アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

数のマジック           萩尾農

2012-12-19 | その他
★9条改正派は、当選者の75% 集団的自衛権行使容認派も81.1%

エ~ッ?!…という数字だ。
そんなに、戦争への道を歩みたいか―と、ちょっと、絶望的な気分に…。

『共同通信社が十七日、衆院選当選者のうち立候補者アンケートで回答を寄せていた454人分析すると、憲法九条改正派は75.6%に当たる343人で、改正の手続きを始めるのに必要な480議員の「三分の二以上」になることがわかった。
自民党圧勝や日本維新の会の議席増を受け、集団的自衛権行使についても容認派が81.1%を占めた。』(東京新聞12/18)

国民は先日の衆院選で、将来は戦争に向う道を選択したのか?
他のどの時よりも大事なこの選挙の投票率が戦後最低。政治と政党への不信、諦め…等々、原因はいろいろあるだろう。
どこに(誰に)いれてよいかわからないーという人も多かった。それなら白票を投じればよかった。白票は不信のバロメーターになるから…。
大事な権利を棄権することがよくない。(棄権は「権利を棄てる」と書くのだなぁーといまさら、日本語の表現に感心?)
投票に行かれるのに行かなかった人は、将来、国(政府)によってどのような立場に自分が置かれることになろうと、文句を言う権利は放棄したことになる、それで、こわくないか?

『自民 民意薄い圧勝』と名うって、数字のマジックを検証していた。
小選挙区制の齎した恩恵で、得票数は4割ほどなのに、自民党の獲得議席は8割。民主党は自民党の半分くらいの得票数を得ながら、獲得議席は自民党の1割強。得票数の死票は82.5%に上った。
小選挙区制では候補者が多いほど、当選のラインは低くなる。2位以下は『死票』になるからだ。
「投票者の5割以上の得票が必要」と言われることが多いそうだが、自民、民主、維新の会、未来の党、みんなの党の5党が対決となった12区(宮城2区、福島5区、神奈川3区、5区、千葉5区、6区、7区、東京1区、5区、16区、23区、京都4区)で5割以上を得た候補者は一人も居ない。全て自民が制したが、得票率は29%(東京1区)から多いところでも45%(千葉7区)だった。
『政党乱立の今回は、総得票の53%が死票。有権者が投じた貴重な一票の半分以上が選挙区では生かされなかった』
―との結果だ。
そのような選挙結果の中で、自民党は有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得するにいたった。(まさに、「棚からぼたもち」)
『信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた』と、その分析結果には綴られていた。
『このようなずれは十二党が乱立した今回の衆院選で、多くの候補が票を食い合った事が最大の要因。特に、最大の争点の一つだった原発政策で「原発ゼロ」を公約する政党が小選挙区で競合し、結果として原発を容認する自民党を利した形だ。』
と、結論している。
結果として、自民圧勝となったが、国民が必ずしも自民党を推したわけではなかった。
小選挙区の数のマジックで議席は増やしたが、政党を選ぶ比例代表では、衆院選に比例代表制が導入された1996年以降、過去最低だった―との事。
それを見れば、投票者が積極的に支持していたわけではない事が分かる。民主党に惨敗し、政権交代となった前回の衆院選の得票よりも今回は219万票も減らした。
それでも、自民が勝ったのは、
『小選挙区では「よりましな候補」として自民党候補を選んだものの、比例代表では「自民党」と書くのに抵抗感が残る有権者が多数いたことを示している。』
――と書かれている通りだろう。
しかし、「本当に選びたい候補」ではなく、「よりましな候補」というスタンスで選択しなければならない国民の悲哀は濃い。
今更言うまでもないが、政治は、本当に、落ちた。

そして、政権がまた、元に戻った。
いや、「元」より悪いかも知れない。
何しろ、一応「圧勝」である。
『衆院選の結果は、自民党の安倍晋三総裁でさえ「自民党に信任が戻ったのではなく、民主党政治の混乱に終止符を打つべきだという国民の判断だった」と”敵失”による勝利だと認めている。実際、過去のデータと比べると自民党は今回の衆院選で胸を張るような得票を得ているわけではないことが分かる。』
と、あるように、「信任がもどったのではなく」「敵失による勝利であったこと」を安倍氏には忘れてもらっては困る。(忘れそうだけど…)。
それから、もうひとつ、改憲派が過半数どころか三分の二をも越してしまった今回の結果だが、前都知事の石原氏には「押し付けられた醜い憲法」と言われた「美しい世界に類を見ない日本国憲法」の改正(改悪)を、数の力にもの言わせて、勝手にされては困る。
憲法は国民のものなのだから…。国民が政府を縛るものなのだから…。
日本国憲法の前文には、
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し我らと我らの子孫の為に」
で始まる平和主義や国民主権をうたっている。
『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、主権が国民に存する事を宣言し、この憲法を確定する。そもそも、国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令、及び詔勅(天皇の出す公文書)を排除する』
安倍氏は、憲法改正発議には衆参それぞれの議員の三分の二以上の賛成が必要という憲法九六条の改正を自民、維新の会、みんなの党との連携でできる――と考えている。
そして、次には憲法九条を変える、これをかえなければ、マニフェストに掲げた「自衛隊を国防軍とする」公約の実行はできない。
確かに、自衛隊の装備その他を思えば、すでに「軍隊」であるが、その軍隊が同盟国のアメリカが各地に行く戦争に同道することや、海外で銃を放つ事をせずに済んできたのは九条に守られてきたから…。九条が、集団的自衛権行使を認めていないから…。それが、変われば、やがては戦争にいかなければならないだろう。
国民は将来、戦争への可能性がある道を選択したーと冒頭にかいたのは、そのことだ。
しかし、数のマジックを分析解析することで、自民党の圧勝が、国民の意志の多くを含んでいるのではない事がわかった。
こんなに「一応の圧勝」を遂げたのに、自民党政権歓迎は33%と低い。そのことが本日報道された。

来年夏には「良識の府」といわれる参議院の選挙がある。
衆院の行き過ぎを止める役割も担う大事な参議院である。
政党の乱立による票の食い合いを避ける事を念頭に置いて各党は仕切り直してほしい(と、「上から目線」の物言い。上から目線で良い。国民は政治家よりも上の位置に存在するから)

長いブログとなったけど、最後にあの戦争を体験した人々が「宝」のように大事にしている日本国憲法 第九条。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。