ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

子どもを置き去りにする親・・・ここにも、グローバリゼーションの波が。

2011-01-18 21:20:07 | 社会
・育児放棄(ネグレクト)された幼い姉弟が、衰弱死。母親は遊び歩いていた。

・生活に困窮し、子育てに不安を抱える母親が幼い子どもを衝動的に殺す。

・遊びに行くのに邪魔になった娘を、真冬、深夜の路上に放置。

・産んだばかりの娘を畑に捨て、凍死させる。

・冷凍した乳児二人の死体を、スーパーのカートに放置。

・幼児が、実の母親とその内縁の夫から虐待され死亡。

・・・いとも簡単に捨てられる子供たち。長期にわたる虐待の果てに死に至る子どもたち。少子化が喧伝されている中で、せっかく生まれてきた子どもたちが、多くは親の身勝手さから、もがき苦しみ、泣き叫び、死んでゆく。どの事件がどこで起きたのか分からなくなるほど、頻繁に報道されている育児放棄、虐待、子殺し。しかし、グローバリゼーションの世の中、日本だけの特殊な社会現象ではないようです。上記の例の中に、フランスで実際に起きた事件が含まれています。それは・・・

17日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。タイトルは、“Agen:elle laisse sa fille pour faire la fête”(アジャンでの出来事:彼女はパーティへ行くため、娘を放置)。アジャンというのは、フランス南西部、アキテーヌ(Aquitaine)地方にあるロ・エ・ガロンヌ(Lot-et-Garonne)県の県庁所在地です。その町で、ある女性がパーティへ行くのに邪魔になった娘を、16日の深夜、路上に放置してしまった。上記の例の3番目がこの事件です。

女性は31歳、放置された娘は7歳。この冬は日本でもいつも以上に寒いのですが、ヨーロッパも何度となく寒波に襲われています。いくら南西部といえども、夜は寒い。それなのに、子どもよりパーティが大切と、屋外に放置してしまう。

幸いにも、この町にあるENAP(l’Ecole nationale d’administration pénitentiaire:国立刑務官学校)の3人の生徒たちに発見され、警察に無事保護されました。その7歳の子は、警察で自分の年齢と母親の名前をしっかり伝えることができたので、警察は母親を緊急手配。すると、深夜、午前1時20分頃、信号無視を繰り返して突っ走る車が止められた。そのハンドルを握っていたのが、なんとその子の母親だった。

しかもその母親、血中アルコール濃度が高く、飲酒運転であることも判明。さらに、運転免許は有効期限を過ぎていた。どうしようもないですね。これで親としての責任を果たせるのか・・・

この母親、今回が初めてではなく、以前にも同じようなことを繰り返していたそうです。遊びに行くのに邪魔になると、その辺に置き去りにしてしまう。親はなくとも子は育つ、なのでしょうか。確かに7歳の今まで生存はしてきました。しかし、その子の心にどんな傷が残ったのでしょうか。その傷が今後の人生にどのような影響を及ぼすのでしょうか。屋外に子どもを放置するということを学習してしまい、親になった時に同じことを繰り返すことになるのでしょうか。いずれにせよ、子どもの心に大きな影響を与えてしまっているに違いありません。

育児放棄・・・こうしたことまでグローバル化しているのでしょうか。世界に広がる同時代的な課題となっているような気がします。時代の所為と言ってしまえばそれまでですが、その時代を替えて行くのも、私たち。ネグレクトや子殺しのない、少なくとも減るような社会へ、時代のページをめくる義務が今に生きる私たち一人一人にあります。特に、育児放棄をする親たちを産み育ててきた、いわば「育児放棄をする親」の製造元である50代前後の私たちには。

さて、どこから始めましょうか・・・

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