ヤクザがヤクザであるのはヤクザには巨大広報組織がないからである。私は昔、映画『仁義なき戦い』を何度も見た記憶があるが、何度も見るとヤクザに共感する意識がどこかに芽生えるのである(笑)。だが、現実には何が起こるかというと、信号が青で左折し始めた私の車の前にヤクザの一家を乗せ喪服で葬式に向かうであろう車が、左側で信号停止している多数の車を追い越し、交差点で右側通行して私の車の前に突然現れたのだ。この危機への対処は一つしかない。私が車をバックさせヤクザの車を通すしかない。ヤクザの車でなくとも私はそうしたと思う。交通ルールを盾にとると事件解決が長引く可能性の方が高い場合が多いのだ。この頃にもそんな場面があり、工事中の交互通行で「赤」で飛び込んできた車が2台もあり、私はバックして車を避難させた。
ムッソリーニがマフィアを目の敵にしてほぼ壊滅させたが、テロ国家アメリカがイタリアに乗り込んできたマフィアは復活した。テロ国家アメリカ(暴力団アメリカ組)はマフィアより上の世界的な暴力団なのである。で、テロ国家アメリカはヤクザと違い強力な広報機関を持っている。これが日本低国民の多数派がテロ国家アメリカを好きになる理由である。毎日が侵略戦争で他国の住民を殺戮していても、日本低国民はアメリカが好きのである。結局、ヤクザ映画を見過ぎてヤクザに共感し始めた私と同じなのである。
(「超富裕層の代理人」)メディアを無批判に毎日見ていれば、「ワクチン」打て打てキャンペーンに参加してしまうのは当然である。ここで大事なことは、「批判的に見る」ことは極めて苦痛を伴うことであるから、なかなかできることではないということだ。私はテロ国家イスラエル支援者・佐藤優批判のために彼の著書を多数読むことは余儀なくされたが苦痛の連続だった。よって、現在のような大本営発表状態──あらかじめ放送内容や記事内容が予想可能な場合──のメディアなら見ないことが最善策だ。
地方権力にも癒着した『読売新聞』問題を論ずるなら、「超富裕層の代理人」であるメディア問題を避けて通ることできないはずであるが、名誉白人・澤藤統一郎には無理なのである。ビル・ゲイツが世界のメディアに多額のカネをばらまいている事実を批判しないということは、今の時期には致命傷なのである。「あなたは何も分かっていない」と言われて終わり。
ヤクザとファシズム~マフィアの復活・ヒロヒトの復活 - 日本版「黒は美しい(ブラック・イズ・ビューティフル)」運動、2013年末始動 (fc2.com)
▼アルフレッド・W・マッコイ『ヘロイン・上』(堀たお子・訳、サイマル出版社)
p25より――
1924年、西部シチリアの小さな町を公式訪問したさい、このイタリアの独裁者は土地のマフィアのボスと接するのに、下っぱの町役人を相手にしているような態度をとってボスを激怒させた。このマフィアのボスが、よせばよいのに愚かな報復をした。ムッソリーニが「集まった民衆」を前に演説を行っている間、その広場に乞食を20人いれただけで、あとは誰も行かせなかったのである。
ローマに帰るとすぐ、怒り心頭に発したムッソリーニはファシストの議会に現れ、対マフィア全面戦争を宣言した。チェザーレ・モリがバレルモ長官に任命され、西部シチリアは2年にわたってかの宗教裁判をもしのぐ恐怖政治をうけたのだった。最も近代的な制度に伝統の拷問を組み合わせてモリは自白を強要し、多数のマフィアに長期の刑を宣告、マフィアの「名誉ある社会」を、それまでの百年間にはまず見られなかったほどの微力なものにしてしまうことに成功したのである。
モリがファシスト議会に受け入れられた1927年に、戦いは公式に終わりを告げたのだが、土地のファシスト官吏はマフィアを苦しめ続けた。第2次大戦の勃発までに、マフィアは市外に追われてしまい、西部シチリアの山岳地帯にやっと生息しているに過ぎなかった。
▼アルフレッド・W・マッコイ『ヘロイン・上』(堀たお子・訳、サイマル出版社)
p20――
・・・
シチリアでは、OSSが当初にマフィアと同盟を結んで1943年の連合軍侵入を助けた。その後、この同盟はそのまま残り、同島におけるイタリア共産党の、拡大する勢力の阻止にあたった。マルセイユでは、CIAがコルシカ人暗黒街と手を結んで市政における共産党の支配力を破り、港湾ストライキを二回にわたって阻止した。一つは1947年、他は1950年に起こったものだ。
米英がムッソリーニのファシズムを支援していた - 日本版「黒は美しい(ブラック・イズ・ビューティフル)」運動、2013年末始動 (fc2.com)
薄汚い地方権力と本領を忘れたジャーナリズムとの、醜くも危険な癒着。
- 2022年 1月 13日
- 評論・紹介・意見
- ジャーナリズム澤藤統一郎維新
- <澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士>(2022年1月12日)http://chikyuza.net/archives/116609
ある維新の議員が、昨日付のブログでこう発信している。「東京新聞 望月衣塑子記者のアンフェア発言に物申す。立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない」分かりにくいものの言い方だが、私はこう思う。
「東京新聞 望月衣塑子記者の発言に非難さるべき不適切さはまったくない。これをアンフェアと謗る維新議員こそ強く非難されねばならない。確かに、立憲・CLPの不祥事と大阪の連携協定はまったく同列ではない。維新と読売の癒着というべき大阪の包括連携協定の方が格段に悪性が強く、はるかに民主主義への負の影響が大きい。これを真逆に描くのは、ミスリードも甚だしい」「公権力と大新聞の癒着事件」と、「立憲・CLPの不祥事」との悪性・危険性を比較するには、問題を2層に分けてとらえねばならない。まずは、当該行為自体の可非難性であり、次いで当該行為の可視性の問題である。まずは、《読売新聞大阪本社と大阪府との包括連携協定》をどう評価すべきか。誰がどう見ても、ジャーナリズムと権力との癒着である。しかも、巨大全国紙と巨大地方都市の特別な関係の構築。好意的に読売をジャーナリズムと見るならば、権力批判をその本領とするジャーナリズムの堕落と言うべきだろう。また、権力の側から見れば、御用広報紙の取り込みで、批判を受けない権力は堕落する。そのツケは、府民にまわってくる。というだけではない。読売という御用新聞とポピュリズム政党維新の癒着である。当然にそれぞれの思惑あってのことだ。とりわけ、維新の府政は問題だらけだ。カジノ誘致も万博も、そしてまだ都構想も諦めていないようだ。コロナ禍再燃の中、イソジンや雨合羽の体質も抜けきってはいない。維新府政は、ジャーナリズムの標的となってしかるべきところ、読売の取り込みは維新にとっては使えそうなところ。客観的に見れば、この上なく危険極まる、汚れた二つの「相寄る魂」。但し、この癒着はことの性格上、アンダーテーブルではできないこと。年末のギリギリに発表して共同記者会見に及んだ。もちろん、会見では批判の矢が放たれたが、可視化はせざるを得ない。この癒着は大っぴらに開き直ってなされた。対して、《立憲がカネを出していたCLPの不祥事》の件である。こちらは、立憲がカネを出していたことが秘密にされていた。ここが不愉快でもあり、大きな問題でもある。これまでは与党の専売特許と思われていたことを野党第一党もやっていたというわけだ。可視化ができているかだけを比較すると、維新と立憲、立憲の方が明らかに分が悪い。立憲も弁明しているが、洗いざらいさらけ出して膿を出し切るのがよい。しかし、可視化ができているか否かの点だけを比較して、《維新は公明正大、これに較べて立憲のやることは不透明で怪しからん》というのは、ミスリードも甚だしい。行為の悪性や影響力を較べれば、維新の方が格段に悪い。読売と維新は、開き直って大っぴらに、「悪事」を働いているに等しいのだ。大阪読売のOBである大谷昭宏の声に耳を傾けたい。
「本来、権力を監視するのがメディアの役割なのに、行政と手を結ぶとは、とんでもない話です。大阪読売はこれ以上落ちようがないところまで落ちた。もう『新聞』とか『全国紙』と名乗るのはやめて、はっきりと『大阪府の広報紙』と言ったほうがいい。そこまで自分たちを貶めるんだったら、もはや大阪読売はジャーナリズムの範疇には置けませんよ」「期待はしていなかったんですが、それにしても行政機関と提携するとは、ジャーナリズムとしてあり得ない。そこまでジャーナリズムの誇りを打ち捨ててしまうのか。OBの一人として哀れというしかないですね」「今回、読売が協定を結んだのは、明らかに部数増と大阪府からの見返りを期待しているからです。大阪府の職員は、朝日や毎日よりも、府と協力関係にある読売を読むようになるでしょうし、読売に優先的に取材上の便宜を図ろうとするでしょう。まさにギブ&テイクです。」「会見では、一部の地方紙も行政と協定を結んでいると言い訳していましたが、痩せても枯れても読売は全国紙ですから、影響力の大きさが比較にならない。しかも、大阪府が、朝日や毎日や産経にも声をかけて、結果的に読売だけが応じたというならまだしも、今回は読売のほうから大阪府に提案したんです。吉村知事は『報道内容に何ら影響されることはない』と言うが、ゴロニャンとにじり寄った側が相手を叩くことなんかできるわけがないじゃないですか」初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.1.12より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18337
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11660:220113〕