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憧れのブルガリアへ(ブルガリアの人々編)

2007-12-30 02:19:02 | 旅行

ブルガリアではそんなに現地の方と話せませんでした。
それもそのはず、「地球の歩き方」情報によると

ブルガリア人は寡黙でシャイだが、一度知り合いになれば親身になって面倒を見てくれる。朴訥で人情があつい。

そんな気質の方が多いらしいです。確かにSUNホテルのフロントのお姉さんタクシーの運転手さん空港で迷ったとき助けてくれた警察の人。皆さんそんな感じでした。あまり自分からは話さないけど優しい。
話しかけてくる優しさをもつトルコ人とは少し違いますね。。若干日本人に似た気質の方が多いのか親近感をもちました。。よってシャイな日本人とシャイなブルガリア人はなかなか話す機会がないw

近年ブルガリアではスリとか睡眠薬強盗とか軽犯罪が増えていて明るい街を歩いていても注意を払わなくてはならないと外務省のページや地球の歩き方などの旅行本で読みました。
一概には言えないでしょうがシャイな人たちが多いなかで突然近づいてきて話してくる人に注意しとけば割と防げる犯罪も多い気になりました。


あとブルガリアで困ったのがYES or NOのときの首の振り方が逆だったこと。
YES→首を横に振る
NO→首を縦に振る

ケンタッキーにて
店員    「サラダと、チキンセット、・・・、・・・、以上でよろしいでしょうか?」
       ※ブルガリア語でこういってるはず

僕      YESの判断で首を縦に振る

店員    困った顔をして注文を取り消す。

僕          NOの判断で首を横に振る

店員      注文取消しorz

んな感じ。何度かこのやり取りを繰り返すうちに店員さんも外国人対策で首の振り方が逆だと考え始めたのでしょう。そして、僕もそのルールを思い出し郷に入らば郷に従え首の振り方を逆にしました。
この時点でもう、どっちがどっちか分からなくなり最初の注文した商品と実際に購入できた商品に大きな差がありましたorz

ここのケンタッキーでようやく国境で車掌に「入国審査か?」って聞いたとき首を振られた理由を理解しました。英語を流暢にしゃべっていたけどあの車掌さんはブルガリア人だったんだ!

ブルガリアでは
YES → Дa(ダ)
NO  → He(ネ)
の言葉でやり取りをするのがベストらしいです。。

逆に駅前でタクシーの客引きがウザいとき友人がやっていたのですが、日本人らしく自然に「すいません~。必要ないですぅ~。」と首をぺこぺこしていたらこれはブルガリアでは容赦ない拒否の連続となり最高の効果を発揮していたらしいです 笑


役に立ったブルガリア語
ホテル以外ではトルコより英語が使えなかったのでちょっとだけブルガリア語を使ってみました。
ちょっとですがww

ありがとう
Благодаря(ブラゴダリャ)

こんにちは
Добро утро(ドブロウートロ)

すいません(Excuse me的なかんじ)
Моля(モーリャ)

英語はなせますか?
Говорите ли англискл език?(ゴヴォーリテ リ アングリースキ エズィック?)

1
един(エディン)

2
два(ドヴァ)

通貨単位 Lv(レフ、複数形レヴァ)
Лев、Лева(レフ、レヴァ)

これらで3日は過ごせました。かろうじてw


憧れのブルガリアへ(ソフィア編)

2007-12-30 01:29:23 | 旅行

ソフィア駅到着は14時30分。電車に16時間半も揺られていたことになります。
青春18切符で東京から広島に帰る感じですね。

駅も記念に撮影しておきたかったのですが、あまりに怖くてカメラを構える勇気が出ませんでした(泣
暗い、ぼろい、地味~に怪しめな人多い、エスカレータ止まってる。。駅の中がイメージの中のスラム街でした。ガクブルガクブル
こういうところでカメラを向けられる度胸をつけないとなぁ。。

宿泊予定のプロブディフをスルーしたためこの日はホテルなし。路上で野宿でもしたら身包みはがされるか氷点下のソフィアで美しい死を遂げるかどちらかの選択肢しかなくなりしぶしぶ宿探しからスタート。

一軒目、駅前のホテルで”金持ってないんだろ、50ユーロでとまれるホテル探してやるよ”と言われ泊めてもらえず。笑
友達と僕の見解では間違いなくホテル担当者側から僕らは子供に見えたのだろうという結論に終わったorz
妙にやさしかったし・・・

どうしようもない子供っぽさに乾杯ww

二軒目に訪れた中心街にある「SUN HOTEL」って言う100年の伝統を誇る趣のあるホテルで何とか寝床を確保。ここがとてもいいホテルで、特にフロントのお姉さんが親切すぎでした。簡単な英語で世間話を持ちかけてきてくれるし。タクシーを呼んでくれたらそのタクシーの前までわざわざフロントを空にして連れて行ってくれるし。やさしすぎの対応に必ずもう一度泊まりにに行こうと誓いました。

SUN HOTELで一夜を明かし、フロントのお姉さんに別れをつげ二日目の夜は日本で予約していた普通のホテルへ。とてもいいホテルでしたが対応も機械的で普通でした。

やっぱりせっかくの旅行なのだから人と人が深く触れ合う可能性が大きい宿に泊まったほうが面白と感じてしまいます。じつはもう一泊SUN HOTELに泊まりたかったのかもw

ソフィア市街地
SUN HOTELの窓より


移動中のタクシーの窓より








ソフィアの夜景(電気ほとんど点いてないよ)





憧れのブルガリアへ(入国編)

2007-12-30 00:02:41 | 旅行

3時半までには乗客全員の出国審査が終わり再び走り出す電車の中で安らかに眠るはずが・・
4時半にまたノックで起こされる。
「車掌に入国審査か?」って聞くと首を振られる。え?

扉を閉めて寝ようとしたとたん、コンポーネントの扉が開き国家権力こと警察の乱入
ウチらなんか悪いことしました?

警察 「Where are you from?」

自分 「We are from Japan.(汗」

警察 「Japan!?Passport.」

マジで!?と驚きの表情!
そこまで驚かなくても旅行者結構いるでしょ。こっちがビビる。。
というかやっぱ入国審査じゃん。。何で車掌に首振られたんだろ??
まぁ、このからくりは後でまた混乱を招くことになるんだけど今は放置でお願いしますww

ブルガリアの車窓から(入国~ソフィア)






だんだん夜が白んできて。。


霧の中朝日がさす。


途中立ち寄る予定だったプロブディフをスルー プロブディフ駅




列車はトラキア平原をひた走る。生まれてはじめてみた地平線


空が広すぎる








そしてまた霧の中へ



霧→晴れ→霧のペースで天候が劇的に変わります。
どうやらブルガリアの首都ソフィアが標高が高いところにあるのでこの季節は霧がかかりやすいらしいです。山の天気は変わりやすいって言うあれですね。


憧れのブルガリアへ(さようならトルコ~出国編)

2007-12-29 12:06:59 | 旅行

ここから憧れがトルコからブルガリアに変わります。
お世話になったトルコともこの日でお別れ、22時発の寝台列車でお隣ブルガリアを目指します。日本で寝台列車のチケットを手に入れたときは楽しみでしかなかったのですが、ロシアでの一件が僕らを恐怖に慄かせます。

コンパートメントに鍵がついてなかったらどうしよう・・・
鍵がついてても壊されるんじゃない?

強盗に押し入られたらどうしよう・・・

みたいな不安の連鎖ww
実際入ってみると鍵+チェーンロックが着いてたので一先ずは安心。フゥ

イスタンブール~ソフィア行きの切符

ヨーロッパへの玄関口 スィケルジ駅


毎晩①番ホーム発のボスフォラスエキスプレス


コンポーネント内



車掌さんは英語がしゃべれて優しかったし一安心でお菓子を食べて、電気を消して寝ようとしたのもつかの間・・・

床からカサカサとビニールの移動する音。
明らかに電車の振動ではない、なにか有機的な音。
もしかして・・・

野生のミッ○ー!

音の方向へカメラを向けてフラッシュをたいて撮影すると
予想通りだよorz
[写真](ネズミ注意)

電気をつけてネズミを追い払いお菓子を処分して出国審査まで浅い眠りに着く。
意識が飛んだ途端にドアをノックされ起こされる。このとき午前3時。ついにトルコから出国だ。


出国審査の駅


ハンコをひとつおしてもらうだけで出国完了。陸路での国境越えってこんな簡単なんですね 笑


憧れのトルコへ(トルコの人々編)

2007-12-29 11:58:48 | 旅行

短い間だったけどイスタンブール滞在も終了。

とにかく出会ったトルコの人印象としては「人がいい」って一言に尽きます。僕らが困ったそぶりを少しでも見せたら日本語や英語が話せようが話せまいがにかかわらず、とりあえず助けようとしてくれます。超フレンドリー!

とくに印象に残ったのが絨毯売りの人々。

「日本人か?」

って話しかけてきてお店や路上で絨毯やキリムを売ろうとしてくるけれど

「絨毯なんか買う金がない」

とか

「いらない」

と容赦なしに断ってもお茶を出してくれたりイスタンブールの旅行情報やおいしいお店とかを教えてくれます。結局様々な方から6杯ぐらい紅茶やアップルティー、お茶菓子をいただきました。カフェに入る必要なし。
友人からは初対面の相手に気を許しすぎと注意されました 笑

あと、街を歩くと常に視線を浴びます。日本人観光客が少ない時期も影響していたのでしょうが皆さん日本人が珍しいのかもしくは親近感があるのかジロジロ見てきます。
友達はそれが耐えられないと言っていました。。
視線が苦手な人は覚悟しましょうww

僕人身も視線は嫌いだけど自分が下手なプレゼンをしているときに浴びる視線よりはましかなぁと・・

それと街を歩いてるだけで、

「コンニチハ~」
「ジャポン?ジャポン?」

と言われまくります。
何でそんなにも僕らが日本人って簡単に分かるのかな?


憧れのトルコへ(三日目 アヤソフィア編)

2007-12-29 02:52:00 | 旅行
三日目にしてようやくメジャーどころのアヤソフィアを見学しました。
まずはアヤソフィアの写真です。







クリックで拡大


クリックで拡大










現在は天蓋が崩れそうなので改修中です。
クリックで拡大







東ローマ帝国の大聖堂アヤソフィア、オスマン帝国時代も破壊されることなくモスクとしてその荘厳さを残し続けた。現在は博物館として利用されているアヤソフィアだけどその中に入り天蓋を見上げたとたん胸を思いっきり締め付けられるほどの重い空気に五感で触れて涙を流しそうになりました。



関連リンク
アヤソフィア(ウィキペディア)


憧れのトルコへ(イスタンブール二日目編)

2007-12-29 02:04:55 | 旅行

二日目はすこし足を伸ばして新市街地へ。
ここで一応イスタンブールの地理を確認。

Google Maps
左側の細い湾が金角湾、右側の太い海峡がボスフォラス海峡

イスタンブール地図(アナトリアプランナーズ様より)

両サイトを見ていただくと金角湾を挟んで北側が新市街地、南側が旧市街地になっています。新市街地は新興ビジネス街や欧米各国のチェーン店やブランド店が所狭しと並んでいるイスティクラール通りがあり、旧市街地特にスルタンアフメット地区には前回のブログで紹介したブルーモスクやトプカプ宮殿、アヤソフィアなどの歴史的建造物が建ち並ぶ歴史地区となっています。
どちらも西欧、中東、アジアのまさに中心でさまざま文化が古来から現在まで混ざり合ってきたトルコらしい街並みになっていました。

朝焼け旧市街


旧市街地から新市街地を望む。遠くに見えている塔はガラタ塔。左の橋がガラタ橋


ガラタ橋の上には釣り人がいっぱい。ものすごく魚がつれる模様


新市街地イスティクラール通りに向かうまでの住宅街。




イスティクラール通り。日本でいう原宿の竹下通りらしい。


イスティクラール通りの路面電車はノスタルジックデザイン。


仲良くなった絨毯売りのおじさんいわく最近の新市街地は治安が悪いらしいです。
起こる犯罪のメインはスリ。まぁ変に気を抜かない限り大丈夫だそうです。この話をした絨毯売りのおじさんはかつてイスティクラール通りで怪しいトルコ人につけられて怖い思いをしたのだとかww
僕が訪れたときは人がたくさんいたけど怪しいやつにつけられるようなこともなく、目立つ行動や格好をしない限りそんな心配はないのではないかとおもいました。


憧れのトルコへ(ブルーモスク編)

2007-12-29 00:26:56 | 旅行

ブルーモスクことスルタンアフメット・ジャーミー
1616年に建築されたにもかかわらず、一日5回の拝礼時には信者が集う現役のモスクです。

入り口すぐの広場



内部1(クリックで拡大)


内部2(クリックで拡大)



内部3


小さいころに世界不思議発見で見て以来あこがれ続けた建物に入れるんだから安っぽいけど感動という言葉以外ではあらわせません。


憧れのトルコへ(イスタンブール初日編)

2007-12-28 23:54:33 | 旅行

不安に苛まれた最初の朝はイスタンブールの街全体に響き渡るコーラン音読の放送でお目覚め。朝っぱらから自分は今イスラム教国にいるんだって思いっきり実感させられます。
政教分離が進んでいる国とはいえ戒律を正しく守ってる方も多く朝5時ぐらいから皆さんしっかり拝礼をされているようです。

その日の朝はコーランの放送で一度起きた後、昨晩の(精神的)疲労により再び深い眠りに入り予定通りホテルの朝食を食べ逃しました。しかたなく街のパン屋でブランチを取ることしたのが大正解、偶然シェレメチボ国際空港でお世話になった日本人夫妻と感動の再開を果たしました。一日ぶりに日本語を耳にしたことロシアの空港でいろいろ盗まれたことへの愚痴を聞いてもらい僕と友達の精神にも少しずつ回復の兆しが・・・。

旅は道連れ世は情け
(同じことを友達もmixi日記に書いてました 笑)

そんな感じでスタートした初日に走り回ったイスタンブール(旧市街地)の街並み
ホテルの前(夜見たらスラム)


この日はお祭りでいたるところに国旗が翻っていた





町中にモスクが点在している。日本人が見ると珍しいけど、要は日本の寺や神社に近い存在なんだろう。




右下にあるのは東京にもあるドネルサンド屋さんメインストリートだったら100メートルおきにある。
いつでもどこでもおなかが減ったら300円くらいで食べれます。


街の真ん中を走ってるトラムヴァイ(路面電車)。一回の乗車が1.5YTL(150円ぐらい)ちょっとした移動に便利だけど、朝夕は激しく混み合う



憧れのトルコへ(イスタンブール到着編)

2007-12-28 06:01:58 | 旅行

何とか乗り継ぐことができモスクワからおよそ3時間でイスタンブール(アタテュルク空港)に到着。頼んでおいたホテルの送迎サービスを利用してホテルへ。

ホテルまでの道で実感

「世界が違う」

絵に描いたようなイスタンブールの街並みを車から眺めながら久しぶりに感動を覚えました。そしてその夜は写真やテレビでは味わえない別世界を五感で確かめつつその夜は静かに眠る予定でした。。

が、、


ホテルで風呂に入ろうとした友人が荷物を見て気づく。
何かおかしい・・・

トランクの鍵がなくなっている!

そして僕も自分のトランクを開けて気づきました。

コンデジとカメラの予備レンズと予備で隠しておいたお金が少々がなくなってる!

あと靴下もへってる!


うわぁ~マジで鳥肌が立ちました。日本では感じ得ない恐怖を味わいました。
噂には聞いていたけどやられましたよシェレメチボ国際空港で・・・

どうやらトランクの鍵をぶっ壊されて中身をあらされたらしいです。

やられてしまったかわいそうなトランクのファスナー

ふざけるな☆

今になって考えると間違えなくトランクに貴重品を詰めていた海外経験不足の僕が悪いのですが、このときは本当に怖かったです。ただただ他の人から聞くことしかなかった海外での犯罪被害を自分が経験しているのですから。一瞬にして僕の頭の中で「地球の歩き方」に書いてあった犯罪被害がリアリティを持ちました。
日本で暮らしていたらあまり考えないスリとか強盗とか起こりうる犯罪すべてが現実味を帯びてきて、さほど治安の悪くないイスタンブールの街にまで恐怖を感じる始末。命の不安を感じる始末。

本気で帰ろうと思いました。

残り6日間の滞在期間に恐怖と絶望を感じながらこの日は床に就きました。。