∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-1 >真宗大谷派 名古屋別院の梵鐘

2010-05-26 06:07:01 | B-1 >水野太郎左衛門系
●真宗大谷派 名古屋別院
      愛知県名古屋市中区橘2丁目8-55





●『新修名古屋市史』資料編「近世2」
口絵 図番28 東本願寺名古屋御坊梵鐘と銘文(真宗大谷派名古屋別院蔵)
◆東別院鐘楼の梵鐘
総高177.5cm 、口径108.0cm
梵鐘の池の間・第四区に刻まれている銘文部分
「大谷本願寺末刹
  尾陽名護屋荘名護屋村」
「元禄五壬申歳」
「五月二十八日」
「冶工名護屋住
    藤原政良」

 このことから、元禄五年(1692)五月二十三日、第六代水野太郎左衛門政良作梵鐘と判る。
この二十三日の日付と銘文日付の5日間の相違については、銘文は親鸞聖人のご命日(弘長二年[1262]十一月二十八日[太陽暦では1263年一月十六日])に合わせて陰刻されたものであり、鋳造は、後述「鸚鵡籠中記」の日付、五月二十三日の方が正しい。
 また、本梵鐘は、「名古屋市指定文化財 平成16年4月21日」に指定されている。


●「鸚鵡籠中記」『校訂復刻 名古屋叢書続編 第九巻』鸚鵡籠中記(1) 名古屋市教育委員会 
◆東本願寺鐘の鋳造の様子
[目録]
□元禄五壬申歳
○五月
 本願寺通ヒ所(*1)にて鋳鐘

[本文]
元禄五年(1692)五月二十三日  
 晨(*2)雨、辰尅(*3)より雨止薄曇。此日通所(*1)に撞鐘を鋳る《辰下刻より》。予見物す。貴賤満巷老若聳踵。桟敷四方に囲。四所にたゝら(*4)を踏。煙火激揚して具フ(二)五色ヲ(一)午下尅銕湯湧て模(イガタ)につぎこむ。鋳物師上下を着し、長竿に紙をつけて振、大に三度発シテ(二)凱哥(*5)(一)而止。 

[註]
《 》内は小文字
*1=通所(かよいどころ)は分院のこと。真宗大谷派名古屋別院。
*2=晨(あした、あさはやく)
*3=尅は刻と同じ。
*4=蹈鞴。鋳物に用いる大きなふいご。
*5=凱歌。戦勝を祝う歌。かちどき。

[釈文]
 早朝は雨、午前8時頃から雨が止み薄曇り。この日、午前9時過ぎから真宗大谷派名古屋別院で釣り鐘を鋳造する。われ見物する。身分の上下隔てなく鋳造の行われる場所に人々が満ち、老いも若きも踵(かかと)を聳(そび)やかし背伸びをしている。高く作った見物席が四方を囲み、四カ所で蹈鞴を足で踏んで風を送る。煙と火が激しく上がり五色に染まる。午後1時くらいに鉄の湯(青銅を溶かして液状にしたもの)が湧いて鋳型に注ぎ込む。鋳物師は裃を着用し、長い竹竿に紙をつけて振る。大きくかちどきを三度発し、そして終わりとなる。


B-1 >真宗大谷派 名古屋別院

水野太郎左衛門家系図




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