5章 ベルシャツァルへのさばき
おはようございます。ITリテラシーがあるように、霊的なリテラシーもあります。霊的なリテラシーを高めるには、謙虚な心をもって、聖書を丹念に学ぶ他ありません。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安
1.4章と5章の間のこと
5章に登場するのは、ベルシャツァル王、つまり、ダニエル書は4章から5章の間に多くの事を省略しています。1-4章の主役であったネブカドネツァル王の治世は43年、BC562年にその息子メロダクが後を継ぎ2年統治しました。そしてメロダクは義理の兄弟ネリグリッサロスに暗殺され、ネリグリッサロスがBC560 年から4年間国を支配しています。その後彼の子ラバシ・マルドゥクが数ヶ月国を治めますが、この若い王も暗殺され、バビロン帝国はネブカドネツァル王の二番目の妻の子ナボニドスによって統治されるようになります。ベルシャツァル王はその子どもで、共同統治者でした。22節で、ベルシャツァル王は、ネブカドネツァル王の子(11、22節)とされますが、厳密にはそうではありません。
2.ベルシャツァル王の見た幻
ともあれ1節、ベルシャツァル王が、大宴会を催したとされるのは、BC539年、ネブカデネザルの死後23年目のことです。宴会もたけなわとなったその時、ベルシャツァルは、エルサレムの神殿から没収した金の器で酒を酌み交わし、金や銀、青銅、鉄、木、石で作った偶像を賛美したと言います。恐らくイスラエルの神を侮蔑する思いがあったのでしょう。すると突然、人間の手の指が現れ、壁に字を書き始めたと言います。「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」。この文字を解釈するために呼び出されたのが、すでに相当の高齢となっていたダニエルでした。彼は、壁の文字を読みました。「メネ」は「数えられる」あるいは「定められる」の意味で、王の統治年数が数えられて定められた、つまり終わりが決定された、とします(26節)。また「テケル」は「量られる」「算定される」を意味し、ベルシャツァルが神の秤で量られて、基準に達しなかったとされます(27節)。「パルシン」は、「配分される」を意味し、バビロンがメディアとペルシアの二つの国に分割されることでした(28節)。そしてその夜、難攻不落と言われたバビロンは、一線を交えることもなくペルシヤ軍に征服されてしまいました。歴史家のヘロドトスによれば、ペルシアの軍隊がユーフラテス川の流れを変え、巨大な防衛線を突破して川床を歩いて渡り、防衛軍を奇襲したとされます。
3.テケル
ダニエルは、高慢に陥ったネブカドネツァル王が、どのようになったのかを思い起こさせています(17-21節)。人間の地位など、単なる巡り合わせや弾みによるもので、実力とは無関係であったりするものです。否、正確に言えば、「人の息をその手に握り、すべての道をご自分のものとされる」(23節)神が、それを許されたから得られるものであるのに、勘違いも甚だしい現実に人は生きてしまうのです。それは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石で出来たものを神として拝む霊的なリテラシーの低さのためでしょう。聖書を読まずして、まことの神を知ることはできません。