アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

秋バテ

2016-09-27 | 世情もろもろ
「秋がきたなぁ」
などと思いながら、どうにも、バテているのは、「秋バテ」というそうだ。
「夏バテ」
という言葉はよく聞くが、「秋バテ」というのもあるとは知らなかった。
確かに、灼熱の夏が終わると、体が疲労している。
これを「夏バテ」というのかと思っていたら、これは「秋バテ」なのだと、先日の気象関連のニュース内で言っていた。
夏をどのように過ごしたか―それによって、「秋バテ」の度合いが決まるらしい。
中に「素足でいることが多い」―というのがあり、これは、私は大いに「○」だったので、「秋バテ」の要因の一つになった。素足でいるほうがよいのかと思っていたけど…。
あとは、冷房の効いた部屋にいることが多い―とか。
我が家はこの夏にエアコンをかけたのは、たった1回だった(!!)
風通しがとても良いので、自然の風で充分、夕方など、「寒い!」というくらいに、風が通る。
冬も暖房はあまり使わない。非常に日当りがよい。部屋中、ポカポカ。
その暖気が夜まで部屋に籠っていてくれる。しかし、さすがに、冬は素足ではないけど…。

…で、秋バテというより、何故、こんなに疲労したか、初夏から梅雨、そして、真夏―という季節を越えて…。
「暖簾に腕押し」の状態が続いたから…か。
そして、今も、続く、暖簾に腕押し―だ。
暖簾は真ん中に切れ目があったりするが、重いカーテン…か、これは、腕も通らない。
跳ね返されることが多い。
そういう、季節だった。
…で、へたりこんだ。
しかし、いつも、私たちに「頑張ろう」のコールを送ってくれるような、山口二郎氏でさえ、9月4日のコラムに書いているくらいだから、私なんぞは、へたり込むのは言うまでも無いような、ここまでの2016年だったか―と、ちょっと、言い訳めいて、呟く。

コラムは、「疑いと憤りの連続」とタイトル―、以下。

《参院選と都知事選で野党勢力が負け、この夏、私は何をやってもうまくいかないなあ、マリオの扮装くらいで安倍首相の支持率が急上昇するような日本では、何を言っても無駄だろう、憤ることにも疲れたなあ、などとへこんでいた。
しかし、そろそろ気を取り直さなけれぱと思う。
 八月三十日のニューヨークータイムズ(国際版)の一面に福島第一原発の汚染水流出を止めるための凍土壁の長い記事が載っていた。
その中で、安倍首相がオリンピックを招致するために汚染水はアンダー・コントロールと世界に向かって公言したものの、制御の方法がなく、効果は分からないが巨額の金をかけて凍土壁を作ろうとしていることが詳しく説明されていた。これは「イチかバチかの賭け」という米国人専門家の言葉も紹介されていた。
 外国のメディアは安倍政権の不正なごまかしに対して容赦ないと感心した。
原発事故の後始末が何もできない状況で、再稼働に向けて政府は着々と進んでいる。やはりこれは、客観的な立場の人にとって理解不能の自殺的行為に見えるだろう。
 日本では無責任や虚偽が当たり前になり、疑うことや憤ることを続けるのに飽きてくる。しか
し、おかしいと思わないことは、自分も虚偽に加担することを意味する。世の中の不条理と戦う者にとって、辛抱のしどころである。 》


辛抱のしどころ…か。確かに、その通り。
そう、秋バテはまだ続きそうだ。
でも、それに負けていたら、どの季節にも「バテ」がくるだろう。
「秋バテ」の次に「冬バテ」次は「春バテ」―勘弁してくれ~!!…という状況になるか。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という時期…なのか?

日本のメディアも、外国のメディアに負けないように、言論の自由を武器にして、斬り込んで行ってもらいたい。自分たちの国の現況なのだから、それを海外のメディアに指摘されるなんて、情けないではないか!
そういえば、「安倍政権にひれ伏すメディア」などという本も発刊されたなぁ。

サァ! 私も、頑張って、原稿を書くか!


                  


秋だ。

2016-09-25 | 世情もろもろ
…と、タイトルしてはみたけど、例年の「秋だ」と認識するには、今年のそれは、まるで梅雨!
雨、雨、雨―雨天ばかりが続いて、九月の日照時間、一日のうち、6時間以上の日照があったのは、これまでで、5~6日…とか。
これでは、植物は育たない。
人間も、体調を崩す。
太陽光の大切さを痛感する。
本日は、晴れた。が、秋の、あの、真っ青に高い空が頭上にある!…というわけには、いかない。
太陽光が弱い。
それでも、確かに、秋ではあるのだ。金木星が甘い香りを放っているし、曼珠沙華(彼岸花)も、我が家の庭のあちこちに、真っ赤に咲いた。
しかし、太陽光が少ないせいで、通常はどんどん大きくなっていく時期の柿の実は、成長を止めたのか、例年の3分の2ほどか、それ以下の大きさで、赤らみ始めた。
やっぱり、太陽がないと…!

そうして、台風の連発。
今年の梅雨の時期だったか、関東、とくに東京都の水不足が、言われていた。ダムに雨が降らない―云々。確かに、雨の少ない梅雨の時期ではあった。けれど、その雨が天に溜まっていたかのように、連日の大雨、台風、秋雨前線の停滞―日本国中、甚大な被害を齎して、ようやく、片付け終えたところに、また、次の台風や大雨が…。

今朝の新聞のコラムに、「災害と国土」と題して、法政大教授の山口二郎氏が書いている。
以下―。

《 今年のように台風の多い年は珍しい。大きな水害に襲われた北海道や東北の方々にはお見舞い申し上げたい。
北海道では、道路と鉄道が大きな被害を受けた。道路は国の災害復旧予算で修復されるが、鉄道はそうもいかない。
国鉄の分割民営化以降、JR各社は民間会社となった。線路の復旧も各社の自己責任ということになる。
以前、災害で線路が途絶したことを奇貨として、赤字口―カル線が廃止されたこともあった。北海道で同じことが起こるのではないかと、地元の人々は心配している。
 最近、中国の海洋進出に刺激され、日本でも領土を守れという主張が強まっている。
誰も居ない絶海の領土についてこれほど熱くなる世論が、現に人が住んでいる国土の維持についてどんどん冷淡になっていることを、私は不思議に思う。
農村部や山間部に住んでいる人々は、国土の保全という公的な役割も担っている。非大都市圏においても鉄道はぜいたくではなく、地域社会の足として、農産物を運ぶ輸送システムとして不可欠である。
JR北海道には復旧工事の金がない。
政府は景気刺激のために大型補正予算を組んでいるが、その一部でも地方の鉄道の復旧に振り向けるべきである。
このままでは、国境線に視線を集めている間に国土がどんどん空洞化していく。》


国土の空洞化―恐ろしい!
災害に寄ってのみではなく、この国の国土は、すでに空洞化しつつある。
あまりにも、都会、特に東京都に、集中し過ぎている。
オリンピックにしても、当時、東京都以外にも立候補した地方へ(福岡が手を挙げていたかな)―そちらで開催した方がよいのに…と、私は思っていた。東京には何でも(!)あるのだから、いまさら、この狭い東京に(日本地図をみると、東京都って、小さい!)、いろんな物を建てる必要はない。
地方で開催すれば、その土地が潤う―等々、思っていたけど…。
日本地図、いや、関東地方だけの地図でもよい、それをみていると、東京都の小ささに、今更ながらに驚く。
「こんなに小さい場所に、欲望が渦巻いている」―とか(笑)

北海道の鉄道、何とかしなくては―と、私一人で何もできないのに、思う。
安倍首相はキューバを訪れて、十二億円だかの医療協力を…等々、報道があったなぁ。
協力は必要だろうが、どうも、この首相は、ポイポイと海外へ、お金をばらまきすぎる気がする。
それは、その場では、相当、カッコよく映るだろうけど、ね。
「それでは、我が国で、○○億円出しましょう」―とかって…。
その○○億円だか、××億ドルだかのほんの一部を、北海道の鉄道へ(JR北海道?)に回してくれないかなぁ―なんて、私は、つい思ってしまうのだ。