アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

「舟木一夫」の歌

2017-03-15 | 世情もろもろ
3月も半ばとなったというのに、なんという気温の低さ!!

舟木一夫氏―55周年ということ、半世紀以上もの時間が!と、ひたすら、驚愕。
そんなに長い時間が経っているのに、声の衰えがない。
いや、本人いわく、「2~3日休まないと、ダメになってきた」というけれど、ステージで観ている限りは、それは、感じない。
勿体ないほど(笑)声がでている。
「夜の部のために、もう少し、声を残しておけばよいのに」
などと、貧乏性の私は思ってしまったりする(笑)
とにかく、そのパワーに驚愕と感動だ。
…で、「驚愕」といえば、もう一つ。
ここに書いた「驚愕」は良い方の「驚愕」―。
ここからは、悪い方の「驚愕」、不快な驚愕である。

2月から、ずっと報道が続いているから、知っている人は、沢山いるだろう。
一連の出来事での、あまりに、無節操な人間と為政者たちの態度、行動に、あきれ果てて、これでは、庶民が政治に関心をなくして行くのは当然だ―と、憤り、ついには、あんまり、怒っているのも、馬鹿らしくなってきた出来事。
憤る出来事は、数多ある昨今だから、ひとつひとつに怒っていては、こちらの神経が疲労してしまう。そんな「損」な感情は、自分の胸奥深く、埋めてしまおう―と、目の片隅だけで、見つめていた。いろんな報道を…。
メディアの姿勢も、いつも、同じで、国会で大事な審議がされている時、それを覆い隠すように、違う出来事をやんやと放送する。まるで、大事なことから、目をそらさせているのかのようだ。
マレーシアで金正男氏が殺害された事件を連日、流していた。その裏に隠れるようにあった大阪の森友学園の国有地払い下げの問題―等々の出来事が、やっと、表に出てきてた。
「海外の出来事よりもこちらの問題をなぜ、もっと大きく取り上げないのか、取り上げられてはこまる議員や官僚、閣僚、役人がいるのだろうなぁ」
と、いつものことだーと、目の片隅でみていたら、ある時、突然、片隅でみているわけにはいかなくなった。
悪い「驚愕」が突然、目の前に…である。
森友学園が運営する小学校の校歌―流れた時、イントロ段階で、「!!!」。
「『あゝ 青春の胸の血は』ではないか!」
と。
森友学園側の言い分は、この歌の許可は得ている、舟木さんからも開校式には出席するという返事を貰っている―と。
あらゆる事が虚偽ばかりの森友学園の、その虚偽の一つであったのだが…。
何と、マァ―である。
遠い所で起きている腹の立つ出来事―と思っていたら、いつの間にか、渦中に置かれていた、そんな事が、起こるのだと、今更のように、学んだ。
腹がたち、非常に不快になったのは、この歌に限らず、「舟木一夫の歌」が、それとは気がつかないうちに、とても大事な宝になっているからだ。それは、この件で、ネットにもいっぱい書かれていたことからも、わかる。男性ファンは、特に、怒っていたなぁ。
男性には、女性とはまた違う形で、それらの歌が、大切な歌になっていたのだと思う。
青春という人生で一番輝いていた時に流れていた歌、そして、就職をし、働き、家族を養い、やがて、定年(くらいの年齢だろう)―そうしたら、「舟木一夫」が、まだ、やっていた。力強く、ステージに居た。
もう生(ナマ)で聴くことは無いだろうと思っていた、自分たちの青春の歌を聞く事が出来た。
20年ほども前になるが、男性ファンに、話を聞いたことがある。
その時、彼らは、
「舟木一夫がやってくれていると、俺たちもまだ、頑張れると思える」―と。
そう話してくれた男性たちも、定年を迎えているだろう、でも
「舟木一夫は、まだ、やっている!」
と、うれしかったろうなぁ。
…で、そういう男性軍(?)の怒りが大きかったかな?

本日の舟木一夫concert tour 2017は、西の方、大阪府、明日は神戸だったかな。
私は、先週、川崎のステージを見た。
森友学園の校歌の無断使用問題が表にでてから、初めてのステージだったと思う。
今年は55周年記念のステージなので、一曲目から『高校三年生』―。
次が、『あゝ 青春の胸の血は』である。
歌う前に、
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」
と、言った。
会場から大きな拍手、力強い拍手、笑い―多分、みんな、心の底にモヤモヤしたものや、前述したように怒りもあったのかもしれない、この一言で、モヤモヤが、吹っ飛んだ。私も会場を見まわしながら、拍手していたが、みんな、嬉しそうな笑顔だった。
「これで、スッキリしたよねぇ」―と、私は思わず胸内でつぶやいていた。
「知らないうちに、森友学園の校歌にされていた可哀想な歌」―この言葉を忘れないように、頭に刻んで、二時間弱のステージをあとにして帰宅。
「知らないうちに」―が重要だ。勝手に使われていたということが明白になったから…。
夜の部は友人が観たが、逆手をとって、「森友学園の校歌」と言ったらしい。

それにしても、この森友学園の問題―あとからあとから出てくる呆れかえる事柄。
理事長の国会招致、証人喚問を野党が要求しても、与党は応じない。芋づる式に、自分たちの名前が出てくるのを恐れたのかな。議員を失職する―たぶん、枕を高くして眠れない者たちが沢山…かもしれないなぁ。
そして、そろそろ、幕引きを図ってきたようだけど、他の問題が、また、出てきてしまった状況か。
芋のつるは予想外に長い。
けれど、今度は、この問題の裏で、ひっそりと、『共謀罪』を決定しようと、またまた、「魔の手」が…。
「森友学園を隠れ蓑にして、こっちに目が向かないうちに」
なんて、謀っていないかぃ?―等々、思わざるを得ないほど、政治への不信は増大の一途をたどっている。

サァ、早く温かくならないかな。
一連の不快な人間界の出来事に、春も足踏みをしてしまったのか。





北方謙三氏の「曹操孟徳」

2017-03-04 | 雑誌・書籍

新年を迎えたと思った途端に、すでに三月だ。
そして、ここへの綴りも、二月は全く無し―。
二月は忙しかった―と、言いわけをして…確かに、多忙だった。
やることが沢山、あった。原稿もいっぱい書いた。
けれど、忙しくても、就寝時には本を読む、いや、本が無いと眠れない。
文庫本が好きだ、重量の点で、つまり、重くないから―という理由で…。
その文庫本も、昨年一年間の分だけでも、すごい量が本棚の前に積まれている(本棚にはもう入らないので)。
「積ん読」―という言葉があるそうだ。積んであるだけで、読んでいない本の山のこと。
壁から天井までの本棚を、この家を新築の時につけてもらった。そこが、表面だけでなく、本の裏側にも本を並べて、その本棚がいっぱいだ。全部、読んだ。読んだ分だけの知識が全部、頭の中に残っていたらよいのに、殆どは、消えていく(笑)。
「感性」が残っていたら、いいなぁ―と思うが、果たして…。

その裏側にいってしまっているほど、もう、ずっと、ずっと前に読んだ『三国志』(吉川英二)―。
ずっと前に読んだその『三国志』の時から、私は、曹操孟徳が好きだった。
劉備玄徳や諸葛亮孔明には、興味が湧かなかった。
織田信長が好きな人は、『三国志』を読むと、曹操が好きだろう―と、そんな事を言っていた出版社の編集の人がいた。だから、
「萩尾さんは、曹操が好きでしょう」
と、言われた。
でも、吉川版『三国志』で、曹操に泣くことは無かった。
北方版『三国志』で、曹操孟徳という男に泣かされた。胸が熱くなった。
文庫版で13巻―読み進むにつれて、曹操孟徳という人間が立ち上ってきた。
とても人間らしいのだ。
広大な中国の荒野の中を、殆ど、休むことなく、駆け廻り、己れの智慧のみで、生まれも権勢もない場所から、躍り出ていった。多分、この時代の天は、曹操孟徳に味方したのだろうなぁ―と、思われるほどに…。
百万の敵に三万で戦い、勝利し、その後、赤壁の戦いでは大敗を喫して、命も失われるだろうと思われるほどの危機を脱して、彼が使う隠密(のような役目をする)の石岐などには、
「大勝ちをしたと思ったら、負ける時も派手に負ける」
と言われたりする。
つい、涙がこみあげてしまった場面―その大負けの赤壁の戦いのあと、城塔に一人たち、
「兵士は泣かず、兵士は嘆かず、兵士は悲しまず、ただ歩き、心に故郷だけを抱いているのか」
といった意味の詩を吟じる。
「声は荒野に拡がり、消えて行く」
と、北方氏の『三国志』は綴られる。
曹操の側近(というより護衛に近い)の許褚(きょちょ)がそばにいる。
許褚は何も言わなかったが、月の光に照らされた頬が濡れて光っていた―と、書かれている。
『詩は悲しみなのである。喜びをうたっても、恋をうたっても、底には悲しみという情念が流れている。生きることは、ただ悲しいだけではないか。
 しかし曹操は、その悲しみを心の奥に押しこんでいた。書く詩からも、それを読み取れる者はいないだろう』
と、北方氏は、物語の中で、曹操をとらえ、そう綴っていた。
八巻まで読んで来て、曹操の出番(?)がとても多い。あの時、あの大陸での出来事・事象は、曹操孟徳を中心にして動いていたからだろうけれど、私には、嬉しい『三国志』だった。
曹操を赤壁で大敗に追い込んだ周瑜(しゅうゆ)が、その後、重い病を発症している事が内密に知らされた時、
『「病か、あの若さでか、惜しいな」
曹操は、そちらの方が気になった。』―と、ある。
知らせた者は、答えた。
「まず、周瑜の病を心配される。そこにつけこもうと考えられるのは、大分経ってからになる。それが、丞相(曹操)というお方で、私はそういうところに惹かれ続けてきたのかもしれません」
と。
その者と自分と、手を汚すこともやってきた、権謀という点においては、二人とも劣らないが、それで、その者が汚れたと思ったことは無い―として、最後は自分で責を負う人間であると、感じた。
劉備の所に、徐庶(じょしょ)という軍師が居た時、劉備の戦いが変わった。やがて、諸葛亮孔明を迎えて、劉備は一気に表舞台に出てくる。
劉備は、関羽や張飛、趙雲といった優れた部下がずっとつき従っている。
彼らは、特に張飛は、劉備の「徳の将軍」という評を全うさせるために、常に汚れ役を引き受ける。
読み進むにつれて、私の中で、張飛も人間になって行った、いや、人間らしくなって、目の前を駆けて行くようだった。優しい男だった。
やはり、私は、自分の夢や希望、或いは、野望を叶えるためには、自身が汚れる事を厭わない者が好きなのだ―と、あらためて確信した。
もう間もなく、周瑜は死んでいくだろうが、ここにきて、彼の人間も立ち上ってきた。
そうだ、呂布(りょふ)という男も、豪傑で乱暴で、それでも、どこか、悲しい男だったっけ…。

10巻で曹操が死ぬ。そのあとの3巻を、私は、誰をよすがに読んで行けばいいのだろうか―と、憂えてしまうほどに、北方氏の曹操は、その心の奥までも書かれていて、その底の憂いも悲しみも、そして、果断な行動も果敢な姿も、読むこちらの胸底深く爪痕を残した。
本当に、誰をよすがに…である。
誰か、その人間(人間性)が立ち上ってくればよいけど、どうかなぁ―と、残されている面々を考える。


…というわけで、春を待ちながら、本当に、年を経るにしたがって、冬過ぎての春の待ち遠しさが、年々、つのる―その春をひたすら待ちながら、まだ、忙しさの日々を頑張る!…か。



追記 
山と積まれた文庫本も、その他も、ジャンルはあちこち、滅茶苦茶であるが、この度、なぜ、今更『三国志』を手に取ったか―というと、昨年の『宮崎美子の本屋堂』という題名だったかの、テレビ番組で北方氏がゲストで、本の話をしていた。
この時、すでに、北方氏は『三国志』から『水滸伝』そして、『岳飛伝』やら…と、沢山の中国の話を書いていた。全部で50冊は軽く越えるだろうというほどに…。
それほどに、書いても、まだ、書き残している事がある―云々と。
そのひたむきな思いが、もう、羨ましいくらいに、伝わってきて、これは、読まなければ―と、思い至った次第。
その前に、北方氏の時代小説―大好きな『黒龍の柩』を除いても、『机下に死す』『草莽枯れ逝く』『ひとり群れせず』…等々、読み、染みいるものに胸熱くしてきたけれど。
まだ、心がはるか昔の中国にあるのだろうーと、毎年、その年賀状から、北方さんの心が伝わってくる。はるかな大陸に在るのだーと。