難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者は政治的文化的棄民だ

2007年08月16日 04時22分05秒 | 生活
070815_2322~001.jpgNHKは、8月15日に「日本のこれから『考えてみませんか?憲法9条』」を19時30分から20時45分まで生放送した。

終戦記念日に、先の参議院選挙でも問題なった憲法、特に9条の改訂の是非に関わる討論番組だった。
大変関心のある番組だったが字幕放送がなかった。

字幕放送を実施しなかった理由は何か?
生放送だから、名前や地名その他を間違って表示したら大変な問題になる、生放送なので字幕制作者の確保が出来ない、生放送なので音声認識のための辞書に言葉の登録が出来ない・・・などの理由があげられるだろう。


070815_2324~001.jpgしかし、そこには聞こえない人々がいて、番組を聞こう見ようとしていることは考慮されていない。放送側の自己都合ばかりである。
放送事業者が国政選挙で争点になった問題を掘り下げようとするのはメディア、ジャーナリズムの使命だ。
電波という社会の公器を使う放送事業者は多様な意見や事実を公平に伝え、健全な世論を形成する義務がある。

視聴者に聞こえない人々が大勢いるという創造力は働かないのだろうか。しかも視聴料を払っている人々だ。
地方では高齢者人口の割合が20%、30%はざらだ。難聴者率も高い。

一方、マーケティング理論の常識からも外れている。普通の商売ではいかに商品、サービスを知ってもらうか、店舗まで来てもらうか、商品を購入し、サービスを使ってもらうかに腐心している。
しかし、NHKは商品やサービスをいかに購入してもらわないかに熱心だ。これでは視聴者、国民から理解は得られまい。
社会保険庁の殿様商売と同じだ。

生放送云々と言っても出演者の交渉などもあり企画は大分前に作られていたはずだ。
生放送でも番組の最初に資料映像を何分間流して、数分間の時差放送をすれば良いだけだ。疑似生放送だが番組の特質を損なうこともない。


070815_2329~002.jpg聞こえない人々が視聴する権利を奪っていること、社会的メディアとしての責任を放棄していること、視聴料に見合うサービスを提供していないこと。

NHKは猛省すべきだ。


ラビット 記



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