アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

墓フレンド?  (萩尾)

2006-09-02 | その他
8月の終わり、飛浪が「ブログ開始」の提案をし、昨日、彼女は右半身マヒ直前になるほど、パソコンと格闘して、立ち上げた。パソコン堪能の飛浪でさえ、そんなになるのだから、この私・萩尾が、やっていけるだろうか・・・と、ふと、不安。
が、飛浪の右半身がそんな状態になったのは、パソコンが・・云々という以前に、椅子が悪い。
飛浪、まず、椅子を購入しよう。背もたれのない椅子でのパソコン作業は・・・そりゃぁ、右半身マヒになる(笑)

・・というわけで、立ち上がった、萩尾と飛浪のブログです。ご覧になってくださっている皆様、今後、私たちの記事書き込みが遅かったりしても、どうぞ、温かい目で見守ってくださいませ。

タイトルの「墓フレンド」について。
「ペンフレンド」というのがある。最近は、手紙ではなく、メールでのやり取りなので、「ペンフレンド」という言葉も死語に等しくなったかも・・。
飛浪との出逢いが、まさしく、墓。
日野市の石田寺―といえば、新選組ファンで知らない者はいない、歳三さんの故郷の墓。20年もの昔、現在よりも、たくさんのノートやら、本やらが置いてあり、雑然としていたといえば、言えるが・・その墓を訪ねた私は、他に人がいなかったので、ゆっくりとノートを読むことができた。
ノートには、「同好の士」を求める書き込みが住所とともにいくつもあった。その幾人もの中で、何となく、飛浪の住所が目に留まった。
そのノートから住所をメモしてきたのは初めて。帰宅して、飛浪に手紙を書いてみた。結構、すぐに返事がきた、綺麗なひどく読みやすい文字で・・。(飛浪の文字は私の文字と違って、非常に読みやすい)
それから、手紙のやり取りが始まった。(こうなると、ペンフレンド)
何しろ、東京と九州である。しかも、20年以上前。メールなどない。電話の料金も確か、6秒10円(高い!NTT独占だったから)。
そして、知り合って、数ヵ月後の夏には、一緒に函館・江差・松前など、1週間もの旅をした。この旅の様子などは、後日、書くかもしれない(「かもしれない」ととの表現をしておこう・・いつになるかわからないから)。
北海道から戻って、東京の私宅に1泊して、翌日、京都・壬生寺で行われた、京都の新選組同好の人々が開催した「新選組祭」へ。(若かったなぁ、このパワー!)
10日もの長い間、本来、人と旅をするのが苦手な私が、彼女とは、何の苦もなかった(飛浪はあったかもしれないけど・笑)。
これは、多分に、「墓フレンド」のせいだろう―とい結論に行き着いたのは、数年後。墓での出逢い。それも、我らが歳さんの墓・・。
「歳さんが引き合わせたに違いない」
と、今では、そう信じている私たちである。