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『大川の風土記』13~藁山~

2011年07月19日 | 大川の風土記
湯島の小沢氏が著した『大川の風土記』を再録します。

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※周遊コース(続き/5藁山地域)


 畑色を過ぎて西北杉尾に向かう途中、明治初年の寺子屋時代の学問のお手本にも残る藁科村ずくしの中の藁山の上に至る。
 日向の字藁山はもと数軒の家が集落を形成して居り小さなで古くから祀られてあるあごなし地蔵が安置し、最近随筆家によって野山の仏地蔵の話が数々と書き残し読む機会を与えられるようになった。
 あごなし地蔵は歯痛に悩む者が今も祈願して居るが、おはたしは萩の木でようじを造ってあげるが現在でも根深い信仰となってまた残って居る。数軒の集落の者はみな移住して、現在は住家は一軒もなく耕地ばかりであごなしという由来を知っている者はなし、無住のに地蔵尊はひっそりと残って居るも耕地所有者小長井某氏によって香草の絶えたことなしという。年代不詳なるも、各大字ごとに祀り居りし氏神を共同祭祀し現在の日向松ノ平に合祀鎮座し毎年氏子が集合し祭礼を行ったと伝う。或る年の祭典に氏神の方式の取扱方法と当番制につき氏子同士の争いから端を発し、鎮座神体の分散を余儀せられ各に祀ることになり、各代表者今の氏子惣代も格の人が守護神の尊体を分身したが、例の藁山の代表者が遅れて参ったので、守護神の分身を持ち帰ることがなく、浜行用の米俵の「サンダーワラ」を持ち帰って行ったと伝う。それ以来「サンダーワラ」を丁寧に取り扱うと伝う。現在でも数軒の集落の時世の頃と同様に毎年祭りを行うて遥かなる祖先の営みを継承してこの地に最初から住んだ人の子孫も現在日向に住んでいる。
 藁山の少し上った処に坂ノ上、日向各及び杉尾方面の分かれ辻があるが、人が称して野田ノ段というこの場所に住んで居る年老いたる狐が出没して妖怪変化して無智の里人をだましたと伝うこと現今でも知れて居る。

『大川の風土記』(小沢.1966)

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