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緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

やがてはじまる春の乱舞

2010年02月16日 17時30分10秒 | 文化
2月16日(火) 

 平日の基本は仕事に追われて都城盆地内を車で走り回っており、従って運転には最善の注意を払っておりますが基本は運転中に考え事をしないこと。その為に車内で流す音響はシンプルな音楽を主とします。先ほどまで車の中でした。
何故走り回るか?
若人が問えば?仲介業務は最新情報が商品です。
老人が問えば?仕事一途は人生長寿の秘訣です。


後藤家商家交流資料館の雛人形かずかず


さて、早朝の散歩時間へ戻しますと、今朝の散歩で気づきましたことは、目に映る田畑にうっすらと緑色が乗ってきた事です。何とも言えない色合いです。何がと言ってうっすらとした緑土に大地の息吹を感じます。大地が生きておると実感するひと時であります。



購読月刊誌の受売りですが、アフリカ・タンザニアには(地図を調べますとインド洋に面した東海岸中ほどにある国)、ハッザ族という太古の暮らしを、つまり、一万年ほど変わらぬ生活を続けている種族がおります。彼らは農耕も牧畜も生活に取り入れず、ひたすら暦も持たない狩猟採集生活を続けていると特集記事は告げます。紙上でとは言え、ハッザ族を知り世界は広いなと改めて感じて青空を仰ぎます。



ハッザ族を頭に置いて思いますことは、自然の微妙な変化へ敏感であるからこそ、一万年も変わらぬ生活を続けて来たのだろうと気楽に想像します。新人類はかって東アフリカより紅海を渡りアラビア半島を通過してイラン辺りで東のアジアへ進む集団と北のシベリアへ進む集団と西のヨーロッパへ進む集団とに分かれたと聴きます。誰からか?人間の体内に宿る遺伝子から。



日々の生活で自然が近くに存在しますと、何かしら心にゆとりが芽生えるのも事実、自然を感じる場所なり時間が無ければ、いつしか心はその地に有らずして、心を育んでくれた地を求めるのも事実です。太古の生活が遺伝子を介して人間に蘇るのでしょうか?或いは少々の都市生活くらいで人間の本質は変わらないものでしょうか!



本来、人間とは不本意な生活を続けますと短命という結果を頂くだけか!もうそろそろ良いだろうと考えても毎日の生活を変えることは勇気が要ります。だけど、やがて始まる春の乱舞、何処にあるかと問われますと、そこに有るでしょうと答えます。四季という言葉に自然の乱舞を見出したご先祖さま。



帰路の途上で高城町後藤家商家交流資料館に立ち寄ってみました。春を待ち望んで雛人形が所狭しと飾ってあります。三月節句にひと月も早いのも例年通りです。なるほど、四季の乱舞をこのような形で表現したご先祖さま!そして、大切に保存して頂いた関係者の皆さん、御礼申します。

南九州文化の成り立ち

2010年02月12日 17時15分20秒 | 文化
2月12日(金) 

 海外をそれも同文文化圏を旅しますと、ときどき驚かされる標語に出遭うことがあります。その一つは数年前に台北市故宮博物院に出向いたときの事ですが、記憶を蘇らせますと故宮博物院正面の垂れ幕に「中華八千年の歴史」と謳ってあるのがありました。思わず八千年とは何処から出てくる数字だろうと驚いたものです。約一万数千年程前に地球温暖化が進み最後の寒冷期が終わり氷河が溶け出して、人類移動も始まったと書物で読んだ記憶が真新しくて中華八千年とは永過ぎるのではと思いました。



垂れ幕の下を潜り抜けて故宮博物院を見学しますと、展示品に青銅器の武具や祭事に使う道具類が結構な数展示されてあります。その一つに鼎とは鍋か釜か祭祀具か、そうであれば中で何を煮込んで祈ったか、およそ五千年前の青銅器です。よくぞこんな大きなものを造り上げたものだと感心します。
五千年前の南九州はどうであったのでしょうか?霧島櫻島姶良カルデラと火山活動が盛んであったのでは、表現がややおかしいですが南九州とは今も昔も火山常設地帯、やはり海に閉ざされて人間の移動が十分でなかった分と火山活動で土地が痩せていたことで、その分だけ青銅器時代が無かったか、うなづくことは昨日見学しました西都原考古博物館の「企画展「変革」鉄のもたらしたもの」説明文にあります南九州には青銅文化は無かったと。

日本の青銅器と言えば銅鐸・銅矛がありますが、これも弥生時代と言いますから約二千年前の話、青銅器時代が長く続いた証があまり確認出来ていないようで、南九州では表現が単純ですがいきなり青銅器時代を飛び越えて鉄器が入り込んで来て農具や武具として広く浸透して行きましたと。振り返りますと昨日の「変革」説明文は分かりやすい表現だと思いました。一つには南九州の歴史の根底をよく表現しているのか、今まで気づかなかった部分、石器時代から勢い鉄器時代へと変革して言った件、繰り返しますと、この地方文化の根底にあるものをよく表現した答えだなと思いました。

五千年程前には世界四大文明に青銅器の時代が在ったと言います。青銅器が発展する舞台が古代都市国家群、人類が始めて手にした金属製品、製造過程や使用方法など人の英知がさまざまに入り込む年月、それも数千年間と言う永い年月はやはり人々に大きな影響を与えたと推察します。この青銅器と言う道具を製造使用する過程が大切であったのではないか!当然に世界四大文明の違いも生まれてきたのではないか!です。

銅や鉄を使った金属文化は人間が石器から移行する過程上にあり、やはり、金属とは大陸が埋蔵量も産地も多かったのではないか?勝手な想像ですが海伝いの島嶼は金属には恵まれなかったか、古代都市とは大陸が俄然多かった。身の回りに青銅器なんて見ますか?鉄器はふんだんにありますが。
何かしら愚だ愚だ訳の分からんことを書いてしまった気分ですが、本日のまとめは昨日の西都原考古博物館企画展の続きです。鉄器の流入が南九州に文化の火を灯した。武具として農具として役目は異なっても。鉄器以前の世界は青銅器時代という永い年月があり世界四代文明圏で都市文化が栄えた。この青銅器文化の有る無しの違いは当然の事ながら続きがありそうです。

国際交流展・玉と王権

2009年12月06日 16時25分06秒 | 文化
12月06日(日)

地域社会と時代の変化を知るに南九州で定点観測地点候補地の一つに宮崎県立西都原考古博物館を挙げます。見学して気づく事ですが、同館企画の視点が古代をにらみ現代へ問題提起していると感心する企画展に出逢います。今回も国際交流展「王と王権」が十月九日より十二月十三日迄開催されており、ようやく終盤になった本日見学に出向きました。志布志湾柏原海岸に夢中になり同時に二つの事を考えられないわが身を自分でも苦笑します。


玉壁「伝串間市出土穀壁」

この国際交流展のメイン出展品は江戸時代文政年間に串間市より出土しました玉壁「伝串間市出土穀壁」そのものです。確か串間市役所隣接地の旧吉松家住宅には玉壁のレプリカが展示しあると記憶します。現品は東京都駒場にあります旧加賀藩前田家の公益法人前田育徳会が所有されております。今回は同会の協力を得て出展になっております。こうして現物を目の前にしますとホーッとため息が出ます。このような大きな直径三三センチもある玉壁が福島今町駅界隈で出土したとは、悠に二千年以上前に作成された中国古代の宝物、玉壁のたどって来た道筋に歴史の謎を見る思いです。今回の出展品には中華民国と韓国国立博物館の協力を得た玉壁もあります。




玉壁を見学して浮かんできます事柄は、古代の装飾品、南九州の古墳などから出土します曲玉や小玉やガラス製管玉などは縄文・弥生時代を解明する切り口になるのではないかと言うほのかな灯りです。東アジアに限定するわけではありませんが、現在の中国・日本・朝鮮半島と人間の移動空間として交流が相互にあったのではないか。むしろ東アジア全体を一つの文化圏と考える方が古代社会を理解するに楽ですな。例えば稲作伝播も長江流域から長い時間を掛けて広がって行った。むしろ生活技術は人と伴に移動したと考えますと楽です。技術だけが移動したのではなくて、人間集団丸ごと当時の過疎地東の島嶼へ伝わって行きました。これ以上は素人ゆえに書いても空想の世界が広がるだけですのでお終い。本日拝見の玉壁で縄文弥生時代を考証するに何かしら大きなヒントを頂きました。

好奇心の糸

2009年11月02日 17時51分59秒 | 文化
11月02日(月)  
一年を巡り同じ浜辺を散歩しますと、浜辺の小動物の生態、貝やカニと、野鳥も数多く観察する機会に恵まれて何かしら自然観察の門口に立ったような気分になります。本業の不動産仲介業務、必ずしも誰しもが順調に働ける職種ではありません。その本質は業者としてお客様の求めるものをしっかりと把握しなければなりません。ともすると把握出来ないことにより人間社会の複雑な仕組みに押しつぶされる場面があります。たとえ、地方の小都市で生活しても仕事に関しては厳しさが常にあるのが本質です。


柏原海岸のブッシュで撮影したホオジロ、小集団で移動しております。

人間とは自分自身をも誤解するのが通常であると最近思うようになりました。つまりは人間本人が信じる自分の力とは絶えず衰えていくものであります。三〇歳代の能力は四〇歳代になりますと確かに衰えます。それを気づかないのは環境もしくは本人の思考能力がプラスの状態にあります。どんなことかと言いますと能力不足や失敗は有耶無耶で隠せる場面がまだ三〇~四〇歳代では多いと言う事です。あるいは出直しがききます。

だけど段々歳を重ねるに連れて仕事がヨダキナアと言う場面が数多くあります。この辺は八時間労働プラス残業という時間を多く掛ける事が頭脳と体に負担を掛けている表れです。 それと本人がいつまでも自分の能力と体を過信している印でもあります。意外と人間の体とは脆いものです。脆い体を使って歳以上の仕事を強行するから限界が来て病気になってしまうのが落ちなのです。この辺の体力と能力と仕事量の読みを充分に把握できて日々を仕事できるならば大いにハッピーです。

前触れが長くなりすぎて何を言うのだったか迷路に入りそうです。仕事に疲れたら、あるいは一週間を無事に終えて、金曜日の午後には浮き浮きなるにはどうしたら良いか?これが本日書こうとするテーマです。自分自身の事を申しますに仕事を離れますと好奇心の糸が仕事から大隅半島へと伸びようとしております。きっかけはほんの小さな事からです。

今年は見物する機会を逸してしまった高山町の流鏑馬、まだ見ぬ平田社の夏越し祭り(ナゴシドン)、意外や発祥地が肝付町とは知らなかった薩摩剣法・薬丸野太刀自現流(やくまるのだちじげんりゅう)、こんな場所に良くあると思った海蔵観音様など、大隅半島は好奇心を満たす宝庫と気づた昨今です。つまり九州の最南端・大隅地方には忘れられた歴史が秘められていると。肝付町観光パンフレットを眺めておりますと学芸員の存在が町民にも外部の人間にも如何に大切であるかが良く理解できます。

南方から連なる海上の道が大隅半島に寄り道して黒潮でどんな人々や文化を運んで来たのか、あるいはご先祖様の熊襲族隼人族はこの地に何を刻んだのか、内之浦や岸良海岸への国道四四八号線添い見え隠れする集落には必ず棚田があります。どれだけの年月、棚田で稲穂を得て来たのだろうかと思います。都城市横市川の畔で二千四百年前の田圃は発見されていますから、勝手な予想をしますと、そんな単位の数値が出てくるかもしれません。いずれその年代のプラントオパールを発見する学者が現れるやもです。好奇心の糸を繋ぐことは人間が生きて行く術かもしれません。好奇心の糸が繋がっている間は人間は死なない、そんな社会が理想か!

豊かな週末を求めて

2009年09月30日 17時58分46秒 | 文化
9月30日(水) 

朝から空模様がすっきりせずに日中には雨模様になりそうな感じで、お湿りの少なかった九月だけに歓迎の雨でもあります。こうして見ますと湿気の多い島国で水のもたらす影響が日々の生活や人格形成にまで少なからず影響しているのだなと思いますが、具体的な例までは朝の時間には思いがたどり着きません。自然が織りなす季節の中で生活します、この恵みに感謝、なんとも取り留めがありませんが、小さな喜びに感謝か、日々が健康であることにです。


サシバ観察の日に金御岳より眺めた城盆地の光景!ややかすんでいます

今日も志布志湾の見える街まで出向き、その途中の海岸線で穏やかな湾の光景を車窓から一瞬のうちに瞼に納めます。そんな一瞬がとても貴重な時間に思えるのも、対岸大隅半島肝付町の山陰が光景として浮かんで来るからでしょうか。内之浦に出向く前と後ではどこか何かが変化してしまい、やはり近隣町村は出向いて人情や祭りや風土を知っておくべきだなと独り合点します。自分の事をふり返りますと余りにも中央指向が続きすぎましたか、それと最近では容易に情報収集が出来る世の中になりました。その結果は意識や生活に変化が現れています。



私の感じます処は、この南九州鹿児島県宮崎県に於いて道路状況が国県市道にしても広域農道にしても地域生活に対して充分に機能しております。過去の体験と情報収集して現地視察で出向きますと、一時間圏域でそれぞれに特徴のある自然があります。そんな自然豊富な場所に出逢いますと、そのポイントを満喫しない手はありません。後はそこでどんな遊び方を選択するか?季節により連れ合いにより、そのポイントでそれなりの生きている喜びを感じるのはその人の能力か!同じ遊びをしていても長続きがしません。人間なんて贅沢なものです。



そんなこんなで、だんだん週末が恋しくなりますが、今週末は日本FP協会FPフェア2009が名古屋市で土・日と二日間に渡り開催されます。週末休暇の楽しみはCFP継続教育の単位取得でものの美事に消えてしまいます。講演を拝聴しましてもなかなか頭の中まで入り込んできません。その分をカメラやボイストレックで補いますが、メインは基調講演「日本経済のゆくえ・水谷研治氏」、特別講演「これからの日本経済を展望する~金融危機後の個人資産の活かし方と守り方~・伊藤元重氏」で合わせて三単位になります。



豊かな週末や休日を過ごし健康に留意してストレスを体内に溜め込まずに働く年齢も高齢化を求めます。もちろん病気には注意します。そんな風潮が国全体に広がりますと、日本は変わっていくのではないのか?否、それが元来求めている国の方針ではないのでしょうか。



日本国憲法の中で該当する条文を探して見ました。なるほどありました。国には憲法という叡智があります。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

役目の見直し

2009年07月17日 18時14分57秒 | 文化
7月17日(金) 

梅雨が上がると妻には毎年同じ作業が待っています。梅干の日なた干し、三日三晩干すのだと言います。夕立も多い時期なので庭に干しても油断がならない。紫蘇で赤く染まった梅干は日光に干すことで梅干としての長持ちやスッパミが増すのでしょうか。とにかく大小の竹ザルに大粒の梅干が五百個ほど並べられて夏の陽を浴びています。雨のときはPC台の下まで部屋を占拠して甘酸っぱい梅干の匂いを漂わせます。味噌造りにはまだ挑戦していませんが、瓶詰め程度ならばかなりな数になります。


宮崎県日向灘のサーファー

家庭に女手が多いと言うことは自家製食品が増えていく事でもあります。祖母から母へ、母から娘へと受け継がれる伝統食品、こうしてみますとかなりな数の自家製食品が各家庭の食卓から姿を消しています。我々の健康度、そのうちに体内の食物添加剤含有量も先日総合病院で受けましたPET検査の検査項目に入るかもしれません。まだまだ人間の健康診断には検査項目が増えてくるとみます。外食と家庭料理、そこには食物添加剤の含有量の違いがあると気づく日が来ると予想します。



昨日、厚生労働省から発表されました「平成20年簡易生命表の概況について」によりますと男の平均寿命は79.29年、女の平均寿命は86.05年とあります。もちろん男女とも過去最高年齢であります。ちなみに平成20年簡易生命表(男)で年齢六八歳現役を見ますと平均余命が16.32年とあります。いや、まだ長生きすると言ってもプラス四年くらいで平均余命20年かなです。その辺がこの世に存在する当方の予想図です。
参照:http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life08/index.html



さらに我が末路を眺めますに「図4・死因別死亡確率(主用死因)」で自分の姿を予測して七五歳/九〇歳男女で見ますと、悪性新生物:男25.94%/14.91%、女16.39%/9.74%、心疾患:男15.43%/17.41%、女20.52%/21.51%、脳血管疾患:男11.24%/11.03%、女13.35%/13.46%、肺炎:男15.85%/21.00%、女13.13%/15.33%とあります。また糖尿病は男0.95%/0.65%とあり治療技術が進化しているのでしょうか。老後の病気も何かしら傾向があるみたいで悪性新生物はどこかの年齢で減る傾向にあり、心疾患は増える傾向にあります。



「生命には誕生と死がある」どこかで読んだ言葉ですが、こうして自分の将来図が図表で展開されますと、なんとかして「平成20年簡易生命表」を足場とした生活設計を考えざるを得ません。自分でもそんな知恵が出てくるのか疑問に思いますが、それはそれです。老後の全体像が数字で見えるだけでも幸いです。



与えられた命とは言え、何んぞこれから気張らずに出きる事は無いかな。有り過ぎて実力が伴わないだけだと罵倒が出そうです。最初に戻って梅干を家庭でつくる事は手間隙かかります。間尺に合わないわよと振り向きもされそうにありません。だけど愚妻は末娘の友人にも手製梅干を送っています。それも毎年ですよ。末娘が東京で職場でお世話になったと言う感謝の気持ちです。手間隙かかった梅干はそれなりに役目があるものです。自家製梅干の効能は「人が見直しの入口に立っている」と言うヒントです。さて、老後にこだわりますが、老後とは役目の見直しですな。


彼らのまなざし

2009年07月14日 18時14分51秒 | 文化
7月14日(火) 

昨日の続きですが、ライオンズクラブ国際協会337-B地区2R4Zの六クラブ会員数は六月末現在で一七七名です。昨年同時期より十六名減になっており、奉仕団体と言えども会員減少が続く時代の波を受け、クラブとしても新たな展開が求められております。どんな団体でも活動方針を遂行するにはさまざまな試練を受けて行くもので悲壮感を抱くことでもありません。基本はクラブ活動を楽しむこと、会員同士でのおつきあい、そこから醸し出される人様の表情など、活動できることの楽しさを基本に置きますと、新たな展望が見えてくると信じます。


西都原考古博物館企画展「彼らのまなざし~骨が語る古代人の生き方~」

本日の本論は西都原考古博物館の企画展「彼らのまなざし~骨が語る古代人の生き方~」七月三日~九月六日まで開催されており、先日浜歩きの帰りに特別展を見学しました。内容は県内古墳から出土した人骨、頭蓋骨二〇体の展示がメインになっており、その人骨の特徴が説明文で記載されてあります。



受付でノンフラッシュ撮影の許可を確認して、常設展示場を通り抜けて特別展示室に出向きます。ノンフラッシュで写真撮影するにぎりぎりの照明です。さしたる予習をして見学に出向いたわけでもないので写真撮影の手順を一瞬考えます。なるほど、頭蓋骨も比較的保存のよいものが展示されております。えびの市島内古墳の出土頭蓋骨が多くて、死者も一千六百年も経過しますと頭蓋骨から霊的要素が抜け出ているように感じます。



タイトルの「彼らのまなざし」に出逢って考古学担当者のユーモアを感じます。あるいは内心つい笑ってしまいます。肉が無くなり骨だけとなった頭蓋骨、その落ちくぼんだ眼窩をまなざしと表現するには考古学者ならではの遠謀深慮だなと五感が働きます。五感が働きますと頭蓋骨から生前の顔に関心が移ります。今回は頭蓋骨に肉付けされた復元顔までは展示されてありませんが、さて一千六百年前のえびの美人は縄文系か弥生系か、次の関心へと心が動きます。



こうして、県内にある地下式横穴古墳より出土した頭蓋骨との出逢いは選りすぐった美形を二〇体も確認しますと、それなりに何かしら準備段階を終えた気分になります。台北市故宮博物院に掲示してあります「中国八千年の歴史」に比較しますと宮崎県地下式横穴古墳一千六百年の歴史は子供みたいなものですが、それでも遠いご先祖様に大いに関心を抱く出発点でもあります。何はともあれ現物を確認することです。現物には本物の持つパワーがあります。朝のBS放送のクラシック音楽演奏会場となった知恩院の庭、そこで住職様が述べた今朝の言葉、人間の五感とは大切であります。五感が働く感性を大切にしましょう。そんな表現をされておりました。



展示会場を出てロビーの売店に寄りますと、ずらりと書籍が展示してあります。良く眺めますと 企画展「彼らのまなざし~骨が語る古代人の生き方~」に関連する書籍ばかりで、つい二冊ほど買い求めます。書籍名「DNAから見た日本人」齋藤成也著・ちくま新書、書籍名「日本人のルーツがわかる本」逆転の日本史編集部編・宝島社文庫です。なるほど、考古学に関心を抱くならばDNAについての知識が求められます。そのDNAを基本にしますと更に新たな展開が広がり人間に対する関心度が深まっていくと言う事でしょうか。


文化は風土を創る

2009年07月08日 18時32分05秒 | 文化
7月8日(火) 

昨夜のお月様、東岳から顔出だしはすっきりしていましたが、だんだんおぼろ月夜になり、まだ梅雨明けにはもう一声。それでも皆さん月光の下で一心不乱に市営グランドを強歩で回っておられます。陽が長くなったせいか、午後八時過ぎてもかなりな方が歩いておられて比較的に女性が多いせいか目にするだけでも爽やかさが伝わってきます。健康管理に人々が注ぐ時間の多さでその国の豊かさが伝わってくる、そんな表現が世界の流行り言葉になる日が来ます!


台北市士林観光夜市の売り物は何か改めて眺めます

朝から車で走り回る用事があり、十キロ圏域の国道・市道・広域農道と車の少ない道を選んで目的地へ向かいます。田植えを終えた田園風景と水田転作で一面に広がる飼料や里芋畑、その緑にすっかり馴染んでしまって盆地の緑が心地よい。この心落ち着く風景をどのように表現するか?今日は言葉になりそうです。



その前に少しだけ仕事の話にかえりますと、立場を交渉先の当事者になって物事を考えると見えなかったポイントが見えてくるものだと相談先税理士の話から浮かんできました。それぞれの専門分野にはポイントがあるものです。そのポイントを契約に取り入れることが肝心です。


ブランド品なしマダマダ観光客より市民向け商品

さて、二軒目の訪問先を後にして市道を走っていますと知り合いの建築士事務所前を通り過ぎました。知り合って三〇年近くなりますか、若さはち切れる頃の知り合い、建築士が事務所を構えた場所は霧島が背景に見える場所、つまり北側は水田風景が広がり、その延長線にくっきりと雲にそびえる高千穂峰が浮かんでいます。当初、その事務所に出向いた頃は周囲の風景にかなりな隙間があるなあと選んだ場所をいぶかっていました。



背景の杉木立は三〇年前と変わらず、何が変わったのか高くもない平屋の事務所がすっかり風景に溶けこんでいて周囲と違和感がありません。ふと、これはどうしたことだ、ヒントだな、何かが見える入口だなと思いました。何かとは何か?思わせぶりな表現ですが、ひょっとして建物が周囲の風景に溶けこんでいるのだから、そこで働く人も三〇年間の中ではすっかり地元の風土に溶けこんだ精神状態になっているのではないか!ふ~む、です。



田舎生活の気楽さをことさら拡大表現することもないですが、それでもどっちだ?「風土は人を創る」、さて、どのような人間に風土は仕立て上げるのか?ここの所の表現を上手くできないものか。それが今日のポイントなのですが、周囲の風景に溶けこんだ事務所は人間の精神状態も表していると確信しました。三〇年と言う風雪に耐え抜けば人間は自ずと土地の風土に似通った状態になるのだなあ!つまり規則正しく生活して曲がった事が嫌いになり、どうかすると偏屈になる場合もあります。「風土は人を創る」とは田舎生活の基本もしくは成果かな、それでは風土とは地域社会の別名に引っかかるか!地域社会のエキス、つまり文化を育てるには三〇年を一つのスパンと見る。「文化は風土を創る」。どうでしょうか?


21世紀研究会7月例会

2009年07月04日 17時11分44秒 | 文化
7月4日(土)  

テーマ:都城文化は今・・・
会場:都城ウエルネス交流プラザ
時間:午後2時~4時まで
出席者:15名


会長挨拶:平原洋和氏

シンポジュウム司会:二宮公雄氏

冨迫美幸氏:学芸員人生資料①都城市立美術館を作ってきたもの成り立たせているもの


黒木文雄氏:旧都城市民会館について考える


慶林坊伸幸氏:にほんの里100選・都城市周辺の農村部


久方ぶりの例会、さすがに皆様からさまざまなご意見が出ました


東由子さまよりお祝いのお花がとどきました

台湾九フンで考えた生活文化

2009年07月02日 18時19分38秒 | 文化
7月2日(木) 

昨日とどいた「南方圏のひろばNo.123」を車に積んで朝から執筆者等へ配布にかかります。何はともあれ届いたものは物品であれ情報であれ、次へ送るか伝える事は不動産仲介業務の基本と心得て、今回は応用編梅雨空の盆地を走り回ります。広く市民に読んで貰ってこそ機関誌の存在意義があります。発行部数五百冊中二百二十冊を配り終えて一仕事終えた気分になります。今どきボランティア活動に会費を払うなんて、それも十年近く休眠状態の21世紀研究会が会員へ会費請求して如何ほど集金できるでしょう?


はいポーズ、あなたモデル、私うつす人パチリ、同じアジアの仲間

役割が来ましたらマイカーで配達する以外にありません。「この地域で生まれた生活文化を育てよう」とひたすら念じます。昨夜は他のボランティア団体役員会へ出席しましたが予算案編成はいずこも厳しいものがあります。不況と言って何所でも経費節約が流行っております。そんな時は旗振りもトップも走り回って現地確認とばかりに労力提供です。それが共鳴をも呼びます。こうしてふり返りますと21世紀研究会では走り役に徹した感があります。これもわが役目と心得ますと七月になり盆地の緑が一段と深まっていくのが分かります。



本業を離れてボランティア活動に従事しますと、毎度の事ながら同じ風景でも異なって見えるものです。さてほど良い時間に気分を替えてブログ掲載に台北旅行の写真を準備します。かっての金鉱山跡が映画の舞台になったがきっかけで観光コースに組み込まれるようになった台湾北部の基隆市東側の九份、今回は二回目の観光コースともなりますと、さて九份の何を楽しむのかな?と自問自答します。



昭和二四年夏に日田市から都城市に家族総員で帰省して父の生家で生活するようになったのですが、今ふり返りますと昭和二〇年代とは小学校から中学校へ掛けての年頃でしたが、まだ車社会でもなく池田勇人首相の所得倍増論前でしたので地方都市の繁華街と言っても映画館がメインだったのでしょう。



そんな昭和二〇年代感覚で九份の通りを眺めますと、狭い通りに店がひしめき合って人々の肩が触れ合うほどの混み合い、いつの時代になっても人々は雑踏を好むものかなと思いが巡ります。この雑踏感覚に観光客が共鳴して賑わいが繋がっている。一時的なものか、賑わいにホロリとしたものが有るのか、ここから生活文化が生まれ育っていくのか、九份での想いは取り留めがありません。



文化とは育むもの。では、育んだ文化とは人々に何を与えますか。 九份を引っ張り出して気楽に述べますと、まず人々に稼ぎを与えてくれます。それでは懐が潤いますな。都城は潤っていますか?次に文化とは人々に節操を与えてくれますか。節操まで行くかどうか分かりませんが、あえて申しますと本人次第。しかし、節操が無ければ文化も育ちません。文化とは難しいですな。それでも「この地域で生まれた生活文化を育てよう」に大いに共鳴します。



南方圏のひろばNo.123発行

2009年07月01日 17時11分06秒 | 文化
7月1日(水) 

本日は月も変わり梅雨空が一段と深まり朝から降ったり止んだり梅雨にふさわしい日であります。また、21世紀研究会機関誌「南方圏のひろばNo.123」の発行日でもあります。午後四時前に発注の五百冊が手元に届きました。ページ数二八頁、まずまずの出来栄えと言いたいところですが裏表紙の都城を原点とした同心円図がありません。連絡ミスか勿体ない。次回は同心円図を確実に掲載しましょう。

MIYAKONOKYO
半径約10km圏に人口1000万人以上が住む東京がすっぽり入る都城盆地の図

都城市役所から都城ICまでちょうど8km東京都庁から東京駅まで7km

ミニ・シンポジウム「都城文化は今・・・」

第1部;ミニ・シンポジウム=21世紀研究会7月例会
・・・・とき:2009年7月4日(土)午後2時~4時
・・・・ところ:ウエルネス交流プラザ・セミナールームB
・・・・会費:無料

第2部;懇親会
・・・・とき:2009年7月4日(土)午後6時30分~9時
・・・・ところ:都城市安久町1331番14・慶林坊伸幸様宅
・・・・会費:3,000円
・・・・交通アクセスについては第1部閉会の際にご案内します。

21世紀研究会会長平原洋和
連絡先:東町不動産(株)田中浩太郎TEL0986-24-9000

上記の例会場で参加者には「南方圏のひろばNo.123」をシンポジウム資料として無料配布します。



久しぶりの例会ですので、進行役や会場設営など段取りがありますが、どうにかなるでしょう。もし手の空いた方はお手伝いをして下さると助かります。担当者としてミニ・シンポジウム会場に午後一時には参ります。「新しい地域社会の創造を目指して」、まずは、この地域で生まれた生活文化を育てよう! 市民皆さんのご参加をお待ちしています。若い世代へ引き継がれる事を期待します。

南方圏のひろばを入稿して

2009年06月25日 18時51分33秒 | 文化
6月25日(木) 

本日一番目の仕事は21世紀研究会機関誌「南方圏のひろば・No.123」(ISSNO910-8564創刊1984-1)の原稿をUSBで末娘から受け取り市内の印刷会社へ入稿すること。この運び屋を担当して何年になるのだろうとふり返りますが、役が回って来てかれこれ二〇年以上は経過したでしょうか。最近の十年近くは21世紀研究会も休眠状態でしたから、それにしても久しぶりの仕事です。


宮崎台湾間のEVAAIR社旅客機、撮影:桃園国際空港2009.6.20.AM6:30

しかし、時代も変わったと言いますか前はうろ覚えですが十年前は原稿は製版だったかな、弊社のパソコン担当社員が厚紙に印刷された原稿を貼り付けて原版作成してそれを印刷会社に持ち込んでいたと記憶しますが、それが鉛筆芯の入る小さなケースほどのUSBをパソコンにつなぎますと原稿がばっちり移せる訳ですから便利になったものです。当時の原版が今でも弊社の二階デスク引き出しにぎっしりと保管されています。几帳面な女性でした。



原版を受ける印刷会社の担当者もお父さん社長から息子さん社員に移行しています。USB原稿の受け取りも簡単なもので一分も掛かりません。今回の発行部数は五百部にして大いに活用しましょう。ページ数は三〇ページで表紙は十年前と同じ市内の方に担当して頂きなかなか美事な表紙が出来上がりました。乞うご期待を!発行日は七月一日の予定ですが間に合うかな。また、四日午後二時にウエルネス交流プラザセミナールームBで開催しますミニ・シンポジュウム「都城文化は今・・・」の参加者には無料配布する予定でいます。どうぞ、関心の有られる方は四日のミニ・シンポジュウムに出席のほどをです。席は三〇席余りでしょうか。


沖縄の海か中国の海か太平洋西の海

どんな団体でも機関誌があると言う事はその団体にしまりが出てきます。第一号発刊以来二五年が経過しており当時の例会場は都北町地場センター会議室や市役所四階会議室などを使用しており、ふり返りますと鬼籍に入られた会員も多くて大昔の出来事に見えます。今回も執筆者はかなりな人数になります。



ひょいと気づいたら薩摩半島錦江湾となつかしい

当時をふり返りますとコアラを大分市へ見学に出向きパソコン通信の概要を掴んだのがが一九八七年でしたか、ネット社会のはしりです。チャットも数回体験しました。ネットという発言の場が増えて、その上にホームページやブログと言う便利な情報発信基地を誰でもが持てる時代ですから、この先いかように情報発信手段が変化するのか想像もつきません。ただ、有料ブログの容量を見ますときに動画による表現はこれから活発になると予想します。動画発信能力をそろそろ会得する時期が来たと考えています。




鹿児島市内から錦江湾桜島と時間がたつのを忘れます

締めくくりは21世紀研究会のスローガンを掲げます。

新しい地域社会の創造を目指して
1.この地域で生まれた生活文化を育てよう
2.創意工夫をこらし経済の自立を目指そう
3.魅力ある地域環境をつくろう
4.この場所を原点に広く世界と交流しよう

文化団体にはスローガン、政治にはマニフェスト、目標設定は大切です。


都城市上空は梅雨雲で真っ白

「南方圏のひろば」123号発行企画書

2009年04月29日 16時31分12秒 | 文化
4月29日(祝)   

数日前に二宮公雄さんから電話があり、「南方圏のひろば」を復活させましょうと言う提案です。「そりゃあ良いですね。賛成します」とスラスラ言葉が出てしまいます。後でちょっぴり後悔の念も浮かびますが、それより浮き浮きする気分が先立ちました。
志布志湾の浜歩きから帰ってメールボックスを覗きますと企画書が届いております。本ブログ読者諸賢の賛同と参加をも求めてここに企画書をご披露します。



「南方圏のひろば」123号発行企画書

主旨 21世紀研究会創立以来の活動方針に従い、都城地域での市民間の知的交流を促進し、地域の活性化を図るため発行する。



視点 年1回発行する事を想定し、各号特集号とする。今回発行する123号のテーマは(仮)「都城文化はいま・・・」とする。

現在、世界的に都市に対する関心が高まって来ており、魅力のある都市を創造するためのさまざまな提言や実践が行なわれている。その中で、都市経済の発展を目指すだけでは必ずしも充分ではなく、発展を推進していく創造的な人々を惹きつけ、活動の場を与えるためには、文化的な環境づくりが重要になってくると言うのが一般的な理解である。

翻って、都城地域の文化環境は、現在どのような状況にあるのだろうか。都城市民会館保存運動、山内多門展、島津資料館などさまざまな動きがある。これらの地域文化について大局的に捉え、現状を分析し、課題を把握し、そしてこれからの方向性を探る事を狙いとして特集を行なうものである。



紙面の構成 出来るだけ多くの意見を頂いて内容を構成したいと思っているが、現時点で考えているものを列記すると以下の通り。

○ 巻頭論文
○ 特集(仮)「都城文化はいま・・・」発行の主旨
○ 都城市立美術館の創立から現在まで~事実経過の整理、課題
○ 都城市民会館存続運動が意味するもの
○ 都城市へ編入された旧町文化施設の過去と現在
○ 都城文化の振興と21世紀研究会
○ 市民から見た都城文化
○ その他



発行時期 原稿締め切り 6月10日(厳守) 編集印刷完成 6月末日



ミニ・シンポジウムの開催 21世紀研究会では、例会の開催と南方圏のひろばの発行を車の両輪として活動を続けてきた。

今回も「南方圏のひろば」発行を契機に、これを資料として、例会=ミニシンポジュームを開催する。開催日案7月4日(土)