HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

0617:各課や地域のバリアフリー化を

2006-06-17 11:00:03 | 伊勢志摩観光情報
本日昼間に昨日伊勢志摩にいらして、神宮ボラを行ったKさんからお礼の電話が入りました。
横浜からの来訪だったので、帰りはフェリーを使うと言っていました。
無事だったかな?という心配もありましたが、なんとか無事家に着いたそうです。
ヨカッタ。
一泊二日だったので、まだまだ伊勢志摩を回りきれず、楽しみを少し残してしまったので、また来ていただけるそうです。
こうして、電話があったり、反響が聞けるのはうれしいですね。

さて、昼からは三重県の企画室が行う「みえ舞台づくり百人委員会 志摩地域会議」。
志摩の庁舎で行われました。
知事も出席です。


県民が県にいろいろ提案していく会議なのですが、字のごとく、県全域で100人委員のはずが、200数名集まり、全て採用してしまったから大変。
本当は伊勢志摩という区切りで会議だったのが、伊勢と志摩に分かれてしまったわけ。

悩みましたよ、伊勢も鳥羽も志摩もエリアとする私たちはどちらも行きたいが、どちらかにしか発言権がないという。
発言権も大切ですが、そこに集まる県民との共有も大切なのです。
こういった場は、行政←→県民だけではなく県民←→県民ということもあるのです。
だから同じ地域で活動する仲間が集まることは重要なんですよね。

「ああ、こんな活動している人もいるんだ」「噂に聞いたことあるあの活動している人はこの人か」などという交流の場でもある。
会議ってそんなところにも特典があるとも思うのですよね。

100人ポッキリにしていれば、こんなこともなかっただろうね。知事もたくさんの地域を回らずに済んだだろうね。

と思いながら、ツアーセンターの提案をビシバシと言ってきました。
県に対して要望はNG。
だから私たちの活動がしやすいように、地域(観光地としての)や県(行政)の各課のバリアフリー化を提案。
いや、ハードのことではないですよ。
結局消費者起点でいくと必然的に上はバリアフリーにならざるを得ないのですよね。
そして現にそれは水面下で進められているのです。
少なくとも私たちの周りでは…。

先日も日記に書いた、小学生の修学旅行で車椅子の児童が地引網をするために借りてきたランディーズ。
伊勢の二見と志摩市がモノの貸し借りしていましたよね。
どこでもチェアの貸し出しも鳥羽と伊勢を行き来しています。
また、課では宿泊施設へのヘルパー派遣
これなんて、観光課と福祉、社協、企業(宿泊施設)が協働で行われいます。

とても昔では考えられなかったことが、少しずつですがこういったバリアがとりはらわれてきているのです。

これら全てお客さん声から始まったサービスなんですよね。
県民や、三重県に来る人たちの手で県は育っていくのです。

それを、それはコッチの地域の担当だ、あっちの課担当だといって、ちょっとしたことをたらいまわしにされて、結局利用者たちの満足度が得られなければ、そのうち見放されてしまいます。

自分ところで出来なくても、どうすれば、県民、お客さんの「したい」がかなえられるか?ということを一緒になって考えることが大切だと思います。

住みよい地域、訪れたい観光地にするには、こうした対応ひとつでも違うんですよね。
そして、住民たちにもその責任や行動を問われる時代なのですよ~。

闇雲に要望を言うのはダメです。本当に自分たちが責任ある行動をできることが大切です。

伊勢志摩ももうちょっとです、がんばりましょっ!!

夜は、地元山田原のお木曳き反省会が公民館でありました。
おっちゃんたちに混じっての宴会?

反省会と言っても、浜参宮も役木曳きもだいぶ前の話。それよりも本曳きが目の前です。
だから反省会というより団結式?


しかし、みんなおもろいおっちゃんばかりで、楽しいですね。たまにこういう仲間で飲むのも…。

なんだか、この間一志町の陸曳きの応援行ったメンバーは陸の楽しさに感化されて、7月22日の川での本曳き、山田原は、中国雑技団並みのパフォーマンスをするぞ!!と意気込んでいます。
ホンマか?
ヤバイぞ山田原。