今日は誕生日です。
ひとりぼっちの自分おめでとう。
仕事をやっていても、一人だと、労働の意義を感じずに仲間を見つける行為である遊びをはじめる人間というのは意外に正常に思えたのだが、ある人の誰かが前で仕事をせずに遊び始めたら、誰かにとって、そのある人は仲間でないとかの法則はないだろうか?
最近、日本人の平均身長を見ていて、北日本の方が九州。沖縄より平均身長が高いという結果から、寒冷地に住む個体の方が体の表面積を小さくするために大きくなるというベルクマンの法則を思い出して悦に入っていたのだが、法則というものは物理的なものによってだいたい決まっていて、物理的な境目があると、そこで人間もだいたい分かれていて、電力の周波数の差によって、原子炉がPWRかBWRかとか、学閥が間接的に決まったり、二市町村以上にまたがって作られた危険物取扱施設の消防通報の系統がどうかや、鬼怒川で天台宗と真言宗の境目ができて、理趣経に関するものが多少あって、本当に少し習慣が違っていたりするなどの少し面白いと思う経験を物理的境界を見つけるたびにしている気がするし、何か動かして仕事ができないかと思う。
母親に電話で聞いたところ、「東京は栄養が良くて、一番高いのではないか」と言っていたのだが、イメージが誤っている材料を出すたびに、文句も言ってくれないほど会話せずに、生返事をして、反対に動こうとして失敗している。
私は、「イメージと異なる実際世界にあったことをしてはいけない」というプレイスにいるように思う。
アニメのおかげかもしれない。
同じ絵で誤ったことも、本当に信頼のおける情報も表現できると思うが、その印象が付加してまたあとが変わるという、感じになり、
それを式で表すとき、忘却曲線や感覚の強さが対数の形で可積分でない1/logxを含むため、漸近解析をコンピュータで行うといったことがなされるようになるのではないかと妄想している。
私は昔、学研の科学を読んでいて、そこに雲形定規などのセットがついていて漫画を書く時に使い始めた人間の気持ちが少しわかる気がするが、どうして「神宿りのナギ」を読んでいてそれが思い出されるのかはわからない。
許永中(最近自伝を読んだが、虚構だった)のような人間がメディアと一緒になって、一般市民から発言権を取り上げようとして、メジャーに流し、自分からも取り上げた失敗計画の末路のようなものがあったら痛いが、イメージを外すと本当に、実際にやっていることには考えが及ばなくなるという法則は子供だましに見えるが、子供から大人、年寄りまで、大体通じるようなので、しょっちゅうやらかされている。
昨日、予約した健康診断だが目で落ちそうな気がする。
先ほど、目をアイポンで掃除したら膿や皮が固まったもが洗浄液に浮いていた。
ひとりぼっちの自分おめでとう。
仕事をやっていても、一人だと、労働の意義を感じずに仲間を見つける行為である遊びをはじめる人間というのは意外に正常に思えたのだが、ある人の誰かが前で仕事をせずに遊び始めたら、誰かにとって、そのある人は仲間でないとかの法則はないだろうか?
最近、日本人の平均身長を見ていて、北日本の方が九州。沖縄より平均身長が高いという結果から、寒冷地に住む個体の方が体の表面積を小さくするために大きくなるというベルクマンの法則を思い出して悦に入っていたのだが、法則というものは物理的なものによってだいたい決まっていて、物理的な境目があると、そこで人間もだいたい分かれていて、電力の周波数の差によって、原子炉がPWRかBWRかとか、学閥が間接的に決まったり、二市町村以上にまたがって作られた危険物取扱施設の消防通報の系統がどうかや、鬼怒川で天台宗と真言宗の境目ができて、理趣経に関するものが多少あって、本当に少し習慣が違っていたりするなどの少し面白いと思う経験を物理的境界を見つけるたびにしている気がするし、何か動かして仕事ができないかと思う。
母親に電話で聞いたところ、「東京は栄養が良くて、一番高いのではないか」と言っていたのだが、イメージが誤っている材料を出すたびに、文句も言ってくれないほど会話せずに、生返事をして、反対に動こうとして失敗している。
私は、「イメージと異なる実際世界にあったことをしてはいけない」というプレイスにいるように思う。
アニメのおかげかもしれない。
同じ絵で誤ったことも、本当に信頼のおける情報も表現できると思うが、その印象が付加してまたあとが変わるという、感じになり、
それを式で表すとき、忘却曲線や感覚の強さが対数の形で可積分でない1/logxを含むため、漸近解析をコンピュータで行うといったことがなされるようになるのではないかと妄想している。
私は昔、学研の科学を読んでいて、そこに雲形定規などのセットがついていて漫画を書く時に使い始めた人間の気持ちが少しわかる気がするが、どうして「神宿りのナギ」を読んでいてそれが思い出されるのかはわからない。
許永中(最近自伝を読んだが、虚構だった)のような人間がメディアと一緒になって、一般市民から発言権を取り上げようとして、メジャーに流し、自分からも取り上げた失敗計画の末路のようなものがあったら痛いが、イメージを外すと本当に、実際にやっていることには考えが及ばなくなるという法則は子供だましに見えるが、子供から大人、年寄りまで、大体通じるようなので、しょっちゅうやらかされている。
昨日、予約した健康診断だが目で落ちそうな気がする。
先ほど、目をアイポンで掃除したら膿や皮が固まったもが洗浄液に浮いていた。