先日、映画についてドッサリ書いた文章がなぜか、パーっと消えてしまって、口惜しい思いをしたから、そのリベンジ・・というわけではないが、今日は、猫と映画について。
タイトル・・・好奇心。
猫は好奇心の強い動物だという事は知られている。画像はその証し(?)。
塀と物置の間の隙間に何を見つけたのか、覗き込んでいる。
最初は、塀の上を歩いていた。
「ン?」
という感じに立ち止まり、ヒョイと覗く。
「ン?ウ~ン?何、あれは???」
と思っているのだろうなぁ、どんどん、頭を隙間に突っ込んで行く。
ちなみにこの塀の高さは145cmほどある。隙間は10~12cmくらい。
そんな所に落ちたら、あるいは、飛び降りたら、おデブのフワフワ美瑛(ビエイと読む。猫の名前)は出て来れない。
「落ちるよ!ビーちゃん、落ちるよ、こっちにおいで」
と、騒ぐ私の声など、全く、聞いていない。いや、好奇心満杯の時の猫に、人間の声など、聞こえない。
しかたなく、私は、塀の上に猫カンヅメを置いて、キコキコ開ける。漸く、こちらを見た。ニャーだか、ビィエィ~だか、鳴きながら寄ってきた。
猫の名前の由来はその鳴き声にある。
仔猫の時に、ニャーではなく、ビィエ~ビィエ~と鳴いていたので、そのまま名前になった。が、カタカナではあんまりなので、北海道の美瑛という町の名前にした。我が家の6匹猫の中で、末っ子で、私にすごく甘える。が、一番、気が強い。親(母猫)に向かって、時々、フーっと吹いている。野良のオス猫が一日一回は我が家の庭に現れて、くつろいでいる「うちの子たち」をいじめるから、その姿を見ると、みんな逃げ散る。が。美瑛だけはウ~と向かう。取っ組み合い(?)になると、もう、私が出て行っても止まるものではない。オス猫もプライドがあるのか、こうなると逃げないし・・。が、美瑛が形勢不利になった時、逃げたはずのかあさんやおばさんたちが助っ人に入ったのにはちょっと、感心した。
「あんたたちもやればできるんだから、最初から戦いなさいよ、まったく」
と、こんなことが結構、繰り返される。
さて、映画。
飛浪が映画について書いていたが、私も映画、芝居は好きだが、最近では、映画より芝居に行くほうが多いかな。
なぜか?
芝居はナマモノだから、見損なうともう見ることができない。
映画はロードショーで見逃しても、他でやる、ソレを逃しても、ビデオも出る―という事で油断しているのだ。
昔、昔、飛浪と「墓フレンド」の出会いもしていない昔のこと、映画をロードショー館でみることはほとんど無かった。
その頃のうら若い私は(笑い)、お金がなかったので、映画は封切から、随分と時間が経って、3本立て上映になる頃にみた。
今は、一度に3本もみる事はできない。腰痛が、目が・・・という事になる(笑)。
が、当時は若かったから、苦にならない。
ある時、18くらいだったかなぁ、大島渚監督のいわゆる「社会派映画」の3本立てをみた。1本は1960年くらいの製作だから、他の2本も含めてリバイバル上映だったのだろう。・・で、観たものの、やはり、その時の私にはわけが解らない。口惜しかったので、もう一回り見た。が、解らない所がまだ、多々、ある。もう一回り観た。3本立てを3回見たわけだった。
・・で、さらに翌日、社会派大学生―つまり、政治闘争などに多分、関わっているのだろうと、今、思えば、そういう風だったAに、大島監督の3本立てをやっているーと言って、一緒に3本観た。
Aにはわかったのかどうか・・多分、わかったのだろう。
わかりもしない私は、勉強のためというより、好奇心と負けん気で3本立てを結局、4回観た事になる。今では考えられない!が、若かったから、苦にならない。
その後、それらの映画はケーブルTVやwowowなどで放映されて、1~2度観て、年齢も経てきているから、よ~くわかった。
が、なぜか、1本だけ、あれきりみていない作品があり、それゆえに、未だに、その映画の深い所、何をいいたいのかがわからないままだ。
でも、大島監督の作品だから、多分、ビデオやDVDにあるのだろうなぁ、今度、時間のあるときに探してみよう。
それで、観て、わからなかったら・・・どうしよう!(この年で!)『日本春歌考』(映画のタイトル)。
タイトル・・・好奇心。
猫は好奇心の強い動物だという事は知られている。画像はその証し(?)。
塀と物置の間の隙間に何を見つけたのか、覗き込んでいる。
最初は、塀の上を歩いていた。
「ン?」
という感じに立ち止まり、ヒョイと覗く。
「ン?ウ~ン?何、あれは???」
と思っているのだろうなぁ、どんどん、頭を隙間に突っ込んで行く。
ちなみにこの塀の高さは145cmほどある。隙間は10~12cmくらい。
そんな所に落ちたら、あるいは、飛び降りたら、おデブのフワフワ美瑛(ビエイと読む。猫の名前)は出て来れない。
「落ちるよ!ビーちゃん、落ちるよ、こっちにおいで」
と、騒ぐ私の声など、全く、聞いていない。いや、好奇心満杯の時の猫に、人間の声など、聞こえない。
しかたなく、私は、塀の上に猫カンヅメを置いて、キコキコ開ける。漸く、こちらを見た。ニャーだか、ビィエィ~だか、鳴きながら寄ってきた。
猫の名前の由来はその鳴き声にある。
仔猫の時に、ニャーではなく、ビィエ~ビィエ~と鳴いていたので、そのまま名前になった。が、カタカナではあんまりなので、北海道の美瑛という町の名前にした。我が家の6匹猫の中で、末っ子で、私にすごく甘える。が、一番、気が強い。親(母猫)に向かって、時々、フーっと吹いている。野良のオス猫が一日一回は我が家の庭に現れて、くつろいでいる「うちの子たち」をいじめるから、その姿を見ると、みんな逃げ散る。が。美瑛だけはウ~と向かう。取っ組み合い(?)になると、もう、私が出て行っても止まるものではない。オス猫もプライドがあるのか、こうなると逃げないし・・。が、美瑛が形勢不利になった時、逃げたはずのかあさんやおばさんたちが助っ人に入ったのにはちょっと、感心した。
「あんたたちもやればできるんだから、最初から戦いなさいよ、まったく」
と、こんなことが結構、繰り返される。
さて、映画。
飛浪が映画について書いていたが、私も映画、芝居は好きだが、最近では、映画より芝居に行くほうが多いかな。
なぜか?
芝居はナマモノだから、見損なうともう見ることができない。
映画はロードショーで見逃しても、他でやる、ソレを逃しても、ビデオも出る―という事で油断しているのだ。
昔、昔、飛浪と「墓フレンド」の出会いもしていない昔のこと、映画をロードショー館でみることはほとんど無かった。
その頃のうら若い私は(笑い)、お金がなかったので、映画は封切から、随分と時間が経って、3本立て上映になる頃にみた。
今は、一度に3本もみる事はできない。腰痛が、目が・・・という事になる(笑)。
が、当時は若かったから、苦にならない。
ある時、18くらいだったかなぁ、大島渚監督のいわゆる「社会派映画」の3本立てをみた。1本は1960年くらいの製作だから、他の2本も含めてリバイバル上映だったのだろう。・・で、観たものの、やはり、その時の私にはわけが解らない。口惜しかったので、もう一回り見た。が、解らない所がまだ、多々、ある。もう一回り観た。3本立てを3回見たわけだった。
・・で、さらに翌日、社会派大学生―つまり、政治闘争などに多分、関わっているのだろうと、今、思えば、そういう風だったAに、大島監督の3本立てをやっているーと言って、一緒に3本観た。
Aにはわかったのかどうか・・多分、わかったのだろう。
わかりもしない私は、勉強のためというより、好奇心と負けん気で3本立てを結局、4回観た事になる。今では考えられない!が、若かったから、苦にならない。
その後、それらの映画はケーブルTVやwowowなどで放映されて、1~2度観て、年齢も経てきているから、よ~くわかった。
が、なぜか、1本だけ、あれきりみていない作品があり、それゆえに、未だに、その映画の深い所、何をいいたいのかがわからないままだ。
でも、大島監督の作品だから、多分、ビデオやDVDにあるのだろうなぁ、今度、時間のあるときに探してみよう。
それで、観て、わからなかったら・・・どうしよう!(この年で!)『日本春歌考』(映画のタイトル)。