緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

八月は精霊となった友と出逢う日

2011年08月02日 19時00分00秒 | 文化
8月2日(火)  

 かって暮らした農家集落の記憶をたどりますと、八月とは農作業も一段落して人間関係を清める季節でもあります。そのメインは十三日から十五日までの三日間、ご先祖様を家の門口でカラ松の盆火を燃やし、精霊となったご先祖様をわが家にお迎えして家族共々で安らかな三日間を過ごします。つまりお盆あるいは盂蘭盆会とは農村集落の何とも心休まる夏行事。一方で日頃の人間関係、取りこぼしたお付き合いを回復つなぎ留める初盆参りをお盆前までに済ませておきますと、何とも心安らかなお盆の三日間を迎える事が出来ます。すっかり忘れていましたが、本日は愚妻の案内で初盆参りがしっかりと、今もこの地域社会に、継続している事を知ります。


えびの高原の野生鹿、人間と野生動物には超えられない境界があり、超えてしまうとお互いが災いをまねく

本日は愚妻の意見で二軒ほど初盆参りに知人宅へ出かけました。訪問する時間帯にも心配りが必要で、その基本は主婦の朝仕事が一段落ついた時間帯、午前十時過ぎから正午前の二時間弱の時間帯でしょうか。八月の暑さ、この時間帯で初盆を迎える家庭ではそれなりに訪問客への準備が成されております。この辺は、しきたりの中へ入っていきますと、何となく見えてきます。

初盆で訪問者がご仏前にお供えする供物も素麺箱やお菓子等、どちらか言いますと御霊前や御仏前の熨斗袋は少なくて仏様が生前に食していた食物が多いように見受けます。これは現金収入の少なかった農村集落の名残がそのまま続いていると理解します。あらかた六〇年ほど昔に祖母の親戚廻りでこの役目を担ったことがありました。中身は自家製の菓子類でした。今ふり返りますと何とも優雅に人間関係を大切にしていたと感じます。あれから六〇年が経過して自家製菓子を別なものに置き換えても、そんな関係が続けられますでしょうか。何が失われたのだろうと思います。

さて一軒目の訪問先、奥様も在宅されており玄関よりお邪魔してご仏前で線香を焚いて遺影に手を合わせます。何とも良いお顔の遺影です。かように穏やかなお顔であればお話しする事もまだまだ多かったでしょうに、えびす顔です。奥様と仏様のお話を三〇分間ほどして何とも心安らかなひとときを頂きます。初盆参りの基本は夫婦して訪問すること。仏様への話題も広がり残された奥様へのささやかな支えにもなります。初盆参りで地縁の繋がり、何とも人様の織りなす豊かさ、次世代へ受け継がれていく確かなものを感じます。

二件目の訪問先、時間も正午前となりご仏前で合掌して遺影に久方ぶりの笑顔を見ます。なるほど、初盆参りに本日訪問しましたお二方、かれこれ二五年を超えるお付き合い、地域社会に於いて長期に渡る友人つき合いとは大きなテーマ、その様に長期に渡る交際が出来ました事は何はともあれ精霊と生者とに別れても友達冥利に尽きます。その〆として八月に一つの区切りを心に受け止めます。

午後になり奄美大島の知人より黒糖焼酎を頂きました。久しぶりに頂く黒糖焼酎、前回に頂いた時には、頂き物を数年間に渡り物置にしまい込んで、時折ながめる日がありましたが、ある日思い切って封を切りますと何とも爽やかな味わいに変化しておりました。あれ以来、頂いた黒糖焼酎は日付を記して物置に仕舞い込むようにしております。ついでに電話番号も。開封の日には送り主に報告します。何とも気の長いお付き合いになります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿