<豊田昭和点描>(3)勘八水管橋 人も水も静かに渡らせ
2020年8月6日 05時00分 (8月6日 05時00分更新) 会員限定
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豊田市の景勝地として知られる矢作川の勘八峡。東海環状自動車道の真っ赤なアーチ橋は勘八峡を象徴する風景の一つだが、一キロほど下流には、同じ赤でも小さな橋がひっそりと架かっている。矢作川沿いを走る国道153号からも見えず、木々に覆われた小道を縫ってたどり着く。
近隣の人は「勘八水管橋」と呼ぶ。正式名称は「豊田幹線水路勘八水管橋」。農林水産省の管轄で、橋の側面に通した水管で農業用水を矢作川の右岸から左岸側の農地に送水するために一九八二(昭和五十七)年に造られた。
全長は百五十八メートルあるものの、幅は人がすれ違える程度しかなく、自動車は通れない。すぐ近くの平戸橋町に住む会社員の男性(31)は「ランニングで橋を通る。車も来ないし、走りやすい」と話す。
建設から四十年近くたつ現在も送水しているが、橋全体が所々さびて塗装がはげ落ち、歩道の舗装も傷む。時代から取り残されたかのような雰囲気である。
橋の真ん中に立ってみた。昭和初期に越戸ダムができるまで、矢作川は急流だったという。激しい流れで削られた花こう岩の奇岩が、眼下にゴロゴロと横た...