呉西地区委員会の被災地支援団は、1台に6名が乗り込み、6月14日早朝4時半に出発。700㎞を走行し午後2時半に釜石市に到着しました。
出迎えてくれた深澤寿郎日本共産党岩手県東部地区委員会委員長は、「被災の後、富山の党が最も早く、野菜をたくさん持って駆けつけてくれたのを今でも鮮明に覚えています。あの時はこの党事務所に寝泊まりしてもらいましたね。救援活動も全く経験がなかったので、どうやって野菜を配るかということもわからず手探りでしたが、皆さんに支えられて困難を乗り越えることができました。本当にありがとうございました」と感謝の言葉をいただき、震災直後の苦労話も語って下さいました。
その後、釜石市、大槌町の被災地を見学し、被災後3年たった現状をみてきました。
南砺市から参加したkさんは大槌町で、高台へ避難しようとした車が渋滞し多くの犠牲者を出したまさにその現場をみて、「この場でパニックになって沢山の人が逃げられず亡くなったと思うと、正直ぞっとした」と感想を語っていました。
見学後、被災党員の佐々木トシさんの四畳半の仮設住宅に招かれ、お茶を飲みながら仮設住宅での生活をお聞きしました。
(画像は、高台から旧大槌町役場方向を見下ろしたもの)
震災後、北陸信越や全国の党組織と現地党組織が力をあわせ、支援物資のお届け活動や相談活動などを行いながら、住民からの聞き取り調査を丁寧に行い、仮設住宅の不便な箇所や問題点を細かく把握し、繰り返し政府や行政へ届けてきました。その結果、サッシの二重化、風呂の追い炊き機能追加、風除室、物干し竿掛け、庇、網戸の取り付け、害虫駆除、など数多くの改善を勝ち取ってきました。住民に寄り添って取り組んだ全党の活動が、被災者の暮らしを支えていることを実感しました。そして、3年たった現在もこの活動が継続して行われていることは、実は被災者の皆さんが大変よく知っておられ、感謝されていることもわかり、遠くから来てよかったと思いました。
一方、復興住宅の建設と入居のスピードは住民の願いにたいし大きく遅れています。また、都市の復興計画は、防潮堤や公共施設の建設計画が先行し、個人の住宅再建のためのまちづくり計画や、相続や売買等に必要な手続きが住民任せで、杓子定規な行政の対応によってスピード感を持って進められていないという問題点もお聞きました。
仮設住宅の統廃合も計画され、仮設から仮設へと引っ越しさせられるのは、特にお年寄りにとって大変な負担になると言われています。
仮設住宅の部屋から外に出ようとしない人、アルコールに依存する人もかなりおられるようで、中には表では明るく見えた人が最近自殺されていたという話も聞きました。復興住宅がなかなか抽選に当たらないという人も多いため、当選した人が周りでそのことを言うのもはばかられる雰囲気があるとの事です。
被災からかなり時間がたち、人びとにも一定の明るさや落ち着きがうまれている一方で、新たな段階での問題点が生まれているということです。
(その②につづく)