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エレミヤ書41章

2017年05月19日 05時24分59秒 | エレミヤ書
 エリシャマの子ネタヌヤの子イシュマエルによるクーデターが起こった。彼らは、カルデヤ人の征服をよく思わない者たちであった。総督ゲダルヤの使命は、こうしたゲリラ戦を押さえて、荒廃した全土を回復し、経済活動を再開、安定化し、バビロンに貢物を治められるようにすることであった。後に、ネヘミヤは捕囚帰還後のエルサレムの再建にあたり、「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない」(ネヘミヤ記4:10)とその困難さを描いているが、この時既にエルサレムの町は、回復させるには途方に暮れるような状況を呈していたのだろう。残された者も、「何も持たない貧民」(39:10)たちや兵士たちである。想像力や計画性のみならず忍耐と根気のいる国家再建の働きなどとうてい遂行しえない状況があった。
イシュマエルは、ダビデ王家の血筋の者であったが、総督の地位を退けられた。彼は信用されなかったのである。彼は典型的な不満分子となった。彼は、卑劣にも、ゲダルヤの客人となって、食事の席で丸腰のゲダルヤを剣にかけるのである。しかも、彼はゲダルヤのみならず、ゲダルヤの護衛にあたっていたユダヤ人もカルデヤ人もすべて葬りさっている。さらにイシュマエルは、残虐行為を重ねた。サマリヤからやってきた80人の者たちを惨殺した。80人の者は、巡礼者であり、エルサレムの破壊された神殿を嘆く者たちであった。イシュマエルが、彼らをだまし討ちのようにして殺した理由はよくわかっていない。ただ、彼らは身に傷をつける自傷行為をしていた。これは律法によって禁じられている(レビ19:28)。となれば、彼は律法に極めて忠実であろうとする原理主義的な者であったのだろう。実際、ゲダルヤにイシュマエルのクーデターの可能性を伝えた、カレアハの子ヨハナンが登場すると、イシュマエルと共にいたイスラエルの民は、身をひるがえして、ヨハナンの側に付いた。イシュマエルはアモンに逃れていくが、そこに、彼があまりにも原理主義的で極端であったために、同胞のユダヤ人からも受け入れられず、追随者を得られなかった事情が読み取れる。
ともあれ、ゲダルヤの暗殺は、後に第七の月の断食を持って覚えられる日とされた(ゼカリヤ7:5、8:19)。そしてイシュマエルを追放させたカレアハのヨハナンは、この事件の責任をカルデヤ人に問われることを恐れて、エジプトへ逃れようとした。
イスラエルの残された民は、窮状を導く指導者を必要としていた。しかし、こうした窮状を打開する優れた指導者は与えられなかった。いや、神のことばはエレミヤを通して明確であったが、誰もその預言者の声に耳を貸そうとする者はいなかったのである。
今日も同じような状況であるかもしれない。混沌とした国家、組織に、新しい光となる道筋を、明快に指し示す知恵ある指導者のいない時代である。しかし、神のことばは聖書によって明らかに語られている。神のことばに耳を傾けさえすれば、なすべきこと、解決の糸口とすべきことは明らかであるのに、顧みられることもなく、無視される、そんな時代である。神のことばに心を開き、神のことばに聴く、そこに、私たちの明日が積み重ねられ再建される道筋がある、と心得たい。

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