難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

両耳人工内耳の目的、きっかけ、効果について

2013年05月05日 16時04分34秒 | 人工内耳
keikoさん、こんにちは。ご返事が遅くなってすみません。
お問い合わせから2ヶ月近くなってしまいました。

私の人工内耳装用の体験はその後もブログに書いたり、Facebookにもお知らせしていますので、お読みになったかもしれません。

人工内耳の両耳装用のきっかけは家族が両耳装用したので、その効果を目の当たりにしたことと、メドエル社の新しい人工内耳コンチェルトが保険適用されたニュースに接したことですが、目的は、やはりもっと聞こえるようになりたいということです。
理由は、昨年4月定年後再就職して管理職となり、もっと職場や外部でコミュニケーションを確実にする必要があったからです。民間会社に勤務中は難聴ということもあり、同僚、上司とのコミュニケーションが上手くいかず 仕事にも限界がありました。特に定年前の数年間会社の会議に必ずついていた要約筆記がなくなってからは、そうです。
定年後、図らずも聴覚障害者福祉関係の事業体に就職して、管理的な仕事をすることで、難聴者ですから手話だけではコミュニケーションに限界を感じたこともあり、音声のコミュニケーションをもっとしたいと感じたのです。

両耳装用の効果は私の場合想像以上です。一つは、聞き取れるようになるまでの期間が非常に短かったです。最初の人工内耳は聞き取れるようになるまで補聴器併用だったので、1年もかかりました。しかし、反対側の耳に人工内耳を装用した時から少し分かりました。マッピングを繰り返して1ヶ月もすると、ほどほどに言葉が聞き取れるようになりました。
これは、脳が2例目の人工内耳で聞こえたオンをすでに片側の人工内耳が蓄積した言葉の「辞書」を参照するので、聞こえるようになるのも早いのではないかと思っています。
もう一つの効果は騒音下での会話ができるようになったことです。補聴器で聞いていた時や片耳人工内耳装用の時には、絶対に行かなかったようなジャズバーとかレストランのような場所にも行くようになりました。音楽がかかっていても騒がしいところでも、聞き返すことはあっても聞こえるからです。もちろん、人との会話にも臆することが少なくなったように思います。
これは単なる聞こえの向上ということではなく、人生に新たな力を与えてもらった、エンパワーメントではないかと思います。つまり、人生の質、QOLが向上するのです。

難聴者の人工内耳に関する大きな誤解の一つが聞こえなくなったら、人工内耳を検討するというものです。人工内耳の適応基準が「補聴器の効果がなかったら」と日本耳鼻咽喉科学会で定められていますが、物理的に聞こえなくなったらではなく、補聴器で会話が聞き取れなくなったらということです。私は、目の前で話している同僚の話が分からなくなったので人工内耳を医師に「要望」しました。
両耳装用も最初の人工内耳と違うメーカーを選択しました。結果はメーカーの違いはあります。コクレア社のニュークレアスN5はスマートサウンドという様々な環境や聞こえの状態により好みの聞こえを提供するシステムがあります。メドエル社のオーパス2というシステムはフィンストラクチャーという仕組みをとっています。
同社のマッピングの違いは下記を参照ください。
http://jinkounaiji.blogspot.jp/2013/04/blog-post_3.html

長くなりましたが、keikoさんと同じような方がいらっしゃると思いますので、ブログ上でもご返事させて頂きます。参考になれば幸いです。何か、ご質問等がございましたら、メールを下さい。

ラビット 記

人工内耳の「聞こえる」について

2013年05月05日 13時17分30秒 | 人工内耳
人工内耳を装用すると補聴器を使っていても聞こえなかった音や声が聞こえるようになる。あるいは補聴器で聞こえていた言葉ほど聞こえなかったのが徐々に聞こえるようになると「聞こえる」と言う。
聞こえの不全状態から、聞こえるようになるので嬉しくなって「聞こえる」と言う。
決して、すべてが聞こえる訳ではなく、聞こえている状態でもない。

健聴者はいつも聞こえているので「聞こえるようになる」という体験があまりないので、「聞こえる」が状態変移の言葉であることを理解しにくい。
聴覚は自然の環境では聞こえなくなることはなく、いつも聞こえている。危険から身を守るためにいつも聞こえている必要があったからだ。
夜になって暗くなって見えなくなるので余計だ。耳にはふたがない。

人工内耳装用者が「聞こえる」から「分かる」までには時間がかかるが、意識的な効果的のトレーニングでより早くよりレベルアップが可能になる。

聞こえるようになる過程は、人それぞれなので決して人と比べられない。赤ん坊が這い這いからよちよち歩きするまでどのくらい日がかかるかは皆違う。
特に成人の場合は聞こえていた聞こえて期間や言語生活の違いで人工内耳の効果の現れ方が異なる。トレーニング(リハビリ)の内容、頻度も人と同じではない。
人工内耳装用者は聞こえの向上に自信を持って欲しい。

人工内耳の装用も補聴器装用も手話の使用も聴覚補償方法の一つで優劣もない。その人それぞれなので合理的配慮として音環境や通訳配置などその環境整備の内容に違いはあるがどれも尊重されなくてはならない。
聴覚主義として、人工内耳装用を非難することは筋違いだ。聴覚でコミュニケーションすることは権利だ。手話でコミュニケーションする権利と何ら変わらない。
非難されるべきは聴覚コミュニケーション至上主義だったり、聴覚に障害のある人に対する合理的配慮を無視する社会だ。

ラビット 記