難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

人工内耳の「うるさい」と聞き続けることの必要さ。

2009年12月22日 11時55分35秒 | 人工内耳
56歳の誕生日の直前に人工内耳の手術をして、装用を12月3日から始めた。

今、装用し始めてから2年間。最初の頃はキーキージジーッとうるさいばかりだったが、1年を経過する頃から、補聴器と人工内耳の聞こえが合わさってきた。それまでは、エコーがかかったように聞こえていたが言葉がエコーがなくなり、ふくらみが出てきた。

今は、日々聞こえが増進しているので、同じ環境でもスマートサウンドの切り替え、感度の調整が必要だ。
この部屋の会議ではアドロADRO、居酒屋ではビームbeemとか決めておいても、しばらくすると合わなくなってくる。

今、考えるとちょっと問題ではないかと思うことがある。それは「うるさい」という言葉だ。
難聴者が「うるさい」と言った時と通院している病院の言語聴覚士や医師ではなく、一般にはその「うるさい」がイメージできるのだろうか。
閾値が狭い難聴者の「うるさい」と健聴者の「うるさい」は感覚が同じなんだろうか。難聴者がうるさいといった時、耳に(聴神経に)インプットされる音の大きさが大きすぎてうるさいと言う場合と、聞くのに邪魔でうるさいという場合がある。
健聴者は、いろいろな音が聞こえていても目的の音だけを聞くようになっているが、難聴者はそれが難しい。
たとえば、キーボードのキーを打つとカチャカチャ音がする。
これは、会話している難聴者にとっては耳障りなので「うるさい」と感じる。
人工内耳で感度を上げれば余計聞こえるし、後方の人の話し声も聞こえる。

この「うるさい」の意味が言語聴覚士にきちんと伝わっていないとマッピングのないように齟齬が生じないか。

また装用者側も一定のうるささを聞いて、慣れていかないと言葉や音の判別が出来ないということも理解しないといけない。最初の頃はいろいろな音が聞こえて、わずらわしいが、これを声だけが浮かび上がって聞こえるまで聞き続けないと
言葉が聞こえると言うところまで行かないことも理解していないといけない。

今まで聞こえなかった、ポタッポタッと水滴の落ちる音、ジャーと水の流れる音、紙やプラスチックの袋のクシャクシャ言う音、クチャクチャと食べ物と口で噛む音などは人の言葉の周波数帯にも含まれる音なので、これが聞こえるようになったということは、そのうち言葉もオンの日とまとまり、つながりを認識することが出来るようになるということだ。

「うるさい」と言わないで、「いろいろな音が聞こえる」とか表現を工夫しよう。


ラビット 記

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