日本国憲法前文を見て欲しい。
「
前 文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 」
感じとしては明確できちんとしており、文法も意味もだいたい正確といってよいのだが、根本的な過ちを犯している。
法的な正当性やそのしくみを「人類普遍の原理」として物理法則のようの述べていることである。
この道徳法則は「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ(Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.)」というカントの言葉によるものだと思う。
確かに実態から外れてそれを言うと安心感がある。
ただ、そういう事を崇敬し守っている人間が三国志をほめたり、公務員や教職員が親族にいる私に正当性を与えないように必死に友人関係からはぶる人間がその法を犯した人間を責めるたびに、確かにそのほうが都合が良いので自分でもそれをしそうな不安があったりするわけだが、何をしていいのか分からなくなっていく。
実際に実行することは難しく、普遍的立法の原理を科学的に調査・研究しなくてはならない。
「普遍の原理」にその場の規則であっても従っているべきなので常に言い換えがなされて、当てはまると感じられ正当性が高まるようになってくる場合が多い。
そうでなければ、源氏物語の登場人物やラグナロクオンラインやモンスターハンターの精悍な勇者や美女の発言がたわごとになってしまう。
過去の人間行為は現在の人間から見れば論理的には正当なものは少なく、現状に合わないので、現在それを継承している人間はほぼその考えを継承していることになっているので、実際上は正当性が低くなる。
法律改正前のことならなおさらである。
しかし、正当である事を主張するために過去の延長線に立たなくてはいけないことが多い。
法律の正当性を認めているのは法律であり、条件に当てはめて適用するとその人より必ず正しいはずの恐ろしいものである。
その場の規則が過去・現在・未来を貫き、世界の遍くところを照らす「人類普遍の原理」に従っていると感じられ、自分はいつもそれに従っているように人にも自分にもに認識されて生きたいわけだが、この話を一度でも書いた人間はそういうわけにはいかない。 「エロゲー」というものは通常よりも濃厚にその要素が入っているわけだが、本当に感じながらやれるのは案外頭が良くそれを考える少年の可能性がある。
最近、情報のきょう雑物が多いので印象が悪く残念だが、通常よりそこを考えて、クリアな返答をすれば女性の信頼が高まる可能性もあるとは思う。
暴力組織が赤線にバックで関与して正当化や防衛を行なっていたのだが、その手段自体が正当性を失わせるようになったことに気がつくには前に成功したことの失敗があったりする。
暴力団や犯罪組織はイメージ通りの存在ではなく、意外に高度なこともやることが出来るので物理障壁を彼らのために本来は準備すべきなのだと思う。