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ヘナチョコ革命 2020年版

世界を変える・・・

スキャンダルにまみれたイスラエルの「救出」団体が10月7日の捏造を煽る

2024-03-13 01:23:02 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
スキャンダルにまみれたイスラエルの「救出」団体が10月7日の捏造を煽る
マックス・ブルメンタール·2023年12月6日
HTTPS://THEGRAYZONE.COM/2023/12/06/SCANDAL-ISRAELI-OCTOBER-7-FABRICATIONS/

証拠なき叫び:見掛け倒しの「ハマス集団レイプ」報道に関するNYTへの質問
マックス・ブルメンタールとアーロン・マテ·2024年1月10日HTTPS://THEGRAYZONE.COM/2024/01/10/QUESTIONS-NYT-HAMAS-RAPE-REPORT/
国務省は、イスラエル兵がパレスチナ人女性を性的虐待し、虐殺したという報告を軽視している
ワイアット・リード·2024年2月23日HTTPS://THEGRAYZONE.COM/2024/02/23/STATE-DEPT-ISRAELI-SOLDIERS-SEXUALLY-ABUSING-SLAUGHTERING-PALESTINIAN-WOMEN/
西側メディアは「証拠」をでっち上げ、性犯罪は実現できなかった10月7日の国連報告書
ワイアット・リード·2024年3月7日HTTPS://THEGRAYZONE.COM/2024/03/07/MEDIA-CONCOCTS-UN-HAMAS-RAPE-REPORT/
ハマスによる「組織的かつ意図的な強姦」を主張するイスラエルの新報告書は、虚偽の西側メディア報道に依拠している
マックス・ブルメンタール·2024年2月22日HTTPS://ADMIN.BLOG.FC2.COM/CONTROL.PHP?MODE=EDITOR&PROCESS=NEW
リークされたイスラエル・ロビーのプレゼンテーションは、「ハマスの強姦」の主張でガザに対する戦争を正当化するよう米国当局に促す
マックス・ブルメンタール·2024年3月6日HTTPS://THEGRAYZONE.COM/2024/03/06/LEAKED-ISRAEL-LOBBY-OFFICIALS-WAR-GAZA-MASS-RAPE/


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『信濃毎日新聞』社説 ガザ攻撃と国際社会 許さぬ意思を市民が示す

2024-02-14 00:48:31 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
2023/12/31 09:30 ハマスの戦闘員らによる民間人の殺害や連行は、戦争犯罪として裁かれなければならない行為だ。であっても、占領の抑圧と暴力に抵抗すること自体は正当な権利である。そのことを踏まえ、根源にある問題に目を向けたい。https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023123100053

この箇所の前半部だけが、出色の社説の間違いだ。論説委員が映画『アルジェの戦い』を見ていれば、こうは書かない。もちろんシオニスト・ナチのハンニバル指令の知識も必要だし、シオニスト・ナチに監禁され拷問を受けている膨大な数のパレスチナ人の囚人の知識も必要だ。彼女ら彼らを救うには人質が必要だ。

〈社説〉 ガザ攻撃と国際社会 許さぬ意思を市民が示す
2023/12/31 09:30

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https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023123100053
 武器を持たない市民がなすすべなく命を奪われ、飢えや病気で多くの人が死に瀕してもいる。日々伝えられるパレスチナ・ガザ地区の状況に、穏やかな心持ちになれぬまま迎えた年の瀬である。
 イスラエル軍は、高層の建築物を破壊できる超大型の爆弾を多用し、住居が密集した難民キャンプでは、地面が大きくえぐれて一帯の建物が跡形なく消えた。ガザの死者は2万人を超え、子どもと女性がその7割を占める。自衛として正当化し得ない無差別の殺りくであり、住民への集団懲罰だ。
 ■圧倒的な非対称
 イスラム組織ハマスの戦闘員らによる10月の襲撃は、国連のグテレス事務総長が述べたように、何もないところにいきなり起きたのではない。ガザとヨルダン川西岸地区に暮らすパレスチナの人々は1967年以来、半世紀余にわたってイスラエルによる過酷な軍事占領下に置かれている。
 ガザは2007年から境界を封鎖され、これまでもイスラエル軍の大規模な爆撃や侵攻にさらされてきた。強大な軍事国家が振るう暴力と、占領された側の武装勢力による抵抗は圧倒的に非対称だ。「報復の連鎖」といった言葉で同列には捉えられない。
 ハマスの戦闘員らによる民間人の殺害や連行は、戦争犯罪として裁かれなければならない行為だ。であっても、占領の抑圧と暴力に抵抗すること自体は正当な権利である。そのことを踏まえ、根源にある問題に目を向けたい。
 ガザと西岸の占領からさかのぼる1948年にイスラエルは建国を宣言した。その前後、領内に住むパレスチナの人々が各地で虐殺され、70万人以上が故郷を追われている。難民としてガザや周辺の国々に逃れた人々は、70年余が過ぎてなお帰還がかなわない。
 ■国際世論のうねり
 19世紀末に興ったユダヤ人による建国運動は、欧州での根深い差別と迫害の歴史が背景にある。それはナチスによる大量虐殺にまで行き着いた。しかし、そのことがパレスチナの人々への迫害を正当化する理由にはならない。
 イスラエルは、自らが加害者となった建国以来の歴史を直視すべきだ。難民の帰還や補償の交渉にすら応じず、占領地の支配を永続化させてきた行動こそが問われなければならない。追及を怠り、既成事実の積み重ねを許してきた国際社会の責任は重い。
 イスラエルにとっての「第2の独立戦争」だとうそぶくネタニヤフ首相の言葉には、かつてのような虐殺や追放をためらわない姿勢がのぞく。にもかかわらず、イスラエルに肩入れする米国は、国連の安全保障理事会で常任理事国が持つ拒否権を行使し、停戦の決議を阻み続けている。
 しかし、安保理が機能しないとき、総会が役割を代行する「平和のための結集」の仕組みの下、国連総会は今月、即時停戦を求める決議を圧倒的多数の賛成で採択した。総会の決議に強制力はないものの、国際社会の総意としての重みがある。イスラエルと米国の孤立は際立つばかりだ。
 国際世論のうねりがその背後にある。欧州では、ロンドンやベルリン、パリをはじめ各地で何十万人もの市民が声を上げている。国連総会の即時停戦の決議に賛成した国は、10月の休戦決議より30カ国以上増えた。
 米国でも若い世代を中心に抗議活動が広がり、ユダヤ系市民の団体からもイスラエルによる占領や虐殺を強く批判する声が出ている。ユダヤ系の作家、研究者らは40人余の連名で、政府に即時停戦を訴える公開書簡を出した。
 かつて南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策を廃止に追い込んだ運動は、米カリフォルニア州の学生たちの呼びかけから世界に広がったという。一人の力は小さくても、連なり、共振して世界を動かす力になる。
 ■連帯への一歩を
 日本政府は1970年代の石油危機を背景に、パレスチナの自決権を支持する立場を明確に打ち出し、イスラエルに全ての占領地からの撤退を求めた。それでいて、和平の仲介や政治解決に積極的に動いた形跡は見えない。
 むしろ、米国との軍事一体化に傾くとともにイスラエルと関係を深め、2014年に安倍政権は、軍事協力を含む「包括的パートナーシップ」の共同声明に署名している。イスラエルが購入した米国の戦闘機F35の共同開発にも加わった。ガザへの爆撃に日本もまた加担している現実がある。
 国のあり方に責任を負うのは、主権者の私たちだ。戦後の平和主義に背く政府の姿勢を変えるために声を上げることは、パレスチナと連帯することにつながる。それは私たちにできることであり、しなければならないことだ。
 パレスチナの人々を、孤立無援の状況に置き捨てにするわけにいかない。同じ世界に生きる誰もが責任の一端を負っている。そのことを胸に刻み、新しい年、それぞれが一歩を踏み出したい。



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2009年の村上春樹のエルサレム賞受賞と2002年の小説家リアナ・バドルの悲惨

2024-01-17 03:56:11 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題

 村上春樹はなぜいまだにエルサレム賞を返上しないのか?ジョン・ピルジャーは2011年のイアン・マキューアンのエルサレム賞受賞を非難したが、2002年にはイスラエル占領軍(IOF)による小説家リアナ・バドルの悲惨を取材しているから。シオニスト・ナチにガッサン・カナファーニーは暗殺され、リアナ・バドルの原稿はボロボロにされる。
 それでも村上春樹はエルサレム賞を受賞した。
 まだ間に合う、村上春樹はエルサレム賞を返上せよ!




ジョン・ピルジャー(2017年記事):なぜパレスチナが依然として問題なのか - 日本版「黒は美しい(ブラック・イズ・ビューティフル)」運動、2013年末始動 (fc2.com)

2011年、私は英国で最も高く評価されている小説家の一人、ブルジョワ啓蒙の輝きに満ちた男イアン・マキューアンが、アパルトヘイト国家においてエルサレム文学賞をいとも簡単に受賞したことに衝撃を受けた。


マキューアンはアパルトヘイトの南アフリカのサンシティに行っただろうか?そこでも賞品が与えられ、費用は全額負担されました。マキューアンは「市民社会」の独立性についてのイタチの言葉で自分の行動を正当化した。


マキューアンが喜んだホストの手首を平手打ちするようなプロパガンダは、パレスチナの抑圧者にとって武器となる。砂糖のように、それは今日のほとんどすべてのものを暗示しています。



国家と文化のプロパガンダを理解し、解体することは、私たちの最も重要な任務です。私たちはカエルに導かれて第二次冷戦に突入しつつあり、その最終的な目的はロシアを制圧し、分断し、中国を威嚇することである。

2002年に故アリエル・シャロンがヨルダン川西岸に侵攻した後のラマラでは、ひしゃげた車や取り壊された家々の通りを通って、パレスチナ文化センターまで歩いた。その朝までイスラエル兵がそこで野営していた。
私を出迎えてくれたのは、センターの所長で小説家のリアナ・バドルさんでしたが、彼女の原稿は床に散乱し、引き裂かれていました。彼女の小説と演劇や詩のライブラリーが入ったハードドライブはイスラエル兵によって奪われていた。ほとんどすべてが破壊され、汚されました。
全ページが残っている本は一冊もありませんでした。パレスチナ映画の最高のコレクションの 1 つからのマスター テープは 1 つもありません。
兵士たちは床や机、刺繍や芸術品の上で放尿したり、排便したりしていた。彼らは子供の絵に糞便を塗りつけ、ひどい言葉で「殺すために生まれてきた」と書きました。
リアナ・バドルさんは目に涙を浮かべていたが、屈することはなかった。彼女は言いました、
「私たちは再びそれを正しくします。」  


ジャーナリスト、映画製作者 ジョン・ピルジャー 1939-2023
人民のための声と西側帝国主義に反対する声




ヴァネッサ・ビーリー

2024/01/12








https://beeley.substack.com/p/journalist-and-film-maker-john-pilger
ヴァネッサ・ビーリー |サブスタック (substack.com)
ジョンは早くからパレスチナ人を擁護し、 1977年には映画『パレスチナは今も問題』を制作していた。それから25年後の2002年、彼は コンパニオンフィルム 同名の映画を制作し、パレスチナの解放がまだ達成されていないことをはっきりと思い起こさせた。映画の中で、ジョンが次のように描写するシーンがあります。当時と現在ガザで起きていることの強い類似点については、長々と引用する価値がある。

2002年に故アリエル・シャロンがヨルダン川西岸地区に侵攻した後、ラマッラーでは、押しつぶされた車や破壊された家屋の通りを通り抜け、パレスチナ文化センターに向かいました。その日の朝まで、イスラエル兵はそこに宿営していた。センター長の小説家リアナ・バドルに会いに行ったが、彼女の原稿は床に散らばり、破れていた。彼女の小説と戯曲や詩の図書館が入ったハードディスクは、イスラエル兵に奪われていた。ほとんどすべてが粉々に砕かれ、汚された。

すべてのページが残された本は1冊もありませんでした。パレスチナ映画の最高のコレクションの一つから、マスターテープは一つもない。

兵士たちは床や机の上、刺繍や美術品に排尿や排便をしていた。彼らは子供の絵に糞便を塗りつけ、たわごとで「殺すために生まれてきた」と書いていました。リアナ・バドルは目に涙を浮かべていたが、屈服はしなかった。彼女は「また正す」と言いました。

植民地化し、占領し、盗み、抑圧し、破壊し、汚す人々を激怒させるのは、被害者が従うことを拒むことです。そして、これこそが、私たち全員がパレスチナ人に捧げるべき賛辞なのです。彼らは従うことを拒否します。彼らは続ける。彼らは待つ――再び戦うまで。そして、彼らを統治する人々が彼らの抑圧者と協力しているときでさえ、彼らはそうするのです。


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入植者植民地主義のアパルトヘイト国イスラエルの蛮行は、言葉の正確な意味を込めて、シオニスト・ナチの蛮行と呼ぶべき

2024-01-07 14:08:32 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
シオニスト・ナチの蛮行問題 ナチスと同じ人種主義者のシオニスト
 


★ベンヤミン・ネタニヤフ:「ハマスは新しいナチス」/「アマレクがあなたにしたことを思い出してください」(申命記25:17)。 私たちは思い出し、戦います。
旧約聖書:サムエル記上:15章: 3節 今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ。
★ラビ・メイル・マロズはイスラエルチャンネル7に「もし彼ら(ガザ住民)が人間だったら、私たちは彼らに人道援助を送っただろう…しかし、これは動物に関することだ」
★ガラント国防相は10月9日、ガザ地区を完全封鎖するとし、「動物のような人間」との戦いだと述べた。
★イスラエルのイツハク・ヘルツォグ大統領:ガザでアドルフ・ヒトラー『我が闘争』(アラビア語版)が見つかった(BBC放映)
★エルサレム問題・遺産相アミハイ・エリヤフ:ガザへの核使用は「選択肢」
★元法相アイェレット・シャケド(殉死したパレスチナ人家族について)「息子の後を追わせるべきである。これこそが正しい処置であろう。邪悪な蛇を育てた家を焼却したのと同じように、親、兄弟姉妹、親族を全部消滅させるべきだ。さもないと次々と新しい蛇が誕生する」と公言。
★エルサレム副市長アリエ・イツハク・キング:「彼らは人間でもなく、ひいては動物でもない。人間以下の存在なので、それにふさわしく接しなければならない」
★メトゥーラ評議会の議長であるデイビッド・アズライ:すべてのガザ人をレバノンの難民キャンプに送り、ガザ全体を平らにしてアウシュヴィッツのような空の博物館にすることを提案した。


 これらの発言は、主に、シオニスト・ナチがガザ強制収容所でのパレスチナ人の民族浄化を行う過程で発せられた言葉だ。
 よってシオニズムと人種主義の歴史を少し振り返って見よう。


■レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介・訳、法政大学出版局、2001年
頁72──


第5章 ドイツ・シオニズムのナチズムへの協力申し出


 ドイツ・シオニズム運動の指導者のひとり、ヴェルナー・ゼナートアは、かつて以下のように述べたことがる。シオニズムは活動している国の政治に同化するものだ、と。ドイツ・シオニスト連合による、新しいナチ体制の理論と政策への同調ほどに、彼の右の言葉を裏書きするものはない。シオニズム運動とナチズム運動のイデオロギー的類似性(リベラリズムに対する軽侮のの念、共通の民族至上主義的レイシズム〔人種差別主義〕、さらには自明のこととして、ドイツがユダヤ人の祖国にはけっしてなりえないという共通の確信)によってナチスにシオニストを支持する気をおこさせることができると、ドイツ・シオニスト連合の面々は信じたために、アードルフ・ヒトラーの政権掌握後、ヒトラーによる後援を一度ならず何度も繰り返し懇請した。
 ドイツ・シオニスト連合の目標は、「整然たる退却」になった。すなわち少なくとも若い世代のユダヤ人がパレスティナへ出国できるようにナチスに支援させるというのが目標になった。かくしてシオニストたちは早速、ナチ組織内部のさまざまな分子との接触を追求するようになった。シオニストたちは、ナチスが民族至上主義的なシオニズム理解をベースに、そうした妥協に関心があるものと思い込んでいたのである。シオニスト連合執行部のひとり、クルト・トゥーフラーは、親衛隊のレオポルト・イッツ・フォン・ミルデンシュタイン男爵を説得し、ナチの新聞に親シオニズム的な論稿を書いてもらった。フォン・ミルデンシュタインは、はじめてパレスティナへ旅する条件に同意し、ヒトラー政権誕生から二ヶ月後に二人はそれぞれ夫人を同伴してパレスティナへ向かった。帰国して論稿を書くまでの六ヶ月間、ミルデンシュタインはパレスティナに滞在した。



■レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介・訳、法政大学出版局、2001年


頁88──
 
 ナチスの先をこしてドイツ・シオニズム運動は孤立したブルジョアの政治的祭儀になった。左翼が街頭で褐色の制服のナチ部隊と闘っていた時にシオニストたちはパレスチティナ植樹基金集めに忙しかった。1933年になると突如この小グループは自らを歴史によってまさに聖別されたものとみなし、ナチスと秘密裡に交渉し、ヒトラーに抵抗することを望む膨大な世界ユダヤ人大衆の願いに逆らい、ただもうパレスチティナでの国家樹立のためにシオニスト大衆に対する敵の支持を獲得することしか期待しなかったのである。スモラーや他の地域のシオニストたちの批判は、ドイツ・シオニスト連合の態度を単に臆病とみなしていたが、その判断は見当ちがいであった。ナチスに屈服したという降伏説はどれも、シオニズムの人種論がヒトラー以前に亢進していたことを何も説明できないし、世界シオニスト機構がそうした構えを承認していたことも説明できない。臆病というよりもっと悲惨だったというのが真実なのである。ドイツ・シオニストたち自身、ナチスに降伏したとは思っておらず、むしろきわめて政治家らしい妥協獲得気分で独りよがりにナチ・パートナーになれたと思い込んでいたのがありのままの真実であった。彼らは全く瞞着されていたのである。ナチ・ドイツ下、他のユダヤ人に対して勝ち誇れるようなユダヤ人はいなかったはずである。ヒトラーとユダヤ人との間に妥協は全くありえなかった。いったんヒトラーがドイツ国内で勝利すれば、ユダヤ人に希望はなかった。彼らに残された唯一の道は亡命であり、亡命先から闘い続ける以外になかったはずである。多くのユダヤ人、なかんずくシオニストはアードルフ・ヒトラーのパトロネージをえられるものと夢想し続けたのであった。ヒトラーが権力の座に就く以前も、シオニストは闘わなかった。ヒトラーの政権掌握前ならば彼を打倒するチャンスはなお存在した。しかし彼らはチャンスを生かさなかった。臆病からでは全然ない。ヘルツルから受け継いできた最も強い確信、すなわち反セム主義に勝つことはありえないという確信から、ヒトラーとも闘わなかった。すでにヴァイマル共和国期に抵抗できず、あらかじめ自ら人種論を展開している状況があればナチスのイデオロギー的手先になりおわることは不可避であった。



*****


 ネオナチ政権のウクライナでは、ユダヤ人のゼレンスキーが大統領。ユダヤ人オリガルヒのイーホル・コロモイスキーがネオナチ組織を創設。かようにナチスとユダヤ人の共犯関係は今でも通常のこと。
 シオニスト・ナチ国の熱烈支持者の佐藤優はこう言う──反ユダヤ主義者にユダヤ人が協力することは、それほど珍しい事例ではありません。ナチス・ドイツとも、当時のドイツのエスタブリッシュされたユダヤ人は、「取り引き可能」と考えました。
 さらにラウール・ヒルバーグ(以下は『記憶 ホロコーストの真実を求めて』(徳留絹枝・訳、柏書房 1998年)より。『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』が代表作)は──
ユダヤ人評議会について書いたときには、私はドイツの組織が彼らからの協力にどれだけ依存していたのかを強調した。評議会の協力的な政策は破滅的結果をもたらした。しかし、私には問題はもっと深いように思えた。評議会は、ドイツにとっての道具だっただけではなく、ユダヤ人社会における機関でもあったのだ。彼らの戦術はユダヤ人が何世紀にもわたって実行してきた適応と順応の延長だった。私はユダヤ人指導者と一般のユダヤ人を別々に見ることはできない。指導者たちは、ユダヤ人によって長い間受け継がれてきた危機に対する反応の基本的姿勢を代表していたからだ。


■レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介・訳、法政大学出版局、2001年
頁413──

 シャミルのテロリストとしての過去に対して関心が集中したことで、自ら望んでアードルフ・ヒトラーの同盟者になろうとした人間でもこのシオニスト国家の首相になれるのだというもっとグロテスクなイメージが曖昧にされてしまうことにもなった。ベギンがシャミルを外相に任じ、シュテルンの肖像を刷った郵便切手を発売することでシュテルンの功績を讃えた時、ベギンは二人の過去を完全に知っていてそうしたのであった。シオニストとファシストおよびナチスとの馴れ合いの遺産とその基礎をなす哲学が、現在のイスラエルに貫徹しているのだということを、この事実ほどによく示す証拠はないであろう。


*****


 というわけだから、シオニスト=ナチス=ファシストと考えてもほぼ正しいのである。よって入植者植民地主義のアパルトヘイト国イスラエルの蛮行は、言葉の正確な意味を込めて、シオニスト・ナチの蛮行と呼ぶべきなのだ。
 




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〈社説〉 ガザ攻撃と国際社会 許さぬ意思を市民が示す

2024-01-04 12:48:43 | シオニスト・ナチ国(イスラエル)問題
〈社説〉 ガザ攻撃と国際社会 許さぬ意思を市民が示す

2023/12/31 09:30
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023123100053

 武器を持たない市民がなすすべなく命を奪われ、飢えや病気で多くの人が死に瀕してもいる。日々伝えられるパレスチナ・ガザ地区の状況に、穏やかな心持ちになれぬまま迎えた年の瀬である。



 イスラエル軍は、高層の建築物を破壊できる超大型の爆弾を多用し、住居が密集した難民キャンプでは、地面が大きくえぐれて一帯の建物が跡形なく消えた。ガザの死者は2万人を超え、子どもと女性がその7割を占める。自衛として正当化し得ない無差別の殺りくであり、住民への集団懲罰だ。


 ■圧倒的な非対称


 イスラム組織ハマスの戦闘員らによる10月の襲撃は、国連のグテレス事務総長が述べたように、何もないところにいきなり起きたのではない。ガザとヨルダン川西岸地区に暮らすパレスチナの人々は1967年以来、半世紀余にわたってイスラエルによる過酷な軍事占領下に置かれている。


 ガザは2007年から境界を封鎖され、これまでもイスラエル軍の大規模な爆撃や侵攻にさらされてきた。強大な軍事国家が振るう暴力と、占領された側の武装勢力による抵抗は圧倒的に非対称だ。「報復の連鎖」といった言葉で同列には捉えられない。


 ハマスの戦闘員らによる民間人の殺害や連行は、戦争犯罪として裁かれなければならない行為だ。であっても、占領の抑圧と暴力に抵抗すること自体は正当な権利である。そのことを踏まえ、根源にある問題に目を向けたい。


 ガザと西岸の占領からさかのぼる1948年にイスラエルは建国を宣言した。その前後、領内に住むパレスチナの人々が各地で虐殺され、70万人以上が故郷を追われている。難民としてガザや周辺の国々に逃れた人々は、70年余が過ぎてなお帰還がかなわない。


 ■国際世論のうねり


 19世紀末に興ったユダヤ人による建国運動は、欧州での根深い差別と迫害の歴史が背景にある。それはナチスによる大量虐殺にまで行き着いた。しかし、そのことがパレスチナの人々への迫害を正当化する理由にはならない。


 イスラエルは、自らが加害者となった建国以来の歴史を直視すべきだ。難民の帰還や補償の交渉にすら応じず、占領地の支配を永続化させてきた行動こそが問われなければならない。追及を怠り、既成事実の積み重ねを許してきた国際社会の責任は重い。


 イスラエルにとっての「第2の独立戦争」だとうそぶくネタニヤフ首相の言葉には、かつてのような虐殺や追放をためらわない姿勢がのぞく。にもかかわらず、イスラエルに肩入れする米国は、国連の安全保障理事会で常任理事国が持つ拒否権を行使し、停戦の決議を阻み続けている。


 しかし、安保理が機能しないとき、総会が役割を代行する「平和のための結集」の仕組みの下、国連総会は今月、即時停戦を求める決議を圧倒的多数の賛成で採択した。総会の決議に強制力はないものの、国際社会の総意としての重みがある。イスラエルと米国の孤立は際立つばかりだ。


 国際世論のうねりがその背後にある。欧州では、ロンドンやベルリン、パリをはじめ各地で何十万人もの市民が声を上げている。国連総会の即時停戦の決議に賛成した国は、10月の休戦決議より30カ国以上増えた。


 米国でも若い世代を中心に抗議活動が広がり、ユダヤ系市民の団体からもイスラエルによる占領や虐殺を強く批判する声が出ている。ユダヤ系の作家、研究者らは40人余の連名で、政府に即時停戦を訴える公開書簡を出した。


 かつて南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策を廃止に追い込んだ運動は、米カリフォルニア州の学生たちの呼びかけから世界に広がったという。一人の力は小さくても、連なり、共振して世界を動かす力になる。


 ■連帯への一歩を


 日本政府は1970年代の石油危機を背景に、パレスチナの自決権を支持する立場を明確に打ち出し、イスラエルに全ての占領地からの撤退を求めた。それでいて、和平の仲介や政治解決に積極的に動いた形跡は見えない。


 むしろ、米国との軍事一体化に傾くとともにイスラエルと関係を深め、2014年に安倍政権は、軍事協力を含む「包括的パートナーシップ」の共同声明に署名している。イスラエルが購入した米国の戦闘機F35の共同開発にも加わった。ガザへの爆撃に日本もまた加担している現実がある。


 国のあり方に責任を負うのは、主権者の私たちだ。戦後の平和主義に背く政府の姿勢を変えるために声を上げることは、パレスチナと連帯することにつながる。それは私たちにできることであり、しなければならないことだ。


 パレスチナの人々を、孤立無援の状況に置き捨てにするわけにいかない。同じ世界に生きる誰もが責任の一端を負っている。そのことを胸に刻み、新しい年、それぞれが一歩を踏み出したい。


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