ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

テロリズムはなくなるのか・・・フランスからのメッセージ。

2011-05-04 20:19:08 | 社会
アメリカの「ジェロニモ作戦」により、ウサマ・ビン・ラーディンが射殺されました。遺体はすぐさま水葬に付されたということで、その写真等も公開されていないため、本当は身柄を拘束しているのではないかとか、大統領選へ向けたオバマ大統領の演出であって、まだ自由の身でいるのではないか(アポロの月面着陸は、地上で撮影されたものだという映画を思い出します)など、うがった見方をする人もいますが、おそらく、射殺し、土葬先が聖地化されること恐れて水葬にしてしまったのでしょう。

ここ10年ほど、世界でもっとも有名な人物の一人だったビン・ラーディンの死ですから、多くの国々からメッセージが寄せられています。フランスは、どのように語っているのでしょうか。2日の『ル・モンド』(電子版)がフランス政界の反応を伝えています。

サルコジ大統領(Nicolas Sarkozy)のコミュニケ・・・パキスタン領内において、アメリカの特殊部隊による作戦により、ウサマ・ビン・ラーディンが死亡したというオバマ大統領の発表は、テロリズムと戦う世界の国々にとって大きなニュースだ。フランスはビン・ラーディンを10年にもわたって追跡してきたアメリカの粘り強さを称賛する。

2001年9月11日のテロの首謀者であるウサマ・ビン・ラーディンは、「憎悪」を広めるプロモーターであり、世界、特にイスラム諸国で数千人に上る犠牲者を生んだテロリスト集団の指導者であった。犠牲者のために、正義は行われた。今日フランスは犠牲者とその家族へ思いを馳せる。テロリズムがもたらす災禍は歴史的敗北を喫したが、これでアルカイダが消滅したわけではない。テロを行うと公言する犯罪者たちに対する戦いは絶えず継続されるべきであり、犯罪の犠牲になって来た国々が力を合わせることが大切だ。

ジュペ外相(Alain Juppé)の発言・・・ビン・ラーディンの死は、テロリズムの忌まわしい災禍と戦っているすべての民主主義国家にとっての勝利だ。フランス、アメリカ、そして他のヨーロッパの国々はテロリズムと戦うため、しっかりと協力をしている。ビン・ラーディンの死は心の底からの喜びであるが、ビン・ラーディンの死によって、テロの脅威がなくなるわけではない。今まで以上の警戒態勢を取ることになる。テロリズムの脅威は、いっそう高まっている。数日前にも、モロッコ・マラケシュでテロの攻撃があったばかりだ。無辜の人々を攻撃するという卑劣極まりないテロリズムとの戦いは終わっていない。

ロンゲ国防相(Gérard Longuet)のコメント・・・ビン・ラーディンの死は、アフガニスタンで人質となっているフランス人ジャーナリストの解放へ向けてポジティブに作用することだろう。

オブリー社会党第一書記(Martine Aubry)の発言・・・ビン・ラーディンを死に至らしめたアメリカの作戦を称賛する。テロリズムの首謀者の一人が消えたことにより、ページはめくられた。世界は新たな時代へ進むことになる。しかし、アルカイダのトップが消えてもテロリズムが無くならないことは明らかだ。世界が一丸となって毅然とした態度でテロリズムと戦い続けることが大切だ。

・・・ということで、ビン・ラーディンの死はひとつの区切りではあるが、これでテロリズムとの戦いが終わったわけではない。いやむしろ、その死を契機にテロが活性化する恐れもある。今まで以上に警戒が必要だ。そんなメッセージのようです。

差別、文明の衝突、差異への権利(le droit à la différence)、共和国主義のレイシズム・・・なかなか相容れることが難しい伝統や文化、人種、宗教を異にする人々。しかし、差異を超克しようという動き、あるいは、文明は衝突するのではなく、女性の識字率向上と出生率の減少により文明は接近しているのだという研究成果(エマニュエル・トッド&ユセフ・クルバージュ)もあり、この困難さを克服していく長い道のりの先に、新たな明かりが見え始めているような気もします。しかし、まだいくつもの悲劇を乗り越えていかなければならないことでしょう。

宇宙の広さを思えば、地球の存在はあまりに小さい。その小さな地球の上で繰り広げられている人間同士の殺戮は、なんと愚かなことなのでしょう。しかし、例えば、差別をした側はすぐに忘れても、された方はけっして忘れることはできない。そうした思いが民族の心に堆積すれば、簡単には溶解できない想いになってしまう。「違い」、「多数と少数」、「差別」・・・そうしたことから派生する問題を、人類は、いつ、どのように克服していけるのでしょうか。

肝心なことは、諦めず、毎日少しずつでも進んでいくことなのだと思います。ビン・ラーディンの死はテロリズムとの戦いの終焉ではないのと同じように、「差別」や「差異」をめぐる問題との戦いの終着点でもありません・・・なにしろ、「ジェロニモ作戦」。ジェロニモとは「白人の侵入に抵抗した先住民アパッチ族の戦士」(毎日新聞・5月3日)の名です。インディアンを駆逐したように、イスラームのテロリストを駆逐する・・・のでしょうか。人類は、長い、長い道のりを今後も歩んでいかなければならないようです。