旧・坂本ひろし活動日誌(2005~2014.8)

日本共産党・坂本ひろしの活動や日々のつぶやきを掲載。OCNブログ人サービス停止に伴いgooブログに記録。

私の町内で高橋わたる氏訴える

2013-06-27 22:48:14 | 国際・政治
参院富山に挑戦する高橋わたるさんが、射水市塚越公民館で訴えました。

<script type="text/javascript" src="http://twitcasting.tv/kyo310_gosei/embed/14680169-320"></script>

アベノミクスの内容はこうである。

強い経済をつくるためには、大企業に競争力強化が必要だ。大企業へ減税し、人件費を抑制するために自由に首切りができる制度をつくる。限定的な正社員制度をもうけ短期雇用を合法化していく。

これで良くなるはずがない。

中小企業、国民生活へしわ寄せで、大企業の利益最大化 → 国民の消費購買力の低下 → 大企業の売上げ減少・利益縮小 → 大企業の強化のためにと中小企業・国民へしわ寄せ・・・という悪魔のサイクルが目に見えているからである。

日本共産党の主張はこうだ。

賃金を上げ、雇用を安定させてこそ安心してお金を使えるようになるし、結婚・子育てに希望がみえてくる。国民生活が安定してこそ消費が増え、中小企業も大企業も利益を拡大できる。
すなわち社会の土台が強くならない限りは、強い国際競争力をもった「日本を取り戻す」ことはできないだろう。

参加者から、「雇用問題は本当にその通りだ。小泉改革以来、若いもんが大変になった」という発言があった。

小泉構造改革以降、競争主義、弱肉強食の社会づくりが急速に進んだ。自民党政治への批判がいっそう拡大し、結果として政権交代を生んだのである。民主党政権は公約を反古にし国民は裏切られ、その反動で自民党が政権に復帰しているわけだ。その自民党は、消費税増税や社会保障削減、TPP推進など、国民生活破壊の道へ、つまり破綻した構造改革路線へとさらに突き進んでいる。

病気の原因に対する、処方箋が間違っているのだ。

そのときに、自民党政治に正面から対決し、根本的打開策を提案する日本共産党を伸ばすことこそが、政治を前向きに変える力になると確信する。


都議選躍進の夜に感じた事メモ

2013-06-23 23:55:00 | 日記・エッセイ・コラム
1週間ほど前、ポスターを貼り出そうと高岡市内を回ったとき、あるお宅にお願いに入った際に、高齢女性に言われた言葉。

「共産党さん、最近いい感じで上がっていますね」というお話だった。

支持率が5%とか若干上がったようなタイミングだった。

支持率をみての事というより、現在の情勢を全体として雰囲気とか空気で彼女が感じ取っているような言い回しなんだろうなとおもった。

高岡市内で高橋さんと演説中、玄関に出てきてずっと聞いている高齢男性がいた。
氏いわく、「アベノミクスはとんでもないし、憲法改正というが、おれは戦争体験者で戦友は特攻で魚のえさとなった。おれはずっと共産党は支持したことがなかったが、今回はぜひ頑張ってほしい」と。

潮目というのだろうか、流れが大きく変わりつつあるに違いないと思った。

それを、劇的に、示したのが今回の都議選だろうと思う。
もちろん国政と100%同じではないので、単純に結論づけることはできないが。

都議選結果は、国民的には、「えっ、共産党が躍進。へえ~。いやいや、確かにそうだ。民主?、維新?、ああ一時の夢みたいなもんだよなあ。わかるわかる、共産党が伸びるのも」
って感じか。

そういう時に、共産党の側から、「そうやろ~。いよいよ自共対決の時代に入ったんだよ」みたいにやっちゃうのはちょっと噛み合ないでしょう。

国民は、一つ一つの選択の際には、生活を少しでもよくするにはどこを勝たせたらよいのかを考える。理念からではなく、リアルな生活の中から、おそらく感性で選びとっているのだ。

4年前に「自民党政治を転換できるのでは」という期待から民主党を勝たせた都民が、その結果もたらされた都民不在、翼賛都議会に4年間期待を裏切られ続けた。その間、国政でも民主党にガッカリ来た。
そして今度は共産党を勝たせたわけであるが、しかしこれは、自共対決というコピーに共感が広がってもたらされたものではない。
生活のなかから生み出された感性からくる判断であり、一人一人の個々バラバラの都民の行動の集積として、共産党を勝たせる結果をもたらしたのであろう。

つまり、「生きるための個々の選択の集積としての結果」。
エンゲルスの反デューリング論で展開した史的唯物論のあれ。個々の人々の寄せ集めとしての集団の行動が社会変革のベクトルとして現れる時、人々をそうさせる根本にあるのはなにか? それは理念ではなく、まさしく人々の生活実態にあるのだ、みたいな分析。

だから、
共産党的には「いよいよ自共対決なんだ」と叫びたい気持ちはわかるのだが、それは国民が自らの経験を通じて到達することに意味があるのであって、そういうものを共産党の側から国民に向かってあえて強調するようなものではないような気がする。

もちろん、それが国民的スローガンになる日は必ず来る。
客観的には今日までの戦後政治が大きな枠組みからいえば「自共対決」であったことはまぎれもない事実だろうが、それを今度の参院選の戦いの国民的なテーマとして提起することは、なじまない。
そういうことを声高に叫んでいる共産党の姿を、市民は感覚的に受け入れるだろうかと不安に感じる。

戦略として、(国民の気分とはマッチしていないことを承知の上で)「自共対決」という言葉を今の段階から発していき、国民の潜在意識にインプットしていくという作業として位置づけるのなら、それはそれでアリかもしれないとは思うけども。


さて、そこで、選挙戦術上、あるいは世論を動かすという角度からみると、国民の意識にかみ合った印象操作はとても大事な戦略であると思う。

先の高齢の女性が「共産党は最近いい感じで上がってきていますね」という感覚が、今回の都議選議席倍増(以上)というこの事実によって、「共産党、勢いがありますね」というふうに変わっていく事は難しい事ではないだろう。
そういう雰囲気、流れみたいなものを醸成するために、こちら側は、いろいろ工夫をすべきなのである。

あえて言ってみるなら、「自共対決の時代を早く作り出したいんですっ!」という感じかな。

数年前、「確かな野党」と言っていた。
今だって、まだそうだろう。
「確かな野党、頼れる共産党になりたい!」みたいな感じ。

ポスター貼り出しだって、あちこちにポツポツはる事も大事だろうが、大きな交差点の角の田んぼに許可をとって、同じポスターを10枚ずらっと並べて貼るとか。

例えば、明日朝の宣伝。都議会で躍進した直後の宣伝活動って、大事ですよ。一番効果的なタイミングです。
共産党すげえな、と思っている気分の市民が多いときに、わざと目立つような宣伝をする、ビラをまく、ポスターを目立つところへ貼り出すなど、ね。