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1歴代誌25章

2012年12月18日 06時01分26秒 | 歴代誌
<朝のディボーション>
すでに、23-24章では、神殿に仕えた祭司たち、特にレビ人の指導者たちについて語られた。25章は、神殿に仕えた音楽家の家族が紹介される。アサフとヘマンとエドトンの賛歌族である。しかし彼らの役割は、礼拝において楽器を奏でる、声をあげて歌うのみならず、「預言」することであった。神のことばを調べにあわせて宣言するのである。
「彼らはみな達人であった」(7節)ということばに注目される。ただほめたたえるというのではない。彼らは訓練を受けた。訓練を受けて達人の域に達していたとされる。そういう意味では、私たちも礼拝の賛美について、しっかりと学ばなくてはならないものがある、神ご自身から訓練を受けなければならないものがある。賛美は、こちらの気分で歌うものではないし、また情緒的な満足を求めて歌うものでもない。まさに神を賛美するために歌うものであって、そのためには、神の喜ばれるように歌うよう、訓練されるところがあるのだろうし、達人とされる必要もある。
 詩篇50,73-83篇にはアサフの名が、88篇にはヘマン、39,62,77にはエドトンの名が記されている。ことにヘマンは、預言者サムエルの孫、ヨエルの子である。ヘマンの父ヨエルは、祖父のサムエルとは違って、利得を追い求め、賄賂を取り、さばきを曲げる者であった(1サムエル8:2,3)。にもかかわらず、ヘマンは、祖父サムエルの信仰のスピリットを継承し、霊的な力があり、「王の先見者」(5節)と呼ばれる歩みをした。彼の14人の息子と3人の娘も彼と共に音楽の奉仕に当った(1,4-7節)というのであるから、信仰をきちんと継承する確かな歩みをしたとも言える。
<夜のディボーション>
 このヘマンについて。4節の、第六子ハナニヤ以下の名前は名前ではない、と言う人もいる。つまり、
ハナヌヤ(私をあわれみ給え、主よ)
ハナニ(私をあわれみ給え)
エリヤタ・ギダルティ(あなたは私のほめたたうる神です)
ロマムティ・エゼル(悩みの時の私の助け手です)
 ヨシュベカシャ(私は言います)
 マロティ、ホティル、マハジオテ(幻を豊かに与えてください)
 と、ヘブル語名の意味をとっていくと、一つの意味のある詩を構成している。こういうことは偶然には起こりえないだろう。初期の写本家が、ヘマンの子の名前の中に、このような祈願詩を読み取る可能性を発見して、その目的にそうように手を加えた、と考えられてもいるが、確かなところはわからない。むしろ、神を愛するヘマンが、家族をもって神に仕えることをよしとし、子どもたちに自らの信仰を表す名をつけたとも考えられる。ヘマンの信念は、困難な中にあっても、神を賛美せよ、というものである。
信仰は確かに個人的なものであるが、幾代にも及んで親子を通して神に仕えていくことは、信仰の恵みをさらに深め豊かにする。自らも、そして自分の家族、子どもたちも、達人として神の礼拝に仕えることができるように、訓練されたいものである。なお、ここでも奉仕はくじ引きによる、ことに注意する必要がある。経験や年齢によるものではない。あくまでも神の機会は平等に与えられるべきものなのである。

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