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アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

金木犀の香りに流れる音たち

2024-10-15 | 世情もろもろ
 数日前から金木犀の香りが漂い始めて、漸く秋を感じる事ができた。
 今年のこの香りは3週間くらい遅かった。
 例年、彼岸中日の頃には、
「秋が来たぞ」
と知らせるかのように、そこかしこに、この甘い香りが流れてきたものだった。ずっと、何年も,そうだった。彼岸花(曼珠沙華)が秋の彼岸の頃に決まって咲き始めるように…。
 しかし、今年は、曼珠沙華も遅かった。彼岸が終わった頃に咲き始めた。
 秋にならなかったのだ。
 彼らが(彼女らが)開花する気温まで温度が下がらなかった。夏が長かった。しかも、灼熱の夏。
 しっかりと秋の到来を感じることのできないうちに、10月はもう半分が過ぎる。
 けれど、金木犀の香りが漂い始めた先日、音が、歌声が、聞こえた。
 秋の中に流れる音たちー。
 今年は、11月は様々な音に満ちた日々が続く予定だけれど、10月、
「音が無い、寂しい時間になるかな」
と思っていた。
 そして、新聞の片端に載っている様々なコンサートの案内などに目が行った。
 本当に様々な…である。
 何十年も聴いていないクラシックなども「いつかな?どこでやるのかな」とー。海外の名前も知らない(私が知らないだけ)バンドが開催するラテン音楽のLIVEやコンサートの知らせにも目を通す。手当たり次第状態だーとひとり笑ってしまった。
 結局、友や知っている人が教えてくれる、あるいは開催するLIVEやコンサート以外は行かなかったが…。
 11月はそれらが満載(笑)―。
 その11月を待つことなく、先日、友の素晴らしい歌声に出会った。
 心洗われる澄んだ歌声が、会場の隅まで、余すところなく届いて、酔いしれた。時に涙が溢れた。
 音楽や、歌声は、いや、もっと大きく括ると、芸術は…と言ってよいだろう、それらは、おろかな人類に神様が与えてくれた、唯一の癒し、心包む温もりだーと勝手に思った。
 だから、ここ(!)は、誰であっても、侵してはならない場なのだ。
 大きな権力を持った者、持っていると勘違いしている者、そういう輩(やから)が踏み躙ってよい領域ではない。手を出してはいけない場である。
 そんな所を、どうにも勘違いして、場違いな介入をしてくる者たちの話などを小耳に挟むたびに、私は、結構腹を立てている。
「この崇高な場所に口を出すな!」と本当は口に出して言いたかったりする。
 しかし、それら、理不尽な事象も、澄んだ歌声に消されて行く、心が洗われたーというのはこういうことだと、今更ながらに納得して、自分の鈍感にちょっと笑った。

 長い長い交流(それこそ出逢った時は10代!)の友の歌声やその表情に、彼女がどれほどか歌うことが好きか、どれほどか、ここに、その生命(いのち)が燃えるのか、こんなに長い長い付き合いの中で、やっと、はっきりと掴むことができたーそんな、先日の音と歌声だった。
 10月誕生日の私への友からのプレゼントだーと勝手に解釈して、秋の空気の中を歩いていた。

                                 (2024/10/15)

【追記】 秋が来たーとか、秋の空気の漂う中―とか書いたが、昨日からまた、夏に戻ったか!と思うほどの暑さになった。  地球温暖化というより、地球沸騰化と、今年の夏は言われていた。
気象学者は、「温暖化が違う段階に入ったことは確実」とコメントした。
 地球上のあちこちで、理不尽な戦争をしている。その行為そのものも、地球の温度を上げる事になるそうだ。ミサイル一つ撃つごとに、二酸化炭素が放出されるとの事だ。本当に、大馬鹿者の一部の人間のために、地球は悲鳴をあげている。
私たちの大事な地球も「生物」だということを、為政者たち、とくに「独裁者」は知らなくてはならないのだが、知っていれば愚かな行為、戦争や他国の侵略などは行わないか…。  
                                (2024/10/15)
                                 

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