5月21日、岡林信康コンサートに行った。
それで、「波及した思い」をちょっと、書いてみようか・・と。
会場のZEPP東京はスタンディングの場合は2700くらいのキャパとのことだが、63歳の岡林氏いわく、「観客も年齢が高くなったので・・」ということで、指定席方式。
平坦な床に椅子が並べてあった。後ろの方は見えなくなるからか、ステージが通常より高くなっているような気がした。椅子を並べたので、1200~1300くらいのキャパになったのだろうか。
「コンサートツアー」だから、福岡、東京、仙台、札幌、名古屋・・・等々回る。
東京に関しては早々に完売となり、7/18に旧渋谷公会堂で追加公演との事だった。
この所、TVの情熱大陸やNHKのSONGSといった番組で、「岡林信康」を取り上げ、表情が穏やかになっているなぁーと、思っていた。
今回、一緒に出かけた友人ではなく、他の友達も、新聞記事やTVなどで岡林氏の顔を見て、「ずいぶん、穏やかになった~」と、何だか、感慨深そうに言っていた。
私は、実は岡林氏のコンサートやライヴのナマは初めて・・。昔、昔、聴いたのはレコードで、ナマは一度も無し。ただ、それらのレコードはライヴを音源にして、そのまま作成されたものだから、トークや会場の雰囲気は伝わってきた。どんなステージなのかも漠然と理解していた。
前半1時間、15分の休憩を挟んで、続くステージは1時間15分だったかな。
昨年6月27日に九段会館でやったコンサートは3時間以上(一説に4時間)かかって(?)、観客から「岡林コンサートで体調を崩した」とクレーム(?)があったとか、本人が冗談交じりに言っていた。
九段会館だから、武道館まで150mに迫ったが、本日、ZEPP東京なので、武道館はまた、遠のいたーと笑顔でトークをし、観客はまた、ドッと笑った。
楽しいコンサートになっていた。そう、表情もそれこそ、穏やかに・・・しかし、「心の熱さ」は・・?
持っていたーと気がついて、
「そうだよねぇ、心の中に熱さがなかったら、こんな事やっていられないよねぇ」
と、一人、呟いていた。
年齢を経ても、心の「熱さ」を失わない人が、舟木さんに続き、ここに、また、一人発見!
舟木一夫さんも、心に「熱さ」や「恋心」を持っている人。
それらは「若者の特権」のように、私も、若者であった時は思っていたけど、そうではないのだ。
「感性」について、このブログにも書いたが、「感性」と同時に「心の熱さ」も、年齢、性別に関係なく、持てる者は持っている。
逆に、最近の若い人に「心の熱さ」を感じられなくて、時々、ドキリとする。
そう感じるのは、こちらが年齢を経たから・・とは思えない。
心に熱さを持てない世の中になってしまったのか、そうなら、そういう世の中にした私たち大人の責任だ。
「熱くなること」「必死になること」そんなことを「ダサい」と思う風潮(そう、まさに、風潮)が、蔓延したのは、つい最近のことではない。そうなることから逃げてしまったのかなぁ、若者は・・。
「夢を持て」と言えない社会になったーと、現場の教師が嘆いていた。
夢を持ちにくい社会、「希望」という言葉が今ほど、虚しく響いた時代は、私たちが生きてきた中にはなかった。
今、岡林氏の歌が、若者たちに迎えられ始めているという。
かつて、反体制闘争や成田闘争などに、「友よ」が流れ、「山谷ブルース」や「流れ者」に若者が熱狂した。それで、彼は「フォークの神様」になったのだけど、その頃とは違う意味で、若者に迎えられているとしたら、やはり、「希望」とか「夢」とかいう言葉は、もう、単に「言葉」でしかなくなったのだ。
「山谷ブルース」や「流れ者」の中に書かれた生活、たとえば、「飯場、飯場と渡ってく、俺は一生流れ者」といった歌詞、「雇用不安が溢れている今の社会状況を表している」という風に受け止められていたら、そこに共感しているのだとしたら、本当に、未来に夢は持てないなーと、ひどく寂しくなった。
五月もあと少しで終わる。
いろんな問題を世の中に残して、そのせいか、五月らしくない五月だった。もっと、綺麗な季節のはずなんだけれど・・。五月になった最初の時だけだったなぁ・・五月らしい季節は・・。
本日は午後から、雷雨、場所によっては雹がふるとか・・。
追記:会場の真上にあった大観覧車に乗ってみたかったな。(せめて画像添付)
それで、「波及した思い」をちょっと、書いてみようか・・と。
会場のZEPP東京はスタンディングの場合は2700くらいのキャパとのことだが、63歳の岡林氏いわく、「観客も年齢が高くなったので・・」ということで、指定席方式。
平坦な床に椅子が並べてあった。後ろの方は見えなくなるからか、ステージが通常より高くなっているような気がした。椅子を並べたので、1200~1300くらいのキャパになったのだろうか。
「コンサートツアー」だから、福岡、東京、仙台、札幌、名古屋・・・等々回る。
東京に関しては早々に完売となり、7/18に旧渋谷公会堂で追加公演との事だった。
この所、TVの情熱大陸やNHKのSONGSといった番組で、「岡林信康」を取り上げ、表情が穏やかになっているなぁーと、思っていた。
今回、一緒に出かけた友人ではなく、他の友達も、新聞記事やTVなどで岡林氏の顔を見て、「ずいぶん、穏やかになった~」と、何だか、感慨深そうに言っていた。
私は、実は岡林氏のコンサートやライヴのナマは初めて・・。昔、昔、聴いたのはレコードで、ナマは一度も無し。ただ、それらのレコードはライヴを音源にして、そのまま作成されたものだから、トークや会場の雰囲気は伝わってきた。どんなステージなのかも漠然と理解していた。
前半1時間、15分の休憩を挟んで、続くステージは1時間15分だったかな。
昨年6月27日に九段会館でやったコンサートは3時間以上(一説に4時間)かかって(?)、観客から「岡林コンサートで体調を崩した」とクレーム(?)があったとか、本人が冗談交じりに言っていた。
九段会館だから、武道館まで150mに迫ったが、本日、ZEPP東京なので、武道館はまた、遠のいたーと笑顔でトークをし、観客はまた、ドッと笑った。
楽しいコンサートになっていた。そう、表情もそれこそ、穏やかに・・・しかし、「心の熱さ」は・・?
持っていたーと気がついて、
「そうだよねぇ、心の中に熱さがなかったら、こんな事やっていられないよねぇ」
と、一人、呟いていた。
年齢を経ても、心の「熱さ」を失わない人が、舟木さんに続き、ここに、また、一人発見!
舟木一夫さんも、心に「熱さ」や「恋心」を持っている人。
それらは「若者の特権」のように、私も、若者であった時は思っていたけど、そうではないのだ。
「感性」について、このブログにも書いたが、「感性」と同時に「心の熱さ」も、年齢、性別に関係なく、持てる者は持っている。
逆に、最近の若い人に「心の熱さ」を感じられなくて、時々、ドキリとする。
そう感じるのは、こちらが年齢を経たから・・とは思えない。
心に熱さを持てない世の中になってしまったのか、そうなら、そういう世の中にした私たち大人の責任だ。
「熱くなること」「必死になること」そんなことを「ダサい」と思う風潮(そう、まさに、風潮)が、蔓延したのは、つい最近のことではない。そうなることから逃げてしまったのかなぁ、若者は・・。
「夢を持て」と言えない社会になったーと、現場の教師が嘆いていた。
夢を持ちにくい社会、「希望」という言葉が今ほど、虚しく響いた時代は、私たちが生きてきた中にはなかった。
今、岡林氏の歌が、若者たちに迎えられ始めているという。
かつて、反体制闘争や成田闘争などに、「友よ」が流れ、「山谷ブルース」や「流れ者」に若者が熱狂した。それで、彼は「フォークの神様」になったのだけど、その頃とは違う意味で、若者に迎えられているとしたら、やはり、「希望」とか「夢」とかいう言葉は、もう、単に「言葉」でしかなくなったのだ。
「山谷ブルース」や「流れ者」の中に書かれた生活、たとえば、「飯場、飯場と渡ってく、俺は一生流れ者」といった歌詞、「雇用不安が溢れている今の社会状況を表している」という風に受け止められていたら、そこに共感しているのだとしたら、本当に、未来に夢は持てないなーと、ひどく寂しくなった。
五月もあと少しで終わる。
いろんな問題を世の中に残して、そのせいか、五月らしくない五月だった。もっと、綺麗な季節のはずなんだけれど・・。五月になった最初の時だけだったなぁ・・五月らしい季節は・・。
本日は午後から、雷雨、場所によっては雹がふるとか・・。
追記:会場の真上にあった大観覧車に乗ってみたかったな。(せめて画像添付)