北大路機関

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T-1-VTOL試験機計画 科学技術庁の幻に終わった国産垂直離着陸技術実証航空機

2012-02-04 15:28:15 | 先端軍事テクノロジー
◆1970年代の国産ジェット練習機VTOL改造計画
F-35Bが開発中止の危機を脱したようですが、相変わらずF-35計画全般は停滞、そうした中で今回は日本独自の垂直離着陸機計画を見てみましょう。 週末なので少し夢のある話です。

Img_7956そんなことまで進んでいたのか、という話題ですが、1971年に科学技術庁は国産のT-1練習機を基本としたVTOL機の開発を計画していたとのことです。計画ではVSTOL機ではなく垂直離着陸を行う航空機として開発される計画で、一方主脚の構造からSTOL機への発展要素は一応確保されていたとのこと。防衛庁は関係なく、科学技術庁航空宇宙技術研究所が主体となって開発する計画だったようです。

Img_8015副題にT-1の改造計画と記しましたが、新造になったことでしょう。構想では四発機として開発される機体で、T-1練習機は後退翼を採用していますが、国産VTOL機計画では通常のテーパー翼構造が採用される計画だった模様。胴体部分が特に中央部分についてエンジンの搭載に向け大きく再設計され、搭載エンジンはT-1練習機に搭載されていたJ3-3エンジンの派生型であるJR-100系統を搭載する計画とのことでした。
Img_79361 1970年代、まだ高度経済成長期にあった日本ですから、しかし、T-1でのVTOL試験に成功していたらば、最終的にT-2のような超音速飛行が可能な航空機のVTOL型とか、可能性はあったのか、円谷特撮のような視点を持ってきてしまいます。むしろ小松左京的、か。

Img_9322国産VTOL機としては、JR-100を搭載する垂直離着陸実験機フライングテストベットVTOL-FTBが挙げられるのですが、VTOL-FTBはあくまで浮揚試験を行うための機材であり、乗員1名は搭乗可能であり、JR-100エンジン二基を搭載していますが全備重量は2000kg、浮揚時間は僅か10分で、機体は鋼製骨組み、実用航空機とは言い難いものでしょう。

Img_4863_1対して、開発される計画であったVTOL機は、胴体部分に四基のJR-100を搭載し、四基のうち三基を浮揚用エンジンとして、一基を推進用エンジンとして用いる計画であったとのことです。実際のところ実機が開発されることなく計画が終了したため航続時間などは不明ですが、乗員1名が搭乗する有人機としての開発になっていたようで、実用機に近づいたといえるかもしれません。

Img_9490同時期に科学技術庁航空宇宙技術研究所は、推力4.5tという比較的優秀なファンジェットエンジンの開発を行っています。たとえばF-104やF-4といった戦闘機に搭載されていたJ-79エンジンは推力が6.7t、国産の4.5tは実現しても遠くは及びませんけれども継続していればどうなっていたのか、見てみたいところでした。
Img_1781こちらのエンジンが戦闘機に搭載できるようなものなのか、というところはもう少し資料を集めてみたいところですけれども、日本の国産戦闘機開発という観点での論点で必ず最大の障壁となるのが戦闘機用低バイパス比高出力エンジン、科学技術庁の技術開発であってもC-1改造の飛鳥という事例がありますから、進展していたら日本の国産戦闘機開発という視点は変わっていたものとなったかも。

Img_7925_11974年頃に技術的成果を確認する計画だったようですが非常に残念なことに途中で中断しています。技術的限界と1973年の石油危機が関係したのか、それとも垂直離着陸機という航空機の趨勢は普及しないという判断の上での中断なのか、もう少し資料を集めてみたいところなのですが、実現していれば日本の航空宇宙産業に実機をもう一つ置くことが出来たかもしれません。

Img_2109無論、これを組み合わせて実用的なVTOL航空機を、という安直な考えはできませんし、フランスがミラージュⅢ戦闘機を原型としたバルザックⅤ超音速実験機を、ドイツがF-104原型の実験機による試験の末に独自設計のVFW-VAK-191BVTOL戦闘攻撃機の試作研究を行い、同時期にイギリスがハリアーの開発を行っていますが実用化に至ったのはハリアーのみでした。
Img_9819_1ただし、技術的成果を求めて遮二無二開発へ邁進していたという当時の熱意は伝わってくるようです。技術開発は長期的視野に依拠して行う必要があり、成果が出る迄の多額の予算は中々事業評価に反映しにくいものがあります。また、開発されたものの仕様が要求に合致しているのかという問題、開発が長期化すると共に要求や運用方法が変化してしまう、ということもあるのですが、技術史のあまり知られていない一幕として、興味は尽きません。

北大路機関:はるな

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2 コメント

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改めてVTOL機を見直すきっかけとなったこのエン... (雨辰)
2012-02-05 10:17:22
改めてVTOL機を見直すきっかけとなったこのエントリーに感謝です。アナログ時代には複数のリフトエンジンを正確にコントロールする技術が伴っていなかったと思われますからT-1-VTOLも他の機体同様に成功したかは疑わしいと思いますが、技術の蓄積には大いに貢献したことと思います。

F-35BにYak-38のベクターノズルの技術が生かされていることは知っていましたが、吸気ダクトの構造がドイツのVJ101のリフトエンジンのそれにそっくりなのは初めて知りました。改めて各国のVTOL機開発に賭けた情熱の集大成がF-35Bであることが良く分かりました。

22DDHもようやく起工されたようですが、今後もVTOL機の動向から目が離せませんね。
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雨辰 様 こんにちは (はるな)
2012-02-05 16:17:47
雨辰 様 こんにちは

件の実験機、床の上に置かれた小さな完成予想模型の写真はあったのですが、模型はタイルの大きさから40cm四方くらい、Yak-36よりも実験機実験機している(どんな表現だろう)形状でした。

どこかに模型本体、残っていませんかね、P-2J後継機の模型は民間に寄贈されたようですし・・・。残っていても倉庫の片隅で掘り出せない位置かな。案外VTOL-FTBの展示されている航空宇宙博物館に在ったりして。
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