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民数記29章 主への芳ばしい香りを献げよ

2022年02月19日 06時57分08秒 | 民数記
29章ささげ物のおきて(第七の月1日、10日、15日(1~7日)の聖なる会合)
1.特別な祝日のささげもの
 28章の前半では、毎週、毎月献げられるささげ物について語られていましたが、その後半とこの29章では、特別な祝日のささげ物について語られています。つまり過ぎ越しの祭りと種を入れないパンの祭り(28:16-25)、初穂の日(28:26-31)、ラッパが吹き鳴らされる日(29:1-6)、第七の月の10日および、第七の月の15日から7日間(29:12-40)のささげ物となっています。
 既に述べたように、献げられるささげ物の数は毎年雄牛113頭、雄羊32頭、子羊1816頭、さらに小麦粉1トン以上、2リットルのペットボトル1千本分の油とぶどう酒が加えられました。このようなささげ物が実際に献げられるようになるのは、イスラエルが農業立国として繁栄していった時のことです。つまり彼らは、このように聞かされることで、これから約束の地に入ったらそこでどんな生活が待ち受けているのか一種の繁栄のイメージを掴むことができたのではないでしょうか。夢なきところに新しいチャレンジはないことでしょう。新しい世代に必要なのは、新しい具体的な未来でした。
2.第七の月のささげ物
ところで、なぜ第七の月にこれらのささげ物を特別に献げていくのでしょうか。第七の月は、太陽暦では9-10月で、この頃には全ての収穫が終わっています。イスラエルでは、初めの雨の季節11月から畑を耕し、種を蒔き、最後の雨の季節を過ぎると亜麻の取入れ(2月)、小麦と大麦の取入れ(5月頃)、夏のくだものの取入れ(8月頃)そしてオリーブとぶどうの収穫(9月頃)と続くのです。そして新しい年の収穫のために、すっかり乾燥しきった土地に、初めの雨、つまり天来の恵みが豊かに降り注がれることが望まれました。ですから第七の月の特別なささげ物は、収穫感謝であると同時に、さらなる主の祝福への期待と祈りを込めるものでした。そしてこの時彼らは、神の祝福を妨げる恐れのあるすべての罪を悔い改めるように勧められました。また仮庵の祭りを祝うことで、40年間荒野で、自分たちの努力を超えた天来の恵みによって守られ、生活できた奇跡の日々を思い起こし、神の祝福への完全な信頼を促されたのです。
3.聖書の新年とユダヤ歴の新年
 ちなみに、聖書は、イスラエルの出エジプトが起こった第一の月(太陽暦の3-4月、春頃)が新年であると定めています(出エジプト12:2)。しかし、今日のユダヤ人は、第七の月(太陽暦の9-10月、秋頃)を新年「ロシュ・ハシャナ」として祝います。新年が明けた10日後は「ヨムキプール 」いわば「贖罪の日」で、更にその5日後から8日間は「仮庵の祭」となります。ですから毎年イスラエルではこの月に大型連休となり、西暦の元旦は、平常日となるのです。ともあれ、イスラエルには、春を新年とする宗教歴(聖書歴)と秋を新年とする生活・政治歴の二種類があり、バビロン捕囚の後、生活・政治歴が中心となったと考えられています。
4.ささげ物の意味
ともあれ、イスラエルの民は、今や40年の荒野の生活を終えて、約束の地に入ろうとしていました。彼らはもはや休みなく酷使され、使い捨てにされる奴隷の人生ではなく、奴隷の窮地から救いだし、解放してくれた神を覚え、神に与えられた新しい人生を喜び楽しみ、分かち合う祝祭日のある、ライフスタイルへと入っていくのです。
そのような意味で、キリスト者も、キリストの救いに与ることで、新しいライフスタイルを得ます。もはや、馬車馬のように会社の歯車となって働き、画一化された社会で他人の目を気にして没個性の人生を生きて、退職したら何の趣味もなく「終わった人」になってしまうような人生とはお別れです。むしろ、神に与えられたすべての恵みを喜び、歌いながら、自分と家族、そして神の家族である教会を建て上げていく、つまり人に分け与え、神に献げていく人生に入るのです。クリスマスには、救い主イエスの臨在を、3月の受難週にはイエスの十字架の救いを、続くイースターには復活の命の恵みを、そして5月頃のペンテコステには新しく与えられた神の使命と家族を覚え、喜び祝う、そして与え献げる、キリスト者にはそんな一年の流れがあります。
また注目すべきは、この一連の祭りの流れの中で、どうやら仮庵の祭りが頂点となっていることです。後に預言者ゼカリヤは、仮庵の祭りを、ユダヤ人のみならず、すべての民族のために定められた祝祭中の祝祭であるとみて語っています(ゼカリヤ14:16-18)。そしてイエスも、またイエスの弟子であるヨハネも、この祝祭の雰囲気を神の家族が味わう究極の祝福として見ているところがあります(黙示録7章)。確かに、全世界が民族紛争から解放されて、誰が誰の上に立つのでもない、ただ人間をお造りになった神のもとに人が集められ、喜び祝い、与え、献げ合う機会が実現するとしたら、それは人類の究極の平和、祝福と言うべきでしょう。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。注ぎのささげ物としての強い酒は、子羊一匹につきどのくらいの量が注がれたでしょうか?答えは約1リットル。子羊一匹につき四分の一ヒンの量が注がれました。一ヒンは、約3.8リットルですから約1リットルです。では今日の聖書クイズを一つ。仮庵の祭りの時期に収穫されるものは、次のどれになるでしょうか?①大麦、②小麦、③ぶどう、答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!
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