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緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

水耕稲作の伝播は何をもたらしたか

2012年07月01日 18時11分40秒 | 文化
7月1日(日)   

 韓国旅行の余韻を求めて宮崎県立西都原考古博物館へ南九州へ水耕稲作の伝播は何をもたらしたか、或いは半島から倭の国へ一方的な伝播であったのか、好奇心の発端は韓国高速鉄道の車窓から青々した田植え後の光景がキーワードです。









 館内に入りますと、ボランティアガイドの説明を受けて、この地がおよそ二万五千年前に起こった姶良カルデラの大爆発後が当博物館では考古学の始まり、それ以前の歴史は五〇~百メートルに及ぶシラス地層の下に眠っていますと。本日、筆者が本館を見学に出向いて来ました出発点は、この地に於ける水耕稲作の起源であります。三千年までは遡らないと思いますが、朝鮮半島と南九州の水耕稲作には何か関連性が有るかが?出発点であります。


弥生時代の特徴は土器類の多様化









 当然ながら、本考古博物館の見学は展示資料のつまみ食いに終わる可能性が大であります。館内はノーフラッシュならばカメラ撮影も可能であり、フォトは復習やブログ掲載等には資料として事欠きません。しかし、博物館見学を終えて帰宅して写真を広げて気づいた事でも有りますが、東アジアに於ける水耕稲作については、骨格は解明されており、今さら素人が声高々に上げる場面なぞ有ろうはずが無くて、新たな古代史の知識と言いますか、混迷を頂いた気分であります。


古墳時代の武人像


家形埴輪

 本考古博物館は西都原古墳群の一角に位置して、四季折々に行楽気分ついでに訪れて歴史を学ぶ楽しさを知るポイントであります。今回の見学テーマは水耕稲作、籾・米と穀物が主題ですので目がどうしても土器類へ向きます。展示品に土器須恵器類の多い事に気づきます。テーマを持って見学しますと関連展示品が自然と目に入るのでしょうか。今までに素通りしていた大型壺が目に止まります。これはひょっとして液体類の保存では無くて、穀類の保存にも用いたのではないか?大型壺での穀類保存は長期間は無理かもしれないが、数年くらいならば何とかなる。米の保存は一年もあれば充分です。




鹿児島県大崎町神領10号墳出土の須恵器


鹿児島県大崎町神領10号墳出土の盾持人埴輪


鹿児島県大崎町神領10号墳出土の土師器

 米俵類でも籾の保存は可能で多くは俵を用いていた可能性が大ですが、稲ワラが地層から出土するには恵まれた保存環境が必要です。端折って申しますと、大瓶を始めとして土器類の出土は食糧の豊かさを示します。水耕稲作の到来は保存器具類・食器の多様化へ繋がっていきます。それが韓国高速鉄道の車窓から眺めた水田風景と、西都原考古博物館を見学して感じた事柄であります。


西都原古墳出土の銅鏡


舟形埴輪


隼人族の盾

 更に館内を見学しますと、三千年前の水耕稲作の到来、歴史は決して牧歌的なものでは無くて、多様性があった事を示しています。日本列島弧の一角に有ります太平洋岸沿いの大隅半島や日向灘に面した西都原の古墳時代出土品がその事を示しています。その辺は館内でシャッターを押しましたフォトで説明に変えます。筆者の知識では、まだ、古墳時代・西暦四世紀から六世紀に及ぶ当時の人々の暮らしぶりや国のあり方までは把握に至りません。本地に於ける水耕稲作の伝播で、食器や瓶類の製造に拍車がかかったと本日の見学で認識しました。

夏バテ対策は飲茶で

2011年08月04日 19時12分50秒 | 文化
8月4日(木)  

 朝から細々と動き回りますと、夕方には魂を抜かれた状態に陥り、しばし回復するに時間を要します。このような時には何か刺激ある出来事か発想を変えますとパソコンの前でも苦痛が襲ってきませんが、はて本日は何かその様なものはないかな?外は台風九号の影響でしょうか、ときおり風と雨とが入り交じった天気模様です。


霧島の山中、場所によっては人間を見ると瞬時にして姿を消す鹿もおります

何はともあれ夏バテから逃れるには、まずは健康管理が第一でしょうが、細やかな対策は人それぞれに有りますでしょう。愚妻の娘夫婦子育て支援が切っ掛けとなり、留守宅で編み出した健康管理の一つが、朝食時に湯を沸かしてペットボトルに日本茶二リットルを急須と茶の葉で一日分として準備します。夏は水分補給が肝心、自家製のお茶が目の前に有りますと、まずは気兼ねなく良く飲みます。自家製ですので飲料水に対する安心感もあります。自分で出したお茶だけにしっかりと飲む意識も芽生えます。外出先へも大き目のペットボトルを携えていきますと不細工な感は有りますが、その分だけ何かしら身近に飲み水が有る事で安心感を頂きます。最近では南九州の畑地にもとみにスプリンクラーが設置された茶園が広がっております。

当然ながら夏バテ気味の五体に水分補給が確実に行き渡り、ややもしますと多めの量となり結果として血の巡りも良くなります。それに尿分として排出も頻繁になります。お茶の効能は古よりさまざまな病治療に効くと言われています。最近、知りました茶の歴史に「茶馬古道」が有ります。中国雲南省の茶が幾つかのルートを伝わってチベット・ラサへ運ばれる経路、代金はチベット馬であると言います。何とも同じアジアで有りながら近代化の波に長らく無縁であった地域、チベット寺院や遊牧民のパオでよく目にする光景、バター茶を飲むシーンがあります。テレビで「茶馬古道」放映で気づきました事は、筆者の勝手な想像ですが、チベット人は中国南部から永い年月五千年~一万年単位で北上して行った民族ではないかと思いました。つまり、チベット人の先祖には、かって、茶を飲む習慣があり大陸を北上すると伴に茶も後を追いかけて行きました。何となく人間と茶の関わり合いが浮かんできます。

ここでお茶の起源をネット情報で検索しますと中国雲南省南西部とあります。雲南省と日本との繋がる要因は何か?まず考える事はアジア南部を横に広がる照葉樹林文化の連なり。代表的な樹木としては椿や樫などの常緑樹があり、また代表的な食材に大豆の発酵食品ミソがあり、芋類を儀式に使うなど郷愁を誘う香りがあります。水田稲作が伝わる前の食文化、雑穀や芋類を常食した文化が照葉樹林地帯には長い年月に渡り稲作文化と混在したと想像します。何とも我ながら心豊かになる想像です。当然の事ながら、茶を飲む習慣も照葉樹林文化の一要因として、住民の体深く染みこんでいるとこれも想像します。

飲茶の習慣が廃れることなく、現在も茶畑が南九州の丘陵地に広がる様を眺めます時に、長い年月にわたり、この地域つまり照葉辞林地帯住民の健康を支えて来た飲茶の習慣を、夏バテ対策として早めに気づくべきでありました。飲茶の習慣は人類の歴史まで空想する切っ掛けです。

八月は精霊となった友と出逢う日

2011年08月02日 19時00分00秒 | 文化
8月2日(火)  

 かって暮らした農家集落の記憶をたどりますと、八月とは農作業も一段落して人間関係を清める季節でもあります。そのメインは十三日から十五日までの三日間、ご先祖様を家の門口でカラ松の盆火を燃やし、精霊となったご先祖様をわが家にお迎えして家族共々で安らかな三日間を過ごします。つまりお盆あるいは盂蘭盆会とは農村集落の何とも心休まる夏行事。一方で日頃の人間関係、取りこぼしたお付き合いを回復つなぎ留める初盆参りをお盆前までに済ませておきますと、何とも心安らかなお盆の三日間を迎える事が出来ます。すっかり忘れていましたが、本日は愚妻の案内で初盆参りがしっかりと、今もこの地域社会に、継続している事を知ります。


えびの高原の野生鹿、人間と野生動物には超えられない境界があり、超えてしまうとお互いが災いをまねく

本日は愚妻の意見で二軒ほど初盆参りに知人宅へ出かけました。訪問する時間帯にも心配りが必要で、その基本は主婦の朝仕事が一段落ついた時間帯、午前十時過ぎから正午前の二時間弱の時間帯でしょうか。八月の暑さ、この時間帯で初盆を迎える家庭ではそれなりに訪問客への準備が成されております。この辺は、しきたりの中へ入っていきますと、何となく見えてきます。

初盆で訪問者がご仏前にお供えする供物も素麺箱やお菓子等、どちらか言いますと御霊前や御仏前の熨斗袋は少なくて仏様が生前に食していた食物が多いように見受けます。これは現金収入の少なかった農村集落の名残がそのまま続いていると理解します。あらかた六〇年ほど昔に祖母の親戚廻りでこの役目を担ったことがありました。中身は自家製の菓子類でした。今ふり返りますと何とも優雅に人間関係を大切にしていたと感じます。あれから六〇年が経過して自家製菓子を別なものに置き換えても、そんな関係が続けられますでしょうか。何が失われたのだろうと思います。

さて一軒目の訪問先、奥様も在宅されており玄関よりお邪魔してご仏前で線香を焚いて遺影に手を合わせます。何とも良いお顔の遺影です。かように穏やかなお顔であればお話しする事もまだまだ多かったでしょうに、えびす顔です。奥様と仏様のお話を三〇分間ほどして何とも心安らかなひとときを頂きます。初盆参りの基本は夫婦して訪問すること。仏様への話題も広がり残された奥様へのささやかな支えにもなります。初盆参りで地縁の繋がり、何とも人様の織りなす豊かさ、次世代へ受け継がれていく確かなものを感じます。

二件目の訪問先、時間も正午前となりご仏前で合掌して遺影に久方ぶりの笑顔を見ます。なるほど、初盆参りに本日訪問しましたお二方、かれこれ二五年を超えるお付き合い、地域社会に於いて長期に渡る友人つき合いとは大きなテーマ、その様に長期に渡る交際が出来ました事は何はともあれ精霊と生者とに別れても友達冥利に尽きます。その〆として八月に一つの区切りを心に受け止めます。

午後になり奄美大島の知人より黒糖焼酎を頂きました。久しぶりに頂く黒糖焼酎、前回に頂いた時には、頂き物を数年間に渡り物置にしまい込んで、時折ながめる日がありましたが、ある日思い切って封を切りますと何とも爽やかな味わいに変化しておりました。あれ以来、頂いた黒糖焼酎は日付を記して物置に仕舞い込むようにしております。ついでに電話番号も。開封の日には送り主に報告します。何とも気の長いお付き合いになります。

八月には故人を偲んで

2011年08月01日 18時26分39秒 | 文化
8月1日(月)   

 朝になり目が覚めても床から身を起こせない。何だこれは?白鳥山登山の疲れが翌朝になっても残っています。この疲れ具合は重労働した後の疲れと似た部分と異なる部分があり、元は体力回復不十分、睡眠不足の面が体を床に縛りつけています。久しぶりに味わう登山の疲労感。それでもどこか爽やかで、いつもとは異なる体の軽さがあります。昨日の登山中にはかなり体力不足を感じて体が重い、この調子では薩摩半島開聞岳夏登山は体力不足により途中下山を起こしそうだと思いました。


えびの高原で見かけた野生鹿、人間の撒き餌は野生鹿に災いのはじまり

愚妻の月一回は登山をと言う宣言。なるほど、登山による血行の良さ、疲労感は伴いますが前期高齢者をも引きつける健康的な魅力が霧島登山にあります。まずは久しぶりの霧島白鳥山登山は成功しました。 幸いにして、新燃岳噴火により霧島もえびの高原界隈の低山しか登山が出来ませんので、秋へ向けて季節柄も宜しくて霧島の自然を楽しむにも手頃な頃合いです。

さて本題は日頃の生活の中でも、何かしらお金に代えられない場面に出会います。御祝金もある種のルールが有り、熨斗袋に包む金額についても世間相場もしくは過去のお付き合い程度で判断する場面があります。当然の事ながらその辺りの判断には経験を積み重ねないとなかなか世渡りは出来ないものだと感じました。細やかな判断を男性が仕切るにはかなりな生活通になる必要があります。この辺りは亭主として完全に放棄して愚妻の判断に任せますと人様の心深く眺められる心境になります。

先に感じたものを述べますと、田舎暮らしの中で注意すべきは、貨幣社会の面が薄いこと、まして冠婚葬祭について包む熨斗袋の金額は、本来は物納が基本で有った或いは有ると言う現実です。一世紀前の話ではないかと反論が出そうですが、続けますに相手様に金銭的な負担を掛けないこと、お返しに多額の金銭を要する熨斗袋は止めることでしょうか。冠婚葬祭も一度きりで有れば問題有りませんが、三年忌や十三年忌とか永いお付き合い行事には何かと心配りが肝心であります。人様とのお付き合い、親族ならば故人の年忌法事へ参加も当たり前ですが、故人様のご縁が他界後も続くには地域社会の環境にも注目すべきでしょうか。

本日は故人様の十年忌に当たる年、八月初日は神道例祭日ですので夫婦して故人様宅神棚を拝みに参りました。留守宅にはご夫人様が在宅されており久方の話がにぎわいました。故人様を偲んでその後の続き話をするのは何とも言えない趣きがあります。故人様が生きている間は気づきませんでしたが、稲作文化の基層部分に出逢ったような場面を迎えました。存命中にはご夫人様から稲作儀礼などお聞きする機会もあまり有りませんでしたので、その辺りは夫婦二人して心引き継いで行く良い体験だと感じました。

なるほど水田広がる地域には現金収入の場となる職場は少ない面があります。その面が強調された弊害もまだあります。しかし、人間英知の源は両手に広げた容積一杯、全てが満たされるわけで無し、角度を変えますと別な豊かさが見えてきます。帰路には玄米一袋を頂いて何ともお米の重み精米して志を広げましょう。

第37回那覇ハーリー中学生男子の部

2011年05月03日 17時59分29秒 | 文化
5月3日(祝)  

 那覇ハーリーに出会うとは、旅先での贈り物か、五月連休の旅に沖縄を選択して正解でした。この手漕ぎ船で先着を競い合うハーリー(爬竜船競漕大会)は沖縄伝統行事、四百年前に中国大陸から伝わったと言われる船漕大会、海人の本領を発揮した若者の祭典です。



那覇市定宿より会場まで、テクテクと歩いて二〇分ほどの距離、那覇新港東岸壁がオープニングセレモニー会場でもあり、那覇新港東側が競漕大会に使われる海域で近くの緑地公園は選手控えテントが張り巡らされております。オープニングセレモニーには県や市や関係団体の代表者が集い、テープカットの儀式が始まります。市内中学校吹奏楽団の演奏会場もあり楽しい音楽を披露してくれます。



観光都市那覇市初夏の祭典にふさわしい賑わいがあります。オープンして間もない観光船岸壁には外国大型客船が着岸しており世界にアピールした祭りで有る事がわかります。集まった観客には中国大陸の若者も姿が見えます。なるほど、今も昔も沖縄は人の往来でにぎわう中継地点でしょうか。



感心します事は、ハーリーに中学生男子のみならず女子まで参加させている事です。海邦沖縄にふさわしい教育です。出場チームは岸壁から沖に向かって一番から三番まで三チームが並び、スタートの合図と伴にこぎ始めます。ある程度、漕ぎ方の練習をしないと要領がつかめそうにありません。



櫂を前に出して手前に引くわけですから、四二〇米の競漕区間、かなりな体力を消耗します。それに漕ぎ手全員の心意気が一致しませんと櫂がバラバラとなり推進力がアップしません。港内とは言え波は決して穏やかではありません。ハーリーの全長は十五~二〇米、漕ぎ手は三〇名前後を数えます。



ハーリーに帆柱を設けて帆を張りますと、往事の船舶像が浮かび上がります。このような船で競漕大会に出場しますと、多感な中学生には生涯の思い出になる事が必定であります。今回の旅で感動した場面です。一心不乱でハーリーを漕ぐ中学生、港内の波とは言え、彼らの船を翻弄します。追い風が折り返し点を回ったとたんに向かい風となり中学生の体力を試しております。全員が櫂を揃わないとハーリーは前進しません。



ようやく、漕ぎ方がそろい、ハーリーに船足がよみがえります。手前も沖合も漕ぎ手の心が一致する時、向かい風をも吹き飛んでしまいます。沖縄の魅力はさまざまですが、この海から得られる試練は何物にも代え難いものあるやに見受けます。その地域の風土とは、他者がうかがえしれない領域があるのが理解出来ます。

http://youtu.be/h5WD3Yen3WY

こうして初めて観覧しました沖縄伝統行事、第37回那覇ハーリーは中学生男子部の観覧で十分であります。成人の部は次回としましょう。祭りは伝統行事であり、人々の心を温めると同時に若者へ故郷のエキスを伝える場でもあります。

正月儀式「朝拝御規式 」(ちゅうぬうぬふぇ)

2011年01月01日 18時03分50秒 | 文化
2011年1月1日(祝)

 年末年始にかけて鹿児島空港から那覇空港へと空を一飛びして出かける沖縄旅行、滞在七日間、そのハイライトはやはり正月三が日に開催されます首里城公園・新春の宴・正月儀式「朝拝御規式 」(ちゅうぬうぬふぇ)第一部「子之方御拝」(にぬふぁぬうねふぇ)を見物することです。国内ながらも琉球王朝儀式を初めて見物しますと、沖縄のおかれてきた地理的環境、地政学とでも言いますか中国と日本の狭間で生き抜いてきた海邦の歴史について思い浮かべざるを得ません。



とは言っても、海邦の歴史を何処から学べば良いのか、本業の片手間ですから、半ば好奇心を満たすようなもので沖縄の心髄にたどり着くには遙か彼方と考えていました。ところが、この年末年始の沖縄旅行で、首里城で開催されます正月儀式「朝拝御規式 」を知り、このところ通い続けた感があります。

Ninufanuunufe


和洋折衷ならぬ、中国・琉球・日本とそれぞれの文化を取り込んだ朝拝御規式、物珍しさが走りカメラで撮影することに夢中になります。今年も昨年同様に同じポジションで同じ望遠レンズを使いカメラの設定もそこそこにして被写体を追い掛けます。周りにも大型カメラを持参した方が数多く見られて、どうやら朝拝御規式はそれなりに知れ渡っております。




国王と后の装いは、表現が我ながらお粗末ですが、和漢折衷、元々、東アジアの装いにさほどの差は無し、仰々しさを省きますと両国の装いが入り交じった感があります。国王と后が宮殿を出て祭壇の前で天へ新春を祝い、国の平安を祈り捧げる。




今年もいつもの通りに見物人の立場でカメラに向かっておりました。カメラからふと目を外して隣に目を向けますと、子ども連れの夫婦が国王と后と諸官と一緒になり祈りを捧げております。若夫婦は沖縄県民でしょうか。その瞬間に思わずホロリとなりました。ホロリとなれば涙が自然にあふれてきます。感極まる、ある面でおごり高ぶった面か、心の隙間を突かれた思いがありますが、今回も旅の心髄にふれてしまいました。



首里城が平成の世になり再現されて、正月儀式朝拝御規式を始めとして、様々な琉球文化が掘り起こされています。その様なものが何で有るのか?漠然とした気持ちでおりましたが、例え、復元儀式とは言え、見物する人々が一緒になり儀式の中で祈りを捧げる姿は、今までの疑問点を解き明かして頂いたと同時に新たな段階への扉が開いた気分になります。



平和を求めて、大国の狭間で揺れ動いた尚氏琉球王朝、事実上の琉球王朝解体となった明治始めの琉球処分、戦後の米軍駐留と基地存続と海外移転へ向けての住民運動など、海邦沖縄の苦難は営々と続いている様を眺めます。将来、海邦沖縄が日本から分離独立する可能性が零で無い事をも知ります。

多忙な日に読む本

2010年09月30日 19時10分39秒 | 文化
9月30日(木) 

 月末の木曜日、さすがに仕事一筋の一日、午前中はお客様へ精神力が集中して、訪問箇所も数カ所におよびどうにか予定通りに一件落着、やれやれで帰社しますと次の仕事が待っております。こんな時はたっぷりと昼時間をとり午後の車運転に注意して、交通事故に巻き込まれないように自ずと安全運転に心がけて、むしろ、緊張感を保つには脇道よりもメインロードへと車の流れに入り込んで行きます。

午後の時間が到来して市中を走り回った末に仕事からようやく解放、自室に座り込み窓越しに熟れていく柿の実を眺めていますと、どうやら一息ついた気分が沸き上がり、さて本日の関心事は何か?です。忙しい最中でもネットニュースで見聞したものを短文で羅列しますと、北朝鮮政権三代目お披露目写真これからどのような国の展開になるか?やや過激か菅内閣は国会開会後にも成立し得るのか?宮崎県知事東国原知事一期で引退表明!

いろいろな思惑が交差するこれらのニュース、いずれも関心度の高い案件ばかりで、筆者はとてもコメントを述べるほど情報も持ち合わせませんが、当分はこれらのニュースは注目度が十点満点の七点以上という処でしょう。その中で一番情報量の少ないのは宮崎県知事に関する項目、まだ、地方都市情報は未成熟状態かな!ただ察するのみです。

さて、今では入手した経路も定かでありませんが、南島の民俗芸能と出会った頃でしょうか、時間の合間にちびちび読む書籍があります。慌ただしい時間の中で読みますと、何処か休憩室でも入り込んだ気分になります。書籍名は「神々の原郷・南島の基層文化」、著者小野重朗氏、発行所法政大学出版局、1977年4月1日初版第1刷発行とあります。著者小野重朗氏はその分野ではかなり名の知れ渡った学者と記憶しております。それも三〇年以上の昔です。

この書籍は古本屋で入手できるかどうか、これも定かでは有りませんが、一日に一頁読めば充分な読書量と感じております。記述された舞台は主に南九州から奄美大島にかけての集落の民俗芸能を含む○○儀礼です。今では日本文化の支流となったこれらの南島文化、現地に出向いても担い手が居なくて消滅したものも多数有ると思われます。先日出向きました奄美市笠利町佐仁のアラシツとシバサシの行事と伝承についても記載があり、どうやら南島八月正月、なんとも聞き慣れない言葉ですが、稲作文化の前の根菜文化かな、著者が現地へ出向き事細やかに記載して有るサマは年月を経ても、わずか五〇年前でしょうか、生き生きと描写されております。

都城市金田町に伝わるカセダウチ、今では祭りのいわれも定かではありませんが、これも脈々と伝わっており、その同じカセダウチが薩摩半島知覧町永里や市来町川上にも同様にあるなど、祭りの移動は何に由来するのか、尽きぬ魅惑を与えてくれます。何が言いたいか?南九州から南島にかけて、南島とは与那国島までか!何か、それこそ南島文化の底流が途絶えることなくあると勇気づけられる書籍です。

舞踏会の写真がヒントになり

2010年09月03日 17時59分20秒 | 文化
9月3日(金) 舞踏会の写真がヒントになり

 九州も南と北とではそれなりに異なる部分があるものです。こうして南の都城市から北の福岡市へ出向きますと天神辺りを眺めて大都会の雰囲気を感じます。最近では福岡市もやや景気の波が消え失せた感があり街を行き交う人の目にあの生き生きとした輝きが見えません。落ち着いてきたと言いますか金余り現象と言われたものが無くなったのでしょう。

日本の経済発展はどこで一歩を間違えたのであろうと田舎暮らしで考えてみます。データを紐解く訳で無し数字の裏付けが出来るほど俊英な身でもありませんが、ここで他紙記事を無断で引っ張り出して解説の足しにしてみます。ニューズウィーク日本版8・25号の記事に「経済はカーテンの陰で腐敗するBehind the Crony Curtain・アンドルー・バスト」を四頁にわたり掲載しています。世界経済に於いて独占企業体による富の偏在と腐敗の危うさがメキシコ実業家カルロス・スリムの個人資産六百億ドルの影響力に始まって新興諸国の改革による成長まで解説されております。

記事の内容につきましては記者が括弧付けした熟語を順に並べてみますと「縁故資本主義」、「最近の世界金融危機の間、多くの新興国はいわば縁故主義のストレステスト(健全性審査)を受ける事になった」、「世界腐敗リポート」、途上国で「政治家と役人が受け取る賄賂は推定年間二百億ドル~四百億ドルに上がる」、「世界的なカルテルの波」、「物言う投資家」、「外国企業に門戸を開き競争させる」他と続きます。経済発展に伴う人間の限りなき欲望と腐敗、そんな角度から記事を眺めました。

この記事を引用します理由は記事の内容もさることながら、使用されている写真に注目したからに他なりません。目を引いたロシア、モスクワの舞踏会の模様からヒントを得ました。写真には(構造問題・成功は、得てして改革よりも慢心を生む)と解説まであります。筆者の目に止まりましたのは、人間はある程度の富を得ると階段のワンフロアに立ち上った気分になり、一息ついて何らかの文化を創造するのではないか?その文化の形がロシアでは舞踏会と言う形式で男女がドレスアップして、女性は白いロングドレス男性はタキシードと華やかさと享楽の夜会を楽しむ、さまになっており、これも一つのロシア文化かなと感じた次第です。

ある程度、働いて少しゆとりが出来れば手っ取り早いのは歌と踊りの世界、サラリーマンの歌と踊りは何処で誰が配分するのだろうと考えてます。余談ですが地元で鹿児島宮崎両県にまたがる民俗芸能「南の唄と踊り」を十年ほど継続しましたが、地域社会には必ず民俗芸能が有るものです。戦後、バブル期を超えてからも日本の労働者には階段のワンフロアに立ち上がった気分は何であったのだろうと考えます。野球かJリーグかゴルフか?です。なかなか国民の趣向が拡散した感があります。

経済主流を旨として考えます時に、階段のワンフロアとは途上で大きな役割を担うのではないか!上記の記事が述べる「Behind the Crony Curtain」まで深く考察する訳ではありませんが、日本経済に於いて方向性の転換とは十分に必要だと感じます。どんな具合にと申しても、そこは素人の悲しさ数字を使えない浅学の身ですが、写真を介してそれも人様の写真でちょっぴりと感想を述べる形で申します。

第6回城音楽祭を鑑賞して

2010年08月19日 18時36分36秒 | 文化
8月19日(木) 

 一昨日の地方紙に城音楽祭が十八日と十九日に鹿児島国際大学で開催されると記事にあります。この件も一旦は口蹄疫の影響を受けて六月には中止を決定していましたが、同大学が会場提供の申し出をして開催が復活することになりましたと。今年で六回目と申しますから、瞬く間に六回目かと感嘆します。


第6回都城音楽祭の会場となった鹿児島国際大学のミニホール

城音楽祭に関心を持ちましたのは会場である都城市ウエルネス交流プラザ・ムジカホールが自宅から歩いて八分ほどの距離にあり、初回と記憶しますが出場者の市内見学応援団としてガイド役とマイカー提供をかって出た事が始まりです。そもそも、城音楽祭とはなんぞや?鹿児島国際大学のウーヴェ・ハイルマン教授を音楽監督に迎え中村智子教授他の方々や城音楽祭実行委員会を主催者として声楽部門のコンクール・講習会・コンサートと二日間の内容は充実したものです。都城市の声楽啓蒙活動の一環とみます。それなりに主催者の方々が当地域の関心を抱いて頂いたたまものでもあります。

コンクール部門は中高生と成人部門とがあり、開催地城市民としては、数多くの出場者を前にして、声楽を思いっきり楽しむ機会でもあります。遠くは関東方面からも参加者があり、音楽祭二日間を三百席のムジカホールに座り込みますと、出場者が制服からドレスまで様々なスタイルで真剣に歌い込む姿は、それなりに新鮮な世界が繰り広げられて、日頃の音楽不足を解消する場にもなりました。

今回はコンクールのみで、それも出場者は中高生五一名とあります。名簿を開いてみますと出場者は遠くは愛知高等学校の出場者がかなりな数で、それに鹿児島県と宮崎県の高校生が目につきます。肝心の都城市出場者は一名か。五一名中の一名とは教育機関および地元都城市民の関心の薄さが目をつきます。

さて、会場にどうにか正午にはたどり着いて開場を待ちます。会場は大学のミニホール兼音楽教室で階段教室になっており定員百名ほどでしょうか。高速道路の整備で都城市から同大学までは時間的に一時間十五分ほどの距離、その大半が有料道路で覚えやすい道程でもあります。午後一時となり出場者の登場、予選曲と自由曲の二曲が歌われます。予選曲はイタリア語か!ドイツ語ではあるまいにと思い聴き入ります。

感想を述べますと、中高生の出場者、歌の世界に目覚め始める年頃かなと言うのが第一感想です。時間の制約もあり出場者十名ほどの歌曲に聴き入りました。歌曲一曲で情感の世界へ導いてくれる出場者もいました。出場者の力量よりも情感の世界へ導いてくれるかどうか?素人審査員の判断基準です。すっかり聴き惚れたというのが会場を後にしての感想でもあります。中高生の真実さとでも言うのか、純粋さで、イタリア語かな、良く歌い込んでおり、情感が伝わって来るとは開聞岳登山で感じました同質の情感です。登山も声楽もごちゃ混ぜにした感はありますが人の心は一つです。こうして鹿児島市と都城市を眺めますと、市民へ情感を感じる場を提供するのも、都市機能として必要な項目です。

年季はシグナル

2010年08月08日 16時57分09秒 | 文化
8月8日(日)  

 夏に蝉の鳴き声、午後の時間に二階の自室でパソコンに向かっていますと、ほぼ毎日蝉の鳴き声が聞こえて来ます。海辺か山間の里にでも出向いた気分になります。その上に日曜日は前の国道を通る車の数も少なくて日頃の喧噪が消えて長閑さが漂って来ます。夏の長閑さあらわす蝉の鳴き声、合間に小雨がぱらついたりして、鳴き声もトーンが変化して、聴き入るのも夏ならではの事です。


霧島えびの高原で見かけた山の花(撮影2008.9.14.07:52am)

思い出すものは、あの若い頃の焦りとも見た慌ただしい気分は何処へ飛んでいったのだろうと考えます。七〇歳代半ばで他界した祖父。身内で高齢者とは、今になればさほど高齢でもない故人、記憶にも数多くの思い出があるご先祖様から浮かんできます。そんな思い出から現代を眺めますに、静かで慎ましやかな老後の生活を満足するならば、七〇歳代は健康そのもの、死ぬにはまだまだ、八〇歳代にしても旅立つにはどこか勿体ない年齢であります。まあ、せめて九〇歳代後半くらいは生きて当たり前の社会が眼前にあり、気づいてみますとわが世代はその先駆者でもあります。

しからば先駆者として、後に続く世代にどのような生き方を伝授するか。自問自答してみますと、基本の一は若い内に世界見聞の旅へ出る事でしょう。生きていく上で何が必要か?旅に出なければ分からないものがあります。この体験の有無が人を選別します。表現が下手くそですが、旅へ出ますと、一つは小利に走らなくなります。二つは自分の役目を悟るようになります。三つ目は自分の位置(役目とは微妙に異なる)を自覚するようになります。

世界へ旅に出ますと、旅の効果が五〇歳代までは持続します。後は六〇歳代、七〇歳代をどのように過ごすか。ひたすら健康を保持して働く事です。働くに勝る健康は無し。人生はシンプルライフが一番の長生き秘訣。訳知り顔で書いてしまいましたが、寿命をむしばむ病とは考えすぎにあります。夏は暑さに打たれても、なおかつ長寿が保たれる地にでも移動するかです。その実行の元は何を基準に持つか。何か歯にものの挟まった表現になってしまいました。先駆者の自覚に気づく年頃か!

昨夜は帰宅した愚妻と二人で夕食を外に出かけました。その帰り道、愚妻がお土産を渡すところがあり、相手様のご主人が対応されて見事な返礼の挨拶をされました。あの返礼の仕様は商人の挨拶です。両手を前膝にそろえて前屈みでされる挨拶。松下幸之助の挨拶を思い出しました。気持ちが落ち着いた時であっただけに感じ入るものがあり、見事なものです。人様の言葉か行動に感動するとは一日に一度は求めたいもの。挨拶も年季が必要だと改めて悟りました。

意味合いがやや外れるかもしれませんが、一日一善とは人様や子や孫へ伝えるシグナルかもしれません。シグナルが無ければ値打ちも無しか。挨拶一つに年季が入っております。年季が入っておればこそ心も入っていきます。それでこそシグナルとなり伝わっていきます。

瀬戸内海文化の核心

2010年07月21日 18時04分06秒 | 文化
7月21日(水) 

 さすがに夏、暑さに体が馴れるまで汗だくの日々が続きます。汗のかき過ぎで体調が崩れる場合もありますが、それでも夏はどこかゆったりとした気分になる日があります。体調の変化を、しばらく休んでいます霧島登山か開聞岳登山で試みてみるのも、今年位が最後かと思ったりします。真夏の登山は体力の消耗も激しいですが、その分だけさっぱり爽やか感があります。


榧島のヨットハーバー

二泊三日の香川県の旅、印象に残るのは瀬戸内海文化圏のこと。恵まれた立地条件、瀬戸内海という大河を存分に使いこなして、重工業地帯に仕立て上げたのは、この百年間の出来事と或いは縮めますと五〇年間の事と過ぎ去った時間を振り返ります。
文化というのは大食漢で、あらゆるものを飲み込んで、まだ食い足りない顔をしているのが成長期かな。新幹線が開通して距離感の短くなった瀬戸内海地方、海から陸を眺めますと、さほど距離感を感じませんが、山や川で交通の弁が悪かった時代を思いますと、今なお地域性は微妙に現存しておるのでしょう。


沖を航行するのはマースクラインの鉱石専用船

さて、文化の核とは何だろうと自分自身に宿題を創ってみます。そもそも文化とは華やかさ。人が文化に出会って或いは出会った事さえ分からない場合があるかもしれませんが、それでも文化に出会って人は何を感じるのか?戯言になってしまいそうですが、第一は人は精神が高揚する。ある種のひらめきを自分自身に感じる。そういうインパクトを与えるものが錬られた人間集団の中に存在する。或いは地域社会で同じように体験をする。


四国側から眺める瀬戸大橋

瀬戸内海を囲む地に船舶に関係する学校学部学科だけでも幾つ存在するのでしょうか。五〇年前の関係校で廃校になったケースが有るのでしょうか。学校の消滅は地域社会の一大事。こうして日本の船舶職員が減少した中でも営々と船舶職員教育が継続していることを知りますと、文化の核は教育に有りと思ったりします。


東山魁夷せとうち美術館喫茶室から眺める瀬戸大橋

しかし、最近の話しになりますが、何かに出会う毎に一つの事が付いて回る。それは何か?読書です。今回も「咸臨丸、大海をゆく」と言う幕末の歴史と蒸気帆船操船技術をマスターする教科書に出会ったようであります。まさに読書は生涯付いて回る知的作業か、こうして講演や周囲の状況から判断しますに咸臨丸は商船教育の先駆けでも有ったわけです。読まないうちから内容を決めつけるのも筆者に申し訳ない気になります。詰まるところは瀬戸内海文化には船員教育が営々と継続しております。全国各地に船舶職員教育機関は存在しますが、とりわけ瀬戸内海は多いという事です。


番の州界隈の瀬戸大橋、果たして長さは何キロでしょう?

文化とはある種の技術、その範囲はかなり広い範囲にわたりますが、その技術が現場と学校で支えられて、なおかつ人材がしっかりと受け継がれている。その上だけでも文化は育つか?それぐらいだと壊れやすいのではないか。まだ、何かしら根強いものがあり、その上にしっかりと支えているものが存在します。その上に花開くものは自由と大らかさか! とりとめの無い文化の話しになりました。


東山魁夷せとうち美術館正面入り口

海の日は高松市で講演を

2010年07月18日 17時05分35秒 | 文化
7月18日(日)

 海の日がいつなのか?とんと忘れていましたが、確か七月二〇日が海の記念日で明治天皇が北海道行幸から帰路は軍艦で東京へ帰還した日を記念して、海の記念日が制定されたと記憶しております。その海の記念日が海の日になり七月第三月曜日に変更になった事などとんと縁の無い事と記憶にもありませんでした。

ところが香川県坂出市より海の日の講演を聴きに来ないかと誘いの電話がありました。大学時代の同窓生で多度津水産高校校長を最後の勤めとした九州佐賀の出身者です。勤務先の関係で退職後も教職関係者団体役員をしており、そんな関係で地域の世話役になった感のある同窓生、「海の日」の講演講師は清水高等商船学校を卒業してその後に医学博士号も取得したとありますからユニークな講演が今から楽しみであります。

さて、今朝は鹿児島新幹線経由で坂出市まで出かけることにしました。一九九八年以来ですから十二年ぶりの四国訪問であります。その前は長女が四歳頃にマイカーで国道十号線を北上して佐賀関辺りで四国に渡り国道十一号線を愛媛県経由の坂出市までのコースです。今振り返りますと長女が車運転の眠気覚ましですから何とも若い頃の話しと言えばそれまでです。人生が輝いていた頃とは危険な旅も懐かしさでぼやけてしまいます。

鹿児島から途中リレーツバメ号に乗り換えるとは言え、岡山駅までの旅は快適そのものであります。博多駅から乗車しましたのぞみ号は走り出すと時速三百キロは出しているのでしょうか、音は静かですが轟音と言う表現がふさわしい列車音です。新幹線は列車で時代の変化を感じ取る場面です。新幹線の車窓から眺める日本の七月、青い田が印象に残ります。田んぼの青さが無ければ殺風景な連なりが日本の七月、田舎暮らしで身についた感覚の一つは稲穂の風景がいかに人々に潤いを与えているか、十分すぎるほど納得しました。

岡山駅で乗り換えた快速電車、あっという間に児島駅と坂出駅間に架かる瀬戸大橋を走りすぎた感があります。車上から見下ろす備讃瀬戸、航行するタンカーや専用船が小さく見えます。瀬戸内海を大河と間違えた中国人の逸話、なるほど架橋から眺めますと備讃瀬戸が大河に見えます。島に架かる橋桁、どれくらいの間隔で鉄道橋が連なっているのでしょうか。この技術を応用しますと鹿児島市と桜島を結ぶ架橋工事もさほど難工事でもなさそうです。

瀬戸内海に橋を三本架けるのは予算の無駄使いと大騒ぎしていたのが何年前でしょう?瀬戸大橋が架橋して二〇周年になると申しますから、国力の違いか時代の変遷か国道四四八号線の山へ伸びる橋桁の連なりを思い起こします。南九州の田舎暮らしも本格的になりました。

不用な語はけずれ

2010年07月10日 18時21分40秒 | 文化
7月10日(土) 

 参議院選挙の投票日を明日に控えて候補者の街頭宣伝車が駆け足で走り過ぎて行きます。今回、宮崎県全区は三人の立候補者で選挙戦が繰り広げられております。家畜伝染病口蹄疫のせいで選挙戦も静かめ各候補者の街頭演説やスローガン、マニフェストを目にする機会も少なかったですが、とりあえず一週間ほど前に期日前投票を済ませました。選挙戦で考えます事は、そろそろ国政もどこかずっしりと腰を据えた政治家の出現を国民が望んでいます。どうも、日本の政治は何かがかみ合っていない感じを受けます。敗戦を引きずっているのでしょうか。


鹿児島県霧島市の9500年前住居を復元した上野原遺跡(撮影:2002.11.16)

そんな現実味あふれる政治の世界から離れて、本日出逢った世界は英語の世界、つまり、ツイッターに読者がわかる英文をつぶやくにはどうしたらよいか。翻訳ソフト任せの英文では何処でトンチンカンな英文になるか予想がつきません。その事で自宅と事務所の本棚に目を通して行きましたら、英語の参考書二冊を見つけました。一冊は「英語文章のルールブック(THE ELEMENTS OF STYLE)」William Strunk Jr.著ともう一冊は「理解しやすい英語Ⅰ」中村敬著です。いずれも十五年ほど前に購入した書籍です。



英語を駆使する機会など田舎暮らしの身には滅多に有るものでなくて、十五年前も英文参考書二冊を購入して、そのまま本棚の片隅に放置したままで終わっております。十五年前とはどんなキッカケがあったのでしょうか?パソコンソフトの解析へ挑戦したのでしょうか。いずれにしても英文を仕事に生活に駆使する環境を作り出さずに今日に至っている処を見ますと、大した進展のない生活を十五年間も続けて来たのかと、ややがっくりする面があります。



日本語でも英語でも文章に求められる共通点は数多くあります。まず、ふさわしい構想を決めて、それに従って書いていく、段落を作文の構成単位として、能動態を用いて明確な形で述べる。明瞭で具体的な特定の言葉を用いて、不用な語は削ります。散列文を連ねずに対等の関係にある事柄は同じ形式で表現します。また、関係ある語は切り離さずに、要約文では時制(tense)を変えない。最後に強調する語は文の終わりに書きます。



「英語文章のルールブック(THE ELEMENTS OF STYLE)」William Strunk Jr.著の「Ⅱ英文作成の基本原則」を連ねて行きますと上記の表現になります。この中で印象に残ります文章は「不用な語はけずれ」です。司馬遼太郎の小説を想い出しますが、どの小説も文章が簡潔です。一語で多くの事柄を理解する場面が幾つかあります。なるほどです。で、まず、何を書くか構想が一番目に出て来ます。そして、連なって行って、「不用な語はけずれ」とは良い言葉を頂きました。



良く言われる言葉は学生時代に英語を何年学習したのだ?自分の考えや行動を英文で表現する機会を作り出さなかったなあ。英語で考えて英語で表現する。訓練の場を大卒四六年目に筆者が見つけましたのはTwitterであります。今度は波に乗るかな?



夕日を肴の風景

2010年04月06日 18時07分06秒 | 文化
4月6日(火) 

 春も四月になりますと気温もゆるみ自然を楽しむ気分が一段と湧き上がりますが、今朝は霧が立ちこめて白いカーテンの中から車が静かに形を表して来ます。やがて霧が静かに晴れ行く頃、白い朝陽が東の空に小さな円を描いており、国道二二二号線を走る車の列が幻想世界で無い事を告げております。西を振り返りますと柔らかな墨絵の世界、カラーの墨絵か、そんな表現が出来るのか?すでに耕された畑があり、畝に作付けされた芋畑もあり、朝の光景に穏やかな風土が広がっております。


霧の中に浮かぶ朝陽

梅も咲き終え、コブシも咲き終え、桜も散り際にあり、今はツツジが咲き始めて緑道公園には赤や白と満開の花模様を示しております。野鳥は繁殖期にはいり、大空でさえずる雲雀も心なしか数少なくて、生きとし生けるもの輪廻転生、生きる喜びの季節か!やがて雛が巣を飛び出して大空に羽ばたく日も間近です。


カラーの墨絵!

先日、友より誘いの電話があり、沈み行く夕日を肴に一献杯献上と、根が酒好きの身には、杯一献が鯨飲とも聞こえ、今さらながら呑兵衛とは切ないもの。三股町が町民の憩いの場とした上米公園、満開の桜の下で昼の花見も良かった。花見も終えてまだ酔いがさめやらぬ内に、さらに春の夕日が肴とはおつなものです。集まった輩は男衆三人に女衆一人とほど良い人数。


緑道公園の花々

こうして西空に沈み行く夕日を肴に、飲み座は囲炉裏を囲み炭火で鶏の赤身を焼いて酒のつまみにするなど、田舎ならばこそ。全室が離れ部屋になっており隣の嬌声も聞こえず、四人で歓談と酒と鶏料理を楽しむ炭火料理店、店主の哲学で外に店の看板もありません。なるほど都城盆地の名物料理は多い、その一つが鶏料理、鶏肉を生で食するのは昔からの習わし、店に関心あればこの都城盆地を探して回るほか方法はありません。



ウェブに帰り日本経済新聞電子版で大人のレストランガイドを探しても九州のうまか店は博多の他、近くでは鹿児島四軒しか、うまか店の紹介はありません。まだまだ中央紙と言えども情報不足の感がします。鹿児島は黒豚がうまか肴!田舎生活者から見ますと、夕日を愛でて友と語らい飲む酒のうまか肴は鶏、料理の真髄は地産地消しかないと気づきます。



また花一輪も楽しいもので妙齢の女性を花一輪に例えるのは男衆のもてなしの言葉。二〇年を経ても妙齢の女性、いつまでも妙齢の女衆を酒の友とするは男衆三人の限りない喜びであります。当然に杯も一献では済まず、歓談もさかりとなり話したい放題と聞き流しが時を刻んで行きます。



妻の健康診断があり無事に何事もなく病院を後にしました。こうして一年々々が刻まれ行くは生きている証しで夫婦して内心ほっとします。この喜びを表現するに地産地消の鶏料理を妻へプレゼント、義妹と女友達を誘い、夕日を歓談の肴にしましょう。

夢をもたらす留学生

2010年02月25日 18時02分15秒 | 文化
2月25日(木) 

 昨日の暮れなずむ頃に出かけた先は都城グリーンホテル、都城LC下半期の例会場でもあります。昨夜は二月第二留学生交流会例会と銘打って都城高専留学生五名を招待して彼らの卓話と意見交換を食事を挟んで一時間三〇分間行いました。彼らを例会に招待するようになって、もう、かれこれ十年になります。何がかくも続く要因なのか、まあ、留学生は明るいですね!



今回はフラー君(ラオス・三年生)、ヴァビー君(ラオス・四年生)、ホナン君(ブラジル・五年生)、アマンダさん(インドネシア・三年生)、ファラフ君(マレーシア・三年生)と五年生は三回目の例会訪問ですので流ちょうなミヤコンジョ弁日本語が何とも親しみを感じます。それと彼らの明るさは何処から来るのだろうと感心する場面があります。



それぞれの国で激しい受験競争を勝ち抜いて来た留学生ですので、機転も良くて複数の国を見た者の特徴、冷静に比較対照して物事を判断する習慣が彼らの身につき始めていると見ました。大半の市民は学生二〇歳代の若者と意見交換や彼らの考えを聴く機会をそう多く持ちません。私もその一人です。それだけに話題の広がる彼らの世界は輝いて見える時があります。大半の留学生は高専三年生編入で入学しますので卒業まで三年間は高専寮を生活の場とします。何か市民との交流がまだ深まれば良いのだがと思います。明るさをありがとう!



さて、朝の散歩、新品の小型デジカメ持参の日が続きます。どの程度まで撮影出来るかテスト段階です。動いて鳴くもので目にするのは、やはり野鳥、今の時期は冬鳥が目につきます。ジョウビタキは大隅半島の山間でかなり確認しましたが平地ではやや少なくなった感があります。今朝はツグミとイカルはしっかりとカメラに取り込みましたが、ブレが激しいのかシャッターオンに工夫が必要です。小型だけに素早く対応出来る反面、ぶれた写真が多いのは指先に力が入り過ぎかな?



三月も近づいたせいもありコブシの花も開き始めました。桃の花は満開か!こうして同じ環境を十五年も観察しますと自然観察の基本が出来上がって来たと申しますか、常に何か観察するものはないのかと好奇心が旺盛になるのも事実です。ましてカメラという観察道具を持つわけですから絶えず被写体を求めます。



田舎暮らしには、或いは都会生活もそうかもしれませんが、美しいものが目に入る生活環境とは宝物だと思います。宝物とは季節がもたらす風景の変化か。昨日も盆地内の農村集落を車で走っておりますと、ここはかって森林の跡だなとか霊感と言えばややオーバーですが過去のイメージが湧くポイントがありました。これも気候風土が同じである場所に永らく滞在している所以かなです。



仕事ある身はなかなか長旅に恵まれません。しかし、南九州にあっても自動車道延長で一時間も走りますと初めて見る山河に良く出逢います。如何に永らく外に出ていないかです! まあ限られた世界しか知らない訳です。それと限られた事にしか関心を持っていないのです。そんな新しい山河を知りますと、そこはそれそんなに出費がかさむことでもありません。昨夜の留学生に戻りますと彼らも故国を離れて長旅にある身、あの明るさはそれ故かな?新人類は東アフリカを出てとうの昔にベーリング海を渡り北米南米と南下して南米最南端はホーン岬だったかな?に辿り着いております。長旅にある人は明るいのかな?高専留学生の感想です。