∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-1 >水野太郎左衛門鋳物師址

2005-05-14 18:10:20 | B-1 >水野太郎左衛門系

●水野太郎左衛門鋳物師址 立て札
  愛知県名古屋市東区泉2-12-19(旧 鍋屋町) Visit :2005-04-18 13:00


 先の投稿6記事で鋳物師頭(いもじがしら) 水野太郎左衛門、1投稿記事で鋳物師(いもじ) 水野平蔵作の鋳
造品の紹介をしてきたが、ここであらためて当人の紹介をしていきたい。
まず、上記住所地に立て札があるので写真を掲載し、説明文を写す。

『水野家は代々鋳物師を業とし、はじめ上野村に住んだ。永禄五年(1562)初代太郎左衛門のとき、織田信長
より判物を与えられ、尾張国内の鐘、塔、九輪、鰐口等を鋳造する特権を得た。文禄二年(1593)二代のとき
清須へ、慶長十六年(1611)三代のときこの地に移り住んだ。江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々勤め、国
内の鋳物の製造・販売は全てこの家を経た。』
[名古屋市教育委員会]
 

●鍋屋町(現 名古屋市東区泉)について
 「鍋屋町には、美濃の国において平蔵家とともにその名を遺している鋳物師たち、伊勢に出職した水野勘右衛
門・同太兵衛、あるいは釜師加藤忠三朗(末裔同名を嗣ぎ現職)などの鋳物師たちが住んでいた。彼らもまた数
々の作品を鋳ていたことが推定されるが全貌については今後の課題として残されている。」といわれている。

「水野平蔵家は、その系譜によれば水野太郎左衛門家より早い時期に分家し同じく鋳物を業した。分家初代は
水野平右衛門家勝と称し、平蔵の名を継承するようになるのは、三代政義以降のことである。」名古屋市博物
館展示会資料より抜粋

『張州府志』の附圖には、名古屋市東区泉2-11-6辺りに「タヽラ」と書かれた建造所が記されていることから、
ここに鋳造所があったと思われる。また更に東には「御鐵砲場」と記された区劃がみられる。
現地から東にかけては、軒並み水野太郎左衛門家の支配下にあったと聞かれる。

 「明治5年(1872)鍋屋町・新町・九十軒町を合併して鍋屋町となった。慶長16年(1611)旧鍋屋町は現1丁目に
あたり,清洲に住んでいた鍋職の者が大挙してこの地へ引越してきたのでこの名称が生まれた。現在では鍋と
いうと台所道具と思われるが,当時は御釜役と称して鍋釜はもちろん,釣鐘から弾丸などその職域は広範囲な
ものであった。毎年暮には鍋役として町内の間口割で銀を取り立てて,税金を納める代わりに,他の町ではそ
の売買を禁ずるという特権をもっていた。元祖は三代目水野太郎左衛門で,現在の同町1 町目に居を構え代々
その職をつぎ今日に至っているが,いまでは鍋屋という家号の水野家が一軒だけとなった。」という記事のホー
ムページがある。

 但し、私が取材したところでは、当地は元水野太郎左衛門家の屋敷であったが、明治以降に当家が移転し、
その後、水野平蔵家の末裔が移り住み、現在では業務用厨房用品(もちろん鍋や釜も含む)の卸および小売業
(称号 鍋屋)を営んでいる。立て札は当店の西に設けられている。

また、当所は、「名古屋市東区泉2丁目12番19号」にあるが、水野太郎左衛門家屋敷は、同一街区(12番)の東端「5号」にあったと聞かれる。(update 2011.3.20)



水野太郎左衛門家は、現在は鋳物師職は行っておらず、当家において代々大切に保管されてきた水野太郎左
衛門家資料は名古屋市博物館に寄贈された。その時を同じくして、同博物館で昭和58年3月5日~4月10まで
開催された『部門展 尾張の鋳物師』の展示会資料から、歴代水野太郎左衛門、および歴代水野平蔵作の鋳造
品の詳細を得ることができ、採訪の基礎資料となった。

[注]
【町代】or町代役=有力町人から選ばれた町役人。水野太郎左衛門の第四代から第八代まで役職にあった。
【外衛】= 平安時代の六衛府のうち、近衛府を内衛というのに対し、左右衛門府・左右兵衛府をいう。
【▽衛府】= (1)奈良・平安時代に、宮中の警衛をつかさどった役所の総称。大宝令では衛門、左・右衛士、左・
右兵衛の五府。811年以降、左・右近衛、左・右衛門、左・右兵衛の六衛府となった。
2)律令制の官名で、衛府に所属する武官。衛府司。衛士を率いて宮城諸門の警護・開閉を行い、行幸の際に
供奉する武官の役所。左 右の二衛門府があった。靫負司。金吾。
【▽衛門の陣】=左右衛門府の役人の詰め所。左衛門の陣は建春門(東)内に、右衛門の陣は 宜秋門(西)内
にあった。


水野太郎左衛門家系図
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/42f77dfdd91dfcd69ef3357f3d0bfd06



●ギャラリー花藤
名古屋市東区泉2-1-15
『初代加藤久左衛門が守山村に生まれ、鋳物師を生業とし、慶長六年1601尾張藩主に召され清洲に移る。慶長
16年1611、那古野に新たに築城がなると再び移住。東区鍋屋町において、水野太郎左衛門と共に藩許の鋳物
師として尾張藩の御用を致す。五代加藤嘉左右衛門庸貞(忠三郎)の時、藩主より「御釜師」の称号を受ける。
六代から加藤忠三朗を名乗る。』
 当ホームページから抜粋 現在は茶道用茶釜。鉄瓶などの鋳造販売を行っている。



 

水野太郎左衛門家屋敷跡(名古屋市東区泉2丁目12番5号)
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