これは、叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
悪性胸膜中皮腫 その3
悪性胸膜中皮腫 その4
に続きます。
≪2015年 12月21日≫
年内に退院との話も出始め、退院に向けてのカンファレンスが設定されました。
化学療法を行わない・・
その方向で、看護師も院内の相談員もケアマネージャーも動き始めました。
しかし、医師は今後も化学療法を続ける気のようです。
私に対する話も、曖昧な感じでもにょもにょと・・・
立ち会っていた看護師に「先生は治療する気でいます。はっきりと拒否の意思を示さないと、化学療法を続けられますよ。」と。
≪2015年 12月27日≫
医師と面談。
「毎週のように面談なんって、普通はできない。」こんな言葉で始まった。
治療を始めたばかりで、結果も出ていないのになんでやめるんだ。
たまに来て、様子を見ただけで何がわかる。
暴言に近い形で、捲し立てられる。
でも、「今後、化学療法はしない。」この一点張りで話をした。
退院後は、この病院では診察はしない。
救急搬送もしないように、責任を持て!
とまで、言われてしまった。
化学療法で、腫瘍に変化が見られたのかもしれない。
病気を治してあげたいという気持ちからなのかもしれない。
でも、この医師は病気をみてくれているけれど、患者を診てくれてはいない。
そして、看護師は医師に立て付けない環境になるんだな~と思った。
医師が退席した後、看護師からは「家族の選択は間違っていないと思います」と慰められた。
その後、この面談の話は看護師長から上部に上げられたようです。
何かあった時は、心配せずに受診してくれとの話がありました。
2日に1回は面会に行っていたのですが、この後はあの医師に会わないように、きょろきょろしていたかもしれません。
その後も、叔父は食欲がなく、ほとんど食事を口にすることがありませんでした。
年末年始のお休みに入るので、食事ができない状態で退院させるのは難しいということになり、年内に退院することはありませんでした。
今も、気持ちのどこかに「緩和治療を選択してよかったのだろうか・・・」と不安になることがあります。
いくら考えても、また同じ結論になるのですが、繰り返し不安になります。
人の命をどう考えるのか、本当に難しいです。
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