「秋がきたなぁ」
などと思いながら、どうにも、バテているのは、「秋バテ」というそうだ。
「夏バテ」
という言葉はよく聞くが、「秋バテ」というのもあるとは知らなかった。
確かに、灼熱の夏が終わると、体が疲労している。
これを「夏バテ」というのかと思っていたら、これは「秋バテ」なのだと、先日の気象関連のニュース内で言っていた。
夏をどのように過ごしたか―それによって、「秋バテ」の度合いが決まるらしい。
中に「素足でいることが多い」―というのがあり、これは、私は大いに「○」だったので、「秋バテ」の要因の一つになった。素足でいるほうがよいのかと思っていたけど…。
あとは、冷房の効いた部屋にいることが多い―とか。
我が家はこの夏にエアコンをかけたのは、たった1回だった(!!)
風通しがとても良いので、自然の風で充分、夕方など、「寒い!」というくらいに、風が通る。
冬も暖房はあまり使わない。非常に日当りがよい。部屋中、ポカポカ。
その暖気が夜まで部屋に籠っていてくれる。しかし、さすがに、冬は素足ではないけど…。
…で、秋バテというより、何故、こんなに疲労したか、初夏から梅雨、そして、真夏―という季節を越えて…。
「暖簾に腕押し」の状態が続いたから…か。
そして、今も、続く、暖簾に腕押し―だ。
暖簾は真ん中に切れ目があったりするが、重いカーテン…か、これは、腕も通らない。
跳ね返されることが多い。
そういう、季節だった。
…で、へたりこんだ。
しかし、いつも、私たちに「頑張ろう」のコールを送ってくれるような、山口二郎氏でさえ、9月4日のコラムに書いているくらいだから、私なんぞは、へたり込むのは言うまでも無いような、ここまでの2016年だったか―と、ちょっと、言い訳めいて、呟く。
コラムは、「疑いと憤りの連続」とタイトル―、以下。
《参院選と都知事選で野党勢力が負け、この夏、私は何をやってもうまくいかないなあ、マリオの扮装くらいで安倍首相の支持率が急上昇するような日本では、何を言っても無駄だろう、憤ることにも疲れたなあ、などとへこんでいた。
しかし、そろそろ気を取り直さなけれぱと思う。
八月三十日のニューヨークータイムズ(国際版)の一面に福島第一原発の汚染水流出を止めるための凍土壁の長い記事が載っていた。
その中で、安倍首相がオリンピックを招致するために汚染水はアンダー・コントロールと世界に向かって公言したものの、制御の方法がなく、効果は分からないが巨額の金をかけて凍土壁を作ろうとしていることが詳しく説明されていた。これは「イチかバチかの賭け」という米国人専門家の言葉も紹介されていた。
外国のメディアは安倍政権の不正なごまかしに対して容赦ないと感心した。
原発事故の後始末が何もできない状況で、再稼働に向けて政府は着々と進んでいる。やはりこれは、客観的な立場の人にとって理解不能の自殺的行為に見えるだろう。
日本では無責任や虚偽が当たり前になり、疑うことや憤ることを続けるのに飽きてくる。しか
し、おかしいと思わないことは、自分も虚偽に加担することを意味する。世の中の不条理と戦う者にとって、辛抱のしどころである。 》
辛抱のしどころ…か。確かに、その通り。
そう、秋バテはまだ続きそうだ。
でも、それに負けていたら、どの季節にも「バテ」がくるだろう。
「秋バテ」の次に「冬バテ」次は「春バテ」―勘弁してくれ~!!…という状況になるか。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という時期…なのか?
日本のメディアも、外国のメディアに負けないように、言論の自由を武器にして、斬り込んで行ってもらいたい。自分たちの国の現況なのだから、それを海外のメディアに指摘されるなんて、情けないではないか!
そういえば、「安倍政権にひれ伏すメディア」などという本も発刊されたなぁ。
サァ! 私も、頑張って、原稿を書くか!
などと思いながら、どうにも、バテているのは、「秋バテ」というそうだ。
「夏バテ」
という言葉はよく聞くが、「秋バテ」というのもあるとは知らなかった。
確かに、灼熱の夏が終わると、体が疲労している。
これを「夏バテ」というのかと思っていたら、これは「秋バテ」なのだと、先日の気象関連のニュース内で言っていた。
夏をどのように過ごしたか―それによって、「秋バテ」の度合いが決まるらしい。
中に「素足でいることが多い」―というのがあり、これは、私は大いに「○」だったので、「秋バテ」の要因の一つになった。素足でいるほうがよいのかと思っていたけど…。
あとは、冷房の効いた部屋にいることが多い―とか。
我が家はこの夏にエアコンをかけたのは、たった1回だった(!!)
風通しがとても良いので、自然の風で充分、夕方など、「寒い!」というくらいに、風が通る。
冬も暖房はあまり使わない。非常に日当りがよい。部屋中、ポカポカ。
その暖気が夜まで部屋に籠っていてくれる。しかし、さすがに、冬は素足ではないけど…。
…で、秋バテというより、何故、こんなに疲労したか、初夏から梅雨、そして、真夏―という季節を越えて…。
「暖簾に腕押し」の状態が続いたから…か。
そして、今も、続く、暖簾に腕押し―だ。
暖簾は真ん中に切れ目があったりするが、重いカーテン…か、これは、腕も通らない。
跳ね返されることが多い。
そういう、季節だった。
…で、へたりこんだ。
しかし、いつも、私たちに「頑張ろう」のコールを送ってくれるような、山口二郎氏でさえ、9月4日のコラムに書いているくらいだから、私なんぞは、へたり込むのは言うまでも無いような、ここまでの2016年だったか―と、ちょっと、言い訳めいて、呟く。
コラムは、「疑いと憤りの連続」とタイトル―、以下。
《参院選と都知事選で野党勢力が負け、この夏、私は何をやってもうまくいかないなあ、マリオの扮装くらいで安倍首相の支持率が急上昇するような日本では、何を言っても無駄だろう、憤ることにも疲れたなあ、などとへこんでいた。
しかし、そろそろ気を取り直さなけれぱと思う。
八月三十日のニューヨークータイムズ(国際版)の一面に福島第一原発の汚染水流出を止めるための凍土壁の長い記事が載っていた。
その中で、安倍首相がオリンピックを招致するために汚染水はアンダー・コントロールと世界に向かって公言したものの、制御の方法がなく、効果は分からないが巨額の金をかけて凍土壁を作ろうとしていることが詳しく説明されていた。これは「イチかバチかの賭け」という米国人専門家の言葉も紹介されていた。
外国のメディアは安倍政権の不正なごまかしに対して容赦ないと感心した。
原発事故の後始末が何もできない状況で、再稼働に向けて政府は着々と進んでいる。やはりこれは、客観的な立場の人にとって理解不能の自殺的行為に見えるだろう。
日本では無責任や虚偽が当たり前になり、疑うことや憤ることを続けるのに飽きてくる。しか
し、おかしいと思わないことは、自分も虚偽に加担することを意味する。世の中の不条理と戦う者にとって、辛抱のしどころである。 》
辛抱のしどころ…か。確かに、その通り。
そう、秋バテはまだ続きそうだ。
でも、それに負けていたら、どの季節にも「バテ」がくるだろう。
「秋バテ」の次に「冬バテ」次は「春バテ」―勘弁してくれ~!!…という状況になるか。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という時期…なのか?
日本のメディアも、外国のメディアに負けないように、言論の自由を武器にして、斬り込んで行ってもらいたい。自分たちの国の現況なのだから、それを海外のメディアに指摘されるなんて、情けないではないか!
そういえば、「安倍政権にひれ伏すメディア」などという本も発刊されたなぁ。
サァ! 私も、頑張って、原稿を書くか!