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ヘブル人への手紙13章

2015年02月09日 06時10分24秒 | パウロ書簡
ヘブルの著者は最終章にて、具体的な勧めを連続して書き現わしている。
(1)兄弟愛を持ちなさい(1節)
(2)もてなしを忘れてはいけない(2節)
(3)人を自分と同じように思いやりなさい(3節)
(4)結婚を尊びなさい(4節)
(5)金銭を愛してはいけない(5節)
エリヤを養ったツァレファテの未亡人に与えられた主のことばは「かめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」であった。祈り一つで何千人という孤児を養ったというジョージ・ミュラーは、5節の「主は決してあなたを離れず、あなたを捨てない」ということばを愛誦したという。人でもなく、金でもなく、神を信頼し、神に頼って歩んでいく。そこに信仰者の生きるべき道がある。だから、神のみことばを指導している人々を思い出し、彼らの生活の結末をよく見て、その信仰に倣いなさい、と勧められる(7節)。真に主のみことばに生きている指導者は、良いことを言おうと背伸びする必要がない。日々、その生き方が模範であり、日々み言葉に生き抜いている自然の重さがある。
 8節、イエスは、変わることがない。だから、色々と珍しいと思うような教えに心を奪われてはいけない(9節)。特定の物を食べる儀式的な規定の教えに気を取られてはいけない。そんなことからは何の益も受けない。大いなる利益を得る道は、ただ一つ、イエスの十字架の恵みを味わう教えである(12節)。というのも、私たちが目指しているのは、天の永遠の住まいだからである。私たちの生はこの世で終わるものではない。だからむしろ、イエスに助けられながら、イエスの恵みを証する歩みをするようでありたい(15節)。多くの人が、イエスの恵みの素晴らしさを知るように、良い行いをし、分け与える者であろう。それこそが、神様に対する本当の捧げものであり、神様に期待されていることである。
17節、教会の指導者を認め、服従し、喜んでその教えに従っていこう。たましいのみはりのために、神様が彼らを立ててくださったのである。彼らは神様に報告義務がある。神様に忠実であろうとする彼らの働きが妨げられないように、彼らが喜んでその働きができるように、協力的であろう。それは、あなたがたにとっても必ず益になることだから、と言う(17節)。
 そこで、牧師のためにも祈るように心がけよう(18節)。ただ祈ってくださいというのではない「もっと」祈ってくださいと著者は言う(19節)。教会の務めは祈りである。教会が祈りの霊に満たされるように期待される。教会に行けば、祈られている、もっともっと祈られている、そういう教会でありたい。実際のところ、私たちクリスチャンの成長は、霊的なものである。そして、霊的にこれを阻もうとする悪魔の働きも大きい。教会の働きは霊的な働きである。となれば、聖霊の働きを求める祈りこそ、最も大事にされるべき奉仕とならねばならない。まさに、復活の主が、神のみこころにかなう働きのための一切の必要を満たしてくださるように祈らねばならないのである(21節)。ただ主キリストの栄光があるように、主の恵みがあるように、今日もそのように祈り、主の期待の中にこそ歩ませていただこう。

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