chargeのブログ

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自分が最初に読んだエッチな本

2013-08-31 13:29:49 | 日記
 もはや書いてはならない話題にまで手を出したくなってきたので、最近話題のはだしのゲンの描写の話題と関連して自分が読んでいたエッチな本について今日は説明しようと思う。
 まず、最初に読んでいたエッチな本は幼稚園生の時に読んだ「ふしぎの海のナディア」であった。ナディアの服が全体的に露出が多いのもさることながら、最後の方でエレクトラさんのお腹が大きくなっていた事が非常に気がかりで何か心配であったように思われる。
  次に読んだのは小学5年生から中学生にかけて読んだ石ノ森章太郎の「マンガ 日本の歴史」であり、特に縄文時代の描写における婚姻形態の解説における漫画の描写がかなり気に入っていた。本当にそうであったのかについては石ノ森章太郎の推測であろうと思われ正しいと言ってはならないと思うのだが、自分はかなり本当の事であろうと信じて読んでいた。「マンガ 日本の歴史」を読んでいるとかなり違った感じの性描写がちらほら出てくるのだが、自分の好みを当たってみると原点はここであるように思われ、似たような男女を確かに見たような記憶があり、自分の中で一番信ぴょう性が高く人が好むものであるように感じられた。自分と異なる性についての考え方をする人間を見つけると排斥したりする人間はかなり多いのであるが、お見合いをしなければならないと思ってそのような描写を排斥している人は多いと感じる。しかし、お見合いの描写や話題まで挫く人間は多く、自分は日本の歴史のその性描写がお見合いの結果によるものである事を無視して批判すると確かに結婚できないような感覚を覚える。 今朝、NHKで漫画家が商業的に適切な笑いを浮かべて排斥しないように訴えていたが、本当にコミュニケーションをやろうとしたり結婚させたいならば実際にそうした方が良かろうとおもわれるし、その漫画化の意図に反して、今まで書いたもので十分なので新しく書いて発表するのを控えて、人間の習性そのままに日本神話にあるような過去の安心・安全な描写のものを持ち出してイメージを変えつつ何回も煎じるのが共通認識らしきものが出来て良かろうと思われる。
  それ以降よんだ漫画も色々あるのだが他の作品を読まなくても十分だったのではないかと最近感じているがあらかた読んだからであるような気がする。読んで良い人と良くない人がいて、自分は後者であるようだが、実際にそれが出来ない人間ややらせたくない人間がそれを読んだ時にそれを言われるのであって、自分の様な境遇にあるもの以外は気にしなくて良いのかもしれない。
 
 最近、子供の数が少ないという話を聞いているが、それ以上にに子供どうしで遊んでいる状態が少なく見えるのは気のせいだろうか?憶測だが、連絡をとれていないのではないかと思っている。携帯電話を教えて良い事になっているが事実上自主規制でダメであったり、自分で連絡できる連絡網を作っていなかったり、休みに塾に通っていたりで暇がなかったり様々な要因があるのかもしれないが、とにかく、金を持っていないはずの中高生が少人数できれいな格好でただ歩いている描写が不自然に見える。自分は宇都宮や新宿などの街中でかくれんぼや鬼ごっこをしたことがあるが、そういうのがふつうであると錯覚していたのかもしれないが、一番自然に感じるものである。 
 

海面上昇は気温やそれに伴う水温の上昇によるが極地の氷の融解が主因ではないのではないか

2013-08-30 19:38:35 | 科学っぽい思考
 昨日、アルキメデスの原理について調べて居たら、水に浮かべた氷が融解する事によって水位は上昇しないという計算がWikipediaに載っていた。感覚と反するが事実であるようだ。これを踏まえると北極海の氷や棚氷が解けても海水面は上昇しないと考えられる。しかし、歴史上海面上昇があったのは事実であり動かす事は出来ない。では、他に原因があるのか。

  私は仮説であるがWikipediaでもどこでも紹介されている水の密度変化によるものを考えた。H2Oは20℃から30℃に温度が上昇すると密度が0.2%だけ軽くなる。もし、水深一メートルのプールでその温度変化があればその水面の高さの変化は2mm以下であるが、水深1000mのプールの温度が均一にその温度変化をすれば2m近く水面が上昇する。実際の世界でその様な事はまず起こらないが地軸がずれて住んでいるところが赤道付近に移動するとか(赤道付近に日本が移動すると遠心力で持ち上がった海水で陸地の多くが沈んでしまう)、太陽の活動が少しだけ活発になるとか、メタンの大気中濃度が上昇するなどのイベントがあればありえない事ではない。3℃の平均海水温の上昇があると長期的には海洋深層までその分の温度が上昇してきて海面上昇が生じるだろうと大雑把に計算している。

 氷が解けても全体的に大きな変化でないので海水の密度変化で決定であろうが、昔は誰もが間違っていた。日本の日本史や世界史の教科書か資料集には海面上昇の理由が科学的に誤って説明されていた覚えがあり、歴史認識と現状認識の誤りのかなり大きな事例であるように思われる。教科書の改訂時にここが直っているかは重要ポイントだと考えられる。人間の活動によるものよりも大きく長期的な変化が要因で温暖化や寒冷化は実際に起きていて、今の気温変化が人間によるものかを断言するのは良くないと自分では思うのだが、人間が環境を破壊しない方が良いのは言うまでもなく、環境中に人間の生み出した廃棄物を出さないことや環境に配慮しない開発は控えるべきだと考えられる。

  余談だが、エヴァンゲリオンは毎回思い込みによる科学的誤りを連発しているのだが、自分は今後見ても大丈夫なのか疑わしい。見ても見なくても良いわけだが嘘でも他人をたよりにした方が良いわけで誰か教えてほしいと思っている。

アルキメデスの原理

2013-08-29 08:41:53 | 科学っぽい思考


 アルキメデスの原理というのは簡単な原理なのだが、定積の水を用意して、重さを計量した物体をその中に入れると、
水の体積増加分と物体の重さから密度が判明するというものである。確かに一般に通用する原理なのだが、時々外れるものがある。
アルコールと水を混ぜると体積が小さくなったり、大きな結晶をそれを用いて密度を測ったものと結晶を溶液にしたものから推測した密度は微妙に違うなどはその例だろうと思われる。
どちらも分子の周りに水が配位する水和や分子配置の立体構造の変化が関与していることによる変化である。
自分は粉になった物体の密度を調べる方法を以前考えたときにとっさにアルキメデスの原理が出てきたときがあったのだが、分子と物体の中間にあたる水に不溶な粉においてもアルキメデスの原理が大きな誤差なく適応できるのかは今は疑問だと思っている。
なぜなら、粉にすることによって大きな物体であった時よりも表面積が増えて水が物体の周りに分子間力でまとわりついている可能性があるからである。物によって大きな差になる時もあるし小さな差である時もあると思うのだが、良く扱われる両親媒性物質によるミセルにおいてはかなり大きな差であると考えている。
 ストークスの式という球体の浮力と水の抵抗が釣り合う時の速度を求める式があり、良く微小な気泡と大きな気泡の水中における上昇速度の差の説明に用いられている。このストークスの式をミセルに適応したときに誤差が大きいような気がするデータがあり、この前から気になっている。おそらく、前に述べたアルキメデスの原理が厳密には成立していないことによるものだと思われるのだが今のところここからでは何も言うことはない。浮力よりブラウン運動の様な熱運動が支配的になった時には上昇速度も効果速度も浮力だけ考えた時より遅くなるという事だけは計算上わかっている。

 ここにいてはそこから新発見をして論文をまとめても説得力が皆無であるように思われ、ネルフのようなブラック企業や政府機関でも良いのでなんとか給料が安くても就職したい。


虚構と現実の区別

2013-08-28 00:35:54 | 科学っぽい思考
 統合失調症の症状に「虚構と現実の区別がつかなくなる」という記載があるのだが一体どのような状態の事を本当は示しているのか自分にはわからない。知識のあるとかないとか賢いとか愚かに関わらず、日常に適応して自然に動いているように感じるために自分が考えている事が区別がついている人間によって生み出されたものかなどを考えていない事が多く、大多数の人が判別が出来ると思って知ったかぶりをしている状況でこれを言うのは危険なのだが、区別が生まれつきつくようになっていたりしないことや大人になって大変器用に工夫を凝らして考えられるようになっても、ほとんどの人間は現実を考えることなど最近までほとんどできていなかったことは事実であり、人間に対する教育の効果、昔の暮らしや学問の記載・遺跡、宗教や二元論、天動説、経済学、ロボトミーなどのを行った精神医学、人間の行動が変化するので使えなくなる心理学などの枚挙に暇がないほどたくさんある失敗や過誤を含む事例を持ってくれば大体証明できるため、考えると余計に不明瞭になる。
 医学の本の統合失調症の症状に書いてある、 「虚構と現実の区別がつかなくなる」という語句が指示している内容が本で読んだことを自分で実際に体験したことだと間違って覚えて行動してしまうのだったら支障があると言えばあるのでおぼろげに病気と言っても良いかもしれないが、本を読んで覚えた知識を実際に行動に生かすのは重要な機能であり、それと区別をつけるのは本当は難しく、医者は大抵やってくれない。むしろ、積極的に患者の発言に区別を設けない事によって訴訟を防いでいるかのようであると思える時がある。虚構と現実の決定的な差というものは後から追確認できる事が現実だと多い事だと自分は考えていて、ある程度確信しているのだが、都合の悪い時には確かに人は確認しに来ないのが私の経験則や周りの感じであり、医者が区別が出来ているかどうか確認する方法をとらないことがその経験則に当てはまる動きと近似していると自分は考えていて、その態度をとられると確実に悪く転んで少し昔であったら正当性を主張できる可能性など皆無だったように思われる。
 医者に対して虚構と現実の区別がついていることを体感的に認めさせて自分の正当性が体感として感じられる状態になる道筋が皆目見当がつかないが、やはりある程度話を聞いてはもらいたい願望はある。かつて東大病院に行って法的にも助かった事例もあるらしいので、精神病にかかったと考えられたら、まず体調を整えて様子を見て、それでも駄目だったら、あらん限り最高の場所に最初から行こうとした方が納得しやすく良いかもしれない。



すがもんのお尻

2013-08-27 07:02:20 | 日記
 自分の住んでいるところの近くにある巣鴨地蔵通りの入口には、巣鴨地蔵通りのマスコットキャラクターである『すがもん』のお尻がおいてあって自由に触る事が出来る。公衆の通過する街道においてお尻を触る、または触らせ行為というのはおそらく、人間同士であれば相互の同意が成立していても公然わいせつに該当する可能性がある行為だと思うのだが、すがもんはフレンドリーにそのことを易々とやってのける。実際の人間でないことが出来る理由なのかもしれないが、昔の人間は幼稚園生から大学生になっても案外平気で女の子のお尻を触って双方とも平気でその辺をあるっていている事が多く、かえって関係が良くなっていた気配もあり、そのお尻に触れる装置の製作者は実際にお尻に触っていた事は間違いないと思われる。気前の良いすがもんのお尻に触れるのは悪いことではないのであるが、今の人間は大概ケチも良いところであるので、すがもんと関係する間に一般化が始まってしまい親睦を深めようとして他の人と同じ事を始めると他害行為とみなされる可能性はあり、他人と理解を共有しない事によって有害とみなされる各種有害コンテンツと同じく確かに有害の様に思えなくもない。


 

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