ハリソン君の素晴らしいブログZ

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『ゴリラ/警視庁捜査第8班』'89~'90―2

2019-02-23 12:00:05 | 刑事ドラマ HISTORY









 
石原プロモーション作品『ゴリラ/警視庁捜査第8班』のテコ入れは、段階的に行われて行きました。

フィリピン・ロケを敢行した2時間スペシャルで華々しく幕を開けた初回は、初めて結集した第8班のメンバー達がコンバットスーツに身を包み、戦争映画ばりに激しい銃撃戦を繰り広げる、近作で言えばS.スタローンの映画『エクスペンダブルズ』みたいな傭兵アクションでした。

第2話以降も、本庁の刑事部長(鈴木瑞穂)から極秘指令を受け、犯罪組織への潜入や危険物(ニトロ等)の運搬、怪盗ルパンの真似ごと等、刑事というよりは特殊工作員のミッションを遂行するような話がしばらく続いて行きます。

それがやがて、通常の事件を扱うノーマルな刑事アクションへシフトして行くと共に、キザな台詞やジョークの応酬が徐々に減少して行きます。

一時期、アヴァンタイトルでその回のダイジェストを見せてましたけど、これが3分ぐらいある英詞の歌1曲分、延々と続くんですよね。いくら何でも長いわ!w

『太陽にほえろ!』のOPタイトルみたいに十数秒「さわりだけ」見せるなら効果あったかも知れないけど、3分もダラダラ見せられたら「あ、こんなもんね」って、視聴者はチャンネル替えちゃいますよ。(実際は3分も無かったかも知れないけど、それくらい長く感じました)

ホントにもう、この『ゴリラ』って番組は、やる事なす事ズレてると言うか、全てにおいてトンチンカンなんですよね。私にはそう思えてなりません。

やがて人情話も入って来るようになり、すっかり普通の刑事ドラマに戻っちゃうんだけど、そうなると第8班の特殊な設定(ファッションモデルみたいな服装とか高級車とか、殺人ライセンスはあるのに警察手帳は持ってないとか)がかえって邪魔になって来ちゃう。

で、やる事が無くなった仲村トオルさんと加納みゆきさんはフェードアウトし、代わりに第31話から田中美奈子さんが登場します。

加納さんより華があって、現場でバリバリ活躍するのは良かったと思うんだけど、いかんせん当時の美奈子さんは芝居が下手で、銃の撃ち方もメチャクチャぎこちなかったです。射撃のエキスパートって設定なのに!

渡 哲也さんがテレビの歌番組で美奈子さんを見かけ、萌えたのが起用のきっかけだそうでw、劇中でも倉本班長(渡さん)が彼女を「可愛いから」第8班に招き入れた、みたいな台詞があって、私は卒倒しましたよw

しつこく言いますけど、この第8班ってのは殺人ライセンスを所有し、あらゆる犯罪行為が黙認されるほどの特権が与えられた、エリート中のエリートなワケです。

もし仮に、そんなチームが現実に作られるとすれば、宇宙パイロット以上に厳正な審査をしてもらわなきゃ一般市民はたまったもんじゃありません。それをアンタ、か、可愛いからって、渡さん……

だから、そもそも、この番組のハード過ぎる設定に『あぶない刑事』風の軽いノリを持ち込むこと自体が、大きく間違ってるんだと私は思います。全くもって、トンチンカン!(だからこそ、今観ると面白いのだけど)

さて、そんな『ゴリラ』に第36話から、強力すぎる助っ人がやって来ます。あの『北の国から』を生んだ大御所脚本家=倉本 聰さんです。

石原プロ初のTVドラマ『大都会/闘いの日々』のメインライターを務めたのも倉本さんで、この『ゴリラ』で渡さんが演じる班長の名前が「倉本 省」ですから、当初より「いざって時は倉本さんに」っていうプランが、もしかするとあったのかも知れません。

けれども倉本聰と言えば「人間ドラマの権化」とも言うべきシリアスな作家さんですから、最初の5話位(つまり傭兵アクション期)しか『ゴリラ』を観てなかった当時の私は、大いに度肝を抜かれました。

徐々にノーマルな刑事ドラマにシフトして行った中盤の過程を観てなければ、いきなり180度も世界観が変わったように感じちゃいます。それくらい、倉本聰さんの影響力は絶大でした。(倉本さんは脚本監修で、執筆は富良野塾で育ったライター陣が担当)

まず、渡さん扮する倉本班長に、重度の認知症で車イス生活をしてる妻(柏木由紀子)がいた事が明かされます。倉本班長って、第8班に呼ばれるまで西伊豆の漁村に身を隠し、独りで漁師をやってた筈なんだけどw

交通事故で幼い息子を亡くしてしまった時に、自分を責める妻を仕事にかまけて充分にフォローしなかった倉本班長。そんな倉本に主治医(北村総一朗)が「奥さんがあんな風になったのは、あんたのせいだ!」なんて言い放つ、超ヘビーな人間ドラマが展開します。

でも確かに、あんな状態の奥さんがいるってのに、毎週カッコよくドンパチやりながら美奈子ちゃんに鼻の下を伸ばしてたかと思うとw、そりゃ責めたくもなりますよね。

更に、舘ひろし扮する伊達刑事が悪性骨腫瘍(骨のガン)を患い、モルヒネの注射を持ち歩いて激痛を誤魔化してた事も判明します。前週まで元気いっぱいに走り回ってたのに!w

ただ1人、伊達の余命が僅かである事を知る倉本班長に背中を押されて、長野県の故郷に伊達が里帰りするエピソードも創られました。

自然豊かな農村にガルウィングの高級車を乗りつけ、高級ブランドのスーツとコートに身を包み、ソフトリーゼントの髪とグラサンでバッチリ決めた姿で現れる、伊達刑事の浮きっぷりたるや!w

お母さんから「私にそんな息子はおらん!」と言われ、お兄さんから「この家にお前の居場所はもう無いんや」って言われるのも、そりゃもう仕方がないw だからかえってリアルに感じて、このエピソードは泣けました。

無精髭を落として爽やかイケメンに戻った神田正輝=風間刑事には、犯罪組織黒幕の若妻と禁断の恋に落ちるというメロドラマが用意されました。

ワイルドな伊達男を気取るよりは、神田さんの持ち味が自然に活かせて良かったとは思うんだけど、相手役の女優さんがあまりに拙い演技で、ちょっと残念な仕上がりになってました。

石原プロの女優選びって、なんでいつもこうなんでしょうね? 新人男優選びに関しても言える事だけど、わざと演技力の無い人を選んでませんか? 渡さんや舘さんより上手い人が来たらマズいからw そんな勘ぐりを入れたくなる位、キャスティングに疑問点が多過ぎます。

神田さんと禁断の恋に落ちる相手役ぐらい、もっとメジャーで実力ある女優さんをキャスティング出来なかったんでしょうか? 実際に演じられた方には申し訳ないんだけど、女優さん次第でもっと良くなるエピソードだったように私は思います。

いよいよ伊達刑事の死期が迫る最終回にしても、唐突に田中美奈子さんが伊達と恋に落ち、キスシーンがあったりするんだけど、いかんせん当時の美奈子さんもまた、演技力が……

とは言うものの、ただドンパチやってるだけの初期作品に比べれば、倉本聰監修による最終クールはやっぱ、ドラマがある分だけ見応えはありました。ファンがそれを望んでいたか否かは別問題として……

あれだけ予算をかけたメジャーな連ドラが、これほど激しく試行錯誤し、1年に渡ってテコ入れと路線変更を繰り返した例って、なかなか無いかも知れません。

大河ドラマ以外、1年続く連ドラがほとんど無くなっちゃった現在だと、まず見る事が出来ない変遷ぶりですよね。そういう意味でも、やっぱ『ゴリラ』は大いなる失敗作であり、だからこそ面白い!って、私は思うワケであります。
 

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2 コメント

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Unknown (harrison2018)
2019-02-23 21:59:39
小林専務ではなく、時代の空気を的確に読んで一歩先を行くような、ちゃんとセンスのあるプロデューサーが企画を練れば、もっともっと面白くなっただろうと思うと本当に残念です。

傾きかけた石原プロを支えたのも小林専務なら、駄目にしちゃったのも小林専務。特定の誰かが権力を持ちすぎると組織は駄目になるっていう、これは典型例かも知れません。
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Unknown (フルーツブラザース)
2019-02-23 20:00:14
ゴリラは失敗作=大冒険した作品とおもいます。バブル絶頂期、重い作品よりも明るい作品が時代背景にありもっとあぶない刑事が軽すぎて別物の作品になり視聴者には大反響でした。英後歌詞のお洒落なサウンド、テットオムのブランドスーツ、その流れを取り入れ西部警察の特殊車両の導入、やパトカーの大量破壊等とヒット作品の良いところを取り入れた作品でした。

やはり、渡さん、舘さん、神田さんが魅力的でかっこよくても作品の脇をしめる俳優さん石原裕次郎の存在が大きかったです。刑事貴族がヒットしたのは松方弘樹、地位武雄が脇をしめているから主役の舘さんや郷さん、水谷さんが作品の顔になり感情移入できたのです。ゴリラは脇をしめる俳優さんが存在しない、渡さんが裕次郎さんのポジションについても舘さん、神田さんに感情移入できないです。いかに裕次郎さんの存在が大きかったのがわかります。

ですが、渡さん、舘さん、神田さんがいなければ全く面白くもありません。ただ作品事態にクライムサスペンスがないだけで軽さと派手さで売り物にしたから、視聴者も西部警察とあぶない刑事のコピーとしてみたから人気がいまいちだったんです。作品の基盤がしっかりしていれば裕次郎さん亡き後の作品でももっといい作品が造れたでしょう。私、個人的には時代背景に合わなかったでしょう、もう2、3年早ければまた斬新で視聴者に受けたでしょう。

と色々言いましたが作品に対する冒険心、新しい作品を造りたい意気込みは素晴らしく今みても色あせない作品の一つです。
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