私は昨晩、コンニャクの白和えを自分で作って食べた。
なかなか美味しいと自分では思ったのだが、すり鉢がないので、よくすりおろすことができず豆腐があまり細かくならず粗い感じの白和えになってしまった。
私としては白和えは比較的美味しい料理の方だと思っているのだが何割か知らないが白和えはあまり好きでない若い人が多い。それは味や臭い、見た目が原因というより白和えに附随するイメージがなにか悪いのではないかと考えている。なぜなら味が大して濃いわけでなく、フランス料理で食べた煮凝りのようなものと大した変わらない味と食感だったからだ。
私の祖母は時々、白和えを作るが、老人ホームに行ったときも白和えが出てきて老人たちがウマウマと入れ歯で苦労しながら食べていたがその光景が原因かも知れない。しかし、老人であることと白和えを食べようとすることは時代背景以外にパンやご飯を老人が食べる以上の関連性はない。老人たちは年をとったから白和えを食べているのではなく若い時に白和えを食べて美味しかったから食べているのである。おそらく、老人が噛み切れないのに白和えを食べているのをみてその食物になにか忌避感を持ったりした人がいるような気がする。私自身そんなことがあった気がするのだがよく覚えていない。おそらくその忌避感を感じた人はご飯を食べるのも少し嫌なのではないかと経験から感じている。そんなところからの連想で海外でステーキの人気がそれほど高まっていない理由は実は白和えと同じく老人が噛み切れず見た感じで美味しく感じられなくなってきたからではないかと感じたのだがどうだろうか。
正しい発想でないが、昨日の晩飯を食べていて感じたのは以上のようなことである。
なかなか美味しいと自分では思ったのだが、すり鉢がないので、よくすりおろすことができず豆腐があまり細かくならず粗い感じの白和えになってしまった。
私としては白和えは比較的美味しい料理の方だと思っているのだが何割か知らないが白和えはあまり好きでない若い人が多い。それは味や臭い、見た目が原因というより白和えに附随するイメージがなにか悪いのではないかと考えている。なぜなら味が大して濃いわけでなく、フランス料理で食べた煮凝りのようなものと大した変わらない味と食感だったからだ。
私の祖母は時々、白和えを作るが、老人ホームに行ったときも白和えが出てきて老人たちがウマウマと入れ歯で苦労しながら食べていたがその光景が原因かも知れない。しかし、老人であることと白和えを食べようとすることは時代背景以外にパンやご飯を老人が食べる以上の関連性はない。老人たちは年をとったから白和えを食べているのではなく若い時に白和えを食べて美味しかったから食べているのである。おそらく、老人が噛み切れないのに白和えを食べているのをみてその食物になにか忌避感を持ったりした人がいるような気がする。私自身そんなことがあった気がするのだがよく覚えていない。おそらくその忌避感を感じた人はご飯を食べるのも少し嫌なのではないかと経験から感じている。そんなところからの連想で海外でステーキの人気がそれほど高まっていない理由は実は白和えと同じく老人が噛み切れず見た感じで美味しく感じられなくなってきたからではないかと感じたのだがどうだろうか。
正しい発想でないが、昨日の晩飯を食べていて感じたのは以上のようなことである。