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韓国人はなぜデモがそんなに好きなのか

2019-08-22 17:53:28 | 日記

韓国人はなぜデモがそんなに好きなのか

Why Do South Koreans Protest So Much?

2019年8月19日(月)11時55分
ドラナンダ・ロヒモネ(メルボルン大学学生〔アジア研究・哲学専攻〕)、グラント・ワイエス(政治アナリスト)

<大統領退陣要求から「反日」まで、デモが当たり前の日常を生む政府と一般市民の成熟しない関係。デモに揺れ過ぎる韓国の政治的欠陥とは>

韓国の首都ソウルではいつであれ、何らかの抗議行動に遭遇せずに街中を歩くのは無理な相談だ。

最近では日本の輸出管理強化への抗議、または朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾訴追につながった2016年の退陣要求デモなど、韓国では大規模な抗議運動がたやすく組織され、社会のあらゆる層から広く参加者が集まる。

 

ソウルの路上に遍在するデモは、韓国の政治文化に特有のある側面を浮き彫りにする。

韓国の一般市民と国家の関係を理解する上で不可欠な側面だ。

1948~87年まで独裁政権が長く続いた時代、抗議活動は国家に苦情を申し立てる唯一の手段と受け止められていた。

だが自由民主主義国家に転じてからも、理論上は利益団体が政治に及ぼす影響力が拡大したにもかかわらず、制度の枠組みの外での集団行動は民衆にとって自らの関心や懸念を表明する主要な手法であり続けている。

その一因は、独裁政権時代の後遺症が尾を引くなか、国家と民衆の間に系統だった相互作用が存在しないことにある。

民主化によって市民は投票権を手にしたものの、政府との適切な仲介役となる国内組織はいまだに不在。

そのせいで政策決定プロセスへの市民社会の参加が妨げられている。

だからこそ、デモが一種の疑似的な権限獲得の手段になる。

市民は自らに影響力があるとの感覚を手にするが、そこには国家の行動に対する洗練された形の関与が伴わない。

抗議活動は特定の問題を明らかにする上で極めて有用だが、それでは政府と共同で政策を策定・立案・施行・監視する能力を、市民社会は得られない。

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祖国解放を記念する8月15日の「光復節」の示威行動 KIM HONG-JI-REUTERS

 

韓国以外の自由民主主義国では、強力な協調体制を築く利益団体がこうした役割を担っている。

独自の予算や確かな組織的能力を有する団体は、政府と持続的かつ緊密な関係を持つことができる。

一方、韓国ではこのプロセスがそこまで洗練されていない。

政策決定に助言を得ようと国会での公聴会や論議に利益団体を招いても、国会内の結束不足と議員間の対立があまりにひどいため、せっかくの意見もかき消されがちになる。

悪名高い一例が、2008年に開始された4大河川再生事業だ。

是非をめぐる論争が3年以上も続いた揚げ句、監査院が乗り出す展開になった。

行政の枠組みの脆弱性は、常に流動的な政党政治の在り方に反映されている。

政党の分裂や合併、党名変更はいわば韓国式民主主義の特徴。政党の平均存続期間は5年未満だ。

継続的な不安定性は民衆の間に疑念や無関心、不信感を生む。同時に政党自体が、民衆の利害関係をしっかりと反映した綱領を策定・提言できない無能な存在と化してしまう。

「恨」に突き動かされて

抗議活動という文化には韓国特有の社会心理的要素、すなわち「恨(ハン)」も関わっている。

恨とは、不正義や苦しみへの反応として生まれる深い悲しみと怒りの感情と定義できる。

これは安心感や力の不在という認識がもたらす無力感の表れだ。

恨を理解するには、歴史的文脈を知ることが役立つ。

朝鮮半島は数々の侵略にさらされ、長らく中国の影響下にあった。

近年では1910~45年の日本統治、戦後の南北分断が精神に深い傷を与えた出来事として重くのしかかる。

その産物が「文化的に特異で、極度に濃縮された激憤」である恨だ。

韓国のデモがこれほど特異である訳を理解するには、恨を考慮に入れることが欠かせない。

感情を下位に置くことで理性と感情を切り離そうとする西洋のプラトン的伝統に基づいて韓国の政治と社会を捉えようとするなら、

この国の政治の複雑さを完全に把握することはできず、ありのままの韓国社会を尊重することにもならない。

対立解消に際して、核となるのは恨だ。

それを認識しなければ、デモが韓国社会に不可欠の要素である理由、そして行政の枠組みが脆弱ではあっても、持続的なデモを政治の機能不全の兆候と捉えるべきではない理由が見えてこない。

既存の政治参加メカニズムの改善や政党の制度強化は、韓国における国家と市民社会の関係向上にとって歓迎すべき事態だろう。

だがこうした改善は、あくまでも政治決定に関して民衆により大きな権限を付与することを目的とすべきであり、デモの浸透に歯止めをかけるためであってはならない。

韓国の抗議文化は民衆の政治参加の在り方を映す鏡だ。

そして朴の弾劾訴追が示すように、時には重要な結果を生み出すツールになる。

From thediplomat.com

<2019年8月27日号掲載>


<8月15日、ソウル光化門広場で文在寅大統領の退陣を要求する大規模な集会が行われた>

2019-08-22 17:37:48 | 日記

<8月15日、ソウル光化門広場で文在寅大統領の退陣を要求する大規模な集会が行われた>

日本統治からの独立記念日である光復節2019年8月15日午後、ソウル光化門広場で文在寅大統領の退陣を要求する大規模な集会が行われた

 

韓国のキリスト教総連合会(韓基総)が主催した集会に、複数の保守系団体から合わせて主催者発表5万人、警察推計4万人が参加した。

前日には日韓基本条約に基づいて韓国政府が日本から受け取った補償金の支払いを求める訴訟も提起されている。

安倍政権を批判する集会も行われているが

韓国では年間を通じてさまざまなデモや集会が行われている。

大規模なデモや集会は光化門広場とソウル駅前で主に開催され、朴槿恵前大統領の罷免を要求する「ろうそく集会」もこの2箇所が主会場となっている。

日本を対象とする大規模なデモや集会は、それほど多くはない。

日本人が巻き込まれる恐れがあるのは、毎週水曜日に日本大使館敷地前で行われている「水曜集会」と毎年3月1日の抗日運動記念日、8月15日の光復節前後に各地で発生するデモや集会である。

2019年の光復節は日本政府が韓国をホワイト国から除外する決定を行った直後で、折しもボイコットジャパン運動が広がっている。

光復節に大規模な集会が計画されているという発表を受けた在韓日本大使館は8月9日と8月13日、韓国に居住する日本人に向けて注意を呼びかけるメールを配信、外務省も海外安全情報で、韓国各地で日本関連のデモ・集会等が予定されているという注意喚起を行った。

ソウル警察庁の発表は日時と場所、予定規模のみで主催者や目的は公表されない。時期的に反日集会と推定した。

日本大使館前で8月14日に開催された水曜集会には主催者発表で2万人が集まり、15日の夜にも安倍政権を批判する集会も行われた。

文在寅大統領の退陣と米韓同盟の強化を訴える

「8.15文在寅左派独裁政権退陣の日」と銘打った集会には野党の代表や議員、前青瓦台民政首席をはじめ、議員や弁護士、学生団体などが参加し、文在寅大統領の退陣と米韓同盟の強化を訴えた。

また、日本には韓国を統治した見返りに金銭を請求する一方、なぜ北朝鮮に朝鮮戦争の賠償を請求しないのかなど、文在寅政権の北朝鮮政策を批判する声も上がっている。

前日8月14日には、統治時代の徴兵被害者遺族83人が、憲法裁判所に1965年の日韓基本条約に基づいて日本から受け取った補償金を遺族に支給しないのは違憲だという申し立てを行った。

韓国政府は徴兵の死者、行方不明者に2000万ウォン(約174万円)、負傷者には2000万ウォン以下の慰労金を支給したが、条約締結に際して韓国政府が日本に要求したリストに含まれていた被害者への補償金は国民に対して支給されていない。

遺族らは、韓国政府が日本から受け取った無償有償5億ドルのなかから補償金を払うことなく、経済協力資金として使ったのは横領に当たると主張する。

日本製品の不買運動には不参加を表明

文在寅大統領の退陣を要求する保守層は、朴槿恵前政権時のいわゆる告げ口外交や李明博元大統領の竹島上陸を支持するなど、保守政権下では反日の旗を振ってきた層でもある。

個々の日本人に対しても謝罪を要求し、領土問題で議論を求めてきたが、現在、韓国で広がっている日本製品の不買運動には不参加を表明する。

日本人に文政権批判への同意を求めるなど、文在寅政権と対立する日本や日本人に歩み寄る姿勢を見せている。韓国の主要メディアは退陣要求デモを報道していない。

 


「鵺の中国」・「獅子女の日本」(後編)

2019-08-22 16:36:57 | 日記

「鵺の中国」・「獅子女の日本」(後編)(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考

「鵺の中国」・「獅子女の日本」(後編)

  小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

(4) 超高齢社会を迎える両国

中国の「前門の虎」が借金だとするならば、「後門の狼」は超高齢社会である。

もっとも日本の方が、一足先に超高齢社会に突入すると言われている。

日本は2035年に、国民の33.4%が65才以上の高齢者となる、つまり国民の3人に1人は高齢者になる。

中国は2050年には、60才以上が5億人になる。

両国の、この超高齢社会の予測は確実である。

けれども日本の場合は、死ぬまで働きたいと望んでいる高齢者が多く、やがて75才定年制や定年制廃止ということになるだろう。

中国の場合は、現状では、定年は男性が60才、女性が50~55才であり、この定年制の延長にはほとんどの高齢者が反対しており、変更される見込みは少ない。

超高齢社会の最大の課題は、医療・介護費の激増による国家財政の破綻である。

この視点から超高齢社会を捉えると、おそらく中国と日本は、その差が縮み、2030年前後に、ともに超高齢社会の壁に直面すると思われる。

日本の超高齢社会の主役は、団塊の世代である。

この団塊の世代は、 「戦争に狩り出されなかった。餓えを経験しなかった。

血を流すような社会革命も経験しなかった。

真面目に働けば平均的な生活を過ごすことができた。格差のきわめて少なく、安全・安心な社会で生きることができた」 などの特徴を持つ。

団塊の世代は、「人類史上、最高の幸せを満喫した世代である」とも言える。

したがって団塊の世代には、自らの生き様に満足し、そのような社会に感謝しており、「知足」の心境に至っている人が多い。

その結果、「最期まで、できるだけ社会に貢献して生きていきたい、いつまでも働きたい」と考える高齢者が多くなっている。

また、できるだけ介護・医療費を節約したいとも考えている。

それでも意に反して、認知症などを患い、自らの理性の及ぶ範囲を超えて長生きし、社会や家族に迷惑をかけてしまうこともある。

高齢者はそれを恐れ、自らの超高齢社会の生き様を規定するため、新たな思想や死生観を生み出すことに懸命になっている。

それが昨今の高齢者本や高齢者番組の増加になって現れているのである。 

かつて中国は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という「万民平等」の共産主義のモラルで覆われており、そのときは高齢者も社会から冷遇されず、平穏な最期を迎えることができた。

しかし中国がそのモラルを捨てて久しい。

それどころか、これからの高齢者は紅衛兵世代とそれに続く改革開放世代であり、その精神状態はきわめて複雑である。

あの文化大革命時代を生きてきた世代は、青春時代にその多くが心に傷を負っており、その怨念が彼らに穏やかな老後を過ごすことを許さないだろう。

また紅衛兵世代は貧困に喘いだ時代の経験者であり、彼らは自らの青春時代に満足していない。

改革開放時代を生きてきた世代では、運良く、政府関連組織に身を置くか、外資などとの接触の機会に恵まれた者だけが、巨額な富を蓄えることに成功した。

今のところ、そのチャイニーズ・ドリームが社会を覆っているので、その理不尽さに怒る人民の蜂起という事態には至っていない。

しかしその貧富の格差は天文学的であり、その結果、成金高齢者は悠然と老後を過ごすことが可能だが、大金を得る機会に恵まれなかった者は行き場を失うことになる。

もちろん現在進行中の超巨大バブル経済が崩壊すれば、それらの構図も一変し、ともに貧困に喘ぐことになる。

中国では、それらの高齢者たちを救う社会保障制度が未整備であり、なによりもその数が5億人と膨大なため、中国政府も手の打ちようがない状態である。

このほど、中国の民政省、国家発展改革委員会、財政省など中央政府16部門が、「葬儀改革のさらなる推進と葬儀事業の発展促進に関する指導意見」という通達を出した。

この通達は、納骨堂での供養、樹木葬、海での散骨などの自然葬を勧めており、中国の葬送方式の変更を狙ったものである。

同時にこの通達は、来るべき超高齢社会をにらんでの中国政府の巧妙な搦め手戦術であるとも考えられる。

中国には、「高齢者権益保護法」(1966年制定)という妙な法律があり、そこで国家の社会福祉に対する義務よりも、家族の扶養義務を強く打ち出している。

ことに第18条では、家族が高齢者を冷遇・無視することを禁止するとともに、別居している場合は頻繁に顔を合わせるように求めている。

中国社会では、この法律について、「親不孝者が多いので法律により規定すべきである」、「道徳問題を法律で規定すべきではない」など、賛否両論である。

実際には少ないが、この法律に基づいて、親が子供を訴えて、勝訴した例も出てきている。

つまり、今、中国社会では、このような法律を作らなければならないほど、

「一人っ子政策の結果の“小皇帝”の出現と親孝行のモラルの崩壊、法律で規定してまで、自らの老後を子供に面倒をみさせようとする高齢者のわがままと甘え」が、浸透してしまっているということである。

超高齢社会を乗り切る最善の策は、高齢者自らが新たな思想・死生観を確立し、自らの生き様を規定することである。

(了)

——————————————————————– 清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー ) 1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。


「鵺の中国」・「獅子女の日本」(前編)  

2019-08-22 15:56:49 | 日記

小島正憲氏のアジア論考

「鵺の中国」・「獅子女の日本」(前編)  

 

釈迦に説法だとは思うが、ひとまず解説させていただく。

「鵺」(ぬえ)とは、平安時代末期に都を騒がせた怪鳥であり、「獅子女」とは(最近ではほとんど使われなくなったようだが)、スフィンクスの日本語訳(俗語)である。

これらはともに、空想上の獣であり、五十歩百歩だといえよう。

しかし「五十歩と百歩の差は大きい」と、私は思う。「鵺」は社会を不安に陥れ、「獅子女」は主人の墓前に跪く。

(1) 西欧列強に二度拝跪した両国

中国は、清朝末期に国土を西欧列強に侵蝕され、汚辱にまみれた。

またその後、毛沢東が中国革命を成功させ、西欧列強を中国から追い出したが、貧困から脱却することはできなかった。

やむを得ず鄧小平が国を富ますため、西側諸国に中国全土を開放し、多くの西側資本家とともに拝金主義を受け入れた。

日本は、明治維新において、辛うじて西欧列強の侵蝕は逃れたが、西洋思想の前に跪き、それを大胆に取り入れ、国家の体制を一新し、富国強兵の道を急いだ。

その帰結として、太平洋戦争に敗北し、米国を中心とした西側諸国の前に無条件降伏することになった。

日本は、再び、米国を始めとする西側諸国の前に跪き、その思想を全面的に受け入れ、国を再興することになった。

つまり中国も日本も、二度、西欧に敗北し、そのつど拝跪した経験を持っている。

しかし、敗北の結果の再起の過程で、西洋の民主主義思想を無条件かつ全面的に取り入れた日本と、社会主義市場経済を旗印に、民主主義思想を拒み、拝金主義のみを受け入れた中国との間には、大きな差が存在している。

民主主義は、人民の公平な選挙が実施されるということが前提である。

選挙制度などに問題があるとはいうものの、日本では選挙が公平に、しかも万人監視のもとで行われている。

選挙では誰もが自由意志で立候補でき、自由意志で投票できる。

この選挙制度をポピュリズム云々という人はいるが、結局、多数の人民の要望を取り込み、多数の票を集めたグループが政治を担当し、社会を動かすことになる。

もちろんそれが失敗であることがわかれば、次の選挙で他のグループに、平和裡に交替することになる。

そこでは社会を根底から変えるような体制変換は必要としないし、もちろん血が流れることはない。

中国には民主主義の根幹をなす選挙はない。あるのは、中国共産党の一党独裁体制とそれを支える機構のみである。

立法と行政、司法が中国共産党によって支配されているため、政治も経済も社会も、共産党の意のままに動かされる。

共産党に異を唱えるものは抹殺されてしまう。

もちろん党内で熾烈な路線論争や権力争いが生じることもあるが、それは共産党の統治体制の枠内であり、体制変換に至るものではない。

したがってもし体制変換を必要とする場合は、中国伝統の易姓革命でしかできない。そこには当然、血が流れる。

(2) 自力更生を捨てた両国

鄧小平は、毛沢東の自力更生の思想をかなぐり捨て、社会主義市場経済という造語のもとに、中国全土を外資に開放した。

鄧小平は、自らの力で中国経済を浮揚させることをあきらめ、手っ取り早く外国から、資金や技術、市場、経営ノウハウなどの提供を受け、中国人民を飢餓状態から救うことを目指したのである。

それは大成功し、やがて中国は世界第2位の経済大国に成長した。

しかしこの鄧小平の改革開放路線は、資本主義思想、ことに拝金主義思想を中国全土にばらまき、腐敗・汚職を中国全土に蔓延させ、人民の間に短期間で想像を絶する貧富の格差を作り上げてしまった。

太平洋戦争後、日本は平和憲法を定め、そこに戦争放棄を明示した。

日本は軍隊を持たず、米軍の傘下のもとで庇護を受け、国家建設を進めるという道を選んだのである。

すぐに朝鮮戦争が勃発し、自衛隊という名の軍隊を持つことになったが、平和憲法は堅持されており、辛うじて歯止めが掛かっている。

いわば日本は、軍事面での自力更生をあきらめ、経済成長の道をまっしぐらに突き進んだのである。

国家財政を軍事面に投入せず、経済面に使用できたことが、日本経済の高度成長を可能にした一因でもある。

中国は経済面で自力更生を捨てた。結果として、経済の根幹を外資に握られることになった。

先端技術も外資を誘致し、そこから盗用しなければならない段階である。

現在、中国経済は外資抜きでは成り立たないのだが、中国人民も世界も、GDPなどの数字のマジックに騙され、世界第2位の経済大国としての幻想に浸っている。

中国は軍事大国として「鵺」のように翼を広げているが、その胴体である経済は脆弱であり、先端の頭は先進資本主義国に牛耳られている。

日本は軍事面で自力更生を捨てた。長らく経済が低迷しているが、外資が日本経済を牛耳っていることはない。

日本は今、世界最大の債権国であり、実際に海外からの収入はきわめて多く、GNPで計算した場合、まだまだ経済強国として評価できる。

しかし日本は、軍事面では米国の軛につながれ、その前に「獅子女」として跪いている。

(3) 借金大国としての両国

中国は借金大国である。

一部の中国ウォッチャーやエコノミストの間には、国家債務は2017年度で4000兆円台に乗り、今後2~3年間で、5000兆円を超すと予測している人もいる。

国際決済銀行の統計でも、近年、家計・企業・政府を合わせた中国の債務は急ピッチで拡大している。

中国政府の債務はリーマンショック後の4兆元の投入以来、雪だるま式に増えている。

ことに企業の借金が問題である。

国有企業を始めとして、すべての企業経営者が銀行などから低利で借り入れを行い、高利の委託融資や銀行理財商品で運用するなど、本業を疎かにし、財テクに奔走している。

民間人も平気で多額のローンを組み、マンションなどの購買に走っている。

もはや中国は、政府・企業・家計のすべてが借金で回っているといっても過言ではない状態にある。

日本政府の借金は1000兆円超である

もはや国債の支払い利息だけで国家予算の半分ほどが必要になっている。

地方自治体も借金だらけで、まさに借金大国である。

長年の低金利で、借金慣れしてきている企業も少なくない。

金融機関による個人への無責任なカード発行により、カード破産も増えてきている。今や、日本人総体が借金まみれとなってきている。

識者や中国ウォッチャーの中には、中国政府発表の統計数字を基にして、「中国は世界第2位の経済大国である」と主張する人もいる。

そして中国政府の「一帯一路」などの膨張政策や中国人企業家の海外進出に警鐘をならす人が多い。

しかしそれらの動きは、まさに「鵺が世界に大きく羽ばたいている」ことに、恐れをなすようなものである。

中国政府発表の統計数字が意図的に操作されており、信用するに値しないということは、すでに多くの人が指摘しているが、

それよりも、ほとんどの識者や中国ウォッチャーが、現場の実態を肌感覚で掴んでいないということに大きな問題がある。

私は2003年に、中国の工場現場で人手が不足してきていることに気付き、それを基にして、「13億の中国で、なぜ今、人手不足なのか」という小論を発表した。

当時の常識は、「中国には6億人の農民がおり、労働者は無尽蔵である」というものであり、私は多くの人に嘲笑された。

しかし5年後、その多くの人が私の主張を認めざるを得なくなった。

また7年前に中国政府当局から、「暴動が年間6万件起きている」という情報が意図的に流された。

そのとき私は即座に、この情報はウソだと思った。なぜなら私の周辺では、それだけの数の暴動は起きていなかったからである。

このとき中国ウォッチャーたちは、鬼の首でも取ったかのように、「中国は暴動で崩壊する」と囃し立てた。

その後私は、暴動現場を一つ一つ足で歩き、「中国は暴動では崩壊しない」という小論を書き、それらに反論した。数年後、暴動に関する論議は沈静化してしまった。

余談になるが、これらのことは、最近の医者が患者の容態を診ないで、パソコンの画面上の数字ばかりを見て、病状を診断するようなものである。

何よりも、今、一番不足しているのは、現場の肌感覚なのである。

中国も日本も、ともに借金大国であることに違いはない。しかし、借金に対する意識には大きな違いがある。

中国人は借金を返す気はないが、日本人は借金を返す方向で努力している。

中国政府には、外資の導入が借金であるという意識はなく、外貨準備高の中に外資に返済しなければならない分が大量にあることなど、まったく眼中にない。

中国政府はとにかく経済成長率を下げないために、大量の資金を投入し続けている。

地方政府も同様である。また、すべての経営者が実業を放り出し、虚業で大儲けすることに専念している。

最近の中国人には「借金は悪」という思想はなく、借金をして、それを元手に儲け、儲かったらさらに新たな儲け口にそれを注ぎ込む。

つまり借金を返す気は毛頭ない。ましてや国家の借金を返すことを、真剣に考えている人はいない。

日本の政府は、格好だけかもしれないが、財政健全化の方策を模索し、消費税アップなどに解決の糸口を見出そうとしている。

企業家はバブル経済の崩壊を体験しているので、財テクなどの虚業に走ることを戒め、無借金経営を目指している人が少なくない。

その結果、2017年度、日本の上場企業の約60%は実質無借金経営となっている。

個人も身の丈以上の借金をできるだけしない方向である。

ことに団塊の世代の高齢者は自らの投資や起業を戒め、「国家の借金を如何にして返して死ぬか、食い逃げをしないこと」を、真剣に考えている。

ちなみに中国企業の海外進出や海外M&Aを恐れる必要はない。

ほとんどの企業が巨額債務を持ちながら、中国内に投資好物件がないため、海外に進出しているだけである。

中国内のバブルが弾けたら、かつての日本同様、それらの物件は安売りせざるを得なくなる。

そのとき買い戻せばよいだけの話である。

また中国企業や中国人の海外進出は、自己資金を海外に逃がすという別の目的があるという側面をしっかり見ておくことも必要である。

(後編に続く)

——————————————————————– 清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー ) 1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。


「日本の長期不況と同じ道を歩む韓国」

2019-08-22 15:43:02 | 日記

「日本の長期不況と同じ道を歩む韓国」(真田幸光)


真田幸光氏の経済、東アジア情報

「日本の長期不況と同じ道を歩む韓国」

清話会

真田幸光氏(愛知淑徳大学教授)

 私は、 「日本のような先進国は、 先進国であるが故に、消費財が国民に行き渡っている、社会インフラがきちんと整備されている、 よって、まだまだ消費財が行き渡っておらず、インフラが整備されていない新興国に比べれば、消費需要、インフラ開発需要が弱く、この結果、経済成長率は安定成長と言う名前の低成長化する。

更に、先進国化の過程で、少子化が進展すれば、人口減少傾向も顕在化し、より一層、安定成長化に向かい、場合によっては、それが不況に繋がる可能性もある」 と考えています。

そして、そうした不況が日本では顕在化し、今、そこからの脱却を目指して、企業の努力と共に政策展開もなされています。

ところで、こうした中、韓国の主要紙である朝鮮日報は、 「韓国が“失われた20年”と呼ばれる日本の長期不況と同じ道を歩んでいる」 との報道をしています。

当該記事では、 「日本の衣料国内販売額は1991年に15兆3,000億円でピークを迎えた後は減少に転じ、現在はピーク時の3分の2ほどとなっている。

韓国は昨年の衣類・バッグなどファッション商品の消費額が前年対比1.7%減の42兆4,758億ウォンで、2008年の経済危機以降初めて減少に転じている。

日本の自動車国内販売台数は1990年の777万台を最高として、この28年間その実績が破られていない。

 韓国でも2015年に183万台の国内販売を記録した後、179万台まで落ち込み、2018年も2017年並みの水準で推移している。

 韓国の民間消費の伸びは2008年の経済危機以降、急激に鈍化したまま回復していない。

年平均伸び率は2000~2008年の4.3%から2008から2017年には2.2%に低下している。

こうした消費の低迷は高齢化が主因である。

 日本は主要品目の販売量が減少するや、1994年に高齢化社会(人口の14%が65歳以上)に入った。

韓国も昨年から高齢化社会を迎えた。

 韓国の場合、60歳以上の高齢者の人口構成比が20年前より倍増したのに対し、60歳以上による消費は大幅に減少した。

消費を減らす時期も60代から50代へと10年早まった」 などと言う記事を出し、韓国の長期不況が日本と同様に広がることを懸念しています。

しかし、ここで例えば、これを打破しようと移民を受け入れるとしてみましょう。

 朝鮮民族国家として、移民受け入れの功罪を考えると、簡単に移民受け入れによる人口増加も叶わないのではないでしょうか。

また、少子化対策の結果として、出産が増加するといった状況も進展しておらず、短期間、そして簡単に問題は解決しそうにないと思われます。

こうしたことから、私は韓国も日本も、

 「一人当たりの労働生産性を高め、一人の人が量ではなく質でより大きな働きをし、その結果、お給料を増加させ、それによって、消費も増加させて、経済成長力を強める」 といった方向に、例え、それが辛くとも、転換させていく、という政策努力が重要であると考えています。

そうした意味で、日本政府が示している、「働き方改革」や「生産性改革」という方向性は正しいのではないかと私は考えており、チェックポイントは、その中身が、実を伴うようなものとなってくるのかにあると考えています。

いずれにしても、今後の動向をフォローしたいと思います。

真田幸光————————————————————

 1957年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。1984年、韓国延世大学留学後、ソウル支店、名古屋支 店等を経て、2002年より、愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション学部教授。社会基盤研究所、日本格付研究所、国際通貨研究所など客員研究員。中小 企業総合事業団中小企業国際化支援アドバイザー、日本国際経済学会、現代韓国朝鮮学会、東アジア経済経営学会、アジア経済研究所日韓フォーラム等メン バー。韓国金融研修院外部講師。雑誌「現代コリア」「中小企業事業団・海外投資ガイド」「エコノミスト」、中部経済新聞、朝鮮日報日本語版HPなどにも寄稿。日本、韓国、台湾、香港での講演活動など、グローバルに活躍している。