等々言い放って、国民に人気があるらしい自民党議員M氏も離党し、「新党」を結成したが、こちらは果たして「新党」と呼んでいいかどうか・・。
この新党の母体は衆参5議員で作っていた改革クラブとのことで、M氏は自民党から二人の参院議員を連れて離脱、これに合流した。
「エ?これで、新党?」
という疑問は、一から新党を立ち上げると、政党交付金の受け取りは早くても参議院選の後になる。既存政党への合流の場合は選挙前に政党交付金を入手できる。
「交付金目当て!」
これで、「閉塞感を打破」と言い放つ???
やはり、政治家という人種は不可思議な生き物だ。
不可思議な生物は、不可思議なだけに「夢」「浪漫」もあるのだけれど、「政治家」という生物にあるのは、貪欲さと保身に非常に長けた能力だけ?そんな生物なの???
そうそう、それから、新党に参加した中の三人の議員は「比例代表選出」の議員たちだ。
つまり、「○○党」という票で議員になれた人々だ。離党する場合は議員を辞職して党を離れるのが筋ではないかな。
本当に、私たちは、こんな人々にこの国の運営を任せてきたのだ。
自分で自分の首を絞めているようなものだ。
それで、もう、こういう政府は嫌だ!―と、拒否して、政権交代がなったのだけど・・こちらも、「どうするの、どうして、決断できないの?!」と、叫びたくなるような、何と、じれったい運営だろう。
政権公約に縛られて身動きとれず・・の現政権。
全部、守らなくてもいいのじゃないか、誠意を尽くして、「この公約はできませんでした」と謝る方が、ごまかしているより、よほどいいと思うけど・・。
基地に関しては、長い間、沖縄の人々にだけ重荷を背負わせてきた責任、基地がなくなると期待させた責任がある、沖縄以外に住んでいる私たち国民の責任もある。重荷や痛みは応分に負わなくてはならない。
ギリシャが破綻した。一国の破綻だ。
何だか、日本の今後をみる思いだ。
このままでは、この国は、破綻するだろう。
この長い歴史を持つ大和の国が潰れる?無くなる?
冗談じゃない・・と私たちは憤らなければならない。
この国の運営を、「政治家」という異生物に任せっきりにしていてはならない・・・と、今、静かに私も憤り始めた。

「選ばれし者」という言葉がある。
「神」や「天に選ばれた者」という使い方をする。
そういう位置にいる・・と勘違いしていないか、政治家という人種たちは・・。
政治家を選んだのは国民である。
彼らは、国民に選ばれたのだ。神や天が選んだのではない。
だから、国民は「上から目線」で、政府を見守り、見張らなければならないーといったことを、私は、政権交代した直後に、書いたような気がする。

アア、折角の五月という綺麗な季節の最初の書き込みが、こんな「文句」の羅列か・・。
壁紙も緑にしたのに・・(笑)。

昨日、長い手紙をある人に書いていた。
そこに、「感性」ということを綴っていた。
そんなことに触れようかなーと思っていたのに、「新選組の季節」から、話は大幅にずれた。
いや、この国の第二次大戦への参戦や、その後の行政の間違いは、あの戊申戦争という国内戦争から発しているーと、私は思っているので、現代を考えるとどうしても、そこにいきつくから、「新選組」から、ここまで書き綴ってしまった事は、ご容赦!!