3月も半ばとなったというのに、なんという気温の低さ!!
舟木一夫氏―55周年ということ、半世紀以上もの時間が!と、ひたすら、驚愕。
そんなに長い時間が経っているのに、声の衰えがない。
いや、本人いわく、「2~3日休まないと、ダメになってきた」というけれど、ステージで観ている限りは、それは、感じない。
勿体ないほど(笑)声がでている。
「夜の部のために、もう少し、声を残しておけばよいのに」
などと、貧乏性の私は思ってしまったりする(笑)
とにかく、そのパワーに驚愕と感動だ。
…で、「驚愕」といえば、もう一つ。
ここに書いた「驚愕」は良い方の「驚愕」―。
ここからは、悪い方の「驚愕」、不快な驚愕である。
2月から、ずっと報道が続いているから、知っている人は、沢山いるだろう。
一連の出来事での、あまりに、無節操な人間と為政者たちの態度、行動に、あきれ果てて、これでは、庶民が政治に関心をなくして行くのは当然だ―と、憤り、ついには、あんまり、怒っているのも、馬鹿らしくなってきた出来事。
憤る出来事は、数多ある昨今だから、ひとつひとつに怒っていては、こちらの神経が疲労してしまう。そんな「損」な感情は、自分の胸奥深く、埋めてしまおう―と、目の片隅だけで、見つめていた。いろんな報道を…。
メディアの姿勢も、いつも、同じで、国会で大事な審議がされている時、それを覆い隠すように、違う出来事をやんやと放送する。まるで、大事なことから、目をそらさせているのかのようだ。
マレーシアで金正男氏が殺害された事件を連日、流していた。その裏に隠れるようにあった大阪の森友学園の国有地払い下げの問題―等々の出来事が、やっと、表に出てきてた。
「海外の出来事よりもこちらの問題をなぜ、もっと大きく取り上げないのか、取り上げられてはこまる議員や官僚、閣僚、役人がいるのだろうなぁ」
と、いつものことだーと、目の片隅でみていたら、ある時、突然、片隅でみているわけにはいかなくなった。
悪い「驚愕」が突然、目の前に…である。
森友学園が運営する小学校の校歌―流れた時、イントロ段階で、「!!!」。
「『あゝ 青春の胸の血は』ではないか!」
と。
森友学園側の言い分は、この歌の許可は得ている、舟木さんからも開校式には出席するという返事を貰っている―と。
あらゆる事が虚偽ばかりの森友学園の、その虚偽の一つであったのだが…。
何と、マァ―である。
遠い所で起きている腹の立つ出来事―と思っていたら、いつの間にか、渦中に置かれていた、そんな事が、起こるのだと、今更のように、学んだ。
腹がたち、非常に不快になったのは、この歌に限らず、「舟木一夫の歌」が、それとは気がつかないうちに、とても大事な宝になっているからだ。それは、この件で、ネットにもいっぱい書かれていたことからも、わかる。男性ファンは、特に、怒っていたなぁ。
男性には、女性とはまた違う形で、それらの歌が、大切な歌になっていたのだと思う。
青春という人生で一番輝いていた時に流れていた歌、そして、就職をし、働き、家族を養い、やがて、定年(くらいの年齢だろう)―そうしたら、「舟木一夫」が、まだ、やっていた。力強く、ステージに居た。
もう生(ナマ)で聴くことは無いだろうと思っていた、自分たちの青春の歌を聞く事が出来た。
20年ほども前になるが、男性ファンに、話を聞いたことがある。
その時、彼らは、
「舟木一夫がやってくれていると、俺たちもまだ、頑張れると思える」―と。
そう話してくれた男性たちも、定年を迎えているだろう、でも
「舟木一夫は、まだ、やっている!」
と、うれしかったろうなぁ。
…で、そういう男性軍(?)の怒りが大きかったかな?
本日の舟木一夫concert tour 2017は、西の方、大阪府、明日は神戸だったかな。
私は、先週、川崎のステージを見た。
森友学園の校歌の無断使用問題が表にでてから、初めてのステージだったと思う。
今年は55周年記念のステージなので、一曲目から『高校三年生』―。
次が、『あゝ 青春の胸の血は』である。
歌う前に、
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」
と、言った。
会場から大きな拍手、力強い拍手、笑い―多分、みんな、心の底にモヤモヤしたものや、前述したように怒りもあったのかもしれない、この一言で、モヤモヤが、吹っ飛んだ。私も会場を見まわしながら、拍手していたが、みんな、嬉しそうな笑顔だった。
「これで、スッキリしたよねぇ」―と、私は思わず胸内でつぶやいていた。
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」―この言葉を忘れないように、頭に刻んで、二時間弱のステージをあとにして帰宅。
「知らないうちに」―が重要だ。勝手に使われていたということが明白になったから…。
夜の部は友人が観たが、逆手をとって、「森友学園の校歌」と言ったらしい。
それにしても、この森友学園の問題―あとからあとから出てくる呆れかえる事柄。
理事長の国会招致、証人喚問を野党が要求しても、与党は応じない。芋づる式に、自分たちの名前が出てくるのを恐れたのかな。議員を失職する―たぶん、枕を高くして眠れない者たちが沢山…かもしれないなぁ。
そして、そろそろ、幕引きを図ってきたようだけど、他の問題が、また、出てきてしまった状況か。
芋のつるは予想外に長い。
けれど、今度は、この問題の裏で、ひっそりと、『共謀罪』を決定しようと、またまた、「魔の手」が…。
「森友学園を隠れ蓑にして、こっちに目が向かないうちに」
なんて、謀っていないかぃ?―等々、思わざるを得ないほど、政治への不信は増大の一途をたどっている。
サァ、早く温かくならないかな。
一連の不快な人間界の出来事に、春も足踏みをしてしまったのか。
舟木一夫氏―55周年ということ、半世紀以上もの時間が!と、ひたすら、驚愕。
そんなに長い時間が経っているのに、声の衰えがない。
いや、本人いわく、「2~3日休まないと、ダメになってきた」というけれど、ステージで観ている限りは、それは、感じない。
勿体ないほど(笑)声がでている。
「夜の部のために、もう少し、声を残しておけばよいのに」
などと、貧乏性の私は思ってしまったりする(笑)
とにかく、そのパワーに驚愕と感動だ。
…で、「驚愕」といえば、もう一つ。
ここに書いた「驚愕」は良い方の「驚愕」―。
ここからは、悪い方の「驚愕」、不快な驚愕である。
2月から、ずっと報道が続いているから、知っている人は、沢山いるだろう。
一連の出来事での、あまりに、無節操な人間と為政者たちの態度、行動に、あきれ果てて、これでは、庶民が政治に関心をなくして行くのは当然だ―と、憤り、ついには、あんまり、怒っているのも、馬鹿らしくなってきた出来事。
憤る出来事は、数多ある昨今だから、ひとつひとつに怒っていては、こちらの神経が疲労してしまう。そんな「損」な感情は、自分の胸奥深く、埋めてしまおう―と、目の片隅だけで、見つめていた。いろんな報道を…。
メディアの姿勢も、いつも、同じで、国会で大事な審議がされている時、それを覆い隠すように、違う出来事をやんやと放送する。まるで、大事なことから、目をそらさせているのかのようだ。
マレーシアで金正男氏が殺害された事件を連日、流していた。その裏に隠れるようにあった大阪の森友学園の国有地払い下げの問題―等々の出来事が、やっと、表に出てきてた。
「海外の出来事よりもこちらの問題をなぜ、もっと大きく取り上げないのか、取り上げられてはこまる議員や官僚、閣僚、役人がいるのだろうなぁ」
と、いつものことだーと、目の片隅でみていたら、ある時、突然、片隅でみているわけにはいかなくなった。
悪い「驚愕」が突然、目の前に…である。
森友学園が運営する小学校の校歌―流れた時、イントロ段階で、「!!!」。
「『あゝ 青春の胸の血は』ではないか!」
と。
森友学園側の言い分は、この歌の許可は得ている、舟木さんからも開校式には出席するという返事を貰っている―と。
あらゆる事が虚偽ばかりの森友学園の、その虚偽の一つであったのだが…。
何と、マァ―である。
遠い所で起きている腹の立つ出来事―と思っていたら、いつの間にか、渦中に置かれていた、そんな事が、起こるのだと、今更のように、学んだ。
腹がたち、非常に不快になったのは、この歌に限らず、「舟木一夫の歌」が、それとは気がつかないうちに、とても大事な宝になっているからだ。それは、この件で、ネットにもいっぱい書かれていたことからも、わかる。男性ファンは、特に、怒っていたなぁ。
男性には、女性とはまた違う形で、それらの歌が、大切な歌になっていたのだと思う。
青春という人生で一番輝いていた時に流れていた歌、そして、就職をし、働き、家族を養い、やがて、定年(くらいの年齢だろう)―そうしたら、「舟木一夫」が、まだ、やっていた。力強く、ステージに居た。
もう生(ナマ)で聴くことは無いだろうと思っていた、自分たちの青春の歌を聞く事が出来た。
20年ほども前になるが、男性ファンに、話を聞いたことがある。
その時、彼らは、
「舟木一夫がやってくれていると、俺たちもまだ、頑張れると思える」―と。
そう話してくれた男性たちも、定年を迎えているだろう、でも
「舟木一夫は、まだ、やっている!」
と、うれしかったろうなぁ。
…で、そういう男性軍(?)の怒りが大きかったかな?
本日の舟木一夫concert tour 2017は、西の方、大阪府、明日は神戸だったかな。
私は、先週、川崎のステージを見た。
森友学園の校歌の無断使用問題が表にでてから、初めてのステージだったと思う。
今年は55周年記念のステージなので、一曲目から『高校三年生』―。
次が、『あゝ 青春の胸の血は』である。
歌う前に、
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」
と、言った。
会場から大きな拍手、力強い拍手、笑い―多分、みんな、心の底にモヤモヤしたものや、前述したように怒りもあったのかもしれない、この一言で、モヤモヤが、吹っ飛んだ。私も会場を見まわしながら、拍手していたが、みんな、嬉しそうな笑顔だった。
「これで、スッキリしたよねぇ」―と、私は思わず胸内でつぶやいていた。
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」―この言葉を忘れないように、頭に刻んで、二時間弱のステージをあとにして帰宅。
「知らないうちに」―が重要だ。勝手に使われていたということが明白になったから…。
夜の部は友人が観たが、逆手をとって、「森友学園の校歌」と言ったらしい。
それにしても、この森友学園の問題―あとからあとから出てくる呆れかえる事柄。
理事長の国会招致、証人喚問を野党が要求しても、与党は応じない。芋づる式に、自分たちの名前が出てくるのを恐れたのかな。議員を失職する―たぶん、枕を高くして眠れない者たちが沢山…かもしれないなぁ。
そして、そろそろ、幕引きを図ってきたようだけど、他の問題が、また、出てきてしまった状況か。
芋のつるは予想外に長い。
けれど、今度は、この問題の裏で、ひっそりと、『共謀罪』を決定しようと、またまた、「魔の手」が…。
「森友学園を隠れ蓑にして、こっちに目が向かないうちに」
なんて、謀っていないかぃ?―等々、思わざるを得ないほど、政治への不信は増大の一途をたどっている。
サァ、早く温かくならないかな。
一連の不快な人間界の出来事に、春も足踏みをしてしまったのか。