緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

水耕稲作の伝播は何をもたらしたか

2012年07月01日 18時11分40秒 | 文化
7月1日(日)   

 韓国旅行の余韻を求めて宮崎県立西都原考古博物館へ南九州へ水耕稲作の伝播は何をもたらしたか、或いは半島から倭の国へ一方的な伝播であったのか、好奇心の発端は韓国高速鉄道の車窓から青々した田植え後の光景がキーワードです。









 館内に入りますと、ボランティアガイドの説明を受けて、この地がおよそ二万五千年前に起こった姶良カルデラの大爆発後が当博物館では考古学の始まり、それ以前の歴史は五〇~百メートルに及ぶシラス地層の下に眠っていますと。本日、筆者が本館を見学に出向いて来ました出発点は、この地に於ける水耕稲作の起源であります。三千年までは遡らないと思いますが、朝鮮半島と南九州の水耕稲作には何か関連性が有るかが?出発点であります。


弥生時代の特徴は土器類の多様化









 当然ながら、本考古博物館の見学は展示資料のつまみ食いに終わる可能性が大であります。館内はノーフラッシュならばカメラ撮影も可能であり、フォトは復習やブログ掲載等には資料として事欠きません。しかし、博物館見学を終えて帰宅して写真を広げて気づいた事でも有りますが、東アジアに於ける水耕稲作については、骨格は解明されており、今さら素人が声高々に上げる場面なぞ有ろうはずが無くて、新たな古代史の知識と言いますか、混迷を頂いた気分であります。


古墳時代の武人像


家形埴輪

 本考古博物館は西都原古墳群の一角に位置して、四季折々に行楽気分ついでに訪れて歴史を学ぶ楽しさを知るポイントであります。今回の見学テーマは水耕稲作、籾・米と穀物が主題ですので目がどうしても土器類へ向きます。展示品に土器須恵器類の多い事に気づきます。テーマを持って見学しますと関連展示品が自然と目に入るのでしょうか。今までに素通りしていた大型壺が目に止まります。これはひょっとして液体類の保存では無くて、穀類の保存にも用いたのではないか?大型壺での穀類保存は長期間は無理かもしれないが、数年くらいならば何とかなる。米の保存は一年もあれば充分です。




鹿児島県大崎町神領10号墳出土の須恵器


鹿児島県大崎町神領10号墳出土の盾持人埴輪


鹿児島県大崎町神領10号墳出土の土師器

 米俵類でも籾の保存は可能で多くは俵を用いていた可能性が大ですが、稲ワラが地層から出土するには恵まれた保存環境が必要です。端折って申しますと、大瓶を始めとして土器類の出土は食糧の豊かさを示します。水耕稲作の到来は保存器具類・食器の多様化へ繋がっていきます。それが韓国高速鉄道の車窓から眺めた水田風景と、西都原考古博物館を見学して感じた事柄であります。


西都原古墳出土の銅鏡


舟形埴輪


隼人族の盾

 更に館内を見学しますと、三千年前の水耕稲作の到来、歴史は決して牧歌的なものでは無くて、多様性があった事を示しています。日本列島弧の一角に有ります太平洋岸沿いの大隅半島や日向灘に面した西都原の古墳時代出土品がその事を示しています。その辺は館内でシャッターを押しましたフォトで説明に変えます。筆者の知識では、まだ、古墳時代・西暦四世紀から六世紀に及ぶ当時の人々の暮らしぶりや国のあり方までは把握に至りません。本地に於ける水耕稲作の伝播で、食器や瓶類の製造に拍車がかかったと本日の見学で認識しました。

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