今年の冬は寒かった。
例年の暖冬に慣れていたこともあって寒さをより強く感じた。
確かに、我が家の庭でも氷点下を記録することが多々あった。
だから、いつもより以上に、「春、早く来い」と思ったりした。
けれど、春は3月11日に一変した。
東北関東大震災が起こり、春という季節は足踏みをしてしまった。
いや、その惨状に「春」も目を覆って、立ち尽くしてしまったのかもしれない。
それでも、その歩を進めて、被災の地に暖かな大気を届けてほしいーと切に願う。
もう3月も終りだというのに、被災地では氷点下を記録している。
これは無いぞ!
これは、酷いじゃないか。
「春」早く、来い!
私たちに何ができるか。
その問いがあちこちで発せられている。
義援金も集まっている。
碧い馬同人会でも始めた事は先日、このブログでも書いたし、一昨日だったか、飛浪がやはり、ここに書いている。
(しかし、飛浪~、渡米前に「メールはPCに下さい、PCなら届きます」といったから、何回もメールしたんだよ~。返事が来ないから、チャリティページを始めてしまったけどね~。)
先週は駅前で「自民党」翌日に「民主党」が募金活動をしていた。
自民党と書いてある旗のマーク(?)がちょっと違っていたので、「?」と思い、募金をしなかった。(本物だったら、ゴメンナサイ。疑ってしまった)
翌日は「民主党」。こちらは旗は立てていなかった。見回したら、顔見知りの議員がいたので「本物」だと思って、ポケットの中で重くなっていた小銭を掴んで募金箱に。
その時、危うく家の鍵も募金箱に入れてしまいそうになって慌てた(笑)
「あしなが育英基金」がどこかでやっていないかなーと思う。
やっているのだけど、こちらの方にはまだ来ていない(?)みたいだ。
私は東京に住まいしているが、東京も、日常生活が変わった。
計画停電(実は「無計画停電」と蔭ではいわれている)が実施されて、我々が如何に電気頼りの生活をしていたか、改めて知らされている。
リスクを考えないで利便性ばかりを追求してきた。
その事に対して、今、根底から考え直さなければならない時になった。
大震災が起こり、それは自然災害であったけれど、原発の事故は「人災」の部分が大きい。
電気を原子力によって供給する事に決定した時、その根底には、絶対に「不安と疑い」があったはずだ。
「安全」と口にしてはいても、全ての事象に「絶対」という言葉は存在しない事を知っていたはずだ。
・・と、ここまで書いて、ふと思った。
今回の事故で、東電は「○○は無いと思っていた」「ちょっと目を離した時に」(一人で見張っているのか・・と驚愕)「○○が破損するとは思っていなかった」・・いろんなことを「想定外だった」と、言い訳している。
そう、それは言い訳にしか聞こえない。
「言い訳」をしているのは東電の幹部クラス。
作業員は命がけで復旧作業をしている(本当に頭が下がる。感謝でいっぱいだ)。
その人々の上の者たちが一人でも炉の中に入ることはない(これに関しては、飛浪も「東電の社長たち、裸で炉に入れよ!」と怒っていた)。
今月の東電の請求書「非常変災の影響により検診にお伺いすることができませんでしたので、先月分と同様のご使用料とさせていただきました」と、素っ気なく記入されている。
翌月の検針を元に過払いや不足分の調整を4月にするつもりであったと「言い訳」しているが、請求書のその一文のあとにそのことは書かれていない。一歩的な通告で、こういう姿勢が、東電の経営姿勢(殿様商売)だと、また、溜息とともに認識した。
怒りのあまり(笑)話がそれた。
建設が決まった時に「想定外」という言葉は原発に関してはないと覚悟して始めるべきだった。
いや、やはり、「絶対に安全」と思ってはいなかったのだ。
だから、東京で使う電力を地方で作ることにしたのだ―などと私は思っていた。
「そんなに絶対安全というなら、東京や関東で使う電力(原発)は東京湾の真ん中で作ればいい」
との暴言(?暴言なの?)を私は随分前から吐いていたっけ。
福島県は早いうちに原発を受け入れたーという。
受け入れた地方には年間で1000億円以上の原発の交付金が国から支払われるという。
年予算が5000億円くらいと書いてあった福島県にとって、その金額は予算の5分の1以上である。
それらは雇用、県内の企業や学校や保育園ーと、県民のために使われた。
だから地方は原発を受け入れると聞いた事がある。
しかし、それを受け入れなければ、個々の生活が立ち行かないという地方の状況が問題なのだろうなぁ―と、わかりきった事にも改めて視点が及ぶ。
疲弊していく地方、東京への一極集中・・東京さえ無事なら良い、危ない物はみんな地方に持っていけば良い、金さえ払えばいいだろう―その考えを根っこから直さないと、この国は良くならない。
節電で街全体が暗くなった。
しかし、不自由はない。
電車の本数も減った。
けれど、それだからといって、目的地に行かれないわけではない。少し早い時間に出ればちゃんと間に合う。
東京の春も遅く、朝晩の(時に日中も)気温は低い。
でも、沢山着ればよいことだから、暖房は入れないか控え目にすれば済む。
そうやって、2週間以上の時間が流れて、節電はできないことじゃないと皆、わかったはずだ。
今は、とにかく、被災した人々の救護が第一。
東京でも受け入れは始まっているが、あそこ(?)はどうなっているだろう。
社会保険庁(現日本年金機構)が国民が貯めていた年金を使って建設した社会保険庁職員の宿舎・・といってもマンション。
相場に準じた家賃を取れば回収できたはずなのに、相場の半分にも満たない賃貸料だから、建設費の回収ができるどころか赤字のまま。しかも、部屋は随分と沢山空いているのを何年か前のNHKのドキュメンタリー番組で放送していた。それがまだ空いているなら、受け入れればよいと思う。勿論、無家賃で・・。国民はだれも文句は言わない。皆が積んでいた年金で建設した建物に積んでいた人々が入居するのは当然の事だし・・。
被災した人々を一人残らず救ったら、次は被災の地の復興・・こちらはそれと同時に今後の電力をどうするかを国全体で思考する。
世界中で原発についての思考が始まった。
被災したのは日本であるが、今、人類が追求してきたこれら「便利なもの」に、世界中が真摯に向き合わなければならないのかもしれない。
例年の暖冬に慣れていたこともあって寒さをより強く感じた。
確かに、我が家の庭でも氷点下を記録することが多々あった。
だから、いつもより以上に、「春、早く来い」と思ったりした。
けれど、春は3月11日に一変した。
東北関東大震災が起こり、春という季節は足踏みをしてしまった。
いや、その惨状に「春」も目を覆って、立ち尽くしてしまったのかもしれない。
それでも、その歩を進めて、被災の地に暖かな大気を届けてほしいーと切に願う。
もう3月も終りだというのに、被災地では氷点下を記録している。
これは無いぞ!
これは、酷いじゃないか。
「春」早く、来い!
私たちに何ができるか。
その問いがあちこちで発せられている。
義援金も集まっている。
碧い馬同人会でも始めた事は先日、このブログでも書いたし、一昨日だったか、飛浪がやはり、ここに書いている。
(しかし、飛浪~、渡米前に「メールはPCに下さい、PCなら届きます」といったから、何回もメールしたんだよ~。返事が来ないから、チャリティページを始めてしまったけどね~。)
先週は駅前で「自民党」翌日に「民主党」が募金活動をしていた。
自民党と書いてある旗のマーク(?)がちょっと違っていたので、「?」と思い、募金をしなかった。(本物だったら、ゴメンナサイ。疑ってしまった)
翌日は「民主党」。こちらは旗は立てていなかった。見回したら、顔見知りの議員がいたので「本物」だと思って、ポケットの中で重くなっていた小銭を掴んで募金箱に。
その時、危うく家の鍵も募金箱に入れてしまいそうになって慌てた(笑)
「あしなが育英基金」がどこかでやっていないかなーと思う。
やっているのだけど、こちらの方にはまだ来ていない(?)みたいだ。
私は東京に住まいしているが、東京も、日常生活が変わった。
計画停電(実は「無計画停電」と蔭ではいわれている)が実施されて、我々が如何に電気頼りの生活をしていたか、改めて知らされている。
リスクを考えないで利便性ばかりを追求してきた。
その事に対して、今、根底から考え直さなければならない時になった。
大震災が起こり、それは自然災害であったけれど、原発の事故は「人災」の部分が大きい。
電気を原子力によって供給する事に決定した時、その根底には、絶対に「不安と疑い」があったはずだ。
「安全」と口にしてはいても、全ての事象に「絶対」という言葉は存在しない事を知っていたはずだ。
・・と、ここまで書いて、ふと思った。
今回の事故で、東電は「○○は無いと思っていた」「ちょっと目を離した時に」(一人で見張っているのか・・と驚愕)「○○が破損するとは思っていなかった」・・いろんなことを「想定外だった」と、言い訳している。
そう、それは言い訳にしか聞こえない。
「言い訳」をしているのは東電の幹部クラス。
作業員は命がけで復旧作業をしている(本当に頭が下がる。感謝でいっぱいだ)。
その人々の上の者たちが一人でも炉の中に入ることはない(これに関しては、飛浪も「東電の社長たち、裸で炉に入れよ!」と怒っていた)。
今月の東電の請求書「非常変災の影響により検診にお伺いすることができませんでしたので、先月分と同様のご使用料とさせていただきました」と、素っ気なく記入されている。
翌月の検針を元に過払いや不足分の調整を4月にするつもりであったと「言い訳」しているが、請求書のその一文のあとにそのことは書かれていない。一歩的な通告で、こういう姿勢が、東電の経営姿勢(殿様商売)だと、また、溜息とともに認識した。
怒りのあまり(笑)話がそれた。
建設が決まった時に「想定外」という言葉は原発に関してはないと覚悟して始めるべきだった。
いや、やはり、「絶対に安全」と思ってはいなかったのだ。
だから、東京で使う電力を地方で作ることにしたのだ―などと私は思っていた。
「そんなに絶対安全というなら、東京や関東で使う電力(原発)は東京湾の真ん中で作ればいい」
との暴言(?暴言なの?)を私は随分前から吐いていたっけ。
福島県は早いうちに原発を受け入れたーという。
受け入れた地方には年間で1000億円以上の原発の交付金が国から支払われるという。
年予算が5000億円くらいと書いてあった福島県にとって、その金額は予算の5分の1以上である。
それらは雇用、県内の企業や学校や保育園ーと、県民のために使われた。
だから地方は原発を受け入れると聞いた事がある。
しかし、それを受け入れなければ、個々の生活が立ち行かないという地方の状況が問題なのだろうなぁ―と、わかりきった事にも改めて視点が及ぶ。
疲弊していく地方、東京への一極集中・・東京さえ無事なら良い、危ない物はみんな地方に持っていけば良い、金さえ払えばいいだろう―その考えを根っこから直さないと、この国は良くならない。
節電で街全体が暗くなった。
しかし、不自由はない。
電車の本数も減った。
けれど、それだからといって、目的地に行かれないわけではない。少し早い時間に出ればちゃんと間に合う。
東京の春も遅く、朝晩の(時に日中も)気温は低い。
でも、沢山着ればよいことだから、暖房は入れないか控え目にすれば済む。
そうやって、2週間以上の時間が流れて、節電はできないことじゃないと皆、わかったはずだ。
今は、とにかく、被災した人々の救護が第一。
東京でも受け入れは始まっているが、あそこ(?)はどうなっているだろう。
社会保険庁(現日本年金機構)が国民が貯めていた年金を使って建設した社会保険庁職員の宿舎・・といってもマンション。
相場に準じた家賃を取れば回収できたはずなのに、相場の半分にも満たない賃貸料だから、建設費の回収ができるどころか赤字のまま。しかも、部屋は随分と沢山空いているのを何年か前のNHKのドキュメンタリー番組で放送していた。それがまだ空いているなら、受け入れればよいと思う。勿論、無家賃で・・。国民はだれも文句は言わない。皆が積んでいた年金で建設した建物に積んでいた人々が入居するのは当然の事だし・・。
被災した人々を一人残らず救ったら、次は被災の地の復興・・こちらはそれと同時に今後の電力をどうするかを国全体で思考する。
世界中で原発についての思考が始まった。
被災したのは日本であるが、今、人類が追求してきたこれら「便利なもの」に、世界中が真摯に向き合わなければならないのかもしれない。