旧・坂本ひろし活動日誌(2005~2014.8)

日本共産党・坂本ひろしの活動や日々のつぶやきを掲載。OCNブログ人サービス停止に伴いgooブログに記録。

総選挙は民主圧勝、3区で綿貫氏落選

2009-08-31 23:56:00 | わからない政治

 31日、投開票された衆院総選挙。結果は民主の圧勝の一言につきます。

 自民・公明への痛烈な審判となったとはいえ、予想されたことですが「308議席とは獲りすぎ」というのは多くの有権者の気持ちではないでしょうか。

 わが共産党はといえば、現有9議席をなんとか維持しました。台風のような民主党への風のなかで、実感としてはよく持ちこたえたというところでしょうか。

 比例での支持をいただいた皆さんに、心から感謝申し上げます。同時に、残念ながら、北陸信越での1議席奪還ができず、せめて全国10議席に(党首討論の参加要件)という思いもかなわず、ご期待にこらえらなかったことを、お詫びしなければなりません。

 選挙結果を大局からみると、自民・公明政治がつづけてきた構造改革=弱肉強食の政治にNO!の決定的な審判が下ったことは、大変喜ばしいことです。

 日本の政治を一歩前にすすめたという意味で、歴史に残る選挙であることは間違いありません。

 富山3区では、自民党・橘氏が当選しました。自民ではない人に勝ってほしかったが、惜しい結果でした。自民党という政治が圧倒的に否定された選挙で、自民党が生き残ったのですから、またまだ、3区は保守的なのでしょうか。
 それとも、自民VS民主という、1対1の構図であれば、また違った結果だったのでしょうか。ま、終わった後に言っていてもどうしようもありません。

 綿貫氏についていうと、国民新党そのものの存在意義が希薄なため、ハッキリ言って先が見えていました。
 (2005年郵政選挙の時には、「小泉郵政改革vs郵便局守る綿貫」という構図が出来ていてわかりやすかった。そして、綿貫さんを刺客で落とされては堪らない、という地元感情がわき上がった!)

 国民新党の比例(北陸信越)の政見放送を見ていると、綿貫氏も、比例のもう一人の長野の人も、郵政云々の話をしていて、「今さら」という印象でした。

 さらに、「『綿貫』と書くと無効で、『国民新党、または国民』と書いてほしい」ということを政見放送で言っていたのですが、これは、富山県民むけに作ったような内容で、長野、新潟、石川、福井の各県民にはピンとこないはずのモノですが、これが5県で流されていたのです。つまり、他の県で流されることを承知のうえで、富山県内むけの放送をつくって流さざるをえなかった、そこに国民新党が大量得票をしなければならない富山県内でも思うように浸透していないことを物語っている、私はそのときそう感じました。

 北日本新聞は、比例は国民新党が「台風の目」などと何度ももちあげましたが、「目」にはなりませんでした。台風は、富山県内でも、民主へ吹いたのです。北日本新聞は一貫して綿貫応援団で、私は正直辟易していました。

 さて、全体の得票等の資料がそろってから、次の投稿にて詳細なコメントをしたいと思います。 


忌野清志郎さん、共産党に投票

2009-08-29 10:49:00 | しんぶん赤旗

 今は亡き 忌野清志郎さん。

 彼が、今から9年前の総選挙で共産党に投票した、そうです。

 今日のしんぶん赤旗日刊紙のコラム「潮流」に書かれていました。

 とても面倒ですが、記録を残す意味もこめて、その記事を記しておきます。

あすは投票日。天気予報によると、ぐずついた空模様のところが多そうだ、といいます。▼「起きろよベイビー 今日はいい天気だ/選挙に行って投票しようぜ」。忌野清志郎さんが、軽やかに歌っていました。2000年の、20世紀最後の総選挙のころです。「目覚まし時計は歌う」。またの名、「選挙ソング」です。

▼もちろん、抵抗精神にあふれる忌野さんのこと。ただ投票をよびかけて選挙管理委員会を手伝っているわけではありません。飢えた子どもたちがさまよっていると心を痛めたり、「無能な政治家テレビでよく笑う」と皮肉ったり

▼記憶力のいい同僚記者が、投票日当日の忌野さんを追った新聞記事があった、と教えてくれました。調べると、目立たない小さな記事ながら確かにありました。2000年6月25日、東京・新宿歌舞伎町で公演。「選挙ソング」を歌うと、ファンから「初めて投票にいったぞ!」との声が飛びました(「スポーツニッポン」2000年6月26日付)

▼「選挙ソング」で、「誰か違うや奴」や「誰かいい奴」を選ぼうと訴えた忌野さん。本人はどの党に投票したのか、取材記者に問われたのでしょうか。記事の中で明かしています。「僕自身は小選挙区も比例も共産党に入れてきました」

▼その後の彼がどの党に投票していたのかは知るすべもありませんが、残念にも今年5月、反骨の歌手は病に倒れました。日本共産党は今、歴史的機会を生かしてがんばり通せば勝利をつかみとれる、総選挙をたたかっています。
 (しんぶん赤旗」日刊紙2009年8月29日)

今、忌野さんが生きていたら、明日の投票日、やっぱり共産党に投票してくれていただろうか。

公式サイト

ウィキペディア

↑ 中野6区 忌野清志郎 無所属

平和や環境にも熱心でした。
2005年4月25日(月)「しんぶん赤旗」から
「憲法9条知ってるかい」忌野清志郎さん 「世界に自慢しよう」


富山3区の選択と、民・自・公で占有させない道と

2009-08-26 09:22:00 | わからない政治

 富山3区は、アナウンサーの相本さん、自民党の橘さん、そして元県議の柴田さんと、3人のたたかいが、日を追うごとにますます激しくなり、混沌としてきました。

 新聞報道では、全国的には「民主圧勝・300議席超」などと、ほぼ確定的な報道です。議席の3分の2を獲得すれば、衆院の独占的状態です。小選挙区で次々と自民候補を倒し、比例でも勢いづいて第1党に・・・。

 民主は、一度獲得したこの圧倒的優位を、できれば4年間は手放したくはないでしょう。社会保障の財源について民主は、「ムダをけずれば、財源は十分にある。4年間は消費税を絶対に上げない」といっているのですが、これは4年後は消費税を上げるという宣言であると同時に、4年間はこのまま解散はしないで多数を維持するぞということでもあります。

 4年前、自民は郵政選挙で圧勝しました。この4年間、どんなに国民の批判が高まっても解散することはなく、多数の力で数々の国民いじめの政策を実行にうつしました。

 自民党を退場させたいが、民主に300もの数を与えるのも心配だという声が、いたるところに広がっています。

 さて、富山3区での、私の考える投票行動の基準とは、●自民党政治を完全におわらせることと、●その後にできる新政権が国民の立場にたちつづけて、すこしでもくらしが良くなるようにすること、を期待できる結果をめざすことです。

 私の所属する共産党は、「自主投票」、つまり誰にいれてもOKよ、という状況です。私としては、素直に考えてどいういう行動がよりベターなのかを、考えます。

 共産党は、自公を政権から引きずり下ろすことは、「無条件に積極的なこと」だと言っているのですから、小選挙区で候補を立てていない3区では、自民党を打ち負かすもっとも有効な方法を選択することです。

 私は橘さんという方は、腰も低く、好印象をもっていますが、自民党なので投票することはもちろん考えられません。また、幸福実現党の出口さんも支持の対象にはなりません(そもそも、その党自体の怪しさから支持はできませんが・・・)
 残った人のうち、自分に近い人を選ぶことになるでしょう。白票という選択もあるのでしょうが、3人が拮抗して、自民党が勝ってしまわないような、選択を迫られる情勢かもしれせん。

 富山3区でも自民を打ち負かし、他の選挙区も民主(および民主系)の候補がどんどん自民党に勝利すれば、小選挙区(北陸信越20選挙区)で圧勝します。さらに、比例でも、小選挙区に引きずられるかたちで、民主に相当部分が集中するでしょう。ここでも民主圧勝。

 有権者は、投票所では小選挙区の意中の人に投票したあと、比例について意中の党がなければ(あまり意識していなければ)、小選挙区候補者の党派へ投票する人が多くなります。小選挙区で勝利の流れができれば、比例でもおなじ流れになります。

 「民主への流れ」で選挙戦が終われば、北陸信越地域では、小選挙区20と比例の11議席を合わせた31議席中、自民・民主で30議席、公明が1議席ということになる可能性が大です。

 「自民党政治はだめ」という強烈な有権者の思いが、そういう結果を生む。ナント恐ろしいことか。

 しかし、民主の勝たせすぎはだめだからといって、小選挙区で自民を勝たせるわけにもいかない。自民をやっつけるには、小選挙区で民主を応援せざるをえない。これが小選挙区制での避けようのない制度的矛盾なのです。

 民主の勝ちすぎを押さえて、自民・公明を打ち負かすには、結局、比例で共産党などを1議席でも多く押し上げる以外にないということになります。

 報道では、民主5議席~6議席、自民は3~4議席、公明は1議席確保か、といったところで、共産、社民、国民が議席をえられるかどうか、微妙な情勢という。 

 国民は、富山県内での一定の得票は見込めても、他県では伸びず、むずかしい
 社民は、支持率からいっても、もう一つ。

 一番現実的なのは、共産党が得票をのばし、議席を確保するという道です。

 民主政権になったとき、よいことはどんどん応援してくらしを支える政策を実現し、悪いことには歯止めをかけられる党、政権に溶け込んでしまうことなく、スジをとおして影響力を行使できる、共産党が、議席をとることが、最大の焦点といえます。


比例の彼女が塚越で演説する

2009-08-22 23:04:00 | 活動報告

 今日夕方、総選挙の支持訴えのため、政党カーが呉西地域入り。前日のコース選定のとき、小杉の街宣ポイントとして、うちの町内(塚越・黒河5区)の公民館前で行うことにしました。ちょうど、黒河夜高祭りのため、児童クラブの親子が集まってくる時間帯とも重なることもあり、党の演説を聞いていただくには、ななかないい巡り合わせでした。

 演説の案内をするため、早朝6時半からビラを配布し、町内全戸をまわりました。配布中、町内のNさんが、「梨あげるから後でうち寄って行かれ」と声をかけてくださり、穫りたての梨を一袋いただきました。「なんせがんばって、比例やね」と心強い激励でした。

 午後5時、政党カーが到着。R8202947_1024

 注目の彼女が塚越に初のお目見えです。国政の比例候補で、かつ、若き=28歳の女性ということで、珍しさもあってか、町内会長をはじめ、大歓迎で迎えていただきました。短くまとめた佐伯さんの訴えはさわやかで、彼女の魅力が伝わるものでした。

 演説後には拍手も頂き、彼女は集まっていただいたみなさんに次々握手してまわっていました。

 そもそも彼女の活動の出発点のきっかけとなったのは、私が10年以上前に彼女と出会っときに、「少しでも早く社会を変えるためにも、あなたにいっしょに仲間に入ってほしい」と訴えたことでした。

 演説の場所には、案内をみた方が、遠くから足を運んでいただいたり、ベビーカーに孫を乗せて聴きに来ていただいたりして、町内のみなさんには大変ありがたく、感謝の思いでいっぱいです。

 今回の選挙でも、小選挙区中心の選挙報道がされており、有権者の関心も、橘さん、相本さん、柴田さんらに目が行きがちです。その中で、3区の共産党は今回の選挙では、比例でしか戦わないので、そこをいかに強調し、投票してもらえるように訴えるのか、ここがポイントです。

 演説の最後にマイクを握り挨拶。

 いま、比例の北陸信越ブロック(定数11人)では、その最後の11番目の議席に、共産党が入れるかどうかという状況で、何としても議席を確保しなければなりません。

 自民党中心の政治を完全に終わることはほぼ確実で、実に喜ばしいことです。

 しかし、その先の、新しい政治の中身を、民主党に全てをまかせられるかというと、あまりに不安材料が多すぎます。

 そうしたとき、民主党に対して、「良い事には良い、悪い事には悪い」ときちんと言える党、共産党が伸びる事が、きわめて大事なになっています。

 北陸信越ブロック以外で、仮に共産党が現状維持であれば、9議席。北陸信越で1つ獲れば、10議席に増えます。

 9議席しかなかったこれまでは、国会の党首討論は、10議席なければ出られないという規定から、「自民VS民主」というだけの、すいぶん中身の薄い討論でしななかったのですが、共産党がくわわれば、志位委員長が討論の質が一気に高まるのは間違いないでしょう。

 前回選挙で、わずかコンマ数%の票が足りなかったために失った議席を、今回は、何としても北陸信越で回復することが、日本の政治にとっても、きわめて重要になっています。

 あと1週間がんばらねば!


志位委員長が、8年ぶりに富山へ!

2009-08-01 02:34:00 | おしらせ・行事など

20090703_2  4日(火) 午後5時~ 富山駅前CIC広場に、共産党委員長・志位和夫氏が現れます。

 志位委員長の富山県入りは、2001年12月23日以来の8年ぶりとのこと。

 北陸信越ブロックの定数11を争う比例代表で、なんとしても前回・前々回わずかの差で失った共産党の議席を回復しようと、必勝体制で党のトップが応援に駆けつけるのです。

 最近も、民主・岡田氏、自民・安倍氏など、各党の党首クラス・幹部が来県し、演説をしていきましたが、志位さんの話は、その比ではないでしょう。

 日本で、もっとも聴きがのある演説をする政治家の一人です。私も楽しみにしています。

 「党の三幹部」というらしいのですが、先日6月14日、高岡で語った小池晃氏と、市田忠義氏そして、志位和夫委員長です。この人たちは、本当にいい話します。共産党が好き・嫌いを別にして、多くの方に聞いていただきたいものです。

20090702  志位委員長は、昨年来、派遣労働問題を一貫して国会で取り上げ経団連トヨタ幹部らとも直談判し、「派遣切りをやめ、正規雇用にせよ」などと実際に雇用を守るたたかいではかなり精力的に取り組みました。

 共産党の派遣問題の取り組みが、全国の労働者を励まして、不当な解雇、派遣切りに反対し、解雇撤回や正社員化を勝ち取る事例も生まれました。

 ぜひ一度、話をお聴きください。